【生き方・価値観】時に人は、地面を見続けているのかもしれない ~たまには、空を見上げて~
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今年も、早くも半年が過ぎ去ってしまいました。
普段なら「もう半年か」と感慨と寂しさを覚える所ではありますが、今年はどうやら少し違うようです。
率直な感想を述べるとするなら、そうですね。
長い。兎にも角にも長い。
いつまで続くのだろうか。大それた考えすら頭から離れないまま、これまででも特別長い6月でした。
新たな月を迎えながらも、気疲れと疲弊感を覚えている、今宵です。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
久方ぶりとなる投稿ですが、その間も、とてつもなくシンドイ日々の連続でした。私にとって精神的に、心にとっても悪い事態が連続したばかりに、自分と向き合う時間すらまともに取れない程でした。
何もかもが鬱屈で。全てが煩わしくて。世の中全体に、すっかり疲れ切っていました。
そんな環境で、安寧な日々など訪れることは、遂にありませんでした。
正直な所、本気で「これはいよいよ限界かもしれない」と思うほど追い込まれていました。毎週のように週末間際は急な休みを取り、早退する日が続いたことは、紛れもない事実でした。
食事も時間と共に喉を通らなくなっていき、睡眠も薬に頼っているにも関わらず数時間おきに起きてしまい、まともに疲れを取れない。
本当に、何もかもがギリギリの状態でした。
これだけだと、「なんだうつ病の波じゃないか」と腹を括り、これまでの経験と自負で乗り切るだけの自信がありました。
あった、はずでした。
どうやら私は、自分の弱さを軽んじていたと共に。
こんなにも弱くて、情けなくて、どうしようもない脆い人間なのだと思わされることとなりました。
周りを見れば、皆笑っている。本当の笑みか愛想笑いかは、判断も付かない最中。
それでも、「どうして皆、そんなに笑っていられるんだ?」という疑問だけは -邪推もない、純粋な思いで- 鮮明に浮かんで。
そうすることもままならない私自身を恨むように、罵るように、絶望するように見続けていました。
折れないようにする為、抗うつ薬の増量と睡眠薬を新薬に変えて、ひたすら耐える時間が経つ、そんなある日でした。
今年の梅雨は梅雨空らしからぬ、夕立と見紛うような激しい雷と大雨が連続する、ある意味特異な空模様でした。
今日も雨か。それも会社帰りのタイミングで。早く止めよ……そんな気怠さと鬱屈さをお供に帰路に着いた、その時でした。
珍しく、帰社時に辛うじて雨脚が弱まり、薄っすら夕日が雲の合間から覗いていました。
本当にたまたまでした。雨が止んだ空を、偶然ながら見上げた私は、不思議な感覚に入り浸っていたのです。
空って、こんなに雲が浮かんでいたっけ?
曇って、こんなに早く形変えたっけ?
空、こんなに綺麗だったかな?
その瞬間、私はどこまでも広がる空を見上げながら気付きました。
最近、空を見上げたことってあった、と。
いつも憂鬱な気持ちに引っ張られて、代わり映えのない地面しか見ていなかったんじゃないか?
ひたすら地面ばかり見続けてばかりで、少しでも何かを変えようとすることを忘れよとしていたのではないか?
いや、寧ろ。安定した地面を見続けることで、変わろうとしたり変化したりすることを怖がっていただけだったんだ。
そう思ってから、地面から視線を上げて空を見るようになりました。
帰路で使う新幹線の車窓から、雲から少しでも出ようとする陽光を見上げて。
後光の溢れる日差しが、私には眩し過ぎる時もあったけど。
それでも、陽の光はどこまでも私を惹き付けて。
昔の、ヒビだらけの殻に閉じ籠もろうとしていた私を、ひたすらに魅了し続けていました。
そこまでして、ようやく思い出しました。
車仲間の一人が、「辛い時でも、空を見続けることを心がけている」という言葉を。
そうすれば、自ずと状況は変化していくことを。
譬えそれが、良い方向にも悪い方にもなろうとも。
少なからず、現状を変えることができるということを。
以来、沈みに沈んだ私の心が動いていると。それに応じて精神も揺れ動いていることを感じ始めることができてきています。
少しずつ、ほんの少しずつではありますが。
休日の終わりには、愛車と共に晴れ渡った空を写真に収め。
またある時には、車検を終え心身ともに綺麗に仕上がった愛車と、流れる雲が漂う空を撮影しました。
何気ない景色だと思っていた、空。調子が良い時は、見上げても何も思わないことがほとんどなのかもしれません。
しかし色々と参っている時程、人は空を見上げることはないのではないかと思うに至りました。
周りに気負され、圧迫され、生きる気力を失えば失う程、視線は自然と地に落ちているのではないか。
そんな時こそ、たまにでいいから、空を見上げることが必要なのではないか、と。
そうすることで、特別何かが劇的に変わることはないのかもしれません。
でも。
滅入った気持ちと共に目線を地に向けるよりは、常に変化し続ける空を見上げることで、何か得られるものはあるのではないか。この一ヶ月程で、改めて私はそのように思うようになりました。
きっと人は、余裕がない時ほど変化を嫌うのかもしれません。どれだけ辛くても、苦しくても、我慢すれば何とかなるという思いが、時に地面を見続けることに繋がっているのかもしれないと私は考えています。
然れど、そんな時こそ空を見上げれば、雲の形が動物のように見えて面白く思うこともありません。
陽の光が眩しいと、目を細めることもあるかと思います。
暑さのあまり、太陽を憎むこともあるかもしれません。
それでも、変わることを嫌う人間に。特に、私のような人間には。
目的はなくとも、たまにでいいから、空を見上げることが、薬よりも良い影響を及ぼすこともあるかもしれない。
そんなことを思う水無月が終わり、暦は文月へ入りました。
梅雨明けはまだ先になりそうだという予報はありますが、どうやら私は、何とか浮上することが出来始めているような気がしています。
どうやら気分屋で移気の激しい私には、変わり続ける空は大きな影響を齎したようです。
自分語りばかりになってしまいましたが、最後に。
最近、地にばかり目を落としていませんでしょうか。
貴方が最後に空を見上げたのは、いつでしょうか。
空を見上げた時、何か感じることはありましたでしょうか。
朝でも、昼でも。夕や夜でも良いと思います。
皆さんも、気が向いた時に空を見上げてみてください。
心のどこかで引っかかるものがあるのなら、解消できたり感じ方が変わったり。
引っ掛かりや鬱屈した思いが、取り払われるかもしれません。
これは精神が硝子で、メンタルがお豆腐な私からの、細やかな思いと願いと捉えていただければ幸いと思いながら、締めとさせていただきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。