【HSS・HSP】後章・刺激と好奇心に生かされて ~追い求めて、追い詰められて~
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5月も、いよいよ終わりに差し掛かってきていますね。
自粛に明け暮れ、野山の緑の成長さえ禄に見ることも叶うことなく、このまま梅雨に入っていきそうな気がしております。
気を抜いてはならないとわかっていながらも、そろそろ遠出が恋しくなってきている、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
前書きはこの辺りとして、早速前記事の続きを綴って行きたいと思います。
今回は自覚するまでとはいかずとも、徐々に芽生え始めたHSSとHSP。
深い理解が足りないが為に、それを性格と決めつけて自ら生き辛さに苦しみ続けたこと。そして今、自分なりに解釈して上手く付き合っていこうと決めたことを、綴って参ります。
尚、HSPやHSSについて纏めたページリンクをご用意しましたので、ご興味のある方は併せてご参照くだされば幸いです。
刺激を追い求めることより、追い詰められることが増えていく
小学校を卒業して、地獄の中学校の時期を経て。歪んだ認知を持ったことで、ひたすら目立たないことを選んだ高校時代。
そして学生としては黄金期だったと今でも認識している、専門学校時代。
歳を重ね交流が多くなったことで、人と共にいる時間に苦を覚える時間は少しずつですが、低減されていました。
とは言え、相変わらず自分から積極的に歩み寄ることはできないまま、周りの人たちの誘いや気遣いがあったからこそ、何とか生き延びることができたと言っても過言ではありません。
と言うのも、以前記事にも綴りましたが。
この頃から刺激を追い求めることよりも、より敏感になった感覚。特に音や声が齎す刺激に圧倒され、いつの間にか怯えるようになってしまっていたからです。
成人間際にして、怯えるというのもお恥ずかしい話ですが……。
音については幼少期から敏感であることに変わりはありませんでした。
違ったのは、単なる大音響や唐突の爆音で感情を揺さぶられて混乱するだけに留まらなくなったことにあります。
用もないパチンコ屋の前を、何気なく通った時に開かれる自動ドア。直後に漏れて響き渡るパチンコ台の無駄に大きな音響に驚いて、その度に「うるせぇ」と目を細めたり。
通学で使うだけでなく、当時友人だった人の家へ遊びに行く時に使う鉄道内でも、社内の話し声や子供の耳を切り裂くような金切り声や泣き声に圧倒されるようになりました。
自分自身の、外界に対する変化。それは変貌とも言える程の変わり様で、「煩ければ無視すれば良い」と思っても、自意識だけではとてもではないが身も心も持たないと直感していました。
そこで、一人で外出する時はカナル型イヤホンで周りの音を完全にシャットアウトして、好みの音楽を流すことで切り抜けることを覚えました。
眠る時は耳栓を突っ込んで、自分の心臓の鼓動と吐息だけが聞こえる状態に持っていき、少しでも安堵できるよう心がけるようになりました。
保育園では、自由なままに刺激を追い求めて来たのに。
歳と共に、刺激に追い詰められる日が増えていくことに、当時は不安と恐怖を覚えていき。
この記事を綴る今では、送り込まれる刺激を捌き切ることができなかったが為に、ひたすら刺激に精神が壊されないように自分を守ることに必死だったのだな、と思い耽っています。
しかしその実は、自分の変化が、周りを気にし過ぎるような形で性格が変わってきた
と勝手に思い込んで。それ故に痛い目を見た過去を重ねてることで、揺れ動く感情や思いを表に出さぬよう。
偽りの仮面を被るようにして、あたかも少しのことでは動じず感情の起伏が乏しい、クールでニヒルな性格の持ち主であると自己暗示するようにして本当の自分を覆い隠していました。
それを、チヤホヤされながらも「これが、本当の自分だ」と信じて止むことなくはなくなり、過去の自分と決別するように一人称を「私」と変えてまで。
一度被った、自分を偽る仮面。それは精神を守る為であり、自分を護る為であった無意識的な行動であったにせよ。
車の交流サイトやブログを通して、片方は割れかけながらも。今も尚、初めて会う人の前では素の自分を出せなくなるという害が取り除けなくなっています。
時としてその思いが顕在化して、いつまでも偽り続ける自分を責めることもありました。
そのような時に限って。
小さい頃は刺激や好奇心を求めるばかりに、周りを蔑ろにしてきたのでは、と自分を問い詰めるようになりました。
それと共に、意識と関係なく刺激と好奇心を追い求めることもあれば、逆にそれらに振り回されることに疲弊していることに気付くのでした。
気質を持たない、普通のヒトとして生まれたいと思っても
小さい頃は深く考えたりすることもなく、私は沸き立つ好奇心を素直に受け入れてきました。自分の好奇心と興味に突き動かされて、満たされて満足したら次の刺激を……とい繰り返してきました。
それが通らなくなったことを切っ掛けにして、今度は自分の思いを抑え込むように、「好奇心だけで動くことや、刺激を求めることは危険だ」と言いつけ、正反対の行動を取ってきました。
刺激を求めて止まないHSS。
刺激を過剰なまでに拾い、深く取り入れ、感情を動かされながらも共感することさえあるHSP。
今でこそ、HSSとHSPの両方を抱える身としての自覚や自負はあれど。
時代や見る人は変わっても、見渡す人たちは皆、活き活きとして周囲と笑い声を交えながら話し込んでいたことだけは、変わりませんでした。
好奇心をいつの間にか殺して、刺激に怯えるばかりに息を潜めるようにしていた私には。その人たちそれぞれの過去や思いはわからずとも。
現実の彼ら彼女らは、屈託のない笑みと感情豊かな声を発していました。
もし。
気質、などと語る以前に。
多少の際はあれど、周りが刺激に左右されない、自分の意志と思いを当たり前のように表現して生きることができていたとするなら。
普通のヒトとして生まれ、生きてきたかったと思うことは、何度もありました。
それが叶わなくても、単に好奇心や刺激を求めて突き進んだり。
その逆で、刺激に敏感で必要以上に取り入れてしまうばかりに萎縮するかのように、息を潜めて生きる。
短絡的な意見になることを、どうかお許しください。
どちらか片方だけなら。
時間は掛かっても、別の生きる道や術を見出すことを見出だせたのではないかと、思えてなりません。
普通の感覚で、普通の感じ方で、普通の生き方。
もし、できたのなら……と、叶いもしない願望のようなものを、夢見た日は幾度もありました。
刺激と好奇心、敏感さと臆病さと共に生きる
然れど。変えたいと願っても、変えられない。寧ろ変わらない気質。
真逆とも言える気質の双方を持っている私は、周りとの違和を感じてからそれに戸惑い、自分が「(悪い意味で)普通ではない人間なのでは」と思い、悩んで。
知りたくてもわからない自分をある程度理解し、受け入れるまで20年以上の時間を費やしました。
穏やかな時間は、あまり多くありませんでした。それよりも茨の道とも言える道を、心の血を流しながら歩いて参りました。
それでも私は、私だけの生きる道を探し出し、今日まで生きてくることができました。
好奇心の赴くままに刺激を追い求める続けることは、悪い意味では執着心や努力足らずと見えかねません。
敏感さと臆病さは、チャレンジやチャンスにも手を出さない奥手だとか、意気地なしと思われるかもしれません。
ですが、見方を変えるだけでも見えてくる世界は変わってきます。
実際、私がそうすることで、ここまで来ることができました。
好奇心の旺盛さは、周りの人が気にしないような些細なことにも興味を抱き、無意識でも刺激として追い求める躍進する力になって。
敏感さと臆病さは、相対する人の表情や声色を察知して、勝手ながらも深入りしながら。相手を不意に傷つけるような言葉や仕草を見せないようにして、慎重に慎重を重ねて。
過敏に反応する音と声を、相手にひたすら傾ける。せっかちな性格を抑えて、焦らないようにしながら。
そうすることで、多くの感情と思いを拾い上げて、押し付けない程度の言葉を深く考えてから発してきました。
そうすることで、喩え最初はお互いに不安や不満に満ちていたとしても。最後は微笑みと共に掛けられる言葉や感謝を受けて、こちらも朗らかで心地好い気持ちになる。
はっきり言って、回りくどくて面倒くさいと思うこともあります。
それでも、ドッジボールをするように、意見をぶつけ合っていがみ合うような空気になる位なら。
言葉のキャッチボールで、心を通わせる。常に平穏であり続けたい、私のような人間には、その方が合っている。
今では、そう思えるようになりました。
病気ではない為に、治療のしようも軽減のしようもない、気質。
もしも同じように、ご自身の気質に悩み、生き辛さを感じていらっしゃる方がいましたら。
刺激を求めるHSSも。刺激に敏感なHSPも。
時間は掛かるかもしれませんが、必ず理解し、いつか和解するような形で共存できるようになると、私は信じています。
まずは、自分を否定しないこと。それが始まりだと、私は思っています。
今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
時には眩し過ぎる太陽でさえも。いつか、向かい合えるはず。