白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】早春の東北へ ~生に命を賭す、狐の神性~

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 つい先日、ニンテンドースイッチとモンスタハンターライズを購入いたしました。

 モンハンを最後にプレイしたのは、PSPの「P3rd」以来。10年以上のブランク、そして様々な進化に戸惑いながらも、ほぼ毎日遊んでおります。

 ブログの更新が進まず、煩悩に悩む日々が続いています。

 

 操虫棍 楽しいです。長柄武器は正義です。

 

 

 

白兎3

 

  はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 

 さて、既に二ヶ月が過ぎようとしている、蔵王キツネ村での狐たちとの出会い。

 同じ狐であっても、様々な容姿を持ち生を全うしようと駆け回り、他を威嚇しながらも。

 個の威厳と生き様を、私たちヒトに焼き付けてくれました。

 今回はその中でも、一際目立ちながらも野生の狐として逸脱した姿を魅せてくれた、プラチナギツネを追いながら。

 私がこれまで背負い、抱え続けた思いや考えが、理性を振り切って迸ったことを。

 早春の東北の旅の締めとして、綴って参ります。

 

 

 

 

 誇り高さの中に、優しさを秘めた白の狐

 

 白い雪を背景に、それでも陽の光を浴びて輝く姿。

 出会った瞬間から、このプラチナギツネから目を離せなくなっていました。

 惹き付けられる妖艶さに似た美しい容貌。それを体現するかの様でした。

 

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 優しげな瞳が、見る者を虜にしてくれます。

 

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 振り向いたかと思えば、こちらの心を見透かしているかの如く見詰めてきました。引き込まれるようにシャッターを切るに切る私を他所に。

 

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 「ヒトの子は、滑稽な生き物よ」

 冷めた微笑か、嘲笑いか。半弧を描く口元は、不可思議な魅力を秘めておりました。

 

 片脚がなくても、生に命を賭す生き様

 

  さて、このプラチナギツネ、前回少し触れましたが。

 

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 このように、左前脚を失っています。

 憶測になりますが、ここ蔵王キツネ村はキツネたちが野生の如く自由奔放に暮らす場所です。身を丸めて眠りこける子がいる一方、園内のありとあらゆる場所から威嚇の声が響き、争いが絶えることはありません。

 争いは、まさに闘争本能の塊と言って相違ない程の苛烈さ。甘噛みなんて生温い、容赦のない引っ掻きや噛み付きで本気で戦いっています。

 

 そんな戦いの最中、左脚を噛まれたことで壊死してしまい、切除したか。

 片脚のないその姿は、痛々しさ悲壮感を覚えさせる程でした。

 

 然れど、野生を生き抜く者は強いということを、この子が教えてくれました。

 

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 雪に覆われた大地を、他の子たちと同じように駆け回り。

 

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 ほんわかお休みして。

 

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 夢現。

 どこまで行っても、キツネとしての生に命を賭す生き様を見せていました。

 

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 それでいながら、カメラ目線もバッチリ。サービス精神とも取れるところは、まるで人間のよう。野に生きながら、人馴れしているようです。

 

 気付けばこの子を追うように、カメラを向け続けていました。

 白銀の身体と黒い耳、真っ直ぐな茶の瞳。脚がなくても懸命に、本能のままに生きる姿は、私を釘付けにしました。

 

 

 我儘なまでの、しかしキツネの命を全うすべく強く、揺るぎない生き様は。

 ヒトとは違う、特に迷ってばかりで生きることにいつまでも向き合えない、私のようなヒトとは。

 人生に対し斜に構え続け、自分や他人を欺瞞し騙して生きる私自身が、あまりにも小さ過ぎることを思い知らされました。

 

 

 そうしている内にも、時間は残酷なまでに過ぎ去っていき。

 私たちはキツネたちの楽園を後にし、南に向かい帰路に着くのでした。

 

 

 

 狐の神性に魅せられて

 

  確かに初めてこの目で直に見たキツネたちは、獰猛で狡猾といった印象を持ちました。縄張りを守る為には躊躇うことなく相手を威嚇して、攻撃して。餌を貰っても必死の形相で駆け抜けて、目の付かない狭い場所で頬張っていました。

 そうでなければ獲物を奪い合い、そこでも爪や牙で手加減無用の争いを繰り広げる、生々しく殺伐とした空気を醸し出していました。

 この点については、他国で狡賢さの象徴としているのでは、と思い至りました。

 

 然れど、その姿があまりにも人間に似ているような気がしてならなかったことも事実でした。

 一つ違うことがあるのは、揺るぎない本能のまま、全力で生きる姿勢です。

 

 私たち人間は、持ち得た理性によって大きく発展し、文明を築き上げてきました。

 同時に理性が仇となり、利権や覇権、損得といった負の思いが文明を幾つも滅ぼしてきたのも、また事実です。

 

 似ているようで、どこか違う。身体は全然違っても、どこか親しいものがある。

 そこで人間、特に日本人は生きることに信念を持つキツネを神がかったものとしたのかなと思えてならなくなりました。日本人は精神を重んじる人種だと、私は考えている為です。

 そういうことを加味すれば、見知らぬものよりも親しみを覚えるものに惹かれたキツネを崇拝するようになったのではないかと考えるようになりました。

 

 勿論これは私の勝手な考えですので、キツネを神格視し始めた起源はわかりません。

 

 ただ、一つだけ。

 私が初めてキツネを見た時、可愛さを感じると同時に凛とした姿が。

 何故か、この世のものではない気迫を帯びているように感じました。どう表現すればいいのか、正直今でもわかりません。

 ですが多分、キツネがただの獣ではなく神の使徒とされた理由が、この名状できない感情に由来しているような気がしてなりませんでした。

 

 狐の神性。

 日本で崇められ、神格化され続ける理由が何となくわかったような気がしています。

 

 最後は上手く纏められませんでしたが、これにて早春東北の旅は終了となります。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

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