気付けば、もう新年度ですね。
季節の移ろいは知らぬ間に、然れど身と心は衰退の一途を辿るばかり。
私怨も酷いので、ここで詳しくお話しすることはご容赦願いたく思いますが、先月は本当に惨事ばかりでした。ある意味、イジメがあった数十年前に匹敵する程だったかもしれません。
一つ言えることがあるなら、人は誰しも正しい者はいないということでしょうか。
私も、自分が正しいなどと思っておりません。寧ろ間違いだらけの人間です。
では他者が全てか、と問われれば……そうではない、と思ってもいます。
その違いが価値観であったり相性の問題であると考えておりますし、それを侵害することは唯の押し付けになる。
そう信じて、自分を、感情を殺すという姑息な手段を使って生きて参りました。
それが緩んで、私なりの考えを出した途端に非難されるまでは。
先に申し上げた通り、私にも非がありました。相手の立場や考えを考慮しなかったは謝らなければならないことです。
しかしそれでも、否定され拒絶されることは、やはり辛い。
撮影で用いてきたカメラを握ることも、直前まで記録した写真を見ることも、今はできなくなりました。
私怨同士の衝突など関係ないはずなのに、怖くて触れられません。楽しい「はずだった」思い出も、怖くて仕方がない。
いや、寧ろ他者を拒絶しようとする「感情を抑え切れない私」がそうさせているのかもしれません。
どうしてこんなことになったのかな。
いつから、こんな自分になったのかな。
後悔よりも、自己嫌悪と人間不信だけが募るばかり。
そう言いながら、時間を重ねることで。
本当は、見捨てられることが怖い。
訴える本能に従って放つ言葉が、見せる仕草が、無意識に人を傷付けているかもしれない。
考え出すと、もう誰にも何も言えなくなる。どんな思いを込めようが気持ちを注ごうが、そんな利己的な思いがある以上は。
人のことを考え、共に歩んでいこうなど身勝手にも程がある。
そんな思いを忘れようと、SNSを奔走してきました。少しでも、私を捨てないでいてくれる人を探す為に、必死に。
でも、本当の想いに気付いてしまった途端、自分がただの寄生虫で害悪な存在なんだと自覚してしまいました。
迷惑を掛けたくない、なんて対外的なのに。本当は捨てられることがとてつもなく怖い。
発言したくても躊躇う。それでも恐怖に負けて何か言って、すぐに後悔して。その繰り返し。
もう、そんなことをするのに疲れた。
うーん、駄目だ。まともに文章の体裁を考えることも言葉も滅茶苦茶だ。
ああ、本当に。
いつからこんな馬鹿になったんだろ、私。