【人生・価値観】この世のもの全てに、寿命はある
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例年にない、豪雨に見舞われたお盆となりました。
霊感のない私にはわかりませんが、迎え入れたご先祖たちは、この凄惨な状況を見てどのような思いを抱いたのでしょうか。
答えを求めても仕方がないことに思慮を巡らせること、私は好きです。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
お盆というこの季節、私は四季の中で最も好きな時期です。
ご先祖をお迎えして、数日(仏教の場合は)仏となった先祖の魂たちと過ごし、そして再びあちらの世界へ送り返す。
ヒグラシも鳴き始める8月の半ばは、静かで、暑さも鳴りを潜め始め過ごしやすくなるこの時間は、昔から私は好きです。
これまでの生活が普通であったのなら。
お盆と言えばいつもなら穏やかな、秋空に向かう夏の暑さを惜しむような晴れ空に恵まれてきた、そんな記憶が蓄積されています。
然れど今年はコロナ禍に加えて半ば強行された五輪、そして台風から続く前線の停滞による記録的大雨。
これら全ては様々な災禍を日本にも世界にも齎し、多くの犠牲と命の危機、そして規制などが発生し、今も尚続いています。
亡くなられた方々に哀悼の意を表すると共に、今も災害や新型コロナで苦しむ方々に、お見舞い申し上げます。
かく言う、私の元にも悪いことばかりが数多く降り掛かりました。
まずお盆の入る直前のこと。
冷蔵庫が壊れてしまいました。
私の記憶にある限り、その冷蔵庫は常に我が家の食材を保存し続けていました。30数年前から稼働しておりました。
今の冷蔵庫は冷蔵室、野菜室、冷蔵室の配列が異なっていますが、我が家の冷蔵庫は一番上に位置するのが冷凍室でした。幼い頃、キンキンに冷えたアイスが食べたくても、手が届かない。
椅子を持ってきてよじ登ろうとすると、母や今は亡き祖母に「危ない」と怒られながらも、取って貰ったアイスは夏の暑さを忘れる程のご馳走でした。
それから、体の成長と共に私も歳を取りました。
開けることも困難だった冷凍室は、勢い良く開ければ顔を強打する位置になり。
一番下の野菜室は大きく屈んで食材を取る程になっていました。
何より。私自身が、冷蔵庫本体とほぼ同じ高さになっていたことに、今更気付くのでした。
あんなに大きいと思っていた冷蔵庫。真っ白という、いかにも昭和に作られた本体。コンプレッサーはどう考えても電気を食う大きな駆動音を発して、それでも使命を全うすべく動き続けました。
数十年鎮座し続けたそれが壊れるのは、本当に一瞬のことでした。
そこにいるのが当たり前だった存在が、役目を果たし終えたかのように咆哮を上げるかのように大きな音を出し、冷凍室は保冷機能を失いました。冷蔵室も送風しているだけと呼べる状態に陥りました。
仕事柄、機械には慣れているつもりでした。
しかしいざ、自分と同じように。いえ、見守るように動き続けた冷蔵庫が機能を失ったと理解した時には。
これが、寿命なんだろうな。
妙に感慨深さとも感情的な思いが一気にこみ上げました。
幸い新たな品はすぐに見つかり、翌日搬出と搬入が決まりました。
たかが、家電かもしれません。壊れる時はいつか来ますし、それがすぐか何十年後かの違いだけです。
それでも私は、別れの前夜に。思わず、白くも生活と共に汚れ切った冷蔵庫を抱き締めていました。
そして。
今まで、ありがとう。そう呟いていました。
翌朝の搬出作業は、手慣れた作業員の方々の手でものの5分も立たぬ間に終わりました。別れを惜しむ間もない程、あっという間の出来事でした。
さようならを言うことも思うこともできぬまま、新たな冷蔵庫が我が家の食材管理者となりました。
色も機能も大きく刷新され、まだキッチンに居座る様が溶け込んでおらず違和感さえ覚える程です。
今の冷蔵庫、水を貯めるだけで自動製氷できることを初めて知りました。周りにそのことを話したら、「え、今更?」という顔をされましたが。
新しい家電を招き入れ、食材が駄目になる危機を免れてホッと息を吐く、そんな間もなく。
今度は車が致命傷となる故障を引き起こしました。
これは以前お話ししたかもしれませんが、今の私の愛車ではなく、母の脚となる軽自動車です。
初めて自分の給料で購入し、その後すぐ、廃車を検討していた母に譲渡した経緯のある、私にも母にも思い入れのある車が。
買い物途中でエンジンが全く掛からなくなるという非常事態に見舞われました。
詳細は省略いたしますが、エンジンを起動させる為の部位が何らかの原因で動かなくなってしまったようです。バッテリー上がりではありませんでした。
自走もままならない状態になりかけましたが、翌日ディーラーに預ける為にエンジンを起動させようとすると……昨日まで一度も掛からなかったエンジンが、嘘のように蘇りました。
ディーラーまでの道、運転する私は10年経っているのが嘘のような軽快さに嬉しさと寂しさに浸っていました。
かつて引きこもり気質でインドア派だった私を、外に出て駆け回る楽しさ。車を走らせる喜びを初めて教えてくれた軽自動車。
役目は変わり母の脚となり、病に伏す祖父や祖母の元へ。毎日の買い物へ。仕事場へと、軽々とした機動で母を支え続けてくれました。
ハンドルを握り締めれば締める程、アクセルを踏めば踏むほど、込み上げてくる思いを何とか抑えながらディーラーに預けて参りました。
結果的に、症状は再現しなかったとのことでした。
これはどのことにも当てはまることだと思いますが、症状が再現しない故障や不具合程厄介なものはありません。
部品を交換したくても、再現しなければどこが悪いのかわからない。経験と勘で悪い場所はわかっても、いざ修理して症状が出れば元も子もありません。
結局対処のしようがないと合意した上で引き取りましたが、幸い今日まで、元気に母と共に走り回ってくれています。
しかしながら、私だけでなく母自身もわかっていたようです。
この軽自動車も、来年の車検前には変えないといけないことを。この子も、寿命なのだと。
そんなことが続き家全体でバタついておりました故、ブログを書くことすらままならぬ日が続き、今日に至っております。
落ち着き、この記事を書いている今思うことは。
生きとし生けるものだけでなく、機械や車のような無機物にも、寿命はいつか来るのだ、と。
どれだけ惜しんでも悔やんでも、命が尽きる時は必ず訪れる。それに対して抗うことも、延命しようとも、最期に立ち会わなければならない、と。
私は元々無機物にも感情を抱く性質持ちなので、大袈裟に聞こえるかもしれません。
ですが、突き詰めれば人もそれ以外も、「終わりがある」という点では同じなのではないかと私は思っています。
いつそれが訪れるかわからない。
だからせめて、一緒にいられる時は、精一杯接していきたい。
後悔しないように。何をしても後悔は残るだろうけど、それでも。
自己満足でも構わないから、少しでも悔いを残さないように。
そんなことを思いながら、先祖の魂と過ごすお盆は過ぎ去るのでした。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。