【HSP・生き方】性質を最大限に活用する ~生き辛さを、危機感の強さに変えて~
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猛暑日に晒されたり、20℃に届かない気温差の激しい日が続いています。
マスク着用による熱中症だけでなく、急な気温変化に身体が馴染まず、体調を崩しかけない辛い時期となっています。
体調管理を、これまで以上に注意して、まずは自分がダウンするようなことがないことを第一に考えている、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
前書きの続きになりますが、皆さんは自分の体調が何だか優れない、或いは調子が悪いと感じる前兆のようなものはありますでしょうが。
私の場合を例にすると、体力が下がって風邪をひきそうになるような時は、決まって鼻から「ガス臭い」独特な臭いが取れなくなります。
私は煙草は吸いますが加熱式煙草を愛用しているので、ライターは使いません。それだけでなくガス漏れなど無いオフィスや自室でも、調子の悪い時はずっとガス臭さが鼻から抜けずに気持ち悪くなっていきます。
そういう時は会社を早退したり薬を飲んだり、早めに休むことで体力を回復させます。すると起きた翌日には、鼻からはいつもの澄んだ空気が入ってくるようになります。
熱が出るといった身体の免疫反応以外にも、実際は五感からも自分の体調や精神状態を把握する材料になるのでは、と考えてます。
五感からの刺激に敏感で受け取った刺激を深く考える傾向のあるHSPの気質は、特段そのような傾向が強いと言えると私は思っています。
些細な音が妙に気になって集中できない時は、イライラしている。鼻が利かない時は身体がSOSを出している。私の場合はそのような反応が表れます。
HSPは過敏さ故に生き辛さを感じることが多いと、基本的に紹介されています。実際に私もそう思ってきましたし、今もそれは変わることはありません。
一方でそれ以外にも、生活を送る上で意外な場面で刺激に対する敏感さが役に立ち、危険を回避してきたことも何度もありました。
今回はHSPの特徴の一つである、外界からの刺激に敏感さ。些細な刺激から多くの情報を汲み取って処理し、頭が付いてこれない程まで深入りすることで疲れ切ってしまう性質。
そういった性質を逆手に取るかのように、実生活でも危険や注意を逸早く感じ取って、周りや自分に知らせることができることについて、私の経験を交えながら綴っていきたいと思います。
私が綴ったHSS型HSPやHSPについてのまとめは、こちらにございます。よろしければご閲覧ください。
五感を最大限に使う為に工夫された世界
人間に備わる、五感。外からの情報を受け取り、脳に伝えて行動に移す、ヒトが持ち得た生きる上で重要な器官。
その割合は、概ね次のようになっていると言われています。
目から入る情報、視覚は約8割強。耳から伝わる刺激を伝える聴覚は、1割程度。その他嗅覚や触覚、味覚は5%に満たないという指標が出ています。
このことから人間は外部の状況を把握する為に、ほとんど視覚に頼っていると言うことができるかと思います。
例えば言語が異なり言葉が通じないような異文化社会であったとしても、シルエットや象徴のような絵を用いることで、視覚的に誰もが一発で判断できるように世界は造られ、工夫が成されています。
その一例として挙げられるものとして、ピクトグラムがあります。
御手洗いで男性用・女性用を見た瞬間把握できるように世界共通的に使われたり、非常口は人間が急いで走り寄るような図柄を用いることで危険に晒された際はそこを目指すことを促すように描かれています。
これは個人的な考えになりますが、視覚から得た情報を脳で処理する時間を少しでも短縮させ、半ば反射的に動けるように「視覚情報が、ヒトを動かす程の強い印象を与える」為に創られているのだと思っています。
それ以外にも、道路上の信号も同じことが言えると思います。
造形や光る順番は違っても、赤は「止まれ」。青は「(注意しながら)進行可」と認識されています。
これについては、色がヒトに与える影響を利用しているものであると考えています。
そもそも色には波長というものがあり、その強弱や長さでヒトが識別する色が変わると言われています。
その中でも赤い色は視神経を強く刺激する色とされています。赤は強さを象徴する色とも呼ばれ、ヒトの注意をより引きつけるそうです。その為に赤信号は「必ず止まれ」と潜在的な意識を植え付けつる効果があるのでは、と考えている方がいらっしゃる程です。
ヒトの持つ五感の割合や特徴をより活かす為に、世界は形作られているのだと思います。
一番の情報源、音
ここからは私の体験や経験談になります。
私は左右の視力に大きなさがあり、特に左目は強烈な乱視を持っています。故に眼鏡がなければ大きな文字も縦にブレて二重に見えてしまい、まともに世界を見ることができません。
視力・視覚は、私には頼りないものとなっています。
それを補うかのように、聴覚から得る情報は視覚以上に情報を拾うことが多々あります。
しかしながら基本的に、耳から入る刺激に良い思いをした記憶はありません。
鼓膜を破壊するような、爆竹の破砕音。静音を引き裂いて断続する工事音。心を揺さぶるような、子どもの泣き声や金切り声。
どれも私を不安定にさせ、不快に陥ってきました。まるで、耳と心が一体化しているかのように、音が齎すものは直接心を揺り動かしてきました。
余りの鬱陶しさに、自分で耳を切り落としたいと願ったこともありました。
無音の世界が、どれだけ平穏であるかを想像しただけで、音に感情を揺さぶられてばかりだった私には、時として魅力とも願望とも思えることさえありました。
しかし、他方で。
幼少期は中耳炎を毎年患う位に耳の調子は著しくありませんが、日常や機械、人の声色とったものを、否が応でも記憶し続けてきました。
記憶の中の音と少しでも違う音が聞こえた途端、私の中で違和感が急速に広がって。
何かおかしいと直感させ。調子を崩している人や機械の不調を音で聞き分けることができるようになって久しいです。
私の中でこの特徴は、主に車に発揮されることが多くあります。
最近では母の乗る軽自動車が「変な音がするんだけど」と相談を持ち掛けられ、実際にエンジンを掛けて異音の正体を突き止めようと試みました。
整備士でない私には、調子を悪くしている部品を正確に突き止めることはできませんでした。しかしエンジン始動後の音を聞いた途端、「エンジン本体の以上ではないな」と直感しました。
金属が擦れたり叩くような場合はエンジンに問題があると言われていますが、今回は電気系統がダメになったかのような甲高く断続する音が響いていました。
これはオルタネーター(車の発電機で、エンジンの始動に用いる電気を生み出す機関)かその周囲のベルト辺りがダメになったか、と素人ながら判断し。
オルタネーターがダメだった場合、最悪エンジンの始動ができなくなることから、ディーラーに急遽入院させ調査してもらったところ。
オルタネーター本体が壊れかけていることが判明しました。
一年以上放置すれば危ないところだったところを、早い段階で見つけてくださったことで交換する手はずに至りました。
交換費用は高く付きましたが、それよりも。
突然エンジンが停止したり、動かせなくなった時。
車のちょっとした不調が原因であったとしても、仮に事故に繋がれば、金銭以上に車が即廃車になるだけでなく。人命に関わることも、十分考えられます。
今でも、心と繋がった聴覚。時にはこの手で引き千切って捨てたいと、憎むこともありましたが。
今の私には、危機管理する上ではこれ以上ない頼りになる存在となっています。
本能と直結していると言われる唯一の感覚、嗅覚
もう一つ、私を支えている感覚として、嗅覚が挙げられます。
前書きで綴った通り、事故の体調管理だけに留まらず、様々な場面でこれまでも役立ってきました。
さて、先程申し上げた五感の内、嗅覚だけが直接脳に働きかけ、本能や一時的ながらも急激な感情変化を齎す、情動を呼び起こすことを、皆さんはご存知でしょうか。
例えば、数日間調理することを忘れてしまった肉があったとします。冷凍保存しなければ様々な菌やカビに侵食され、捨てざるを得なくなります。
これは学生時代に一人暮らしをしていた時の実体験ですが、3、4日放置してしまった肉を開封した瞬間、嘔吐く程の異臭を嗅いで涙目になりながら、即処分したということがありました。見た目は特段変化はなかったのに、明らかに腐敗が進んでいたのです。
腐った臭いを嗅いだ瞬間、「これを食べたら間違いなく危ない」と考えるまでもなく脳が反射的に生存本能を呼び起こし、自分を守るために行動させる機能。嗅覚はそういった能力を司っています。
ここ数日で嗅覚に助けられた経験として、ガス臭さを嗅ぎ取ったことがありました。
部屋で動画を漁るように見ており、そろそろお昼時に差し掛かった、休日のある日。自室から出た私は、漂う臭いの異常さを瞬時に感じ取りました。
何だ、この臭い。
ガソリンのような、可燃性の何かに似た臭い。
これは……ガス?
そう思った瞬間、慌てて階段を駆け下りてキッチンへ向かいました。そこには母と兄が談笑していました。
もしかして、ガス臭さに気付いていないのか?
しかし部屋中、コンロで用いるガス臭さに満ちていました。その濃さは、下手にライターでも使えば爆発に発展しかねない程でした。
これはマズいと思った私は「何かガス臭いんだけど、何かしたの?」と口走っていました。
母も兄も、何を言っているんだと怪訝な顔をしていましたが、すぐに「あっ」と母が思い出したかのように続けました。
どうやら何かを茹でていたらしいのですが、兄と話している内に吹きこぼれてコンロの火が消えてしまったようで、言われるまで気が付かなかったとのことでした。
兄は紙巻き煙草を吸っているので、まずライターは絶対に使わないように言い、コンロの火加減のダイヤルを消化位置まで戻すことを指示。換気扇を回しながら窓を全開にしてガスを排気することで、1分程でガス臭さは消え去りました。
ガスの臭いが漂っている=ガス漏れの可能性があることを嗅覚が教えてくれたこと。そしてそのまま放置すれば中毒症状を引き起こしたり、火災事故に繋がる恐れもあることが瞬時に思い浮かんでいました。
考える前に、刺激を受け取った脳と身体が思考を飛び越えて行動に移したことで、危険を排除しました。
このことで、嗅覚は本能に直結しているということを改めて実感するだけでなく。
刺激に過敏に反応する傾向の強いHSPの性質が、良い方向に働いてくれたと認識するに至る出来事となりました。
身体が感じる感覚に、耳を傾けて
今回は最近起こった事例を交えながら、五感が受け取る刺激について綴って参りました。
特段、それらの刺激を受け取り過ぎることで思考が追い付かず、生き辛さや周りとの違いに違和感を抱くことで悩みとなってしまう、HSPの性質。
ネット上でも、かかりつけの心療内科医やカウンセラーも、HSP=生き辛さ、苦しさと捉えられることが多いことを、私も実感しています。
HSPだけでなく、HSSの性質を持ち合わせる私も。
かつては周りとの差異に戸惑うだけでなく。訴えたくても、どう表現すればわからないもどかしさや、言った所で「気の所為でしょう」と一蹴され続けたことで。
自分は、ヒトとしてどこかおかしいのだろうか。何かの病気なのか。
気の所為で片付けられる、そんな簡単なことではない。それなのに、伝わらないし伝えられない辛さ。
そういった感情を引き摺ったまま学生時代を終え、今日に至るまでの社会人生活の大半を、自問自答する形で問い続け、出来得る範囲内で情報を漁りに漁りました。
それこそ、死物狂いの勢いで。自分が抱える感覚の正体を知る為に、あらゆる手段を用いてきました。
そして、HSPという単語に出会いました。
最初こそ、そんな要らない性質を持って生まれたことを憎んだり自分を責めるようなことばかりでした。
HSPの記事を見つける度に、HSPの性質に同感や同情するように、自分を重ねてきました。
もっと、普通に生まれて、生きたかった。周りと同じような感覚で生きられれば、全く違う生き方ができただろうに、と。
然れど、今は違います。
私はHSPの性質を持って生まれ、ここまで生きてきたことを後悔するどころか、寧ろ誇りのようなものを持つようにすらなっています。
刺激を過剰な程取り入れて、深く処理してしまう無意識的性質。
変えられない事実があるのなら、逆に最大限に使いこなせる位になれば良いじゃないか。
生き辛さばかり感じていたものを、危機感が強いと考えを変えれば、それだけでも自分の個性や武器になる。
生まれ持ってしまったことを、いつまでも後悔するよりも。
どう活かすかを考えた方が、楽しいだろ。
そのような思いを抱ける程になりました。
HSPだけでなく、人によって五感の強弱は変わってくると思っています。
そういった中で、私は実例を用いながら、共感できる記事を挙げていきたいと思うと共に。
「辛いのは、貴方だけじゃない」なんて詰まらない言葉よりも、「こんな活かし方や生き方もあるんだ」と、これからも伝えていければと思っています。
自分を曝け出すこと、今ではすっかり慣れました。曝け出して恐れることは、今の私にはあまり多くありません。
……多分、ですが。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。