梅雨が終わったと思えば、真夏日を超え猛暑日の連続。
いよいよ夏本番か。
喜んでも良いのかもしれませんが、今年は前年以上に、そのような晴れた気分になれずにいるのは私だけでしょうか。
コロナ禍も、五輪も、何も解決していないからと思うのは、私だけなのでしょうか。
つい先日、すっかり放ったらかしにしていた車のSNSサイトにて投稿を行いました。
日数にして、約半年。その間に取り付けたパーツのレビューやブログを書かせていただきました。
書き終えて、そう言えば最後に車のSNSと向き合ったのは本当に久しいことだと思い返すのでした。
これと言った趣味も持たず、パソコンとにらめっこしてばかりだった私には無縁のものだと、あの時は信じて疑いませんでした。
不特定多数の人間が、しかも車という共通の趣味を持っている集まり。多少車に興味を見出しつつあった私は、覗き見るようなことはあっても決して自ら連絡を取るようなことはありませんでした。
車とい名と姿を持ちながらも。相棒は、私の中で満たしてくれる存在で良かった。
それなのに、私は興味と好奇心に負けてSNSの世界に飛び込んでいました。
初投稿は、確か。
確認してみたら、本当に納車して数カ月後。丁度5年前のことでした。
車についてどころか、それまでインドアもいい所だった私にはSNSの使い方すらままならない状況で、この世界に飛び込みました。
初めて相棒を登録し、自己紹介文を書いて。今は亡きお友達を増やそうと躍起になる一方で、自分が発する言葉に一々ビクビクしていた、そんな思い出が今でも鮮明に蘇ります。
それだけなら、今までの私のままでいられたと思っています。
どうしたら、あんなに飛躍できたのだろうか。
まさか自分から、この足で、相棒と共に。SNSで知り合った方々と共にオフ会に参加するだなんて、微塵にも考えておりませんでした。
始まりは、地元長野の姨捨山。夏の暑さもすっかり冷めた夜のことでした。
SNSで知り合った、顔すら知らない人たちと初めて会ってからの夜空撮影。
カメラの面白さだけでなく、同じアクセラという車を通して知り合った、第一歩でした。
次の日には、今や無二の友と呼べるたーぼぅさんと共にドライブを共にしていました。
この時から私は、車と一緒に過ごす日々が始まった。そう言っても過言ではありません。
そうは言いながら、私の中では「人と接する」ことに対し恐怖を抱いていました。
親しくなった人には、曝け出すことができるのに……相も変わらずビビリの象徴とも言えるような。
対人恐怖症のような怖さを、覚えていた記憶があります。
そんな中、残暑厳しい横浜の地。そこは、私の人生で初めてネット世界から発展したオフ会が開催される場所でした。
集まる同じ車種、知らない人たち。
どうすれば良いのか、それこそ路頭に迷うかのように、私は野に放たれた兎そのものでした。
周りから刺さる視線が、痛くて、怖くて。逃げ出したくても、どうやってその場を離れればいいのか、そんなこともわからなくなっていた私に。
当時まだ(辛うじて)20代だった私に、オフ会参加者の皆さんは、分け目隔てることもせず接してくださいました。
この時、MAZDAが発刊する雑誌の取材が行われ写真を撮っていただいている場面です。
痩せてるな私……じゃなくて、緊張しながらも、同じ車たちに囲まれて、初めて立ち入った私を迎えてくれた人たちに見守られながら。
このような地に立っている当時の自分は、今思えば相当勇気を振り絞っていたのだと思います。
人間を何度も裏切って、裏切られて。人という存在がすっかり怖くなって、二度と関わりなんて持ちたくないと、暗示をかけるかの如く人を避けてきた私には。
オフ会にいらした方々の言葉が、笑顔が、空気が。
全てが、温かくて。優しくて。心地好くて。
それでも私のようなやさぐれて、腐った輩には勿体ない程でした。
受け入れてくださる喜び。有り難み。そして優しさを、再び感じることができました。
それからは不完全燃焼だった青春を引っ張ってきて、まるで燃やし尽くす勢いで、みん友の皆さんと共に、相棒と共に数多くの場所へと赴きました。
本ブログでは上げていない、最近行った場所を例にさせていただきます。
未だに私の中で熱の冷めない、BEASTARSコラボで訪れた東武動物園。
新潟発にして山形まで行く観光列車に乗った、3月の終わり。
残雪と春の息吹溢れる、山形の映画撮影地。「おくりびと」や「おしん」「るろうに剣心」の撮影場所として、或いは撮影で使ったセットが集まる自然豊かな地。
調子に乗って、木刀を下段構えでいる様を撮影していただきましたが……うーん、厨二病の匂いが凄まじい。
それだけでなく。
専門学生時に立ち寄ったに過ぎなかった小田原に佇む、老舗ホテルに宿泊して、カラオケを楽しんで。
バブル期の繁栄をそのまま残す、商店街を撮影しにも歩を進めました。
翌日は初となる小田原市を、この足で友と歩きました。
和と洋が絶妙に絡み合い、どこか回顧心に刈られる松永記念館を訪れて。
翌日には。
癒やしを齎すという高周波オルゴールが数多く集められた、伊豆オルゴール館へ赴きました。
百年単位の年月を経て、今尚私たちの耳を癒やしに包み込んでくれる楽器が、そこには沢山静かに。それでいながら、威厳を放つかのように佇んでいました。
私どころか、両親も祖父母も知らない伝統と画期的技術を盛り込んだ機材が私達を出迎えてくれました。
当時の技術をこの目で見て、感嘆しながら。
丁度いいタイミングで、実際に演奏してくださるという、またとない機会に巡り合うことが叶いました。
これらは全て、円盤に刻まれた凸凹を読み取って一つの曲を。それも自動で演奏するというものです。
ただただデカいオルゴール、と言われればそれまでです。
然れど館内に響き渡る音色は、現代を取り巻く音楽とはまた違う次元を行く音を奏で上げました。(現代の音楽を否定するつもりはありません、念の為の補足です)
人は、死ぬ間際でも音。つまり聴覚だけは最期まで生きていると言われています。
同時に過去に聞いた曲 -例えば青春時代に聴き漁った曲- は特に記憶を超えて残り続けると言われています。
この場所で聞いた音楽は、音響は。
特に聴覚に敏感な、HSPを自負する私には衝撃を通り越して感動を……否、言葉では言い表せない感情を抱く程でした。
ダイジェストで記述した旅だけでなく、知らない世界は、まだこんなにあるということを実感させられながら。
自分が、如何に小さな世界で、抗うように。必死こいているように見せかけて生きてきたことを思い知らされました。
それは、一時は恥として私を苛みました。
でも、そんな恥は本当にどうでも良いことだったとすぐに気が付きました。
陰湿で、人生に対して斜に構える生き方をしてきた私は。
紆余曲折はあったけれど、それでも、湿った生き様を晒してきたことも、いつの間にか受け入れて。
今度はそんな自分を天日干しにする為に、兎に角走り続けていました。
私にとって、車のSNSでのやり取りは。SNSを飛び越えて実際にお会いした方々と過ごす時間は。
安っぽい言葉になってしまいますが、本当に掛け替えのない、何物にも変えられない一瞬一瞬でした。
それが、昨年から一変してしまいました。
新型コロナウイルスという、目に見えない驚異が突然現れて、私たちの行動を有無を言わさず制限を掛けることとなりました。
正直なお話をさせていただきます。
新型コロナウイルスで、オフ会も軒並み中止。
相棒Lupusも、もう弄るところがなくなり維持に向かう過渡期と、丁度重なっていました。
その頃からでしょうか。
勝手な思いから、私はSNSから次第に距離を置くようになっていました。
目新しいものがなくなってしまった、ということもありますが。
車のSNSで知り合った方々の多くが、他のSNSで活動を始めていることを知ってから。
もう、潮時かもしれない、な。
挨拶も何もなく、私はSNSをという界隈から消えていました。
実際に仕事やプライベートで沢山のことがあり、精神的に参っていた……なんて、言い訳になります。
然れど今、これまた勝手ながら情緒も安定して参りました。クルマに対しても、交流に関しても、意欲が再燃してきております。
時間は経ち、来るこの日。
久方振りに訪れた車のSNSにてパーツレビューを投稿した直後から、皆さんから沢山の評価を頂戴しました。
この感覚は、初めてパーツレビューや車の整備手帳を投稿した。
5年前のあの時と同じであるでした。
あの時に染み染みと味わった温もりは、変わらないでいることに、改めて気付かされた今宵です。
確かに、全てが成功だけだったとは言えません。
SNS上でも、実際に対面するオフ会に留まらず。
自分の車を弄るにあたり、沢山の失敗を重ねてきたことは、否定することで自分を消したくなる程の事実です。
ですが。
勢いで飛び込んだ車の界隈、そこで出会った方たちとの出会いは、今でも確固たるものであると私は信じています。
失敗した数も数え切れない程で、その度に落ち込みました。
でも、それよりも次はどうすれば上手くいくかと文献を漁り、時には掛け合い掛け合われたりしながら、私は今ここにいます。
そのようなやり取りがなければ、今の私はなかっただろうと、素直に言える自分がいます。
嘘偽りで固めて生きてきたあの時とは違う。
自分に問いかけても閊えることのない、自負とも自信とも言えるものを持つほどになりました。
きっとこれは、私が私を曝け出すことを切っ掛けに得られた「曇ることのない、私という人間が生きた証」なんだと。
傲慢かもしれませんが、自信を持って言い換えることができることだと自負しています。
十数年……いや、二十年前の私。
イジメに遭って、生きる意味を失って辛かった。
否。辛かっただなんて生温いよね。
でもね。
今日誕生日を迎えて、34歳になる私は、その辛さを駆逐できる喜びを得ています。
だって。
様々な場所で、多くな人たちと出会って。
辛さを飽和できる程の、温もりと優しさに満ち溢れているのですから。
そんな思いを抱きながら、今日この日、34回目となる誕生日を迎えることとなりました。
大分纏まりのない記事となってしまいましたが、今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。
どんな形であっても。
終わった時に笑った者勝ち、だよね?