【家族・価値観・人生】不仲が過ぎる両親-② ~さっさと別れろ、子どもが迷惑だ~
スポンサーリンク
雨のない、6月。旧暦の水無月という名称が、しっくり来る一ヶ月が、早くも終わりを迎えます。
いつも通りの年なら、オフ会やプチオフ、目的のない旅を愛車と共に楽しんで参りましたが。
新型コロナウイルスが齎した影響、衰えることを知らない猛威の前に、私たちヒトは成す術もなく大人しく驚異が収まることを祈ることしかできないのか。
悔しさよりも虚無感と無力さに浸っております。
二年前に友人と共に行った、 煌めきの丘。富士山も偶然収められたあの時の嬉しさ、喜び、高揚感。
もう一度味わいたいと願いながらも、会社とプライベート双方の抑圧に見舞われ、すっかり気力がガタ落ちし精神もボロボロ状態の、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
前回はしょうもないことから一気に噴出することとなった、家族というものに対する私の思いを書き連ねました。
ここ数年で手にすることができた喜びも、楽しさも、哀愁も。
この世に生まれて数十年に渡る偽りの家族というものは、そのような幸せに値するかもしれない感情を一気に破壊して余り有るものでした。
どうして、負の感情というものだけは、いつまでも残り続けるのだろうか。
楽しかった思い出や嬉しかったことも、忘却の彼方に追いやってしまうのに。
前書きが長くなりましたが、前回の続きである不仲な両親と機能不全家族についてを、今回は子である視点を主として綴っていきたいと思います。
夫婦と言えど、飽く迄血の繋がりのない赤の他人同士であったとしても。
その血を継いだ子が受けたり感じることは、当人たち以上に悲惨であることを、私が感じてきた思いや考えを交えながら、書き連ねて参ります。
※注記※
本記事は私が家族に対して思うことを書いて参りますが、中には罵倒や汚らしい罵りが含まれます。
そういったものに不快感を抱く方、特に健全な家庭を築いていらっしゃる方に対しては、冒涜とも取れるものも含まれることが予想されます。
大変申し訳有りませんが、そのような方々には毒の吐き捨て場にしかならない本記事をご閲覧する前に、お引き返すことを強くお願いいたします。
※注記終了※
- 何があったかは知らないが、両親の確執を受けた子は想像以上に不快傷を背負う
- 家族を綴った温かいブログを見て、私は一生味わえないだろうと諦めがついた
- 文化の違いから考えさせられた、家族の考え方
- 直接ものを言い合えない程の溝ができたのなら、今すぐ離婚してくれ
何があったかは知らないが、両親の確執を受けた子は想像以上に不快傷を背負う
幼い頃は、互いに干渉し合わないことが夫婦であり、両親であると信じ込んできました。
喩え大人であったとしても、夫も妻も独立して生きていることが当たり前で立派なことなんだと、幼心でありながら思い続けてきました。
だが、それは誤りだった。
恋人と共に過ごし、結婚していった同期たち。車仲間として知り合って、家へお邪魔させていただくだけでなく、家族で食卓を囲む風景を共にさせていただく経験をさせていただいたことで。
披露宴で満面の笑みを浮かべていた同期。
車仲間の家族が同じ食卓を囲みながら、飛び交う何気なくも温かく、良い意味で遠慮のない言葉の数々。
何だ、これは。
私の知っている家族とは真逆じゃないか。いや、これが普通なのか……?
私の家族が、家族という名の仮面を各々が被った、偽りのものだったのか?
以来余計に、私は家族という郭について疑念が深まっていきました。嫌悪感も、大きくなっていたことも確かでした。
一昔前、母に「何でそんなに仲が悪いの?」とバカ正直に聞いた、朧気な記憶があります。
答えは、あまりにくだらな過ぎて疾に忘れてしまいましたが。
多分、私が思った以上に、母は父に対して確執を抱き続ける苦い経験を経たのだと思っています。
ですが、子どもからすれば。夫婦の確執なんてものは、正直どうでもいいことです。
幼い子どもであっても両親の仲が悪いことはすぐにわかります。
どちらかの機嫌を伺うようなことをすれば、もう片方が嫉妬とも嫌悪とも取れる雰囲気を嫌という程放ち始めて止みませんでした。
私が思っていた、夫婦は互いに干渉せずに独立しているように見えたことは。
単に不仲が過ぎて、お互いを蔑ろにしているに過ぎなかった。
愛情の定義は、今の私には未だにわからずにいますが。
母にいつもくっついていた私は、時々言い合いをすることはあっても、良好な関係を保つことができています。生きる術や考え方のほとんどは、母親から学んできました。
片や父からは、言葉少ないことだけに留まらず、寧ろ母親が父に付くことを毛嫌いする嫌いがあったこともあり、然程長い時間を過ごした記憶は私にはありません。
若かりし頃の両親を、家庭内別居にまで至らしめる出来事は何だったのか。何故喧嘩沙汰になったとしても、よりを戻そうとしなかったのか。
そこまで、修復不能な関係に堕ちてしまったのか。
それを追求するよりも、無言の圧力に支配され続けた子どもは、大人が考える以上に精神的にも、心にも大きな負担となります。
私が、家族という言葉を使うことすら嫌うようになり。家族なんていらないと思うに至るようになる程度には。
家族を綴った温かいブログを見て、私は一生味わえないだろうと諦めがついた
そして、ブログを綴るようになってから、私は多くの方が書き連ねる文章を拝見してきました。
そこには、私が味わうことがついになかった、家族について書かれていらっしゃるブログも沢山ありました。
その場の人々の声色や空気は測れずとも、文章だけで思わずほっこりした気持ちになったり、賑やかそうな雰囲気に頬を緩めてしまったりと、拝見するこちらまで笑顔になれるものばかりでした。
そういった記事を見る度に、心が温かくなるような心情になりながら。
多分私は、一生味えない情景なのだろうと、独り悟ることも事実でした。
過言かもしれませんが、あまりにそういったブログに、知らぬ間に入り浸っている自分がいたこと。
自分の家族があんまりだったからと、「自分は幸せな家族を創ってみせる」と両親を反面教師とし、バネとして利用する形で奮闘することもなく。
形骸化した自分の家族の元で育ったことで、家族というものに憧れや願望を抱くことなく、私は既に諦めていました。
私の場合は、「家族なんて、いらないや」と思い込んだ時間が長過ぎたのかもしれません。
何より、人を愛するという感情がわからないことも、あるのかもしれませんが。
文化の違いから考えさせられた、家族の考え方
ここで一つ、興味深い話があります。
私の知り合いに、身内がアメリカ人という方がいます。
その人曰く、例えばパーティを家族で開いた時、血縁関係も何もない人たちも集まってきて、皆楽しく食事を楽しむとのことでした。
日本の飲み会のような強制力など皆無で、集まる人たちは好きで集まって、かしこまることもなく談笑に耽るそうです。
そして、日本とは全く異なる家族に対する価値観を持っているようです。
多少の差はあるでしょうが、アメリカの方では血縁があろうがなかろうが、互いを尊重し仲良くできる同士であれば、血の繋がりなど関係なく大切な仲を守り続ける。
逆に幾ら血が濃い関係であっても、険悪であったり支え合うような精神にないのであれば、共に食事を摂ることも時を過ごすこともない、とのことでした。
とても新鮮な考え方でした。
血縁関係を重視する日本と、精神的な繋がりを大切にするアメリカ。
家族に対して絶対的な不信感しかない私には、羨ましいとも思える思想であると共に。
いつまでも慣習に縛られ続ける日本の風習が、古き良きを通り越して腐敗しているとさえ、私には思えてしまうのでした。
直接ものを言い合えない程の溝ができたのなら、今すぐ離婚してくれ
機能不全家族の元に生まれ、育った私は。家族の温もりや尊さは、わかりません。
否、わかりたいとも思いません。
仲の良い家族をお持ちの方々には申し訳ありませんが、私の中では「家族なんてクソ喰らえ 」と汚らしい罵りしか思い浮かばなくなっています。
そんな自分が不幸だとか、家族を知らないと惨めに思うことは、もうなくなりました。
学生時代までは、お金の絡みや祖父母のこともあって、別れたくても別れられない大人の事情があったのかもしれません。
でも。
生きる上で仕方がなかったとは言え、子どもからすればそんな両親は、はっきり言って害悪でしかありません。
今の私自身、母子家庭として育ったと言っても言い過ぎではない程、父という存在の薄さと汚らわしさを抱いています。
酒に頼った時にしか想いを吐き出せない父。私にはとてもではありませんが信用も頼りもありません。
見窄らしい姿しか見せられない父も、時々夫の陰口を子に向ける母も。正直、どっちもどっちです。
何より一番迷惑を被るのは子どもであると、私は思っています。
だから。
さっさと別れてくれ。迷惑だから。
もっと違う形で、家族というものを知り育っていたら。
もしくは機能不全家族だからこそ、私自身が反発するように相手を見つけ、幸せな家族を築く熱い気持ちがあったなら、色々と思うことは変わっていたかもしれません。
ですが、今の私には。
今日も陰口を吐く母にも、酒に呑まれて間接的にしか訴えない父にも。
もう、何か言ったり言い返すことにも、疲れました。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。