白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSS・HSP】泣くこと・後章 ~弱くも、情けなくも~

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 最近暇を見つけてはネットオークションを徘徊しているせいか、部屋がBEASTARSのレゴシ塗れになってきました。

 近頃はBNAというアニメも見終わり、やっぱり自分はオオカミ好きなんだな、と勝手にホッコリしている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前回、前章という形で泣くことについて綴りました。

 自分の感情と触れ合うには、向かい合うことと同じことだと思っています。

 現に、泣いた記憶はあまりなかったと思い込んでいましたが。小さい頃は少しでも驚いたり怖かったり、時には先生に(理由は覚えていませんが)思い切り怒られた時、しょっちゅう泣いてばかりいました。

 泣き虫と言われたことはありませんでした。ですが怪我をして痛みで泣くと言うよりも、恐怖や不安といった感情を揺さぶられて飽和を超えると涙が浮かんでいた、という感じでした。

 

 

 私の幼少期のことは、この位にして。

 

 今回は前回に引き続いて、泣くことについて。その後の私の経験と思いを交えながら、後章として綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闘病を終えた母、またも泣く私

 

 

 

 長きに渡る闘病生活により、母は癌の魔の手から生き延びることができました。

 しかしながら、抗がん剤と放射線により、すっかり弱り切っていました。

 小さい頃から、涙一つ見せずに生き続けてきた母の姿を見て、無事に帰ってきてくれてきたことに安堵しながらも。

 幼少期の強い母の印象から余りにも乖離してしまったことに変わりなく。寝床で、私はまたも情けなく涙に明け暮れる日々が暫く続きました。

 

 

 リハビリを兼ね、母は私と共に様々な場所へ趣き、そして歩きました。

 体力を失ってゆっくりになった歩調。それでも懸命に足を前へ出す様子は。

 せっかちな私は、今までなら「ほら早く」とせかしていたことだったと思います。

 それが私にも影響を及ぼして、私も母の歩調に歩くことで。今まで前を見続けるあまりに、見落としてきた景色の数々を見ることができました。

 

 その後も検査で病院へ趣き続けましたが、幸いなことに悪化する事態には至らずに。

 何とか母は、寛解を迎えることができました。

 

 

 

 

 祖母の死で流した涙が、生きる力に変わって

 

 

 

 母が快復して、数年が経ち。

 その時は、唐突に訪れました。

 

 十数年のうつ病と老化による認知症により介護施設に入っていた祖母の様態が、日に日に悪化し始めました。

 私も度々面会の為に訪れ、会う度に私の名前を呼んでくれて。孫の私がいる時は、いつもよりはにかむようにして、どこか気恥ずかしそうに大人しかった、と母は言います。

 真っ直ぐで曲がったことが大嫌い。気丈な性格だった祖母は、相手が男であろうと闘おうとする勢いがあり。売られた喧嘩は買ってやる、と言う勢いで食って掛かる程だったそうです。

 

 そんな祖母も、時を経る毎に私の顔を見ても名前を忘れてしまっていき。

 最期は息をするのがやっとという程、苦しさに耐えるかのようでした。

 声を掛けても、返事が返ってくるはずもなく。

 手を握りながら、「会いに来たよ」としか言えないまま帰宅し。

 翌日の明け方、祖母は亡くなりました。

 

 これまでちょくちょく泣いていた私でしたが。

 感覚が、感情が麻痺していたのでしょうか。通夜も焼き場でも、涙はありませんでした。

 それ位、人が亡くなるということは大きな衝撃を齎すことを痛感しました。

 

 

 葬儀が終わり、暫く経った頃だったでしょうか。

 朝の連続テレビ小説で、「365日の紙飛行機」が流れていた時のことでした。

 

 私は手先が不器用で、折り紙さえまともに折れません。折り鶴も折り方を見ながらでなければ折れない程です。

 そんな私は、不意に思い出しました。

 

 

 祖母の亡骸が入った棺。花が大好きだった祖母は彩られ、薬が抜けきったその顔は艶めかしい程で。本当に亡くなったのが、信じられない程でした。

 生前は茶目っ気もあったこともあり、「何騒いでるの」なんて言いながら、起き上がってくれそうな、穏やかな表情でした。

 祖母が大切にしていたものが、次々と棺へ入れられる中。

 私は、一つだけ入れられるものがありました。

 

 それは、不器用な手で折って歪な形になった、紙飛行機でした。

 数々ある折り紙の中で、私が唯一作れるもの。

 

 車の免許を持っていなかった祖母に、これで思いっきり色んな場所へ行ってね。

 そんな思いで、棺に紙飛行機を収めたのだと思います。

 

 

 365日の紙飛行機を聴いていく内に、歌詞が旅立った祖母を描いているような感覚になって。紙飛行機に乗って飛んでいる祖母の姿が、何故か鮮明に浮かび上がって。

 生前、ひたすら前だけ見続けて、人生を懸命に駆け抜けた祖母。

 

 その姿と歌が重なった瞬間。

 

 人前ではとても見せられない程、涙が溢れ出して、止まらなくなり。目が腫れ上がるまで、慟哭していました。

 

 当時私は、うつ病に苦しんでいた時期でもありました。

 同じうつ病を、十数年もの年月闘い続けた。祖母の死は、私に。

 

 そんなことで、負けるな。立ち止まるな。

 

 死を以て、そう叱咤されたような気分にさえなって。

 哀しみだけでなく、最期まで気丈さをなくさなかった祖母に、まるで生きる力を貰ったかのように思えて。

 様々な感情が暴走して、泣き通しました。

 いつまでも、泣き疲れて知らぬ間に眠りに入るまで。

 

 

 

 

 貴方が泣く時は、いつですか?

 

 

 泣く場面は、沢山あると思いますが。

 

 皆さんは、どういった時に。何を受け取って、どんな形で、涙になりますでしょうか。

 

 

 ここまで綴り、私は結構遠回りをするような形で泣くことが多いことに気付きました。

 

 同時に泣き方や泣くことそのものにも、様々な形があるのではないかと思っています。

 ドラマや映画、漫画といった作品で、「泣ける作品」と紹介されるものがあるかと思います。

 作品紹介の中で、見ている方が泣いている様子が映し出されることもあります。

 

 私は、そういったものを見て泣くことはまずありません。

 アニメ作品の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、ボロ泣きしましたが。

 

 言い方が難しいのですが……フィクションだとわかっていても、脚本に則った、人間関係のシガラミやいがみ合いの方を先に感じ取ってしまい。それがあたかも、自分のことのように思えてしまい、見ていて疲れてしまいます。

 結果、感動する場面に行き着く前に頓挫。感動とは何だったのか、などと言い始める程です。

 

 言い換えれば、私は映像作品を始めとする「直接的な表現」。登場人物に対する直接的な感情移入ができない、或いは鈍いのかもしれません。

 

 逆に音楽の歌詞といった「間接的な表現」に、自分や周りの環境を投影して、入り浸って。結果的に泣くことは多々あります。

 

 これは私の持論故、様々なご意見があることは承知の上ではありますが。

 映像作品のような直接的表現は、製作者や役者さんが伝えたいことを歪ませることなく伝えようとする。それ故感情移入しやすく、見るものを魅了すると思っています。

 反対に間接的表現は曖昧であるが為、どう取るかは受け取る側に委ねられると言えるのかもしれません。

 

 訴えたいことが定まっていない分、様々な捉え方があって。私はそういったものに惹かれて、泣くことが多いです。

 

 前章に続き、本記事にHSSとHSPをつけさせていただいた理由は、ここにあります。

 

 刺激や情報を取り込み過ぎるだけでなく、その一つ一つを吟味するように深く処理して。簡単に感情を揺さぶられながらも、共感するHSP。

 私の場合、泣くという行為一つ取っても、これだけの処理をしているのではないのだろうかと思っています。

 拍車を掛けて、感情を揺さぶられて疲れるのならやめればいいものを、好奇心が先走るHSSの気質が留まることを知らずに探求を続ける結果。

 不意に思い出したことを見過ごすことができず、深入りして、その度に感情の波に押し流されて。時には過去に囚われる形で、涙に耽ってしまう。

 泣くということに対して、私はそのように考えると共に、現に泣き耽ることもあります。

 

 

 

 泣くことは弱くも、情けなくもない

 

 

  二記事に渡り、泣くことについて綴って参りました。

 私の経験のみならず、HSSやHSPという気質まで持ち込んでの内容となりましたが。

 

 最後に、一つだけ。

 

 私はイジメを受けて以来、これ以上他人に弱さを見せまいと思い込むだけでなく。

 情けなさで、自分まで失望することがないよう、気丈に振る舞うあまりに。

 泣くことを、忘れるかのようにして生きてきました。

 

 その結果は、愛想笑いと嘘で塗り固められた、泣くことを禁じる仮面を被った偽りの自分を演じることとなりました。

 

 そんな嘘偽りで生き抜いてきた私を、いとも簡単に見抜いて。

 素の私を受け入れて来れた人たちは、この世界に沢山いて。それでも仮面を取ることに怖気づく私を、車で知り合った人たち、そして親友と呼べる人たちとの出会いを経て。

 

 今ここに、本当の思いを書き連ねることができるようになった私がいます。

 

 泣くことは、恥じらうことでもなく。

 涙を見せることは、弱いことでも、情けないことでも決してありません。

 

 我慢していた、という自負はありませんが。

 泣きたい時は、思い切り泣いて。息苦しくなったら、自分が泣ける環境にわざと置いて、涙を誘うことも良いと思います。

 

 周りに抑圧されようとも。無意識に泣くことを禁じてきたとしても。

 自分の感情は、自分だけのものです。

 泣きじゃくって周りを困らせることがなければ、思い切り泣いても良いと思っています。

 

 少なくとも。全部他人のせいにしてきて、自分の感情を抑圧してきた。

 私のような、涙さえ流せなくなりかけた生き方でないのであれば。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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 懐かしいと思う光景。

 今でも、貴方の心に残っていますでしょうか。