【イジメ・トラウマ】イジメ ~イジメは、重罪だ~
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唐突ではありますが、開設して一ヶ月も経たない本日。
お陰様で、1000を超えるPV、一週間で400ものPVをちょうだいすることができました。
深い感謝、という言葉では表しきれない、感涙にむせぶ程です。
皆様、御礼申し上げます。
そして、これに甘んじることなく、ブロガーの一人として、更に精進してまいります。
さて、今回は私の人生というものが一変し、今も尚私の中に強く根いること。
イジメ
今この瞬間も心が血を流し続けていることについて、お話しできればと思います。
このことについては非常に長くなると思う為、二記事にわけて綴っていければと思っています。
※注記※
本内容は、私の経験、それから感じ続けていることについて綴っていきます。
ナーバスな表現にならないよう努めるつもりではありますが、非常にデリケート、かつ同じような経験をされた方には、不快感やフラッシュバックに繋がる可能性があると、私は考えています。
上記にあてはまる方は、閲覧をお控えくださるとともに、その上でご理解、ご納得された方は、引き続きご閲覧くだされば、幸いです。
※注記終了※
- イジメの現状
- 周りとは少しズレていた。それでも良かった
- 転機
- 最初こそ、イジメと思わなかった
- 止まらない精神攻撃、汚染されていく同級生
- 学校という閉鎖された空間に、逃げ場はなかった
- 大人もまた、信用できなくなった
- イジメに判断基準でもあるのか?
- 我慢の限界だった
- 私が壊れた瞬間
- イジメは、罪以外の何ものでもない
イジメの現状
現在こそ、イジメということは世間的にも大きく注目され、報道されたり事件沙汰になったりするようになりました。
しかし、イジメの手段は変わっても、イジメという行為そのものは、なくなっていません。日々、どこかで行われています。
何も変わっていない。
私が経験した、あの時から。
周りとは少しズレていた。それでも良かった
中学生。部活に勤しみ、学生生活を楽しんで、交流をより深めていく期間。
同時に思春期を迎え、人間関係が拗れやすい時期でもあります。
当時の私は、周りに溶け込むとまではいかないまでも、ある意味変わり者という分類に位置する学生でした。
ある意味一番やりたい放題できる時期で、周りは思うがままにバカをやったり、ふざけあったり。
他方で、身だしなみや「自分」という存在を確固たるものとする為に、自意識や自我が強く芽生え、個性が生まれ始めていました。
大人の階段を、少しずつ登り始める、難しい時期。そう、私は捉えています。
そんな中で私は、周囲と共にそういったノリに付いていけずにいました。
今思えば、付いていこうとしなかった、といった方が正しいのかもしれません。
一言で言えば、傍観者。
同級生の行動や仕草を、距離を取って見詰めている。そんな学生。
クラス祭があった時も、少し離れて腕組みしていた私に「一緒に楽しまないの?」と声を掛けられても。
「こうやって皆を見ている方が、楽しいんだよ」と私は返しました。
私の経緯については、下記記事もご覧くだされば、幸いです。
転機
それが一変したのは、中学二年の夏。とある女子学生が、他校から転校してきたことでした。
幸か不幸か、その生徒は、たまたま私の隣の席に座ることとなりました。
この時に、私の持つHSPが無意識に働きました。
転校したてで、不安だらけなのだろうか。友達は、できるのだろうか。馴染んでいけるだろうか。困っていることばかりなのではないか。
誰も必要としない、簡単に言えばお節介癖。
私なりに、ではありましたが。不安を煽ったり困惑させたりしないように。
目線を合わせながら、声を掛けたことを覚えています。
その生徒は、最初こそ照れ隠しなのか、うざったいと感じたのか。そればかりは、私にはわかりません。
とにかく、なんだかよそよそしい声を返してきました。
最初こそ、イジメと思わなかった
とある日でした。
休み時間中、ノートを添削する為に消しゴムのカスを机から払った時でした。
「あのさ、消しカス散らばすなんて何考えてんの?」
ん?
何?
何を言いたいのか、最初はわかりませんでした。
特段おかしいことをしたつもりは、私はありません。
何がその生徒の気に障ったのか。全くわからないまま、私はただ、はぐらかすしかできませんでした。
別の時には。
私は元々鼻が悪く、当時は特に鼻水が詰まり続けていました。
同時に耳の調子も良くはなく、鼻水をティッシュでかもうとすると、下手すると中耳炎になってしまう程弱かったです。
それ故、耳に影響がでないよう、鼻水をすすることが癖になっていました。
そこに、例の生徒が。
「鼻詰まってるならかむこともできないの?鼻すすってばかりで汚いんだけど」
いや、え?
流石に身体の事情もあったので私なりの説明をしましたが、聞く耳持たず。
寧ろ、あからさまに「汚いものを見る目」で私を見下していました。
そこから、いちいち私が行う行為、行動に、根拠があるようなないような、兎にも角にも嫌味や皮肉を言われ続けるようになりました。
最初こそ、私のこと嫌いなのかな、なんて軽く考えていました。
でも、気付いてしまいました。
これって、まさか。
イジメ?
いや、そんなことあるはずがない。
イジメが、こんな身近過ぎるところで起きているわけがない、と勝手に思い込んでいたのです。
止まらない精神攻撃、汚染されていく同級生
不思議なものです。
ヒトというものは、強い権威や影響力がある人物が一度現れると、皆感化されて付いていくんですよね。
何故でしょうね。
一度始まった嫌がらせは、止まるということを知らぬまま、反対にエスカレートしていきました。
私の仕草や行動への、偏見とも取れる罵声、罵倒。
抵抗する私に、「まず自分が変わりなさいよ、意味分かんないんだけど」と罵られて。
そこに追い打ちを掛けたのが、それまで仲良くしてくれていた同級生も、気付かないほうがおかしいと思える程の変貌ぶりでした。
私の言葉に対する、冷やかしや嘲り。
明らか過ぎる程の、無視。
配色当番になった時に、私の手から渡される食器を、汚いものを受け取るように見せる表情。
次第に私は、ヒトに接触するということが怖くなり、避けるようになっていました。
文化祭の準備でも。同級生にすら話しかけたり、何か手伝うことさえ躊躇い、おどおどする私に。
「突っ立てないで何かしてよ、役立たず」
「誰かに言われないと何もできないの?馬鹿」
私の場合は身体的な嫌がらせや、物理的にものを隠すといった、証拠が残るようなイジメではありませんでした。
その分、端から見ればイジメか否かを判断できない。
精神攻撃という、最低で汚いやり方。
学校という閉鎖された空間に、逃げ場はなかった
日を追うごとに、私は授業中でも個室に勝手に移動したり。
給食の時間も、誰もいないところで一人膝を抱えて一日が終わることを願ったり。
最早、異常行動。
そうでもしなければ、私は私という存在を保つことができなくなっていました。
誰にも話しかけることもできなくなり、話しかけられたら、「今度は何を言われるんだ」と恐れながら答えることしか、私にはできませんでした。
学校という、閉鎖された空間。
そこに、逃げ場というものはありませんでした。
大人もまた、信用できなくなった
担任には、私がそういった被害を受けていると、何度も訴えました。
中学生といっても、所詮は子供。大人なら、なんとかしてくれる。
その一途の希望さえ。
「気にしすぎなんだよ」
温もりも何もない、一言で毎回逃げられました。
何度話しても。何回相談しても。
返ってくる言葉は、同じだった。
私が思っていた、教師。大人というものは。
何もしてくれなかった。
イジメに判断基準でもあるのか?
それなのに、中学三年生になったある日。
別の生徒の机から、画鋲が多数入れ込まれている事態が起こりました。
それまで、私の訴えを無きものにしてきた、担任は。
鬼の形相と馬鹿でかい声で。
「こんなことした馬鹿は誰だ!!」
と、教室で叫んでいました。
当然、皆知らん顔。私も知らないことだったので、無言のまま。
それでも尚、怒り狂ったかのように生徒を叱る……否、感情剥き出しに怒ることをやめませんでした。
私は、別の感情に支配され始めていました。
私があれだけ相談し続けていたことは、一切触れないままなんだね
証拠が残るイジメなら、説教ではなく単なる怒声しか張れない担任。
大人というものを、両親始め身内以外でしか知る手段のない当時の私は。
大人なんて、ダメだな
歪んだ意識が、刷り込まれるように私を支配しました。
一方で唯一、母にはこのことをずっと話していました。
今でこそ考え方や価値観が変わった母でしたが、当時は忙しく介護にも追われていた母は。
「辛いのは、皆一緒」
とある意味慰めに似た言葉を掛けられました。中退ということが後々響くことを十分知っていたからこそ、負けるな、と言いたかったのだろうと今は思っています。
それはわかる。
でもね。
私が苦しんでいるこの思いは、皆一緒なの?
我慢しなきゃ、いけないものなの?
結局、私は独りなの?
我慢の限界だった
季節が変わっても、変わらないのは精神攻撃。
その中で、殊更大きな出来事がありました。
クラス祭に向けて、合唱練習していた時でした。
当時は音楽というものに興味がなく、私は周りの音に合わせて歌うことしかできませんでした。
しかも一般的な合唱曲ではなく、アーティストが歌う楽曲。音取りにさえ苦戦したのに、リズムがとにかく掴めませんでした。
そこでも、罵声と罵倒。
「ちゃんと歌ってよ、声小さすぎ」
「あんた、音ズレてるんだけど」
「やる気あんの?」
その瞬間。私は積もりに積もった思いが、遂に決壊しました。
「私ばかり責めて、他の奴らも同じようなもんでしょ!?何で皆に注意しないんだ!?全部私に押し付けて!!」
それまで見せなかった私の怒りの感情に、黙り込むクラスメイト。でも、私の言葉は止まらない。
「……いい加減にしろ。そうやって好きにやりたいなら、勝手にやってろ。私は帰るからな」
吐き捨てるようにし、私は体育館を後にしました。思い切りドアを締めたその背後から、聞こえてくる言葉はありませんでした。
以来、ますます私は孤独というものを味わい続けました。
休み時間でも誰とも話すことなく、勝手に持ち込んだ本を廊下に座り込んで独り読み耽って。
学校に行きたくないあまりに、母に電話してもらって休むことも増え。
行けたとしても、すぐに早退する癖がついて。
もう、どれだけ蔑まれても、どうでも良かった。
私という存在が、まるで二人に分かれてしまったかのように。
学校では何も感じず返答もしない私。
家では、勉強すらせずひたすらゲームに耽る私。
私は最早、壊れかけた人形と化していました。
私が壊れた瞬間
そして。
私がヒトという存在に絶望し、諦めてしまった決定的出来事。
中学最後となる文化祭。周りは最上級生という主役であり、最後という思いからか。
盛り上がるに盛り上がっていました。
恐らく、私だけでした。
くだらない時間。
無駄な時間。
そう思いながら、嫌々ながら、耐えるように過ごしていました。
時間は無意味に過ぎ、文化祭の最後を飾る、全校生徒でのダンス。ペアを作って、上がりに上がったテンションに任せて踊るその場で。
皮肉もいいところ。
相手は、イジメの要因となる、女子生徒でした。
手を握ることを、どう見ても嫌そうを通り越して、毛嫌いするその仕草。
いざ手を握って、ダンス中も、私のことを見向くことなどなく。
私も私で、最低な時間だ、と誰かに吐き捨てるように。
その時間は終わりました。
そこまでなら、百歩譲って、今まで通りでした。
ですが。
大勢の生徒が、クラスメイトが沢山いる中。
その生徒に、泣かれました。
私の眼前で。
私と手を握ったことを、「どうしよう」などと喚きながら。
私は、この時、全てが壊れました。
後夜祭など無視して、家へ一直線に、逃げるように帰って。
部屋に閉じこもって、家族とも話すことなく。
ご飯も食べずに。
朝まで泣き通しました。
イジメは、罪以外の何ものでもない
加害者がどう思っていたのか。それを見ていた周りの人間が、どう思ったのか。
単なる冷やかし。からかい。弄ると面白い。
それよりも根強い、恨みや憎しみ、嫉妬。
私は、はっきり申し上げます。
加害者や傍観者の考えや思いなんて、どうでも良い。
人生を一変させ、人格さえ変えかねない傷を負うのは、被害者だ
イジメに関しては、被害者にも非があるだとか、相談しないからだとか、そういった意見も散見されます。
そんなことは、決してない。
心だけでなく、身体を自傷し、最悪自殺に追い込むイジメは。
学校という中だけでは決して済まされない、罪。重罪中の重罪だ
幸い私は自決に追い込まれることはありませんでしたが、今この瞬間にも、イジメという最悪の害悪に潰されそうになっているヒトがいるはずです。
その人たちに、私が掛けられるような言葉は、ありません。安易な同情や共感は、無慈悲に傷付けてしまうと考えているからです。
問題は、日本という社会が、何故もっと真剣に向き合わないのか。
これだけのイジメが世間に露呈しても尚、誰も動こうとしない。
動く時は、全てが手遅れ過ぎてからです。
私が言いたいことは、一つだけです。
私のようなイジメ被害者が、これ以上出てほしくない。
イジメは、内容や経緯、軽さや重さを比べるものではありません。
イジメが起こった瞬間、それは犯罪が起こっていることに他ならない。
少しでも良い。
何年経っても消えないイジメというものが、なくなることを、切に願っています。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。