【生き方・価値観】職場環境が変わるのも、悪くない ~柵や蟠りを叩き壊す、神無月の静寂~
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神無月。旧暦の10月の別称であると同時に、全国の神々が出雲へ出向き神が不在となることから名付けられた一月。
その名の通りかは定かではありませんが、暑く忙しかった夏が過ぎ去ることを実感しております。
鈴虫たちの鳴き声が響く朝夕の静けさを一人嗜む、そんな日々が続くようになりました。
と言いつつ、都心の暑さは身体に堪えますね。地元の早朝と都心の昼間の温度差に、すっかり疲弊しつつ、久方振りの文章を書き連ねている今宵です。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
ここ数ヶ月は業務の忙しさを言い訳にしながら、本当にブログをまともに書けない毎日でした。いざ記事に向き合おうとしても、書きたい言葉が出てこない。心を言葉にできない。書けないから、すぐに辞めてしまう。
もどかしさよりも、諦めと面倒さに傾いて。思いを言葉に変え連ねることが、段々と辛くなることをひそひそと感じすっかりブログというものから身も心も引いておりました。
そんな堕落した生活が一変することとなりました。
長く勤めていた勤務地から異動となり、十年弱という久しいにも程がある位に新天地に赴くこととなりました。
10月に入り間もない、つい先日。転勤先での一日を終えた私は、何とも言えない気持ちで満たされている自分がいることに気付きました。
それは元いた勤務地に対する寂しさや懐かしさでもありません。
新天地での新鮮さ、新たな人々との出会いを喜ぶようなものでもありません。
只々、妙に開放されたような。胸の内や脳裏のどこかで引っかかっていたものが取れたかのような清々しさにも似た心地好さ。
変化を嫌い執着することばかりだった私は、どうやら逆に位置する柵や蟠りに囚われていたようです。
それを叩き壊したことは、時に良いものを齎してくれることを信じさせるのでした。
今回は仕事に留まらず、学生生活、果てには血の繋がり合う者同士たちでさえ自らの人生に響く人間関係について書き綴って参ります。
転勤族と先輩方に言われ続けた職種に就いた私が。
社内でも一際長く、同じ職場に留まり続けたことの恩恵、そして。
固着にも似た、ある種の執着によりすっかり染み付いた柵や蟠りを、職場環境が変わることで一気に叩き壊すことを。
良し悪しを含みながら、書き連ねていきたいと思います。
- 不特定多数が行き交う職場に疲れ果てた
- 慣れ親しんだ故郷と職場。心地好さに包まれながら、時間と共に変化は顕在化して
- 親しみは、時を経るごとに柵と蟠りを生み出していた
- 神無月の静寂と共に、新たに開けた心境
不特定多数が行き交う職場に疲れ果てた
以前の記事でも、東京都のど真ん中に位置する本社という職場で心を壊した。
そんなことを記事にしたかと思います。忘れていたらごめんなさい。
出世が約束された、エリート揃いのその場にOJTという形で送り込まれた、20代当時私はひたすら絶望と失望を抱えたまま毎日を送ることだけで必死でした。
自分がこなしている仕事の意義。
説明を受けてはいたものの、頭で理解はしている「つもり」でも納得など到底できない環境であることは確かでした。
楽をしてお金を稼ぐ、そんなことはできません。自分の時間や身体・精神といったものを犠牲にして我武者羅に仕事をこなして稼ぐか、人生全体の運を賭して博打に勝つか。
それとも仕事は仕事と割り切って、自分を守る為に稼ぐことを諦めるか。
二兎追う者は一兎も得ず。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
故事成語というものは、本当に良くできているとつくづく感じています。
逆に言えば現代の、特に世界的に見ても労働に対する対価と生産性に欠ける日本の働き方を揶揄している言葉であると私は信じざるを得ません。
当時はまだ若さを武器と言い訳にしながら、言われるがままに業務を熟す為に職場へ早くから赴き、体力と精神を削りながら仕事を片付けてもぬけの殻と成り果て眠る為だけに帰るということを繰り返していました。
当然ながら、そんな職場に生きる意味など見出すことは最後の最後までありませんでした。
不特定多数の人間が行き交い、言葉もなく淡々と業務に勤しむその場に、私は生きる意味を見出すことは遂にできませんでした。
否、今思えば。そんなものを求める人間の方が圧倒的少数なのかもしれません。
然れど私には、壊れかけの人形の如く働き続けることは……我慢どころか、上層部に対して抗うまでに拒否し続けました。
精神を病んでさえもなお、それだけは譲ることも譲歩することもできませんでした。
上に立つ方々からすれば、さぞ面倒な若手社員だっただろうと思います。
しかし彼ら彼女らが思うと同じように、私も半ば意地と負けん気で張り合っていたことは事実です。
たかが下っ端でも、全て思い通りに行くと思うな。
こちらにだって、譲れないものはあるんだ。
そんな思いを貫き通し、業務を全うした私は、戻りたいと願い続けた古巣への異動が叶うこととなりました。
やっと、これで解放される。
そんな希望を持ちながら。
数年後に、そのような思いは別の咆哮に変わっていくことなど知らずに。
慣れ親しんだ故郷と職場。心地好さに包まれながら、時間と共に変化は顕在化して
幸いにも前職場の三本指に入る方に気に入られ、願っていた地元の職場に戻ることができた私を迎えてくれたのは。
互いに歳を取りながらも、かつて同じ苦楽を共にした先輩方の暖かい歓迎の言葉でした。
私としては、慣れ親しんだ故郷の職場と先輩たち。その方たちと再び仕事をできることに対する喜びに溢れていました。
激務と激動続きだった首都圏での社会人生活にすっかり疲れ果てた私は、子が親に縋るかのようとも形容できるものでした。
一方で。
威厳だけでなく。有無を言わさず上からの指示を垂れ流す上司にさえ容赦なく意見する確固たる意志を絶やさずにいた先輩たちは。
定年を控え、かつてのそれをどこかに置いてきてしまった姿を隠すことも忘れてしまったかのように振る舞っていました。
かつて肩書やプライドを源にして、向かうところ敵なしを具現していた方々も。
どこか寂しさとも、虚しさとも見える思いを携えながら、それでも。
私を始めとする若手に優しい言葉と眼差しを向けていました。
嬉しい反面で。
多分、きっと私は。
そんな先輩方の寂しさを感じ取ったのだと思います。
憶測は、いつしか確信へと変わっていくのでした。
親しみは、時を経るごとに柵と蟠りを生み出していた
何気なく、しかし感じ取り抱いた思いは、やがて現実のものとなりました。
定年間際の先輩たちは、次第に言われたことを淡々と熟すだけとなり。事務所にいるのが苦痛だと訴え始めました。
ちょうど私が社内システムの管理者として、内勤が当たり前となり始めた頃だったでしょうか。
ちょうど、かつて直属の上司だった方と一服している時のことでした。
「もうさ、どうでも良くなってきちゃったんだよな」
それは吐露でありながら、一番耳に残る一言でした。
私は、ただ情けなく相槌を打つことしかできませんでした。
ですが実際は、「貴方の口から、そんな言葉聞きたくなかった!」と糾弾したい思いに駆られました。
直後に、「白兎はまだ、先があるからな。まだまだ働いてもらわないと、俺たちの年金の為にさ」
乾いた笑い声を零しながら、私を見つめるその瞳は、地元に戻りたての私を見守るように澄み切っていることに変わりませんでした。
然れどそこに、「俺は、もう終わりだから」と言わんばかりの哀愁を纏っていたのは、恐らく気の所為ではなかったと今でも信じています。
昔の私は、まともに他人と言葉を交わすことどころか、自分の感情さえ素直に表すこともできずに相手に合わせることしか知らなかったのに。
そこに「仕事よりも、まずは雑談から始まる。俺はそう思ってる」と言って。
私に生きる術を教えてくれた言葉を齎してくれた分、余計に。
そんなこと、言わないでくれ。
遣る瀬無い、行きどころのない思いを噛み締めながら煙草を捻り消したことは、今も鮮明に覚えています。
別の方には、「思ったことがあれば、遠慮なく言えよ。もうお前もそれ位の歳なんだから、言われたことをただ受け入れるだけだとダメだ」と言ってくれました。
自分の意志を、通す。譬え間違っていたとしても、言わなければ負けを認めると同じだ。
肉体の横幅だけでなく、精神的な強さも身に着けなければこの先、生きていけない。そう確信した瞬間でもありました。
そうこうしている内に、私を可愛がりつつ育ててくれた先輩たちは、次々と姿を消していきました。
その度に寂しさを覚え。他方で喧嘩腰で物申す人が少なくなっていくことで、いつしか経営層の意思をただ伝える上層部と下々との間で柵や蟠りができつつありました。
十年弱その場で働いた私は、無謀にも御老害社員や上司にも喧嘩上等という態度で言い争うことも少なくありませんでした。
筋が通っていないことが、どうしても許せないという私怨もありましたが。
私も正しいとは思わない、だが自分だけが正しいと思うなという思いから、感情を抑えに抑え理屈で口論沙汰になることも珍しくありませんでした。
会社側からすれば、私は相当面倒でブラックリスト入りするような人間だったのだと思います。
それでも、構いませんでした。
表面だけ良く見せようとしていた私に、昔から持っていた負けず嫌いさと理不尽に対する反抗心を呼び覚ましてくれた方々に、私は寧ろ感謝する思いで一杯です。
そして、在職八年目が過ぎ去ろうとしたその日が、遂に来ることとなりました。
神無月の静寂と共に、新たに開けた心境
異動を言い渡された当初の私は、転勤族故の宿命と素直に受け止められることはできませんでした。
あれだけ好き勝手してきた癖に、いざ新天地に行くことを目の当たりにすると、怖くて仕方がなくなったのです。
古巣に戻る前の、地獄と空虚に満ちた首都圏での仕事。その場に行った時、私は自分を保っていられるのだろうか。
こんなことを言うと、私も唯の臆病で内弁慶に過ぎなかったのかと、自分を嘲笑いながら煙草を吹かしていました。
情けない。
そんな、綺麗な言葉も許されないとさえ思いました。
……ダセぇな、私。
自分に対する嫌悪感を引き摺りながら、それでも引き継ぎを終え、私は地元の職場を後にしました。
よりによって赴任日初日が、新型コロナワクチンの二回目接種直後でした。
副反応による発熱と節々の痛み、頭痛の為急遽お休みをいただくという体たらくを晒しました。
こんな私を見て、周りは馬鹿だとか口だけな奴と罵られているのだろうなと、寝床から這い出ることもできずに一人思っていました。
かつての先輩たちも、言い争い喧嘩寸前となった老害も。接種日をずらせないかと、このご時世に無理難題を言いつけた上司にも。
それは、一先ず置いておこう。
何とか回復し新たな職場へ赴いたそこは。
多くの社員が行き交い、誰が何をやっているかもわからない、未知の世界が広がっていました。
最初こそ慄いたものの、時と共に私は思うのでした。
これが、柵も蟠りもない世界なのだと。
そう思った途端、急に構えていた心の力が抜けていくのを感じました。
私はきっと、どこまでも自分本位な人間なのだと思います。
調子の良い時はものを言い、負け確定の状況ではダンマリを決め込んでやり過ごす、そんな汚いやり方しか知らない人間です。
ただ、わかったこともあります。
知らない世界に放り込まれた以上、もう戻れないこと。戻れないのだから、今までの勝手な振る舞いだけでは潰されるだけ。
なら、別の生き方を見つけられるかもしれない。
新たな職場で。
神無月の静寂と共に訪れた、柵も蟠りもない世界で。
上手くやれるかも、これまでの落とし前も付けられるかもわかりません。
ですが今、やれることは。
ただ、真っ直ぐ進むことだけ。
先輩たちが残してくれた、思いを掲げながら。
そう思えば、職場環境が変わることも、強ち悪いことだけではない。そう思える、一歩を踏み出せた気がしています。
最終的に何を言いたいのか、自分でもわからなくなってしまいましたが。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。