【価値観・生き方】マイペース ~自分の歩調で~
スポンサーリンク
2月中旬というのに、最低気温が氷点下を下回ることなく、最高気温は15℃超えと異常気象。
雪も氷も消えてしまった、真冬なのに小春日和な大地。
穏やかな気候が、このまま続いてほしいと願う傍らで。
時に厳しく、険しい季節の変化も、また感じていたい、白兎です。
皆様、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
突然のお知らせとなりますが、過去投稿した記事のタイトルに前書きを追加することにいたしました。
変に遠回しな言い方を好む故、タイトルを見ただけでは「何を伝えたいのか」がわかりにくいと私自身が感じ始めていましたので、各記事の内容に沿ったカテゴリーのようなものを付けさせていただきました。
過去記事を修正するようなこととなり、申し訳ございません。
今後はこのスタイルで行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
さて、今回はマイペースというものについて綴っていければと思っています。
マイペースと聞くと、私はどうしても「後ろ指を指される」ような、ネガティブな印象として捉えがちです。
「あいつはいつもマイペースだよ」「どんな時でも本当、マイペースだよな」といった、そんな感覚。
皆様は、どうお考えになるでしょうか。
マイペースの定義
マイペース。
わかっているつもりであっても、意外と真の意味を知らないことなのかもしれません。
そこで、実際に調べて、咀嚼し、私なりの解釈を述べて参ります。
日本語に訳すと、「自分の『歩調』や『物事の進め方の速度』」となるようです。
より深堀りすると、その人それぞれが歩いたり、進んだりするといった『行動』の速度である。
別の意味では、例えば仕事などの「物事の進め具合や進行度」という意味を持っています。
単にマイペースと言うのであれば。
当人以外の誰からも批評できない、その人が生きる上で様々なことに対する、一定の速度。
調べてみて、改めてそのような印象を受けるに至りました。
そこで、現実で使われがちなマイペースと比較した時。
どうなるのでしょうか。
良い意味では使われるだろうか?
個人的見解ではあることは、ご承知おき願えればと思います。
誰かに対してマイペースという言葉が使われる時。
それは多くの場合、悪い意味で放たれていると感じています。
周りの状況や空気を読むようなことをせず、ひたすら自分のペースを貫き通そうとする姿勢。
学校なら「個性」と認められるかもしれませんが、社会人として見た時……。
私には、良い意味で使われることは極わずかなのではないかと、思えてなりません。
実際に、同僚や後輩で、自分のペースを絶対に崩そうとしない者がおりました。
周りがどれだけ忙しそうにしていても、期限が迫り焦っているようであっても。
彼らは、涼し気な顔を変えないまま、仕事を淡々と続けていました。
焦る仕草も見せず、目の前の業務を黙々と遂行していくその姿は。
せかせかしがちな癖に、かんたんに流されてしまう私とは、正反対を突き進んでいるかのようでした。
マイペースとは程遠かった私
片や私は、かなりせっかちな性格です。それでいて、簡単に周囲の空気や雰囲気によって、自分のペースを崩されてしまいます。
そんな私から見て、自らの姿勢を曲げない彼らに対して。
どうしたら、そんなに冷静でいられるの?
間に合わなそうに思えるのに、いつも確実に仕事を完遂できるのは、どうしてなんだろう?
怒りや憤り以前に。
どうして?という疑念だけが、果てしなく続くと共に。
簡単に流されてしまう私には、どうすれば自分というものを、ペースを保っていられるのだろうか。
時には、羨んでいたのかもしれません。
特に、若気の至りという言葉で纏めるには乱暴かもしれませんが。
十代の頃の私は、尚更そう思ってなりませんでした。
自分のペースを。自分の生き方を護るために
しかし、今考えれば。
マイペースという概念は。
その人が生きる姿勢を、具現化させて行動に移していたことに過ぎない、と思うようになりました。
事実、私も。
その一人であることに、いつの間にか自覚するようになっておりました。
例えば、単純に車を運転している時。
法定速度や規制速度を守りながら、それでもゆっくりと走りたくなる時があります。
相棒という名の愛車と共に、どこまでも続く道をひらすら走り続ける。
慣れ親しんだエンジン音、加速度、ドア越しに伝わる外の音。或いは振動という物理的感覚。
そんなものを感じながら、少しでも、いつまでも共に走り続けたいという思いが、無性に込み上げて。
混雑する日中の国道はともかくとしても、宵に浸るようにハンドルを握り続ける時があります。
そんな時、前方で明らかに規制速度を下回る速度で走る車に出くわしたり。
逆に後続車が、こちらが急ブレーキを踏んだら衝突される程にまで迫られたりした際には。
前方車がどこかへ行き去ることを期待して、特別用事はなくても、近くのコンビニに寄って一息つく。
もしくは、ウインカーを出して自車を端に寄せることで、後続車に先へ行って貰う。
時折、謝意を示す為の「サンキューハザード」を見せられた時は、無性に苛立つこともあったりしますが。
遅い車にベッタリ張り付いてイライラしたり、急ごうとする後続車に一々腹を立てて意固地になるよりも。
たった少しの「ひと手間」を踏んだとしても、自分のペースを守れるのなら。
その方が健全的であることを、知らぬ間に学んで実践していました。
他人のペースに合わせて、自分を崩される位なら、「ひと手間」と自ら行うことは然程苦ではありませんでした。
こうして綴っている今となっては、そんな術をいつ身に着けたのだろう、と本気で思い出せなずにいることが不思議な位です。
そう思えば思うほど。
マイペースというものは、人からどうこう言われても簡単に変えたり、他人に合わせることの方が難しいものだと感じるようになり、今に至っています。
自分の歩調で生きる
もともとせっかちであるが為に、私はかつて他人の歩調に合わせること苛立ったり、もどかしさを覚えてきました。
物事の進行速度だけでなく、喩え歩くスピードさえ違ってくる、マイペースと呼称されるもの。
言葉にしてしまえば簡単に解釈され、多くの場合は悪い意味に捉えられがちなものです。
ですが、もし。
日常を生きる上で必要な行動に対するペースを、誰かに指摘されたり批評されたら嫌な気分になるのではないか。
そう思うのは私だけでしょうか。
これまで色々と綴ってはきたものの。
私も、自分のペースに対して文句を言われたり物理的に干渉されるようなことがあれば、間違いなく反抗すると思います。
……自分勝手で我儘、と言われれば、反論の余地もありませんが。
でも、一度きりの人生。
その上で生まれ持って培ってきた、自分の生きる歩調。
マイペースというもの崩すことなく、貫き通せることは、とても素晴らしいと思うと共に、失ってはならないものではないかと思えてなりません。
特段、生産性やら効率性を求められる現代に置いては、尚の事。
マイペースというものは、世間的に見て矯正されたり非難されることも、時にはあるかもしれません。
こんなご時世だからこそ、必要なのかもしれないと、私は思っています。
自分だけの、マイペース。
かつては蔑ろにしてきたことを、これからは少しでも。
いつかは譲れない位に大事なものにできるよう、日々を過ごして行きたいと思います。
皆様もどうか、他の誰かに乗せられたり狂わされるようなことなく。
ご自身のペースを、大切にしてください。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。