【趣味・ケモノ】ケモノという存在 ~人間嫌いな私が、光とさえ思えるもの~
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2019年も、年越しまでいよいよ指折り数える段階までやって参りました。
こんばんは、白兎です。
皆様、如何お過ごしでしょうか。
この度、まさかのまさか。
一日で150を超える閲覧数を記録し、ブログを初めて二週間という短さで、総計500以上のPVをちょうだいすることができました。
纏め下手な私ではありますが、本当に沢山のご閲覧、感謝以外の言葉が見つかりません。
恐縮する以上に、皆様に対する有難き幸せを感じております。
本当にありがとうございます。今後とも、本ブログをよろしくお願い申し上げます。
さて、今回は共感を得にくい内容でありながら、私という自分を構成するもの。
「ケモノ」という概念についてお話しできればと思います。
※注記※
本内容は、マイナーかつ個人的趣向が大きいものとなります。
ご覧くださる方の中では、嫌悪感や拒否反応が出る可能性があります。
この注記をご承知おきくださる方は、お付き合い願えれば幸いです。
※注記終了※
人間という存在が好きになれない
唐突ではありますが、私は人間という存在がどうしても好きになれないという感情が根付いています。
自我というものを覚え、記憶がある限り。
ヒトという種族が、他人というものが苦手で、嫌いと言っても相違ない程です。
この時既に、「それ言った時点でどうなのよ?」と思われる方も少なくないかと思います。
ですが、批判承知で、正直に申し上げます。嘘を付いて、取り繕うことで、自分を誤魔化したくない。
自分に正直にいたいという思いで、この記事を書いております。
Aセクシャルというものを自認してからは尚のことですが、以前から私は、他人という存在を受け入れることを拒否し、時には拒絶してきました。
ヒトと存在に興味や関心を元々得られなかったこともさることながら、そのような思いを抱くようになったのは。
人格を丸ごと否定され、拒絶された経験が大きいのかな、と私なりに解釈しています。
そこまで否定するなら。
私も、お前ら人間という存在など認めない。
ある意味、拒絶という邪念に対する反抗心、といっても強ち間違いない思いなのかもしれません。
ケモノというもの
私はヒトというものに関心を失いました。
その人が何を考えていようが、どう思っていようが。
私には関係ないこと。
ふてくされるように、やさぐれるように生きてきました。
その中で出会ったものが、本記事のタイトルでもある、「ケモノ」という存在でした。
これについては簡単ながらも紹介した記事がありますので、よろしければご覧いただければ幸いです。
恋愛感情もわからず、性的欲求というものさえ皆無の私にとって。
ケモノというものは、私を惹きつけて離さない存在となりました。
ケモノというものは、人それぞれで定義が異なります。
予め、私の「ケモノという存在の定義」を示させていただきます。
私の場合は、例外からお話しした方が早いかと思います。
それは、「動物の耳が生え、尻尾が生えただけの、外見上は人間」といったもの。
所謂ケモ耳、というものです。
これだけは、私はケモノとして容認できません。
何故なら、「人間が動物の尻尾と耳を飾りに付けただけの、コスプレ」のように思えてならないからです。
そういったものがお好きな方も、当然ながら多いのも事実ではありますが。
少なからず、私が思うケモノというものとは程遠いものです。
では、私が考えるケモノというものは。
「動物が二足歩行し、言語を自在に操る存在。或いは言葉は話せなくても、ヒトという存在に何かしらの意志を伝える手段を持っている存在」
「四足歩行でも、言葉を話すことができる。或いは、人間でもわかる何かしらの感情表現を持っている」
この二つだけは、譲ることはできません。
私が描いたケモノ。種族はホッキョクオオカミです。
私は人間の骨格を基本としながら、頭部や耳の違い、尻尾の有無や身体の毛並みで人間というものとの違いを出すようにしています。
それ以外にも、ケモノというものはそれだけでなく、脚(動物の後ろ脚に相当する部位)は実在する動物に準じて逆関節だったり、人間の髪の毛に相当するものはなく、飽く迄毛並みだけというものも存在します。
こればかりは、本当に好みに依るところが大きいと思います。
ケモナーとは
定義は人それぞれだとしても、極端に言えば「動物が擬人化した存在」を好み、惹かれるヒトのこと。それをケモナーであると私は考えます。
私の推しはオオカミ。次点でイヌ。それ以外は猿や海洋生物でなければ、基本的にどんな種族でもOKです。
そこに恋愛感情や性的欲求があるかどうかは別の話です。
兎にも角にも、上記したケモノという存在が好きであること。
これが全てである、と私は考えています。
逆に論点になりかねないことは、一つ。
このような思いに、「気持ち悪い」だとか「おかしい」だとか「マイナー過ぎるでしょ」だとか、そういった思いや感情が出てくること。
最早、変態と言われても弁解できないことなのかもしれません。
ですが、少しでも良い。考えていただきたいことがあります。
人間はそれぞれ、好きなものや趣向、性的欲求をそそられるものが少なくともあると私は考えています。
〇〇フェチ、といえばわかりやすいかもしれません、
そういった、個人的趣向や性的欲求は、声を大にして言えるものではないのではないでしょうか。
「私は〇〇フェチなんです!」なんていうヒトは、そうそういないはず。
ケモナーというものも、人間が持ち得るそういう類の一つなのではないか。少なくとも私はそう思っています。
私は特段、声を大にして言ったりカミングアウトすることはないにせよ、ケモナーであることを隠そうという気はありません。
だって、それが自分の一部なんだから。
「一般的に見て異常だから」と思って変えようとしても、変えられるものではない。そもそも変えようという気持ちなど浮かんできません。
故に、私は他人の趣向や性的欲求について否定することはありません。
様々なジャンルに対して趣向を暴露されても「そっか、そうなんだね」と返し、逆に興味を唆られる程です。
それ位、人間という存在の趣味趣向は、多種多様であることは、自分なりに自負しているつもりです。
尤も、変わり者と自認するだけでなくクルマ仲間にさえ他認されている私には、変態という言葉は褒め言葉にさえ聞こえる程です。
普通の人間でありたくない、という思いが滲み出ているせいかもしれませんが。
ケモナー界
私が初めてケモノという存在を知った時は、今のようにSNSも黎明期であり、個人が経営するホームページが点在する程度でした。
それが今では、スマホのゲームアプリに登場する一つの種族であったり、アニメや漫画でも主人公を取るポジションになるほど。
私が知り始めたころよりもメジャーになりつつあるとは言えど、まだまだマイナーの域を出ているとは言い難い。
そんな中で、もし、同じケモノを好む方がいらっしゃれば。
私が知る限りで、ケモノが登場するものをご紹介できればと思います。
一つは、以前お話しした「BEASTARS」という作品。
漫画原作でありながら、10月よりアニメ放映が開始された作品です。
真ん中に立つハイイロオオカミ、レゴシが主人公。
イヌ科の中でも大型で力も強く、戦闘能力も高い種族に産まれた彼は、身体とは反対に繊細で内向的。そして自分がオオカミに生まれたことを悩んでいる。
そんなレゴシに、本能と理性を揺さぶられる転機が訪れる。
レゴシの性格は、どこか、私も近いものを感じます。
彼のような身体的強さは、私にはない。
でも生きる意義、種族に対する抱える疑問、そして自分という存在を無意識的に否定している。
そんな考えに抗いながら、本当の自分というものを探していく。
勝手な思いではありますが、十年以上前に流れた曲のタイトル。
「君は僕に似ている」
親近感のような、「寄り添いたい」という思いに刈られてならない。
と言いつつ、この展覧会で。
まさかの気ぐるみレゴシ!
モッフモフ!!
レゴシぃ~!!!
ハイタッチしてくれただけでなく、ツーショット写真まで。
もうあれです。完全に脳みそが機能停止して色々おかしくなっていました。
それくらい、私を魅了し、この世界を生きていく糧にすらなってくれている存在です。
他にも、スマホアプリの「 Sdorica 」というゲーム内にも、ケモノという種族がでてきます。
渋いオオカミ獣人や。
殺意の何かに目覚めたトラが出てきます。
他にも多くはないにせよ、ケモノという存在が登場します。
ケモノという存在が、人生の分岐点になった
私は人間という種族が嫌い、と最初に申し上げました。
正確に言うと、「あまり関わりたくない」といった方が正しいのかもしれません。
というのも、私は不特定多数相手だったり、それほど親しみのないヒトが絡んでくるのが嫌いな訳で、実際に会ってお話しした人や、ブログを通して同じ何かを感じた人とは普通に話ができ、相手の話すことにも興味を持つことができます。
あまりにも限定的すぎる、ヒトという存在に対する私の態度。
そんな私を変えてくれたのが、ケモノです。
しかし哀しいかな、彼ら彼女らは、飽く迄想像上の存在。実在はしない。
それは結局、人間が考え出した概念の域を出ていないと言って差し支えないのかもしれません。
それでも、私は。
純粋に、生きることに懸命なケモノを。
これからも自分を構成する一部と信じて、付き合っていきたいと思っています。
マイナーなお話しとなりましたが、今回はここまでとしたいと思います。
後閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。