白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【生き方・価値観】自粛警察、マスク警察 ~自己防衛ではなく、自己満足では?~

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 今年も早くも半分が過ぎました。オリパラで盛り上がるはずだった1年が未曾有の災害(人災?)により壊滅的な被害を受け、立て直す兆しも今の所見えていません。

 寧ろ緊急事態宣言の解除、それに伴う外出自粛が解除となって以来、徐々に好転し始めていた新型コロナウイルスが再び活動を広め、再度家に閉じ籠もらなければならない状況になりかねない状態となってきています。

 この先、普通と呼ばれてきた日常に戻るどころか、全く新しい日常生活を強いられることになるのかもしれないと憂いている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスの蔓延に伴い、新しい言葉が流布されることとなりました。

 

 自粛警察。

 自粛しない人々を自らの尺度で取り締まり、見せしめとばかりに自粛を促す張り紙を付けるだけで下がることなど恐れることなく、車やバイクのタイヤに釘や画鋲を打ち込んでそれ以上の無断外出を物理的手段を以て執行する、混沌に満ちた世の中を守る自衛型特殊組織。

 

 初めて聞いた時、思わず笑ってしまいました。アベノマスクを考え出した方もそうですが、こういった言葉が思い浮かぶ方には本当に脱帽です。

 更に最近では、マスク警察という新たな組織が各地で活動しているとの情報も流れてきています。

 

 名前だけ聞けば悪ふざけ感も否めない所もありますが。

 その実は己の考え方や理念を押し通し、情勢を後ろ盾にした、唯の犯罪行為を犯す人々ではないかと思えてなりません。

 

 

 今回は新型コロナウイルスの蔓延によって発生した人的被害の代表である、自粛警察やマスク警察と呼ばれる人たち。

 自粛を「要請」されているのにも拘らず、立派な犯罪行為に手を出してまで自己防衛に走るその姿勢。

 私から見れば、自粛やマスク着用を促すことで自分や地域を守っているつもりでも、結局はその人の考え方や思惑に従わない人々を攻撃することで、自己満足に浸っているのではないかと思えてしまうこと。

 人の事情や身体のことを鑑みない、その人の「正義」が最も裁かれるべきなのではないかと思っていることを。

 身体的な事情を抱える私が、笑い事では済まされない「自称」警察のことについて考え、思ったことについて、綴って行きたいと思います。

 

 

 ※注記※

 現在の情勢において、些細な批判でさえ標的の的にされる可能性は十分考えられます。

 本記事は私の思いをそのまま綴りますが、万が一、被害に遭うようなことがあれば警察に連絡を取ってください。

 また本記事をご閲覧になったことで不快感や疑念をお持ちになった方がいらっしゃいましたら、お手数ですが問い合わせフォームよりご連絡いただければと思います。

 状況を鑑みて、修正、或いは本記事を削除いたします。

 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 自粛とマスク着用を要請された国民。それ自体に異論はない

 

 

 そもそもの発端は、日本各地で新型コロナウイルスの蔓延し感染者の増加が止まらなくなったことにあると思っています。

 世界の専門家たちが研究に当たっても、どういった性質や感染方法を持つのか、ヒトに対してどのような症状を引き起こすのか。

 発見から半年弱経った今でも、真相は明らかになっていません。

 そのこともあって、医療知識を持たない一般人は余計に警戒や恐怖を抱く結果となりました。

 

 感染の有無も然りながら、無症状のヒトが約半数であるという情報さえある新型コロナウイルス。

 そんな情報が流されれば、自分の身は自分で守らなければと思うのは当然のことだったのだと思います。

 

 風邪を引いた、或いは風邪気味だと思った瞬間、他人に伝染させまいと、私たち日本人は昔からマスクを進んで着用してきました。

 誰かに教えられた訳でもなく、誰かに言われた訳でもなく。

 体調が思わしくない時は、まずは伝染さない。自分の症状を回復させる為に風邪薬や処方箋の薬を飲むのとほぼ同時に、私たちはマスクをするという文化を築いてきました。

 他にもマスクを着用する理由を上げるとするなら、例えば、冬場の乾燥から肌を守る為の保湿であったり。乾燥した空気を吸うことでむせることを防ぐ為に、マスクを着用することで湿った空気を吸って気管系を守る。

 別の側面では、私も心当たりがあるのですが……マスクをしていると、自然と周りから声を掛けられなくなる心理的な効果だけでなく。

 目元以外を覆うことで表情を読ませなくすることで、心の壁としてマスクを利用する。

 

 様々な病気の感染拡大を防ぐ以外の目的でも、精神的な防衛手段としてマスクというものは効果を発揮していたのではないか、と私は考えています。

 

 

 そのような中、未知のウイルスが広がり始め。

 半年が過ぎようとしている今現在でも尚、日本国内でも広がり続けています。

 

 一方諸外国ではマスクを着用するという文化がないだけでなく、一節では「マスクを付ける=犯罪を犯す者の兆候」という認識もあるらしく、日本以上にマスクを着用することに抵抗を覚える、という指標もあるそうです。

 

 

 マスクだけではありません。

 第一波とされた新型コロナウイルスの流行を阻止すべく発令された、緊急事態宣言。他県への移動だけでなく、外出そのものを控えることを余儀なくされました。

 

 マスクを付けることへの違和感のなさ。自粛という要請止まりにも拘らず、外出することを我慢し、自衛に徹しました。

 

 その代償としてによって、大きな損害を被ることになりました。著名人を始めとし多くの方が亡くなり、今でも罹患し闘病される方が大勢出る大惨事となり。日本全国で300以上の企業が倒産するという、経済的にも大打撃を受けました。

 

 犠牲になられた方や企業に対し、心よりお見舞い申し上げます。

 

 しかしながら、と言う訳ではありませんが。

 そもそもの検査数の少なさ、罹患者数の計上誤り、陰性陽性の取り違えがあったことが報道されましたが、私としてはそういったミスを取り上げるよりも、医療現場という最前線で奮闘なさる方々を称賛し、激励することを大体的に放送或いは情報として流して欲しかったと常々思っていました。

 事実として世界各国が「ジャパニーズミステリー」と呼称する程、杜撰と言える政府の施策から見た日本の人的被害は、謎と言えれるレベルで低い水準を保ち続けています。

 悪いことよりも、良いことを。私は報道や記者に対し、そういったものを大きく伝えて欲しいと強く願います。

 

 

 その一方で。

 世間体に乗じる形で、自粛やマスク着用を強要する「自称」警察たち。

 それこそ人災と言っても過言ではない連中が、新たな害悪として話題になっていることも、主にネットニュースを通して嫌でも見ることとなりました。

 

 

 

 

 過剰反応とばかりに動き始めた、「自称」警察たち

 

 

 自粛警察という言葉は、緊急事態宣言が出され県を跨ぐ往来を避けるようにと国から要請された頃を境として目に見るようになりました。

 

 県外ナンバーを背負う車やバイクへの、執拗を通り越した嫌がらせ・破壊工作。

 営業する店舗の店先に、堂々と張り紙を付け営業自粛を迫り。

 挙げ句には本物の警察を後ろ盾にし、通報すると脅し文句を付ける始末。

 

 実際にそのような張り紙の画像を見て参りましたが。

 

 

 

 何考えているんだ、書いた奴らは。唯の強迫じゃないですか、こんなもの。

 自粛してもらいたいと思うのなら、下手に出てお願いするようにすると思う私が、異常なのでしょうか。

 

 

 「『安全のために』次に見つけ次第、通報します」

 「さっさと店を閉めて大人しく家にいてください」

 

 こんな文言を平気で並べる人がいることに、正直言葉を失い、唖然としました。

 

 新型コロナウイルスを恐れ、感染源と成り得る県外からの移動者や三密と呼ばれる空間を作り出しかねない店舗への恐れや不安からか。

 理由はどうあれ、正気の沙汰でないと思ったのが、私の素直な思いです。

 

 自粛警察だけでなく、マスク警察も同様のことが言えます。

 

 ネットニュースによるところ、マスクをせずに運転し信号待ちで停車したところ、窓を叩かれ「マスクはどうした?」と迫られたり。

 夏に差し掛かる時期となり、開けた空間で人との距離を十分に保てる時には熱中症予防としてマスクを外すことを推奨する方もいる中、マスク警察はお構いなしに、かつ執拗にマスク非着用を非難するとのことでした。

 

 これらの行動は不快感に留まらず、歴とした犯罪として罪に問われることが指摘されています。

 

  新型コロナウイルスに罹患しない、或いは広めない為の行為としては、過剰反応と纏めるには余りに過ぎたものとしか思えません。

 では、どうしてそこまで彼らを突き動かすのか。

 私なりに考えて、突き詰めていった結果が、何となく見えた気がしています。

 それは、このような異常事態に対して「自分は正しい行いをしている」と思い込む、一種の正義感とも自己満足とも取れる思いに浸りたい面もあるのではないか、というものです。

 

 

 

 

 自己防衛と世間体の為と言うが、唯の自己満足の間違いでは?

 

 

 

 緊急事態の最中、「自分は」正しい行いをしている。

 周りが自粛やマスク着用をしているから、それに従う。だから、周りもそうすることが「当たり前だ」。

 それに準じ無い、否、従おうとしない者を悪と決め付けて、排他し非難する。そうすることで、自己と対比を成す材料を作り上げることで。

 いかにも正しいことをしていることを自分こそがあるべき姿だと、自己意識や肯定感を高める為なのではないか。そう考えるに至っています。

 

 もし仮に、の話になりますが。

 

 価値観や考え方の差はあっても、皆が皆同じ境遇や待遇であったとして、今回のコロナ禍に陥っていたとするのなら。

 マスクの着用や移動の自粛に関して、報道に取り上げられる程の沙汰にはならないのではないでしょうか。

 

 誰もが好きで苦しい想いを強いられている訳ではありません。

 溜まりに溜まった鬱憤や不満。それを吐き出す為の手段としての自粛警察であったり、マスク警察。

 歪んだ考えかもしれませんが、私はそのような思惑があるように見えてなりません。

 

 

 自己防衛や世間体の為、と言えば聞こえは良いですが。

 人の事情や考え、価値観を取り入れずに暴走する自粛やマスクを取り締まる警察たちは。

 

 

 唯の自己満足と履き違えているだけなのでは?

 

 

 でなければ。

 嫌がらせを通り越した行為が、全国で頻発することはないと思っています。

 

 

 今度は、消毒警察のような連中も現れるのではないかと、私は少し恐れています。

 主に店舗に置かれている消毒液。ほとんどの方は自発的に使っていますが、私は多くても2度の使用が限界です。

 肌が弱くすぐに赤くなり、痒みを伴い始める私には、過度の消毒は皮膚をボロボロにしてしまいます。

 

 その分を石鹸やハンドソープを用いた手洗いでカバーしていますが。

 もし、突然後ろから「何で消毒しないんだ」「消毒しろって書いてあるだろ」と言われた時に。

 私の言い分は、多分、そういった方々には届かないだろうと思っています。

 

 

 自粛警察や、マスク警察と同じように。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

押し付けの果てに、光は見えない。