【生き方・人生の役割】裏方に徹する ~喩え、認められなくても~
スポンサーリンク
学生時代や新入社員時代は、一日が、一年が流れるのがとてつもなく長く感じられていたのに。
一日が、一年という時間が、あっという間に過ぎ去っていく感覚を覚えています。
昔から、「子供扱いされるのなんて嫌だから、早く歳を取りたい」と意気込むように生きてきた私ですが。
今は、いい塩梅に時を過ごせているのかな、と心の隅で穏やかさのようなものを感じている、白兎です。
皆様、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
唐突ではありますが、「裏方」という言葉。
この言葉を聞いた時、皆様はどのような印象を持ちますでしょうか。
表舞台に立つことが少ない、やっていることに対して称賛されづらい存在。
或いは、地味な立ち位置。
そのようなこと思う方もいらっしゃるかと思います。
私の場合、という限定的状況にはなりますが。
私は仕事柄上、表向きに評価されたり、認められるようなことはほとんどありません。
片や会社として、貢献度を数値的であったり、社会的影響度を鑑みて評価され、表舞台に立つ人を、沢山見て参りました。
その傍ら。
裏方に専念する者は、「できて当たり前」という評価が下され、少なくありませんでした。
今でこそ鳴りを潜めるようになりましたが。
「そうやって評価されない自分って、会社の、社会の端くれなのかな」
と悩んだり、時には勝手に憤ることもありました。
そのような経緯や今この瞬間に感じる、裏方に徹する生き方について、今回綴っていければと思っています。
認められたい、気持ちの裏で
このご時世では特段、社会的に、会社に貢献して。功績を残すことが重視される世の中になっていると、私は思っています。
一方で。
裏方や縁の下の力持ち、脇役といった立ち位置に、望まなくとも立っている方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
世間的に見ても、頭角を表し成功を収め、絶対的な地位や名誉を得た人だけが評価されたり、注目を浴びていると私は思っています。
誰しもがそういった立場に立って、認められることを望んでいるのかもしれません。
かくいう私は、と申しますと。
裏方のような立ち位置を目指し、立ち続けて参りました。
今ならはっきりと、そうしてきた理由を申し上げることができると思っています。
しかし、自分と向き合って、本当にそれで良かったのかと自信を持って言えるようになるまでの私は。
本当は、もっと人から認められて。
称賛されて、目立つ立場に立つことを望んでおりました。
他方で。
そんな理想を目指そうとする私を、本能が止めるかのように。
称賛されることを目論む自分を、あたかも引き止めようとするもう一人の自分がおりました。
結果的に、私は仕事やプレゼンテーションを任された時も。
全て空回りして、理想とは程遠い思いや周りからの評価を受けてきました。
今では然程悩むようなことではありません。
然れど当時は、「頑張っているのに、何で?」「自分なんかより、周りの方が優れているように見えているのか?」
疑心暗鬼とも、妬みとも言える思いばかりを抱えていました。
評価されたいと思う気持ちと、そうなりたくないという気持ち。
葛藤に葛藤を重ねて、私は自分をすっかり見失っていました。
振り向けば、否定さてたくない自分がいた
社会人になりたての当時から。
否。
本当は目立ちたくなんかない、と思いと相反する。
私は学生時代から、目立ちたい、周りから評価されたい羨望を抱くようになっていました。
色濃く残っている記憶では、中学時代の文化祭です。
生徒会長始め、各委員の役員を務める生徒たちが文化祭の前戯と言える寸劇で場を盛り上げて。
最後まで周りを巻き込む形で魅了し、注目を集めて、
中学生時代という最後を飾る為に、輝いているかのようにさえ見えました。
杓子定規のないと言え、周囲から賛同や評価を得ていた彼ら彼女らと比べて。
絶賛イジメられていた私は、準備期間中でも忌避され疎まれた私には、とてもそんな場に参加されることも許されず。
輝く人たちを、呆然と眺めていることしかできませんでした。
しかしながら、その光景に抗おうとする気持ちも芽生えていたことも、また確かです。
否定されてきた分、見返してやりたい程、目立ちたい。
注目されたい。
称賛されたい。
ですが、当然と言えば然りかもしれませんが。
当時の私は、逆に他人との溝を更に深めて。
修復できない程の傷を貰うこととなりました。
それまでも。そして、それ以降も。
自覚したのは、高校生時代の文化祭
切っ掛けが切っ掛けだった、とは言えど。
他人に絶望した私は、誰も信じることができないまま、ただ学生時代が過ぎることをひたすらに望むばかりでした。
表向きには中立的立ち位置を取りながら、奥底では周りを冷笑するかのように。
歪んだ私を待っていたのは、学生という立場であれば切っても切れない。
文化祭やイベントの数々でした。
同級生が、クラスメイトが。
どれだけ楽しんでいるように見えても。
私の心は、少しも感化されることもないまま、冷えてばかり。
そんな時、心すら揺れ動かなくなっていた私に転機が訪れました。
奇遇なのか、それとも皮肉と呼べばいいのか。
奇しくもそれは、文化祭の準備。
過去体験した、文化祭というもの。私の中でそれは、苦痛と惨めさしか残さないものでしかありませんでした。
クラスの出し物を決定するような時、私は只管沈黙を守るという姑息な手段ばかり取っていました。
言い方は多分に悪くなりますが、「どうでもいい」とすら感じておりました。
その時でも方針を決め、纏め役を司ったのは。
やはり、クラスの中でも、同級生の中でも特段統率力やカリスマ性を持つ生徒たちでした。
そこまでは、これまでとほとんど同じでした。
出し物として決定したオブジェクトの図案作成、必要な材料、完成までの段取りや役割分担。
時間が限られる中、文化祭に向けて準備が始まります。
ところが、です。
ある程度進み始めた中で、問題が発生しました。
オブジェクトの材料としていたのは、発泡スチロールやペットボトルといったものばかりで、手だけでは加工ができないものばかりでした。
その時必須となったのは、デザインナイフであったり、小型のノコギリ。
刃物は使えば使うほど、切れ味が落ちていき、精密な加工が困難になっていきました。
そんな中。
当時私は、包丁を研いでで切れ味を戻すことで、母親の手伝いを陰ながらしておりました。
その経験から、刃物を研ぐ術を独学で取得していました。
文化祭の準備において、所々で「切れなくなった」「新しいナイフ、用意できないの?」といった声が聞こえて来る中。
「切れ味、戻せるかも」と、私は勝手に学校に砥石を持ち込んで、切れ味が落ちてしまったデザインナイフや小型ノコギリを研ぐ、という異例な行動に出ました。
端からみれば、奇異の目を受けられて然りでした。
ですが、実際に切れ味が落ちた刃物が持ち込まれた際。
周囲が追われるように準備に勤しむ中。
私は、只管刃物と向き合って、砥石で研いで。
研ぎ終えた刃物で、不要なダンボールで切れ味を確かめてから、「終わったよ」と手渡して。
「おお、切れるようになった!」「ありがとう」と感謝の言葉を貰うことで。
これだ、と確信しました。
目立つようなことにしがみついて、自分を嘘偽って無理するよりも。
目立たないところでも、誰かの支えになることができる。
以降、切れ味が落ちた際には私の所にデザインナイフ・小型ノコギリを持ち込んでくれるようになり。
自分の研ぐ感覚を信じて、それに神経を賭する。
そして切れ味を取り戻したものを渡し、「ありがとう」という言葉の数々。
改めて、私は確信しました。
作品を称賛されることで、発案者や先導者が褒められることがあっても。
私には、こういった影に徹することの方が向いている。
裏方の方が、私にはお似合いだ。
決して卑下する訳でもなく、表向きには認められるような人を妬むようなこともなくなり。
裏方に、脇役に徹することが、私の生き方だ。
異例と言われるかもしれませんが。
そんな経験があって、今に至ることができていると信じています。
表舞台に立つ人が、極少数である一方で
とは言いつつ、社会人となった私は、やはり誰かに認められて、称賛されることを望んでいました。
学生時代に確信した、裏方でいることの心地好さ。或いは評価されなくても、自分なりに感じた価値。
私としては貴重な体験だったことをすっかり忘却するように、期待の若手、という言葉に乗せられるようにして、どうにか表舞台に立とうと奮闘してきました。
ですが、やはり成果が出せなければ、評価はおろか、称賛など程遠い経験ばかり経て参りました。
自分では頑張っている「つもり」の仕事やプレゼンテーションも。
認められなければ、そんな人間や人材なんて、いらないのではないかな。
私は、また過去に囚われるようになって。
成功者や表舞台に立てる人は少ない、そして、私はそんな器ではない。
私はもう一度、生き方に、人生の役割に惑うことになりました。
一度は克服した、つもりだったのに。
目立たなくても、認められなくても
自分を追い込むに追い込んで、ついには精神を病んだ私は。
またもや、周りの上司や先輩、後輩から向けられる視線ばかり気にして。
その度に、「私なんて、どうせ」と卑下する毎日を送っていました。
何も変えられずにいた私に。
二度目となる転機。
それは、定年退職してしまう上司が担っていた役目を引き継いでくれないか、という声掛けでした。
その人が十数年続けていたことは、社内システム……言わばエンドユーザーシステムの管理・運用でした。
直接的に社会へ貢献したり、影響を出すようなものではない、言わば縁の下の力持ちの役割でした。
元々そういったものに興味を持っていた私は、上司陣に囲まれる中「やります」と答えました。
答えたのは良いものの、実際は物凄く複雑かつわからないことだらけでした。
各社員に貸与されたPCやファイルサーバへのアクセス権の管理、トラブル発生時の対応。そして本社からの依頼という名の実施・報告義務。
興味だけで踏み入れたその役割は、裏方という言葉だけではとても片付けられないものばかりでした。
正直、何度も投げ出したい気持ちになりました。
でも。
トラブル発生時に、経験やネット上の知識を借りてでも解決した時に言ってくれる、「ありがとう」という言葉。
右も左もわからないながらも、その手の件について詳しい人とやり取りし、やり遂げた時の「よくやってくれた、ありがとう」の言葉。
システム更改に伴い、社内が混乱し困惑する阿鼻叫喚の中で。
私なりにやれることを尽くし、憂いを晴らすことができた際の「助かったよ、ありがとう」の言葉。
社会的であったり、会社的貢献として称賛されたり評価されることのない、裏方の仕事。
今は、そんな役割に着くことのできた自分を蔑んだり、嘆いたりすることなく、素直に「これが、私の望む道だ」と認めることができるようになりました。
表向きには、認められることはないとしても。
困っている誰かの役に立てることであったり。
自分の居場所を見出だせるのであれば。
理由は様々であったとしても、他の誰でもない自分が納得して従事できるのなら、決して悪いことではないと思っています。
私は、裏方が決して影に徹していようとも、大体的に褒められるようなことがないことは承知の上でも。
学生時代に感じ、今でも掛けてくれる。
誰かの「ありがとう」という言葉。
称賛されたり認められること以上に、そのような掛け替えのない思いの数々の方が私にとって価値のあることであり、励みになるものであると、私は信じています。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。