【車・趣味】初秋を味わう・熱海の夜景編 ~新型コロナが蔓延しても、変わらぬものを求めて~
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自室や愛車の窓に、朝露に濡れる日が増えて参りました。見ているだけならば寒さの訪れ、四季の移り変わりを感じる一場面です。
少し前まで、愛車のフロントガラスにサンシェードを装着することが必須だと思っていた矢先、今では結露を拭う為にワイパーを動かすとガラスが一気に凍り付いてしまいます。
雪の心配はないとは言え、路面凍結の可能性が否定できなくなったことを鑑みて、一気に所有する三台の車をスタッドレスに換装いたしました。
空気圧も各々にやってもらい、これで一安心。
安心と引き換えに、腰と背中がとにかく痛ぇ。
いつの日か、身体のガタを言い訳にタイヤ交換も億劫になる日もあるかもしれない。
でも今は、私の生き様そのものを変えてくれた。
否、もっと単純で純粋な思い。
車を通して、様々な人と出会ったことで人生が変わったと言っても過言ではない。
何よりも、純粋に、車がというものが好きになったから。
余程身体が言うことを聞かなくなってしまわない限り、車に尽くせることは尽くしたい。
愛車は勿論。
身内の脚になる限りは。
それでも、ァラフィー前の腰は今も引かないながらも、職場と実家を行き来する毎日を過ごしております。
頑張れ私。
はい皆さん、こんばんは。
話は全く変わりますが、銀軸のメカニカルキーボードを買ったはいいものの感度が良すぎて誤字脱字の嵐に飲まれ勝手に泣いている【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
タイピングの軽さを最も重視してきた私ではありますが、パンタ式のものがどうしても軽過ぎる。そして贅沢ながらもタッチ音が安っぽいと思うようになって以来、思い切って初となるメカニカルキーボードに手を出してみました。
感度が良すぎるものの、一昔前の業務用ワークステーションを思い出させるかのような、カチャカチャと喧しい程のタッチ音が部屋中に響きます。
人によっては五月蝿いと感じるかもしれません。しかしながら個人的に、打ち応えの感覚といかにもメカメカしい音、惹かれるものがあります。
音に敏感ながらも、好意的な音と申し上げれば良いのでしょうか。
妙な表現にはなりますが、どうやら私は、機械的な音にフェティシズムがあるようです。
下記のものが、試しに購入し使わいつつ使われている品です。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07GP7JXQY/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o09_s00?ie=UTF8&psc=1
さて、前回の記事では旅行記について久しく綴りました。
実はその約一ヶ月前に、伊豆と熱海を目指し愛車を走らせておりました。
その時は緊急事態宣言真っ只中、新型コロナウイルスのワクチンも一度目の接種を終えた頃のこともあり、公にすることを躊躇い記事にすることはやめようと考えていたものでした。
しかしながら。
旅に出た事実は事実。
隠すことはできても、なかったことにはできないこと。非難されようとも、弁明の言葉などはございません。
前置きが長くなりましたが、今回は前記事の前日談となった、初秋を味わった旅路について綴って参ります。
これまで何気なく見てきた風景や情景などが、また違った視点で、角度で見えたことも、併せながら。
積もりに積もった欲望のままに車を走らせた
一時は新型コロナウイルスワクチンについて、先進国中でも接種効率の悪さを指摘され「後進国も同然」と皮肉られた時期もありました。
ですがここに来て、地域差はあるももの、それでも現在の日本は二回目接種完了値が大方七割を超えた、とのこと。これは世界中の国々の中でも上位に位置してきている、というのがマスコミ各社からの情報のようです。
相変わらず報道機関は掌返しが巧み、流石マスゴミと揶揄されるだけある。
然れど事実、公表される情報を見る限りでは「少なからず」これまでの日常が取り戻りつつあります。
人によっては、一応の指標となる感染者数や重症患者数を見て楽観的になるのが、或いは普通なのかもしれません。
これまでの状況が、目も当てられない程だったことを踏まえれば。
現に公共交通機関は日に日に利用者が増え、新幹線も満員御礼に近い状況を目の当たりにしております。
私はと言えば、そのような世間の評価は然程気にすることなくここまで過ごして参りました。
出掛けたいと思えば出掛けていましたし、お誘いがあれば便乗してきました。それが善悪で判断されても、気が向けば車を走らせて。
逆に気が滅入って身動きが取れなくなっていた時は、部屋に籠もって充電する。
飽く迄、私の行動指標と意志に。
もっと端的に申し上げれば、生きる上での自分の正直な思いに沿って過ごして来ました。
それが、いつの日か少なからない変化を齎していることに気が付いたのは、本当につい最近のことです。私も自分に問うても理解できない、理屈では説明できない衝動が根付いて発芽していたのでした。
十数年、いつも自分の中に閉じ籠もって、自分と向き合うことで安らげればそれで良いと信じて疑わなかったのに。
独りでも構わない。とにかく、他人に塗れた世界から離れたいと信念の如く抱いていたのに。
外の世界に向かって自ら進んでいくこと。出会いを通して親しい人との時間を、もっと過ごしたい。大切な思い出として残したいし、浸りたい。
度し難い想いが膨れ上がって、無理やり破裂させることなく従うようになっておりました。
度し難いと言いながら、本当は脳裏に、胸裏に浮かんだ……欲望と表現すれば良いのでしょうか。
そのようなものを時々抱きながら、他人と会い合わせなければならない嫌気を言い訳にして見て見ぬフリをしてここまで来てしまったことは、恥ずかしながら事実です。
然れど、本当にここ数年で、私は抑圧に似た感情と正直さを抑え切れなくなくなっておりました。
新型コロナの蔓延という事実を突き付けられ、私の想いはより顕在化し反抗心すら覚えるようになっていきました。
喩え世間体で非難されようが。
身内に被害がでなければ、それで良い。身内に感染者が出た時は、何とかならかろうと全力を尽くす。
それが論理的でない、論理で言葉を並べても説明がいかない、純粋な我儘であっても。
我儘を振り切った欲望を抑え切れぬまま、私は愛車を走らせました。
愛車と共に旅を続けたいと心に刻んだ、伊豆の地を目指して。
写真は数年前。車に疎く、今も浅い関係を嫌う私のような者を認めてくださったたーぼぅさんの前相棒と共に撮影したものです。
一度は夜景に魅了されて、揺らいだ意志
この日は伊豆を拠点にしながら、車で一時間で訪れることができる熱海を満喫しようという趣旨の元行動いたしました。
一足先にホテルに着き、久方振りの旅路を部屋の中で振り返るかのように堪能する私。
道中の疲れから、ベッドに横になりながら。
友と会えることに破顔していました。
本当に共感云々を記載するような人間か?と下らない心情の元。
すっかりお世話になりっぱなしの「たーぼぅ」さんが迎えてくださいました。
お仕事ですっかりお疲れの所を、毎回頼ってばかりの私を拾い上げていただきながら、目指すは熱海の夜景。
記事にすることはしなかったものの、以前載せたもの中に熱海を訪れた際の写真を載せたものがあります。
上記の記事、最後に載せた写真が熱海市街近くを通る遠ろを収めたものです。
たーぼぅさん指導の元、通り過ぎる車を加味しながら夜の市街地撮影に挑みものにした一枚です。
この写真を撮った当時、生き方だけでなくブログの運営方針にも悩んでいました。
いいのか?
人と、しかも誘われて計画も禄にしない人間が。
しれっと旅行記と名付けて綴って。
満足か?お前は、それでいいのか?
葛藤。己に対する疑念。そして雑念。
この頃から、本気でブログをどうしていこうかを悩んでおりました。
一方で。
正直、似たような旅行記を書く位なら、無理して書く必要もないのかな、なんて思って。
かと言ってこれまで軸としてきた精神的、心理的なものも書き続けたとして。
果たして誰が興味を持ってくれるのか。
自分よがりの文章なんて、所詮自己満で終わる。
なら……。
自問自答を通り越して、憶測を超えた自己疑心に囚われていた時期でもありました。
言い訳がましいことは、素直に謝罪いたします。更新が滞り始めたのは、ちょうどこの頃です。
元々熱しやすく冷めやすい性格も相まって、本当にこの時期から思いを言葉にすることがすっかり億劫になっていました。
それでいながら、筆置きかけている自分が、自分で許せなく遣る瀬無さまで感じ始める体たらく。
他のブロガーさんたちが記事を着実に積み重ねているのに、私は、何をしているんだろう。
顕在化していなかったとしても、今思えば相当のフラストレーションを抱えていました。
それを変えてくれたのが、たーぼぅさんの何気ない気遣いと計画でした。
塞ぎ込んでいた私を迎えた、熱海の夜
迎えた夜は、風もなく穏やかな陽気でした。
夕飯を軽く摂った私たちは、熱海の街を見下ろせる場所へと向かいました。
過去一度、混雑と誘導員の態度に嫌気が刺し早々に後を去った、熱海城です。
熱海の夜景を見下ろせる場として、若気有り余る若者たちがいる中、私たちはひたすら夜景撮りに勤しむこととなりました。
ちなみに上の写真は熱海城と月を写そうと試みて見事に失敗した良い例です。月小さすぎるよ。
さておき、振り返ると。
建物の灯りと車道を走る車たちが魅せる風景が広がっていました。
雰囲気を変える為、色を調整してもう一枚。
以前も書いたかと思いますが、本来夜景を撮影するにはカメラを固定しなければ上手く撮ることができません。
この日は三脚を持ち忘れていたため、手すりの支持柱にカメラを置き、半ば強引な形で夜景に適した設定を施した上で撮影を強行しました。
熱海は、山・海・島が凝縮された土地であると聞いたことがあります。このような地形が集結する場所はそう多くなく、魅了される人も少なくないとのことです。
山国育ちの私には、そのような見方から見れば新鮮以外の何物でもありませんでした。まして、青春真っ盛りなカップルがいたことを差し引いても、カメラのシャッターを切り取り終えた一枚一枚を見ることは快感そのものでした。
どうやら私も、固定概念のようなものにすっかり纏わり付かれ、そこから脱することができなくなっていたことにようやく気付くことができました。
写真でご飯を食べている訳じゃないのだから、せめて、自分が満足できる写真を。
これ良いな、と思える一枚を撮れれば、儲けものだろ。
全てを新型コロナの蔓延にも、それに惑わされ困惑した世間に押し付けるつもりは毛頭ありません。
しかしながら。
熱海市街、そして秋の空気漂う夜空に浮かんだ月を見て思いました。
仕事でも何でもない、趣味の域すら出ない。
なら、どんな写真を撮っても良いじゃないか。
それが、旅の思い出になるのなら。
ここに来て、やっと義務感のようなものから開放されたような気分に浸り、愉悦できるようになれた気がしています。
世の中の人々がどう見ようが、変わらないものはある。
私が求めたいものは、人々との批評などではない。
自分が良いと思った写真を撮ること。それ以前に、その場に赴き気の知れた友と語らいながら過ごすこと。
それが、私が本当に求めるそのものなんだ。
余りにも久しぶり過ぎて、一般論や固定概念に塗り潰されそうになっていた、私自身の考えや思い。
やはり、私は屁理屈や同調論で縛るような考え方には賛同できない、面倒で曲者のようです。
然れど、私は満足することができました。
自分の生き方を、価値観を、趣味趣向を曲げない大切さを思い出すことができたこと。
そしてこれまで馴染みが薄かった熱海の地を巡り、最後は夜景撮影に至ることができたこと。
世間一般的な考えに、或いは歯向かうような姿勢を見せる生き方も、必ずしも悪ではないと確かめられたのだから。
熱海城を後にし、来る次の日に向け、私たちは別れ眠りに就くのでした。
続きは、また新たな記事として纏めたいと思います。
ここに来て交代勤務に就くことが決まり、更新が更に滞るかもしれません。
しかし私の意志としては、ご閲覧してくださる方がいること。私なりの考えに共感していただける方が一人でもいらっしゃるのであれば、一番の幸いなことと思う次第です。
今回も最後までお付き合い、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
P.S MAN WITH A MISSIONのような狼の被り物が欲しい