白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【生き方・価値観】変わり者は褒め言葉・前章 ~周りと違っても、良いじゃない~

スポンサーリンク

  先日のマウス交換を契機として、少しずつPC周辺機器や外部記録媒体を更改し始めています。

 以前使っていた有線のキーボードも打ち応えと小型さから、これまで使っていたものと交換しつつ、無線仕様の新品が到着するのを心待ちにしています。

 ブログを始めとした間接的なコミュニケーションに用いるマン・マシン・インターフェースも、自分に合ったものの方が気持ち良いと感じると共に。効率も上がって一石二鳥と思っている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 突然ではありますが、皆さんにご質問したいことがあります。

 

 

 「貴方って、変わってるね」と言われたら、どう思いますか。

 「変わり者だね」と言われたら、どういった気持ちになりますか。

 

 

 変わっている、という言葉の定義は多岐に渡ります。

 しかし共通することは、「周りと比べて」という前提条件が入ると思っています。

 

 例えば。周囲と比べられて、どこか違う振る舞いや言動があるのか。

 集団行動を良しとしてきた日本の文化の中で、一匹狼の如く独りでいることを好むことなのか。

 周りに馴染まない姿勢を、面白おかしく言っているのか。

 もしくはそれらを全部引っ括めて、「考えや行動を正せ」と遠回し気味に嫌味を言われているのか。

 

 どうしても人は、周りと比べ比べられを繰り返し、生きていると思っています。故にその枠からはみ出るようなことは、基本的にあまり良い印象として捉えられることは少ないと思っています。

 では何故、このような疑問を投げかけたかと言うと。

 

 同年代の人たちと比べられ、優劣を判断される位なら。

 私は常に、自分というものを歪んででも貫き通したかったという思いがあったからです。

 そして、学校という閉鎖空間の中から解放されて、多くの人と出会って参りました。

 その一場面で、面向かって「お互い、変わり者だからね」と言われたことが、妙に嬉しくて。

 自他共に変わり者認定されたことで、「自分らしい生き方」のようなものを、見出すことができたからでした。

 

 

 今回は、周りからの評価に影響しかねない、人と変わっている一面を持つこと。

 変わり者と称され、周りと違っていることを再認識できたこと。

 そしてそれ自体も、私は寧ろ良いことなのではないか思っていることを、私の経験を交えながら綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りと同じでなければならないことに、違和を抱き始めて

 

 

 

 人間という生き物。

 生まれた家系や事情、環境はそれぞれ違っても、同じ種族として生を受けたということだけで。

 周りと仲良くしなさい。喧嘩はいけません。皆が友達です。

 もう少し範囲を狭くすれば、同じクラスになったのは奇跡であって、一期一会であって。同じ「仲間」として、目標に向かって一丸となって行こう。

 

 現在は個性や多様性が重視されるようになってきている為、今の教育の場についてはわかりかねますが。

 私だけでなく。多くの方が小さい頃から、そう教えられて育ってきたのではないでしょうか。

 両親や祖父母、親戚以外の大人から言われた言葉の数々。

 世の中すら、自分の周りのことも、自分のことさえわからない小さな子どもからすれば、信じる信じない以前に。

 言われた通りにするのは、当然と言えば当然のことなのかもしれません。

 疑うということを知らないのだから、疑いを持つこともできなかったのだから。

 

 その「当たり前」に違和を感じ始めたのは、余りにも唐突でした。

 私は元々声が高く、小学校の音楽ではソプラノを担当する程で、声量も大きかったことからクラス全体の合唱を引っ張る程でした。

 音符が読めない為楽器の演奏はからっきしダメでしたが、一度聞いたカセットテープの音を数回で記録し、再生するように声を張り上げる。

 自分で言うのもお恥ずかしい話ではありますが、その時は男子からも女子からも頼られていました。

 

 変化があったのは、5年生の半ば。歳で言えば11歳を過ぎた辺り。市内の小学校が一同士、それぞれ合唱を披露する音楽祭で、私たちはそれまで通り練習を重ねてきた合唱曲を歌い上げました。

 その直後からでした。

 低くも高くもなかった背丈が急に伸び始め、後ろから数えた方が早いまでに身長が伸び。

 何よりも、自分としても誇りとさえ思っていた声も、少しずつ、しかし確実に日を重ねるごとに低くなっていきました。

 それまで余裕で出すことができた高音域も、喉に引っかかる違和感を覚える形で出せなくなっていきました。

 

 平均から見れば普通ではありますが、クラスの中では早い第二次性徴を迎えたのです。

 知らない間に変わっていく自分の身体。変化について行けない、頭と心。

 それでも音楽の時間は、それまでと同じものを求められ続けました。

 出したくても出せない声。自身の変化に理解が追いつかない思い。歌うことが好きだったのに、低くなっていく自分の声を嫌うようになり、自信を失って声量はどんどん小さくなっていき、周りを引っ張ることもすっかりできなくなっていました。

 同時に、段々と音楽の時間が嫌気すら差し始めていきました。

 

 そしてついに、歌声が風前の灯火と化したクラスに向かって、音楽担当の教師が吠えました。

 「白兎さんが声変わりして歌えなくなっているのに、何で全員でカバーしないの!」と。

 

 私は驚きました。教師の怒り声にではありません。

 誰も教えてくれなかった、声変わりという言葉に。私を名指しにして、クラスが怒られていることにでした。

 その時は私に敵意や訝しさを向けられることがなかったことは、幸いだったのかもしれません。

 でも、それ以上に。

 

 その言い方って、音楽から見て私がダメになったと言われたような気がして。

 低学年から言われ続けた、皆同じように仲良く、音楽祭といった目標を成功させようという言葉。

 それらが、急に信じられなくなっていきました。

 

 どこが、皆同じなんだよ。全然違うじゃないか。

 

 たまたま、周りとの違いが表れ始めた当事者が私自身だったことも相俟って。周りとの違い、更に違和感を募らせていくこととなりました。

 

 

 

 

 

 

 周囲とのズレを感じ始めた

 

 

 

 第二次性徴は止まることなく進み。やがて、私自身の精神や心にまで変化を齎し始めました。

 

 ここからは以前、記事として起こしたかもしれませんが、もし内容がダブるようなことがあれば申し訳ありません。

 

 当時クラスではドッジボールに力を入れており、運動が得意であろうが否が、参加することが当然という空気に満ち満ちていました。

 そんな折り、担任から「ドッジボールに参加するか否かを、毎日日記を通して意思表示しろ」という、課題の一種のようなものを出されました。

 それだけでも疑問符だらけの私でしたが、元々運動が苦手で痛いことも嫌いだった私は、参加したくないという意志に満ちていました。

 そう言いながら、クラスの男子たちの大半はやる気満々。少しでも異を示した者には、陰口さえ囁かされ始めていました。

 

 私からすれば、最早異常でした。

 言い方は悪くなりますが、たかが一つの球技に対して。

 

 何で、そんなに熱くなる必要があるんだ。

 

 とは言え私は否定派、周りは肯定派。そんな中で意思表示しろと言われた私は、「好きな人はやれば良いのでは」と書き綴り、提出しました。

 結果は、あんまりな返答でした。

 

 日記帳に書いた私の文面には、大きなバツ印。その直後に続く担任のメッセージは。

 『半端な意見を言うな、馬鹿。ちゃんと意志を示せ』

 

 小学生の私でも、正直ガッカリを通り越して唖然としました。

 

 馬鹿呼ばわりしてまで、周りに合わせろとでも言いたいのか。

 何が意思表示しろだ。どちらが馬鹿だ、馬鹿馬鹿しい。

 

 そういう時に限って、多数決という都合の良いものが活用され、結局全員参加に至りました。

 しかし私は依然として不服のまま、消極的な姿勢を貫きました。

 時にはボールの避け方の稚拙さに、別の時は私の態度に。

 殴られることもありました。当てられるボールの痛みで、泣きそうになることもありました。

 

 それからでしょうか。

 元々周りと違うことに興味を示していた私は、クラスの男子全員がハマっていたカードゲームに一切の興味を持つことなく自分の趣味にひた走って。小学生ではとても理解できないような内容のRPGにどハマリして、次第に浮いた存在として見られるようになり始めていきました。

 

 当時母親や叔母から「精神的に大人びているのでは」なんて言われましたが、もしかしたらその言葉も強ち間違いではなっかったのかもしれません。

 

 何故なら、一番記憶に残っていること。ドッジボールの試合直前。担任はクラスメイトがカードゲームにハマっていることを知っていたからか、カードの攻撃力やら守備力を熱弁して、それに準じた戦術で勝ちに行くぞ、と鼓舞していました。

 同級生たちもそれに乗るように、すっかりその気になって盛り上がっていました。

 

 今思えば、上手い誘導方法だったと思います。

 

 最後までカードゲームにもドッジボールにも興味も関心も抱かなかった、私はひたすら。

 

 何だか、皆楽しそうだな。ガンバレー。

 

 そんな、冷めた感情しか持てなかったことは、今でも覚えています。

 

 

 

 長くなりそうなので、本記事は周囲とのズレ、周りとの違いを意識し始めた切っ掛けで締めたいと思います。

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20200525220522j:plain