【車・趣味】曇りなき霊峰に想いを馳せて ~限りなく広がる空と、見下ろす街並みが心を洗い流す~
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今シーズンの冬は例年以上に冷え込む、と予想されていました。
予報通り風が5m以上と強く吹く日も少なくなく、日が暮れ数時間後に帰った自室が10℃を下回ることがざらになってきております。
一方で晴天率の高い地に住む身とは言え、雪が積もるどころか被った程度で済んでいるのは、今日まででたったの一度きり。それよりも怖い路面凍結は、今の所ありません。
今年はもしかすれば、寒害や雪害は多くないかもしれない。胸を撫で下ろしながら、他方で地震や他国での噴火といった災害が顕在化している現実があります。
かつて体験してきた大地震、水害、大雪。
そういったものが単なる杞憂であることを胸のどこかで思いつつ、雨降る音を背景音にしながら静かな夜を堪能しております。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
前日研修が夜勤に重なってしまったことで、急遽お休みが増えました。
研修そのものは言及するまでもない内容でしたが、連休となったことで伊豆の地を訪れ、この記事を書き連ねています。
時系列的には前後するだけでなく、本来なら続く内容になりますが、一旦旅行記を締める意味も込めて富士を巡る旅行記を終えたいと思います。
前回の翌日、新たに加わった方との交流を経ながら富士を拝み。
そこから見下ろす街並みのこと、相も変わらず威厳を誇る富士。
そして、旅を終えてから愛車に関わる衝撃的な事実を知ったことを、綴って参ります。
新たな出会いと共に向かう、伊豆スカイライン
明くる翌日、この日も雲は多めながらも晴天に恵まれました。
秋らしくも冬らしい、生物の終わりを遂げる匂いを感じながら。
乾き切った空気が、煙草を吹かす喉に染みて、思わず噎せ返る陽気。
この日はたーぼぅさんと共に、伊豆の地を出、熱海にて初めてお会いする方と共に伊豆スカイラインへと向かうことになっておりました。
その方はケモノの着包みを纏う一方で、熱海の地がこの上なく好きで堪らないと仰る方でした。
たーぼぅさんは何度かお会いする機会があったようですが、初めてお会いするというプレッシャーの中、その方を迎えることとなりました。
この出会いが、後に大きな発展を遂げることになるなど、知る由もなく。
しかしながら、当時の私は相変わらず、内向的で警戒心の強さを捨て切ることはできず。
何度体験しても慣れない緊張を抱えながら。
会った瞬間にでも仲良く接することができる人を羨ましく、一方で妬ましささえ抱えながら、合流を果たしました。
道中楽しめたか、と言われれば嘘になります。
然れど向かった先に広がる景観は、私の詰まらない嫉妬心が如何に小さいことであるかを知らしめることとなるのでした。
伊豆スカイラインから見下ろす街並み
地理に疎く、未だに見知らぬ地で方向感覚が狂い居場所すらわからなくなってしまう私に、たーぼぅさんと初見の方に案内されるがまま車を走らせていました。
実は同乗した方は熱海の地がこの上なく好きと仰っていました。
山と海、島。それが凝縮された熱海の地が大好きで仕方ないそうです。
何度も熱海の地のみならず、伊豆スカイラインから伊豆の地まで熟知されていらっしゃいました。
運転している最中は警戒と嫉妬で一杯一杯な私でした。
終始無言のまま、車内には親しんだ会話が響きます。私は、それを聞き流すのに精一杯。
初対面の相手に対し、敵意に似た無言を貫く自分の姿勢は、本当に無粋ですし大人げないな、と自ら嫌悪することしかできずにいました。
しかし、そんなことは。
熱海の街並みを背景に駆け上がり、伊豆スカイラインに入り混んだ後のことでした。
とある場所から見開かれた風景と、見下ろす街並みを見た途端に。いつまでも私を掴んで離さない思いや行動指針が、如何に詰まらなく矮小なものであるかを思い知らされることとなりました。
否、そんなことさえ考えることも忘れ去ってくれる、寛大さとも偉大さとも呼べる景観が、そこには広がっているのでした。
辿り着いたそこは、熱海日金山霊園。
霊園の名の通り、亡くなった方のお墓が並ぶ、神聖な地。
一方で車で乗り込む反対側からにはロープウェイが走っており、更に敷地内はドッグランもあることから、公式でも「行楽での利用にも最適な場所」と謳っている程です。
内勤族である私にはキツい、両足が悲鳴を上げる上り坂の先には。
草木の緑と青空、遠方の山々が溶け込み合う、厳かでありながら柔和な空気が流れていました。
晴れ渡り日差しの厳しさもありましたが、季節に似合う涼しげで静寂な雰囲気に包まれておりました。
更に歩を進めた私たちは、ロープウェイの最終地点であり展望台になっている場所に行き着きました。
四方はおろか、八方が開け、方角ごとに見下ろす先には人々が住み行き交う街並みの景観を拝むことができました。
ここは旧地名が書かれたプレートが埋め込まれており、条件が揃えば各地を見下ろすことも可能のようです。
伊豆・駿河・遠江。現在の静岡県。
甲斐。山梨県。
武蔵。東京都、神奈川県、埼玉県の一部分ずつを総称していた地。
相模。神奈川県。
安房・上総・下総。千葉県。
信濃。長野県。
旧地名の数から十国峠と呼ばれています。
現代においても場所によってどの地名が取り上げられるかで違いはありますが、旧地名が語源になっていることを示していることがわかります。
歴史に疎い私ですが、江戸時代から明治黎明期に渡って語られた各地の古称。個人的には、現代の県名よりも惹かれる不可思議さを持っていると信じて止まない自分がいます。
その実は幼少期の頃。ファミコンの「くにおくん」シリーズの「時代劇だよ!全員集合」というゲームを夢中で遊んでいた時期があったことに起因します。
小さい頃では理解していなくても、(ここではゲーム内容に準じた表記をいたします)「するが」「こうづけ」「りくちゅう」「えっちゅう」といった日本の旧地名を巡りながら敵を倒していくという内容でした。
それぞれの地名に沿ったマップ、その地に愛される盆踊りや民謡音楽をアレンジしたBGMは、何十年過ぎた今も耳に残っています。
そんな些細でありしょうもない記憶が、まさかこのような地で彷彿することなど想像することもなかった私は、先程までの緊張を忘れ思わず舞い上がっておりました。
今回初めてご一緒した方(以下、隊長殿)との会話も自然と弾むこととなりました。
話を少しずつ、然れど確実に広げながら、見下ろす街並みをカメラに収めていきます。
確かこちらが、熱海方面だったはず。
……方向音痴+地理苦手で泣けてきます。ココドコー?
HDRを効かせて、もう一枚。少しシャープになり過ぎたかもしれませぬ。
風景を楽しむ暫しの時間の後、場所を移します。
この日の最終目標である、富士山を収められる場所へと。
唯只管、鎮座し日本を見下ろす霊峰
霊園を後にし、車で十数分走らせた場所。
入り口が少々入り組んではいましたが、広い駐車場と開けた草原が広がる地に、私たちは降り立ちました。
先程の霊園よりも海側により近く、熱海はおろか伊豆半島さえも垣間見ることも叶いそうな地。
まずは、海岸に向かって何枚か。
初秋ということもあり、大地に茂る草木は青々しさと土の匂いを残していました。
その先に見える海も霞むことなく、蒼穹の空とは違う青を魅せています。
登った距離で言えば大したことはないのに、標高では700mを超えているそうです。
普段山間部で暮らす私には、目の当たりにする景色そのものが不思議でならない造形であることを覚えています。
それでは、反対側へとカメラを向けます。
天辺は流れ雲に覆われているのか、それでも雄大な富士山は微動だするこなく鎮座していました。
ここから数ヶ月もしない内に、雪を被り白く染まる直前。地元の方や見慣れた方からすれば珍しくないものなのかもしれません。
しかし、私には。
富士という霊峰は、地元の山と同じ。
否、一層深い思い入れがあります。
以前も紹介したかもしれませんが、既に数年前のこと。
車を持つことは地元事情として仕方がなかった、という強制感がある中で、外に出ることを嫌い人と出会うことを格段嫌っていた私という存在そのものを変える出来事があったからです。
まともに県外に出ることもなかった私が車のオフ会に参加したことを契機に、初めて伊豆のちを訪れた際に撮影した相棒と富士。
この時もまだ、私は親しくなったと思える……いや、違う。
親しくなりたいと願った人でさえ、疑って。疑いの奥に裏切られることへの怖さと。
もう一度裏切られるようなことがあれば、もう世の中とさようならしても良いよな、という独善的な考えが支配する中。
たーぼぅさんが紹介してくださった伊豆の西の地で、相棒と富士を撮影できた、私の中では奇跡の一枚。
今でも、この写真を超えるものは私の中では存在しません。
相棒は人間不信だった私を、様々な人との縁を結びつける縁結びのような存在になってもいました。
言葉では書き切れない程の、裏切り裏切られを繰り返してきた私にとって、許されるのだろうかと思える程の縁を、この子は齎してくれました。
必ずしも楽しくて幸せだけではありませんでしたが、苦くて後味の悪い思い出も含めて。
もう一度、相棒であるこの子と富士を収めたいという思いに刈られて、何枚かシャッターを切りました。
まずは手軽に、相棒を数枚。
晴れ渡る空にも、曇り空にも、チタニウムフラッシュという地味で渋いと評価される色合いが似合います。
最後に。
本当は愛車だけを入れたかったのですが、他の来訪者もいらしたので、そこは妥協。
遠目ながらも、富士の元に停まる相棒を収めることができました。
しかしながら、どうしてでしょうか。
楽しい旅行が、ストレスを発散する旅だったはずなのに。
人を撮ることは元々嫌う私が、それでも景色を撮って満足しているはずなのに。
なのに。
いつもどうして、文章にできない想いを抱えてしまうのだろう。
穢れ切った世の中や社会、会社で積もり積もったものを洗い流して。
それで満足すれば良いのに。
私は、何でいつまでも、想いを馳せるだけで留まらないんだ。
虚しさにも似た感情を抱えるんだ。寂しさなんてわからないのに、もどかしさのようなものが胸に詰まるんだ。
感情なんて、ない方が楽だってわかているのに、どうしてなんだよ。
カメラと共に視線を下げ、勝手な思いに浸る私に、友人の声が掛かり我に返っていました。
声の方向を向いて、最後に一瞥するように霊峰へと振り返りながら。
また会った時、私をどう迎えてくださるのかな……?
微妙に湿って歪んだ視界で富士を見、その後私たちは旅を終え街へと降りていくのでした。
この旅は、ちょうど職場も変わり精神的に不安定な時期でありました。
たーぼぅさんのお誘いの元、安定を求めて向かった先で、全景と言えずとも邂逅した富士。
今回の旅でも、新たな出会いがあり。
一ヶ月もしない間に、大きな出会いを齎すこととなりました。
それはまた、別のお話。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。