【生き方・価値観】怒りの感情・前章 ~理性を手放した、その先~
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緊急事態宣言が全国的に解除されたことを受け、主要道路にも車の列が見られ、ショッピングモールにも人の姿が戻りつつある週末でした。
長い所では二ヶ月強。短くても一ヶ月近くに渡る、外出の自粛。つい半年前までは帰省も外出する人が増えれば、当然密度も増える訳で。
在宅に慣れすぎた身体と精神には、人の波や近さに、 すっかり流されてしまい。帰宅する頃には寝床に横たわることしかできない程でした。
月一の心療内科受診のついでだったとは言え、人混みは相変わらず苦手であることを再自覚した、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
五月も終わろうとしているここ一週間ほど、何だか気分が優れない日が続いています。
妙に暑い日中だったかと思ったら、急に降り出した雨で気温が一気に下がる陽気。空気の入れ替えと同時に作動する冷房についていけない身体。
気候や温度差が、身体だけでなく精神にも影響しているのだろう、と分析しております。
他方で気分屋な性格が災いしているとも言えます。
もう半月で開始半年となるブログも、マンネリ化しているという意識はありません。
しかしながら全盛期だった頃よりも書き終えた後の達成感のような、頭の中でグチャグチャだった思いを言葉にして出力することで気分が晴れるような。
そういった快感に似た感情も薄れ始めているような気がしています。
これまでなら、ストレスが溜まっているのだろうなと短絡的に処理していたと思います。
ですがそんな折り、非常に共感を持てる記事を拝読する切っ掛けがありました。
記事を参考にさせていただいた、「はちさんた」さんに、この場を借りて御礼申し上げます。
getoverthetraumas.hatenadiary.com
私は元々怒りの感情を外に出すことが下手くそで、大半は自分の中に感情を閉じ込めてしまうことが九割以上を占めます。
何故なら大声で叫んだり、怒号を飛ばすことの方が疲れますし、何より後が面倒と感じています。
それなら内部にしまい込んでやり過ごした方が楽だから、と思い続けたきました。
元々怒ることが嫌いな私は、思いを口に出すことは苦手ということも大いに起因しています。
それでも、我慢の限度を超えた時には。
しかしその時だけは、人格が入れ替わったかのように。
相手と徹底的に殺り合うことも辞さなくなります。
過去数度、そのような状態になったことがありますが。
何かの拍子に、別人格とも言える私が表舞台に出てきそうな状態にあります。それが、今まさにこの瞬間です。
今回は人生を歩み、生きていく中で感じる負の感情。怒りや不快さ、不愉快な思いは、できるだけ抑えようと言われている現代。
それができれば、生きることなど難しくないとわかり切っている中で。
抑え切れなくなった時に、私は人格が入れ替わったかのように様変わりしてしまう事象を交えながら。
皆さんの「怒りの感情」に対する対処方法や解消法について、共感できることを願いながら、綴っていきたいと思います。
負と感情と言われる、怒り
人の持つ感情は様々です。一般的には「喜怒哀楽愛憎」と6つの感情があると言われていますが、今回は一般的に表現される「喜怒哀楽」に絞らせていただきます。
この中で喜び、哀しみ、楽しみは人の心を良い方向に動かすものと私は考えています。
喜びや楽しみはその瞬間だけに留まらず、過去未来に対しても「思い出」や「希望」として心を満たしてくれる。
哀しみも感じる浸る時は嘆いたり、自棄になる程荒れたり、泣いたりすることはあったとしても。心に負った痛みは、時間が解決してくれると私は信じており、いつしか思い出や教訓といった形で残るものであると思っています。
残された、怒り。一般的にも負の感情と称され、この感情を顕にするだけでも相応のエネルギーを要すると言われています。
誰かに対して怒りを募らせ、注意や指導という形で表現することは、想像以上の消耗を強いられます。
私のかつての上司も、怒ることは大変だと言い、そうする位なら黙って見過ごしたほうが楽だと言っていました。
そして私自身もこの感情だけは、場合によっては因縁や怨恨、後悔という更に悪い形で残り続ける可能性があるものであると考えています。
あの時に言われた、何気ない言葉に傷付いた。声を掛けたのに、無視された。
必死の訴えにも拘らず、無下に扱われなかったことにされた。
もしくは、もっと上手くやれたのではないのではないか。そうすれば、別の今があったのではないか。
そういった思いは、時間が経てば忘れられるかと言えば、決してそうではないと私は思っています。
一度根付いた怒りは、憎しみに変わって。不図した瞬間に蘇ってくる程、とてつもない負の思いと激情となる。
その連鎖に、今も苦しみ続けています。
他でもない、私自身がイジメという陰湿で理不尽な扱いを受けてから。比較も何もできないからこそ、心の奥底では今でも燻り続けて。積もりに積もった怒りは、憎悪となって残り続けています。
普段は飲み込んで、噛み砕いて無かったことにしてきた
しかしながら、物言うごとに多数からの反論や嫌味、皮肉を言われ続けたことで。
私は自分の思いを素直に言うことにすっかり疲れ果てていました。
何を言っても文句が返ってくる位なら。
もう、好きにしろ。
十代前半で諦観した私は、全てが馬鹿らしくなって。
怒りだけでなく、全ての感情さえ殴り捨てていました。
もう、全てに応えることも面倒だ。
その思いを自覚して以来、私は湧き上がる感情の全てを丸呑みして、粉々になるまで噛み砕いて。
全て、無かったことにしてきました。
食べ溢した感情が、後々蘇ってくることを恐れる余りに。蘇ったら最後、何を思うかわからない自分が怖くなって。
いや、違う。また自分に、嘘を付いている。
怖いよりも、思い出した時の感情の処理が、面倒だと感じた。
そう表現する方が正しい、はずです。
私が取った行動、それは怒りだけでなく、感じたことを全て自分の中に閉じ込めて。時には独りで浸ることもあれば、残滓すら残らない程にまで噛み砕いて、貪って。無かったことと錯覚する位に、残された思いを無きものとしてきました。
入社して十年が過ぎようとしていた、あの時が来るまでは。
今回も二部に分けさせていただきます。文章を纏める能力が欲しいです……。
ご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。