白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【生き方・価値観】居眠りする後輩 ~叱るか、見限りか~

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 先日、Amazonを語る詐欺メールが届きました。

 内容は「お客様IDが不一致だったから、至急確認して登録し直してね」という、それっぽいことが書かれておりました。

 書きっぷりは悪くないと思いながらも、大変残念なことに。

 本文中に「Amazone」と表記されていたことで、思わず吹き出してしまいました。

 

 アマゾネって誰ですか……。

 

 最近は無駄にネットショッピングが多くて引っかかりかねない状況ではありましたが、アマゾネさんが可愛らしい間違いをしてくれたお陰で詐欺?から逃れることができた、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 全国的に県跨ぎの移動自粛も限定付きではありますが解除され、電車や歩道では学生さんだけでなく、新入社員と思われる若々しくピシッとしたスーツを着込んだ人も見られるようになってきました。

 

 新型コロナウイルスが齎した驚異は、新入社員の方々にも大きな影響を与えることとなりました。

 

 入社式も全面的に縮小、配属前の研修も大幅に削られ、当社でも先月下旬になるまで在宅勤務を強いられたと聞いています。

 

 華々しくも緊張に満ちた入社式、右も左もわからないまま望む、一ヶ月に及ぶ研修。同期との触れ合いや付き合いを通しての人間関係の確立。

 本年度入社した社員は、かつて十数年前受けたものを受けられないまま現場に配属されるという険しさと厳しさを痛感し、配属先の部署に通勤していることと思っています。

 

 しかしながら、本来研修で受けるはずのビジネスマナーや知識を満足に得られないまま配属となった若い子たち。

 かれこれ数年に渡り新入社員や若手社員の面倒を見てきた中でも、少々目に余る彼らの会社生活を目の当たりにしています。

 

 

 今回は社会人生活を送る中、学生から就職したての新入社員の育成について。

 新型コロナウイルス蔓延の傷を負っているとは言いつつも、お金を会社から貰うこととなった新入社員社員の態度や在り方。

 それについて叱責すべきか否かを、怒られたり注意されることに慣れていない私が悩むと共に。

 「言われる内が華」と言い聞かされた私は、注意しても直そうとする気が感じられない彼らを、見限ろうとしている自分がいることに気付いてしまったことで。

 どうすることが最善なのか、思い悩んでいることについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 これまでとは一概に比較できない、新入社員の在り方

 

 

 

 2020年。年明け早々から新型のウイルスが蔓延し始めたというニュース。

 当初こそ海外の話、十数年前のSARSやMARSと同じく広まることなく収束するだろうと気にも止めずにいた、新型コロナウイルス。

 それが半年を過ぎようとしている今も尚、世界各国で衰えることを知らぬまま広がり続けています。

 日本でも犠牲者、感染者共に世界中から見ても少ない数が報道されていますが、本当のところは知る由もありません。

 本国では様々な事案に対して情報操作が行われ過ぎたことで、民間人に示されるものなど信用するに値しないものと成り果てたと個人的に思う一方で。

 

 犠牲になられた方、今も尚闘病されていらっしゃる方に対し、お見舞いの言葉を申し上げると共に。亡くなられた方々への冥福をお祈りし、感染しウイルスと闘う人々に逸早い快復を、心よりお祈りするいたします。

 

 一方で現実的な問題として、新型コロナウイルスの猛威に振るわれたことで。

 通年通りの人事や事業に支障を来している会社の事業にも、大きな打撃を受けています。

  それは特段、本年度付で採用され配属された新入社員の子たちです。

 

 

 これは、十数年前の私の体験談になりますが。

 本来であれば研修施設で一ヶ月程の時間を掛けて専門知識を座学や実機を通して学ぶだけでなく、ビジネスマナーや会社の規定について叩き込まれる時間を。

 同じクラスや同期と共に過ごし、時には退屈、面倒と感じる時間でさえ乗り越え、初期研修を終えた暁には定められた配属先へ別れて行きました。

 その後に行われた研修で出会った際には、明るい声と共に再会を喜んで。時には祝盃を交わし時間を忘れて話に耽ることで。

 何年経ってもかつて同じ境遇を過ごした「同期」であり「仲間」と記憶に残り続け、配属先が変わっても変わらず頼れる存在たちとなります。

 

 それが叶わなかった、今年入社の新人たちは、何を思いながら会社に務めているのか。

 推し量ることは、叶うことはどうやらなさそうです。

 

 

 

 

 新型コロナウイルスによって、大きく変わった新入社員

 

 

 

 今年入社した彼らは、普段から会社務めする私たちよりも新型コロナウイルスの影響を大きく受けていると思っています。

 普段務めの我々はリモートワークや勤務地分散、始終業時間変更と様々な形を取りながら、業務を継続して参りました。連絡手段や資料共有といった面では制約を受けることとなりましたが、これまでの働き方を今一度考え直す機会にもなったことは、紛れもない事実です。

 

 一方で、先述した通り入社後研修を受けることもできず、在宅勤務という名義の元自宅待機を二ヶ月弱強要された新入社員は、身体も精神も大きな負担になったことかと思います。

 聞けば技術的な資料を共有されただけで、あとは資格受験に向けた勉強をひたすら重ねていた、とのことです。

 

 そこから緊急事態宣言解除と共に配属先に一斉に務め始め、講習や座学を受けたところで。

 正直言って、唐突過ぎて身体も心も適応する時間もないのに、慣れろという方が無理があるようにしか思えてなりません。

 

 国内に留まらず、世界中を巻き込む病原体との見えない戦いが続く中。彼らだけでなく、事業を潰す訳にいかない会社にとっても、苦渋の決断だったとは思います。

 然れどバイトの経験等、社会と向き合った機会の有無で多少変わるところはあるにせよ、満足な講習や研修を経ずにいきなりの現場配属というものは、受ける新入社員たちも、受け入れる会社側も前代未聞の大事だったことは、察するに余り有るものであったはずです。

 

 しかしながら、です。

 恐らくこれまで、誰も経験したことのない入社、在宅勤務を終えて配属された新入社員たちも、それまで通常通りの研修を受け配属され現場で働く社員と比べても、変わらないものがあります。

 

 それは、労働という対価として賃金、つまりお金を会社から受け取っていることです。

 

 お金を貰っているという事実が存在する以上、どれだけ険しい道を歩み、明けることのない未知の社会人生活が始まったとしても。

 新入社員であろうが否が態度や言い訳として表現することは簡単には許されない、と私は考えています。

 

 そのしわ寄せ、と言っては失礼になることを承知で申し上げます。

 本年度入社した新人たちを預かった際の、その態度は。

 新型コロナウイルスの影響があるからと擁護は、如何せん度が過ぎておりました。

 

 

 

 

 座学開始一分足らずで船を漕ぐ新人君

 

 

 

 五月下旬に差し掛かる頃、本年度入社した新人君たちを出迎える日がやって参りました。

 ネットワーク機材を管理する者として、私は探りを入れるように彼らの入社後の在宅勤務や配属された直後の気持ちを聞き入れるように話を持ちかけ、大体の状況を把握することができました。

 やはり、二ヶ月弱に渡る自宅待機は精神的に来るものがあったとほぼ全員が正直に申していました。

 

 機材の準備だけでなく、私は上司から専門的に行っている業務についての説明をしてほしい、と直々に依頼を受けました。

 私が取り扱う業務は特殊なものが多く、研修でも触る機会はほぼありません。携わっている社員も少ないこともあることから、早い段階から少しでも新人たちにも知っておいて欲しいという思惑があったのだと思います。

 

 そしていざ、座学を任された講義。

 概要に絞って用意した資料を、口下手な私が解説していきました。任されて以上は少しでも興味や関心を持ってもらいたい、という私なりの願望があったことは事実でした。

 

 その途端、躊躇うことなく期待を裏切る事態に出くわすこととなりました。

 開始1分足らずで、居眠りを始める社員の姿。

 まだ、簡単に自己紹介終わったばかりだよ?まだ説明用の資料を準備している段階だけど?

 座学に続く座学で疲れているのだろうと、最初は注意することなくひとまず座学を始めます。注意を連続していては定められた時間内に説明を終えることが厳しくなると判断した為です。

 もっと正直なことを言えば、「まあ、いいか」と他人行儀に考えていた私自身の思いが強いところが一番になります。

 

 途中、船を漕ぐ社員に何度か声を掛けてみたものの、反応なし。同期の子たちも呼びかけていましたが、起きる気配はありませんでした。

 

 ひとまず一時間ほど、経験談等を挟みながら話し終え、一旦休憩を挟むこととしました。堅苦しい話よりも雑談をモットーとする私は終わり際に雑談を入れた時、ようやくその子は目を覚ましました。

 

 その後の態度が、目に余りました。

 

 借り切った狭い会議室の中。眠りから解放され、思い切り背伸びをしながら欠伸をし、「やっと終わったか」と言わんばかりに目を擦る様。

 

 流石に、少しカチンと来ました。

 

 大人気なく、「座学ばかりで疲れるでしょ?」と皮肉を込めて苦笑いする私。新人君たちも同じように苦笑していました。

 それはそうだろうな、と思った瞬間。

 

 居眠りを通り越して、座学中寝入っていた子だけが、妙にはっきりとした口調と視線で。

「ホント、疲れます」と言い切りました。

 

 「だろうね」と鼻で笑った私の内心は、笑顔は消えていました。

 

 さっきまで突っ伏していた君が、どの面下げてそんなこと言えるんだい?休憩と同時にドヤ顔するその自信?は、どこから来ているんだ?そういう時だけハキハキしても、誰からも良い顔されないからね? 

 まあ詰まらないだろうけど、だからといって寝て良いとは誰も言っていないし御法度。言われるまでもないと思うかもしれないけど、その態度だと言われても仕方無いっよ?

 そもそも幾ら詰まらない話だったり私が口下手だったとしても、お金を貰っているという事実は変わりないことは、わかっているんだよね?

 

 思わず苛立ちの感情が噴き出した私は、幾ら何でも正面切って新人君と言い合うような愚行を避けて。

 やんわりと、「会議とか座学とか、詰まらないと思うし、連続で疲れているだろうけど。会社からお金貰っているんだから、ケジメはツケないといけないからね」

 とだけ告げ、紫煙をくゆらせに行きました。

 

 休憩後に再開した座学。

 眠気も多少取れたことだから、少しはマシになるかな。

 

 

 そう思った私が間違いでした。

 話し始めて、今度は30秒程で、同じ子が船を漕ぎ始めていました。

 スクリーンと彼らを交互に見る私の目に、その姿が映った瞬間。

 

 この子は、ダメだな。

 

 それよりも、眠気と戦いながらも、小難しい話に相槌を打つ残った新人君たちへの説明を優先しようと、気持ちが切り替わりました。

 

 

 相手は右も左も分からない新社会人。粘り強く注意したり言い聞かせることが必要なのかもしれません。

 

 しかし、そういった時の私はかなりニヒルな面が現れます。

 聞く気や姿勢がないのなら、どうぞご自由に。後で困ることがあっても、私は関与しないので。

 我ながら、本当に大人気がないと痛感していますが、このようなことはどうしても譲れません。

 

 学生気分が抜けようがいまいが、会社に勤めている以上、それは別の話。

 新型コロナウイルスの影響で大変な思いをしたことは、確かに辛かったかもしれない。

 でも、座学中ほぼ全て寝入っていた姿を見せられれば、同情はできませんでした。否、する気も起きませんでした。

 

 

 

 

 

 ハラスメントに発展しかねない、しかしそうはさせたくない

 

 

  

 先輩面するのは嫌いですが、 少なくとも私は、言い聞かせるだけでは人は変わらないことを何度も見てきました。

 

 ここ最近ではハラスメントのこともあり、言う側も下手な言い回しをすればすぐにハラスメントと訴えられる世の中になりつつあります。

 

 個人的な意見となり恐縮ですが、セクハラは別問題として。

 何でもかんでもハラスメント扱いする側もされる側もどうなのだろう、というのが本音です。

 

 ハラスメントを盾にされたら、例えば提供しているサービスに影響が出るほどの危険行為を行った後輩や新人の至らない点を注意した時。

 「あの時白兎さんに言われたこと、会社に行けなくなりました」

 そんなことを言われた日には、こちらとしても堪ったものではありません。

 労働環境を改善しようという風潮は私も賛同します。しかし、少しの注意を他人に擦り付けることとは、全く別問題と私は思っています。

 

 私は仮にハラスメントと訴えられることに不満や恐怖はありません。最悪私が異動処分や更迭され、それで場が収まれば、特段拘るようなことはございません。

 

 しかし私だけならともかく、上司や職場全体への影響を考えると、内面で燻る素の私を出すことを些か躊躇ってしまいます。

 

 言い出したら、仕事や業務に支障が出るだけでなく、普段の会話や雑談にさえ影響が出始めて。

 最後はお互いに「何も話し合わないことが普通」となることが、私にとっては不自然で無意味なものになり果てると思えてなりません。

 

 何の為の会話なのか。何の為の注意なのか。何の為の叱責なのか。

 それに至ったことを省みる時間は、喩え新人でも必要なことであると私は考えています。

 自分の至らなかった点、先輩と意見が合わなかった点を自ら見つけ出し、次に活かしたり意見する。

 時間は掛かっても、そうすることが先輩から後輩や新人に伝えられることであり、受け取った子たちが自ら「どうしてこう言われたのか」を考え、自分なりの答えを見つけて、次の場に向かって改めていく。

 

 少々古いやり方かもしれませんが、私はそうすることが互いの関係を良好にさせ、仕事をより良くしていく手段と考えています。

 

 そうしても尚、変わらないのであれば。

 

 最後は、実際に本人が痛い目を見なければ直らない。

 冷たいかもしれませんが、最終的には本人に委ねられてしまう部分は大きいと思います。

 

 何より。

 私自身が痛い目を見て、それでも周りの方々が温かい言葉を掛けてくださったお陰で。

 失敗のどん底から這い上がって、後輩にや新人社員を見る目が、実際に変わった経緯があるのです。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

  

 

 

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