【車・趣味】初秋を味わう旅・芒と富士編 ~秋風に吹かれ、靡く景色~
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師走ですね。毎日寒い日が続いておりますね。
新型コロナに始まり、終息に向かいつつあると思い始めた矢先に新たな変異株の出現。一年の終わりまでまだ一ヶ月あるとは言えど、2021年もコロナに始まりコロナに終わる、そんな予感がしてなりません。
とは言え、秋以降から人流が活発になり始めたということは、パッと見て良い傾向にあると思います。
が。
新幹線、旅行バッグを持った年配者多くありません?
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
世間ではネット上でもブラックフライデーという名目で商業作戦を展開し、消費者にお金を落としてもらうことが、すっかり常套となったようです。
皆さんも、何かお買い求めされましたでしょうか。
私は少し借金気味になる程度に買い過ぎました。買い物依存症かも……
さて、今回は次回の続きを綴って参ります。
既に12月に入ってしまいましたが、初秋を味わう旅路。
芒野と晴れ渡る空の元聳える富士山を拝んだこと。
新型コロナの蔓延ですっかり忘れ果ててしまいかけていた、自然の美しさに触れた旅路を、書き連ねていければと思います。
忘れかけていた、旅への想いと熱望
朝を迎え、私は久しく深く眠れた満足感に覚えながら目を覚ましました。
日を遮るカーテンを開けると、広がるは雲ひとつ無い伊豆の朝が広がります。
肌寒いことはわかっていながら、私は徐に窓を開け、そして煙草に火を点けました。
煙草の煙と共に、程よく冷えた朝の空気が肺を満たしていく。
地元では窓を開けて寝れば風邪を引くこと待ったなしという季節に差し掛かっていたこともありましたが、それでも湿気もなく澄み切った空気は見に染みていきます。
何故か、久し振りという名が付く思い出の数々のようなものが脳裏を掠めていく中、深く吸った息を紫煙と共に吐き出しました。
二口、三口目立ったでしょうか。
遠出して、出社にも身内にも縛られない自由な朝。
当たり前に漂う大気でさえ、どこか、懐かしさを抱く感覚。
人を嫌い恐れる余りに、殻に閉じ籠もっていた私が。
車と出会い、同じ趣味を通して仲間というものをもう一度知って。旅することが好きに魅了された、この数年間。
新型コロナが、それまで当たり前だったものを全て壊して壊死させ、良い意味でも悪い意味でも全てが新鮮に思わせるようになった世の中が過ぎ去る中。
たった2年であったコロナ禍は、大きな傷跡と影響を残し、今も尚災禍を振りまきつつあります。
それでも私は、また帰ってこられた。
会社での飲み会が中止され、人との交流が強制的に隔絶される世間体。私はそれを歓迎さえしていました。
然れど、一方で。身勝手な理由でも、やりたいことを。
自分がしたいと思える時間に、また戻ってくることができたことを、心のどこかで喜んでいる自分がいたことは事実以外の何ものでもありませんでした。
思わず口元を緩めた私は、寒気を帯びる外気に向かって、再び紫煙を吐くのでした。
揺れる芒、動かぬ富士
この日はたーぼぅさんと共に、芒と富士を撮りに行こうと車を走らせることになりました。
夏場はともかく、伊豆や熱海は地理的に雲が発生しやすく全景を撮るには真逆の方面から撮影を試みた方が良いという話を、これまで何度か耳にしておりました。
言い換えれば、何時間も掛けての移動を伴うことを意味し、更に天候が良好という条件が重ならなければ無駄に終わる可能性すらあるということでした。
ならば、ということで。
構わず、雲隠れし易い近場から富士を拝めることに賭け、たーぼぅさんの愛車と共に出立しました。
悪天候に見舞われた例とし、過去の記事に載せてあります。宜しければご覧いただければ幸いです。
互いの、日頃から募る疲れから出発をギリギリまで遅く調整し、時間を掛け、伊豆スカイラインを目指し登っていきます。
天高く登る陽の光が肌に刺さる感覚が、友人の愛車の中で他愛も無い話しで盛り上がることが。
つい先日であったかのようにも、何年も昔であったかのようにも感じられる不思議な思いに駆られながら、私たちは撮影場所にピッタリという場に到着しました。
夏至から三ヶ月経とうとしているこの時は、夕暮れまでの時間を自ずと早めていました。標高も軽井沢並に高いことも相俟って、吹き付ける風が体温を否応なく奪っていきます。
そんな条件だったからでしょうか。
芒を下に、木々の合間から見える富士は雲を被ることなく、その威厳を漂わせる姿に巡り合うことができました。
少し引き目にし、もう一枚。富士山は霞んでしまいましたが、日を受け朱に染まる芒を収めることができました。
花札にもある芒は、秋の代名詞。人を惹き付けるような花を付けることもなければ、色彩は地味な植物です。
ですが、これから冬へと向かっていくことを象徴するかのように真っ直ぐ立つ芒は、個人的にはとても惹かれます。
喜劇よりも、悲劇。冬から春へ、春から夏へ向かう緑陽のような勢いはありません。
元気付けられる印象は希薄で、哀愁を思わせる雰囲気。
もう数ヶ月もすれば、今年も終わりか。
そう思った時、風が吹きました。
風を受け靡く芒の音だけが、静かに辺りを支配していました。
乾いた音。余りにも無味で、然れど同じく乾燥し切った心に、いつまでも残響が木霊するような感覚は、今でも覚えています。
人がいない場で、初秋を堪能する時間。
内心燻ることが多かった精神に、妙に染みるものがありました。
そして好例の愛車撮影。たーぼぅさんの愛車こと「Camino de Esperanza(希望の道、の意)」は夕日を受け、純白のボディが一層輝きを放っていました。
私の相棒と、ほぼ真逆の色と名を持つこの車。パワートレイン(主動力)からボディ形状も違うのに、車内は違和感なく快適で力強さと靭やかさが光る走行性能を持っています。
この車に、オーナーであり友人たるたーぼぅさんに、私は果たして何度救われたことか。
その恩返しにもなりませんが、翌日は我が相棒を出すことを約束し、この日は別れることとなりました。
まだ見ぬ富士の絶景地がある。
その言葉を耳に残し、移動先のホテルの床に着くのでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。