白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

感情なんて、無ければ良いのに

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 前回の投稿から大分時間が空いてしまいました。その間、唯只管に葛藤と嫌悪を続けておりました。

 

 休職して早三ヶ月が経ちますが、未だ復帰に対する気持ちが全く浮上して参りません。寧ろ自身への吐き気を催す嫌悪感と他人との関係や距離感に諦観に似た思いすら抱きつつあります。

 

 世間では精神的に追い詰められたり苦しい時は、一人で抱え込まずに相談できる人を見つけていきましょう。貴方は一人ではない、必ず理解してくれる人がいる。十人いて一人二人は合わなくても、優しい人はきっといる。

 そんな言葉が流布するかのように流れ、書き連ねています。

 

 私はそういったものを、叶わないとわかっていながらも消えることのない、期待感に近い想いを重ねて見過ぎてしまったのかもしれません。

 

 相談することも、自分の胸中を聞いてほしいという願望は、無いと言ったら嘘になります。

 ですがそれ以上に、これまで心を、感情を殺して「存在しないもの」として振る舞うことでしか生き抜いてこれなかった私の心は、喉まで出掛かる胸の内を強制的に遮断するようになって久しい。

 本音を口にできない。優しく接してくださる人の声を聞いて泣きそうになるのに、涙が出てこない。一時的に湧き出てくる悲しさや嬉しさを始めとする感情も、引っ込むようにして霧散してしまう。

 

 自分が思っていることを口にする、自分のことで人に迷惑を掛けたら。

 今度こそ、本当に見捨てられて誰もいなくなるぞ。

 

 記憶朧気な幼少期から「手間の掛からない」「我儘を言わない」「自分の意思を伝えない」ことで波風を立てぬようにし、やっとの思いで平静な日を辛うじて保ってきた、小さい頃の私が警告する防衛本能。

 

 実際にそうすることで放って置かれる方が楽だったし、人の輪に入り込んで一悶着ある位なら、独り離れ傍観している自分が心地好かった。

 然れど時には「意思がない」と言われ自分の思いを伝えると、周囲との感覚や価値観のズレが露呈し嫌な目で見られて来たことは今でも覚えています。

 歳だけ取って社会人になってからもそれは変わることなく、得られたことは良いものよりも悪いものの方が遥かに多い。多過ぎました。

 

 元々独りで過ごすことには慣れていました。

 ですがいつの日からか、慣れ切った感覚が周囲との齟齬を生じさせ、人と関わる度に弊害を生むことばかりの日々が続きました。

 ではずっと独りの方が良かったのかと聞かれれば、嘘になります。出会えて良かった方々とも沢山知り合えましたし、その方々と過ごした時間は私の中で、大切な思い出となってしっかりと残っています。

 が、今もずっと、思い出と自己防衛が衝突し合って。

 言葉に言い表せない辛さや苦しみと化して、抱え続けるばかり。

 

 

 生き残る為に必要だった、子供ながら考え行動や言動を形成した、アダルトチルドレン。

 本ブログでは初めて述べる事柄ですが、私は傾向の強い順に「ロストワン(ロストチャイルド)」「スケープゴート」「ピエロ(道化師)」の3タイプが混在しているようです。

 

 これは精神疾患を患い十年が経とうとしている現在においても回復傾向が見られないことへの焦燥感と、苛立ち……に似た感情があったのだと思います。

 早く脱却したい。楽に生きたい。

 その思いで受けたカウンセリングで判明したことです。

 

 アダルトチルドレンについては他のサイト様でより詳しく解説されておりますので詳細は省かせていただきますが、複合タイプについて明記されていることは、私が知る限り見覚えがありません。

 しかしながら、特別珍しいものでもないようです。

 

 複数あるタイプのアダルトチルドレン、それを複合する理由。

 

 その時々でタイプを変える、演じ方を変えることで生き永らえたとのことでした。

 

 聞いた瞬間腑に落ちたものの、それで終わりという訳にはいきません。

 性格を直すのではなく、幼少期の考え方や物事の捉え方の「癖」を矯正すること。

 今まで確かに感じていたはずなのに、なかったものとして見ぬ振りをし捨ててきた感情を、脚色加えることなく噛み締めること。

 ロストワンが強い私に一番必要なことだと、カウンセラーの方は仰っていました。

 

 正直、人によっては簡単を通り越して当たり前にこなしていることなのかもしれません。

 ですが感情を、無意識的に殺してきた私には、とても苦しい。

 人の優しさも、それを受けた自分の嬉しさや有り難さですら、心が拒絶する。

 褒められたり称賛されるようなことも、常に目立たないようにして生きてきた私は、どう受け取ればいいのかわからないし戸惑いすら感じてしまう。

 では逆に非難されるようなことがあったすると、今度はスケープゴートが顔を出して「私が全部悪いのだから、元凶の私が消えれば治まるんだろ?では、さようなら」を繰り返した人生。

 

 そうすることで、一体何人の心を傷付け、心を殺してしまったのだろう。今となってはそれもわかりません。何より、贖罪したところでもう戻りはしない。

 そんな風に自他共にあやふやにしてしまう、自分が醜くて仕方がない。

 

 中途半端に思いやる気持ちも、罰する気持ちも。全部含めて。

 感情なんて、最初からなければ良かったのに。

 それだけで、どんなに楽だったことか。

 

 でも、このままでは何も変わらない。ずっと同じ苦しさと辛さを味わい続けることになると、頭ではわかっている、つもりではあります。

 

 そこに、心が付いてこない。

 人を巻き込む位なら、感情をこれまで通り殺し続ける方が誰も傷付かない。なら、一層このまま……。

 

 

 私は、どうしたいのだろう。それすらわからずにいます。

 ましてこんな私が、人の痛みや切なさを受け止められるはずがない。

 このような思いを、いつか断ち切るとは言わずとも変えていけるのか。

 自信も活力も、未来へ向かおうとする意志も……今は、持てない。