白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【イジメ・トラウマ】学生服の子を見ただけで ~蘇るのは、悪い夢ばかり~

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 新緑の季節を楽しむ間も、堪能したり想像する間もなく過ぎ去って。

 初夏の暑さを齎しながら、季節は梅雨へと向かっています。

 先日汗水垂らしながら洗車した愛車も、にわか雨によって一日足らずで汚れ切ったことでヘタれている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 6月に入り、学校も登校生を分割する形で再開されました。

 私は今の所勤務時間を前倒しする形でシフトし、少しでも通勤者の少ない電車で行き来できるようにしておりますが、丁度学生さんたちが登下校する時間と被るようになっています。

 

 楽しげに、笑顔を見せる学生の方々とすれ違うと。

 学校を卒業して十年以上経った今、彼ら彼女らの姿を見る度に、思わず身体が身構えるように妙な緊張感を抱くようになっています。

 その笑顔が眩しいと思う訳でもなく、視線は明後日の方を向いてしまいます。

 

 あんなに笑いながら登下校していたっけ、と変な感慨に耽る以上に。

 自分自身の、醜い学生時代を無意識に思い浮かべて。学生さんを見る度に、忘れたつもりでいた嫌な思い出のような、悪い夢のようなばかりが蘇るようになりました。

 

 

 今回は自分が受けたイジメの経験から、それを彷彿させる学生服の子たちを見ただけで胸が締め付けられるような息苦しさと息が詰まる思いになってしまうことを。

 トラウマとなり、心に深い傷として刻まれた負の記憶。時が経っても、薬を飲んでも、カウンセリングを受けても癒えることなく、容赦なく蘇っては私を蝕み続けていることについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去の自分と和解し、克服したつもりでいたイジメの記憶

 

 

 ここに来るまで、私は少しずつではありますが、イジメられた経験を忘れ去る時間が増えて参りました。

 

 私のイジメに関する記事は、こちらです。よろしければ御覧いただければ幸いです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 この記事を上げた時は感情任せだったこともありましたが、それだけ凄惨で怒りと失望に満ち溢れていたと思うと共に。

 イジメを受けていた当時の、中学生の私は、もっと悩んで、苦しんで。生きることに意義を見出すこともできないまま、ただただ時間が過ぎ去ることだけをひたすら望んでいたのだろうなと思います。

 

 青春と言われたり。学校という縛りはあっても、自由奔放に時間を使い放題でき。

 同級生と過ごした時間は、一生の宝物になるという意見もあります。

 それを、否定するつもりも異議を唱えるつもりもありません。

 ただそれは、喩え普遍的であったり進学という苦しい時期を経たとしても。

  健全な形で、大人への階段を登ることができた人にこそ相応しい言葉や比喩なのだと私は思っています。

 

 どんな形であっても、イジメを受けた側からすれば。

 学生生活なんて、今この瞬間にでも、無かったことにしたい。少なくとも私には、そういった思いしか残っていません。

 

 全部が全部、悪い思い出だけではありません。部活に打ち込んで汗を流し、試合で勝った時の喜びや負けた時の悔しさ。そういった人間らしい感情は、思い返そうと思えば「そんなこともあったな」と思い出すこともできます。

 でもそれ以上に、人格否定され除け者扱いされ。一人の学生以上に、一人の人間としても拒絶され続けた記憶の印象はあまりにも大きくて、些細な喜びや悔しさも思い出したくない思いに刈られます。

 

 それを克服したい為に、私は様々な手を打ってきました。時折悪夢となって当時の加害者たちが出てくるようなことはあっても、以前ほど、憎しみや怒りは穏やかになっています。

 

 初めて向かい合った時こそ、学生時代の私は時が止まったまま、所々が破れ薄汚れた学生服姿のまま。体中に傷を負い、今も止まらず流れ続ける血に塗れて、震える片手はナイフを握り締める、凄惨な有様でしたが。

 時間を掛けて、ゆっくり声を掛けて、会う回数を増やしていくことで。

 学生の私は、現在の私を受け入れてくれました。今でもたまに意識を沈めていくと、そっと笑う学生の自分と話し合うこともできる程になりました。

 

 そうして、すっかりイジメの記憶から解放されたと思ってきました。

 しかし意外な所から、負の記憶を彷彿させる場面と出会うこととなりました。

 

 

 

 

 学生服の子を見ただけでも、胸を締め付けられる

 

 

 ここに来るまで、それは当たり前の光景として意識を留め置くようなものではありませんでした。

 駅まで歩く途中でも、電車内でも、駅から会社までの道でもすれ違っては通り過ぎていったもの。

 

 様々な色に彩られた学生服を着た、学生たちの姿でした。

 新型コロナウイルスによって、2ヶ月以上休学を強いられた彼ら彼女らは。朝一から清々しい笑みと跳ねるような明るい声を輝かせています。

 何気ない、平穏な学生さんたちの日常。

 

 自分でもおかしいと思う程、それを見かければ見かける程、胸が締め付けられるように、呼吸が止まって。休学が解除となってからはことさら、「朝から元気だな」と思う余裕もなくなり、目を背けるようになってしまっています。

 

 これまではイヤホンを装着して音楽を流すことで多少軽減できた、彼ら彼女らの声も。駅から会社まで自転車で通勤するようになってから、イヤホンを付けることもできずに直接聞こえてくる若々しい学生の声。

 

 姿も声も。男子でも、女子でも。

 見ただけで心を揺さぶられて、イジメられた過去の私が悲鳴を上げて。その度に現在の私が護ろうとしても、気分はどんどん落ち込んでいき、悪い夢ばかりが蘇ってきます。

 

 誰も、助けてくれなかった。ゴミを見るような目で見下され続けた。少しでも自分を落ち着かせようと、小学校からの友達とつるもうともしましたが、煙たがるように皆離れていった。

 

 学校という狭い閉鎖空間の中でも、遮断され行き場を失い、身体はともかく心だけが傷だらけになったかつての私と。

 活力に満ち、学生生活を満喫しているように見える若い学生さんとを、どこかで比べている自分がいました。

 

 虚しさと無力感。

 

 特に、イジメの元凶だったのが女子生徒だったことも相俟って。女子生徒の姿を見るだけで、思わず奥歯を噛み締める程になって久しくなります。

 

 

 女性恐怖症だけでなく、同年代や年下がすっかり怖くなっていた

 

 

 

 私は他人に恋愛感情や性的指向を持てない、Aセクシャルを自認しています。

 思えばこのことも、イジメが原因になっているのかもしれないと思い始めています。

 

 イジメの主犯とその取り巻きは、全員女子でした。

 直接叩きつけられる言葉も、陰口として囁かれる声も、汚らわしさに溢れていました。

 そんな現実から少しでも逃れようと、縋る思いで輪に入り込もうとした、それまで仲の良かった男子たちも。

 すっかり根暗になり、言うこと成すこと面白みもなくした私を受け入れる姿勢も見せることなく。変わらず仲の良い同士で郭を築き上げた彼らに、私など入り込む隙間はどこにもありませんでした。

 

 イジメが全て、とは思いません。

 ですが恐らく、私は女性恐怖症なのだと思います。同時に同性である男性にも壁を造られたことで、抵抗感が生じています。

 特段、同世代や年下と接することにすっかり苦手意識が根付いてしまい、何を話せばいいのだろうと固まってしまいます。

 それを挽回や克服できるような場面に出くわすこともなく。何より私自身が、若気の至りや羽目を外すような勢い任せな行動や感情を無意識に抑え込んできたからだと思っています。

 性別問わず、中堅社員と認識されるようになった会社では同世代や年下の子と接する機会が増えて参りましたが。

 

 この子は、何を思っているんだろう。私のことを、どう思っているのだろうか。

 声を張れなくなってボソボソと話す私を、気持ち悪がっていないだろうか。

 

 そんな思いばかりが先走り、今も苦手意識や恐怖症のような、とにかく不安だけが募るようになっています。

 

 逆に年上の方とは、自分で言うのも難ではありますが気を遣うことには慣れていたこともあり、幸いなことに良好な関係を保つことができています。

 

 そんなことをひたすら繰り返してきた、十数年が経とうとしています。

 

 

 

 

 悪い夢や思い出が消える日を願いながら

 

 

 

 本当に、情けないなぁと思うばかりです。

 自分と全く関係ない学生さんたちの姿を見るだけで、克服したはずのイジメの記憶が息を吹き返したように蘇って。独り勝手に怯えて、狼狽して。

 

 仕事に疲れ切った時や、精神的にキツくなった時には。

 

 こんな私じゃ、イジメられて当然か。

 

 そんな、イジメられたことを正当化しようとする気持ちに陥ることさえあります。

 

 でも。

 それは、間違いだ。イジメなんて、あって良い訳がない。

 そうやって弱り切った自分を鼓舞するようにして。時には、息苦しさと悔しさで泣くこともありましたが、その度に乗り越えて今、私はここにいます。

 

 

 相手がどれだけ気に食わなくても、邪険にしたいと思ったとしても。

 そんなものは、自分の心の中だけに留めておいて欲しい。イジメという卑劣で卑怯な形で発散することなんて、イジメられる側よりも遥かに汚らしくて穢らわしいことです。

 

 そのような手段で人を貶めた人間の末路を、私は知っています。

 

 それは兎も角として、被害を受けた側はそう簡単には悪夢や嫌な思い出は簡単に消えることはありません。

 

 学生服の子たちに、罪などありません。

 全ては、私が受けたイジメの記憶が残り続けていることにあります。

 

 そして、同じように苦しんでいる人も、きっといるはずです。

 イジメや除け者とされた思い出も、記憶も、何一つ良いものを齎すことはありません。

 

 イジメを受けて、今も尚苦しんでいる方の。

 そして、私自身が抱える負の記憶が、一秒でも早く消えてなくなることを、切に願っています。

 

 

 最後は纏まりのない言葉の羅列となってしまいましたが、今回はここまでにしたいと思います。

 

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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