白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【HSS・HSP】前章・刺激と好奇心に生かされて ~追い求めて、追い詰められて~

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 週末の天気が荒れるようになって参りました。少しばかり早い梅雨を思わせながらも、日差しと空気は穏やかな一日でした。

 休日をいただいた本日、一ヶ月振りの洗車に行って参りました。コーティングもすっかり剥げ落ち、在宅により動かすことが少なくなりニセアカシアの花粉塗れになった愛車。

 少し前までは苦にも思わなかった洗車からの拭き取り作業でさえ、身体に堪えている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスを契機とした、様々な変化。日常生活に留まることなく、息抜きと新しい世界を求める旅行や旅。人と人との接触を絶たねばならないといった、数多くの不自由さ、今も私たちに残し続けています。

 私は、それによりより自分と向かい合う時間が増えました。結果的に、これまで抱えて離すことができなかった私自身が抱える思い、気質、自負するもの。

 それらが、少しずつ変わり始めていることに気付きました。

 確かめる為に、以前投稿した記事を再度読み返すいい機会ともなりました。

 

 その中でも私という人間を形作り、様々な思いと感情に揺さぶられ続けたHSSとHSPについて、更に踏み込んで自分の中で考え、整理することができました。

  

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

  

 この記事は、私が自負しながら言葉に変えた記事の最たるものであると自覚しています。

 今では更に、他のブロガーさんが書く記事や、ネット上に流れるHSPやHSSの情報を拝見するだけでなく。私自身がブログを書き続けてきたことによる変化だけに留まらず、取り巻く環境や状況、そして心の変化によって。

 HSSとHSPを併せ持つ身として、新たな見解と認識を持つに至りました。

 

 

 

 

 今回はこれまで綴ってきたHSSやHSPについて、新たな考えや思いを抱いたこと。

 刺激を求めるHSSと、繊細と言われるHSPを併せ持ちながらも、私は新しい刺激を好奇心を常に追い求めていることを。

 その熱が冷めた時に押し寄せる虚無感や寂しさのような感情を抱き続けていたことを、改めて綴っていきたいと思います。

 

 ※注記※

 本記事では、HSPやHSSについての説明は省略する形で綴って参ります。

 詳細な内容については本ブログの過去記事、またはより詳しく、わかりやすく纏めていらっしゃる方のサイトもございますので、そちらを参照していただければ幸いです。

 ※注記終了

 

 

 

 

 

 

 

 HSPよりも先に兆候があったHSS

 

 

 

 これまで綴ってきた通りになりますが、HSPを自負する私は、刺激に晒されることを恐れていることに変わりはありません。

 しかし、時には恐れを上回る好奇心や新しい刺激に常に飢え、追い求め続けていることに気付くと共に。

 夢中になれば他に目が行かない程のめり込んでしまいながら、 好奇心が冷める頃には別の刺激を求める、HSSという気質も併せ持っていることに気付いて久しいです。

 

 これだけだと、単に興味を惹かれたことに熱中し、飽きたらそこで終わり。やや雑な言い方になりますが、好奇心旺盛でありながら、熱しやすく冷めやすい。もっと端的に言えば、三日坊主という言葉が相応の「性格」と捉えられがちです。

 

 実際、そのような概念も考え方も浸透しておらず、仮にしていたとしても理解などできなかったであろう頃から。

 本能とも言える思いに突き動かされていたことを、過去を遡ることで気付くに至りました。

 

 血の繋がりを持つ身内以外の同世代の人間と、初めて出会って同じ時間を過ごした、保育園の頃。

 お昼ご飯とお昼寝、催し物の練習といった時間を除き、保育園にいる時間は自由時間の塊でした。遊ぶだけ遊ぶことが全てと言っても過言ではありませんでした。

 小さな屋外には様々な遊具や砂場が用意され、屋内には積み木、ブロックといった玩具だけでなく、絵本を始めとする読み物も揃っていました。

 園児の乱雑な扱いと経年劣化によって、それぞれ破損や汚損がありましたが、そんなことも関係なく遊び耽っていた記憶だけは鮮明に残っています。

 

 今日は、何して遊ぼうかな。

 友達と呼べた周りの園児たちと笑いながら話して、遊びを決めたら時間を忘れていたことは、周囲と然程違いはありませんでした。

 

 それが、思い返していく度に。

 唐突に興味を失ったかのようにその場を離れ、全く別の遊びに入り浸っていることも珍しくありませんでした。

 屋外の遊具で一緒に遊び回っていた男児たちが休憩と給水の為に遊びを一時中断した途端。

 何を言い残したのかは、定かではありませんが。

 私は一人フラフラと砂場で遊ぶ女児たちに混じって、小さな土木工事に夢中になることもあれば。

 屋内に戻ってブロックと向き合って、小さな頭で考えた戦闘機やロボットを創ったりと、次々と興味の先を変えては入り浸ってを繰り返していました。

 

 もう一つ、自分がHSSだと自負する決定的な事柄がありました。

 それは、唯一行動を制限される昼食やお昼寝の時間。

 私は席に座っていることに我慢することが苦手で、逸早くその場から脱しようと食事を牛乳や水で流し込むような食べ方をしていたことを覚えています。

 

 これは、今でも私の食事に影響を与えています。

 熱いものでも冷たいものでも、食べ物を咀嚼しながら水を含んで胃に流し込むことが癖になっています。故に水がないと食べる速度が物凄く遅くなります。

 これまでは、食べるスピードが遅いことを「食べ終わった人を待たせたくない」と認識して、その為に手早く食事を済ませるよう自分に言い聞かせてきました。

 ですが今は、それまでの思いは「他人軸」で考えた思いに過ぎなかったこと。全ては、「自分」が食事の為に席に座り続けなければならないことを、誰よりも嫌っていたに過ぎなかったのです。

 

 三十路を超えた今の私から見た、当時の幼い私は。

 どこまでも自由奔放で、自分が世界の中心で。何より、兎にも角にも、周りに縛られることを嫌っていた、本能や感情に素直だった子どもでした。

 同時に、私は幼少期からHSSの兆候が表れ始めていたことに、驚きすら感じています。

 

 

 

 

 刺激への敏感さに気が付いた、小学生時代

 

 

 

 想像していた以上に、HSSの兆候が見え始めていたことを知りました。

 その時はまだ、探究心や好奇心の赴くまま行動することが許されていたが為に、新しい刺激を追い求め続ける姿勢と思いを貫き通せたと言えると思っています。

 

 では、正反対とも言えるHSP。

 刺激を過剰に受け取り深く処理するあまりに、混乱に陥ったり周囲との「感覚のズレ」を感じ始めたのは、いつだったのか。

 こちらは保育園を卒園して小学校に入学してから数年間、比較的穏健だったこともあり、喩え無意識に過ぎずとも感じることはありませんでした。

 

 契機は、担任が体育会系の男性教諭に変わった高学年の時でした。

 

 小学校の低、中学年までは穏やかな教師であったことも相俟って、誰かが注意されることはあってもクラス全体が怒られるような理不尽なことはありませんでした。

 

 しかし教師が変わった途端、一変しました。

 クラスの誰かが、少しでも背いたり反抗するようなことがあれば、連帯責任だと平気で言い放ち全員を叱責。

 諭す訳でもなく、ただひたすら問題を起こしたことへの不満を当たり散らすように怒号を飛ばしていました。

 いつしかクラスメイトは「あいつ馬鹿だから」と舐めるようになっていました。ですが私はそれだけでも、理不尽さを感じていました。

 それだけに留まらず、集会の為に全員が並んで行動するような時でさえ、一人でも遅れたりすれば。

 必要さを全く感じない、「クラス全員」へのゲンコツ。私はせっかちな性格も相俟って早め早めの行動を取っていましたが、容赦なく振り下ろされる拳。

 その時、私は衝撃で舌を噛んで出血したことと「関係ない人まで巻き込む理由がわからない」という憤りは、今も忘れません。

 体罰と言っても大したことはなかったのでしょうが、今では訴えられてもおかしくありませんが、これも時代なのでしょうか。

 

 慢心するつもりは毛頭ありませんが、私はクラス中に迷惑を掛けるような大事を起こしたことはありません。寧ろ、体罰教師に理不尽な行為を受けないよう、進んで攻撃対象から外れる努力を重ねるようになっていました。

 

 恐らく、その頃だったと思います。

 連帯責任という時代錯も誤甚だしい言葉と共に振るわれる制裁。

 それにより、誰かが怒られる=クラス中が被害を被ることが明白になっていきました。

 そのようなしょうもない負の連鎖に晒されたことで、体罰教師は私の中ではすっかり過大な刺激を齎す存在と認識され。

 飛び交う怒号は騒音として耳を過剰に責め、時折飛ぶ拳や文具を用いた体罰は痛みとなって。

 次第にそのような行き過ぎた刺激は、私の中で眠っていた感情と結び付いていきました。

 

 体罰教師を無駄に怒らせないように、何故か自分がクラス中に気を張るようになって。もし誰かが怒られるようなことがあれば、「自分まで怒られている」ような錯覚に囚われて。

 挙げ句に懲りずに誰かが逆鱗に触れるようなことをしでかして、クラス中が怒られたり手を上げられるようなことがあった時には、「何で私まで」と理不尽さと怒りすら覚えるようになりました。

 

 今、思えば。

 自分が関与していない状況であっても、言葉や体罰という暴力に見舞われたこと。

 それを受けない為に、これ以上ことを荒立てないでくれと願うばかりに。

 クラスメイトという他人の感情に勝手に入り込んで、それがあたかも自分の思いや感情のように思えるようになり果てていました。

 

 全ては、自分が過剰な刺激に晒されない為に。関係のない人間を、巻き込むなと叫びたいが為に。

 それを切っ掛けに、外部からの刺激に対して「何でこんなことになったんだ」と独り深く考えるようになり、誰かの感情に深入りすることで、身勝手な共感のようなものを何となく知っていった。

 

 それが、私の中で眠っていたHSPが表面化する切っ掛けとなったのではないかと、思うようになっています。

 

 

 

 長くなりそうなので、本内容は二記事に分けようと思います。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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