【生き方・価値観】収まらない激情と、落ち続ける自分
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【注記】
本記事では内容のない、愚痴に塗れた私の思いを綴っております。
思考を捨てグチャグチャになった頭の中を、ひたすら整理する目的で書いています。
このことに同意していただける方は、このままお読みくだされば幸いです。
【注記終了】
2021年、早くも半年が過ぎ去りました。
令和という新たな元号が始まり、日本を含めた世界は新たな時代へと踏み出すと思っていた矢先のこと。
新型コロナウイルスという驚異により、逆に文化や文明が退行しているように思えるのは、私だけでしょうか。
この文章を書いている今日は、祖父の十三回忌となるだというのに、向こう側で待つ祖父母は今の日本を、どう思っているのだろうと答えのない答えを求める今宵です。
はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
冒頭からこのようなことを綴っている私は、最近精神やら心の安寧をすっかり忘れてしまったかのような毎日を送っています。
仕事では、押し寄せるかのようにやることづくめ。元々目の前のことに没頭し集中して片付ける私にとって、順番を付けて処理することが苦手な毎日が心を削っていきます。
プライベートはというと、これまで友と共に駆け巡って参りました。しかしながら、それを記事にすることもできず、休日は只々疲れ切った脳を休める為に寝床に横たわる日々ばかりです。
合間に、出るのは溜め息ばかり。親しくしてくださる会社の人たちと話すことすら億劫になる自分。
生きるための金。そうやって自分に言い聞かせて久しいのに、それでも他人を無意識に気遣っている自分がいる。
ほとほと、元来持ち合わせてきた私の性格やら行動指針が嫌になって仕方ない。
人生、良いことは本当に少ない。嫌なことが大半。
だからこそ過去の思い出が支えになると信じてきた私が、最近馬鹿馬鹿しくなって思えてどうしようもない毎日です。
そしてその思い出すら記事にできずに、時間を浪費する私自身に、憤り、呆れを覚えて久しくあります。
いつから、かな。こんな風に自分を蔑む日々が続いているのは。
うつ病を初めて発症して、本気で自分で自分を殺そうとした、あの日以来かもしれない。
あの時と同じように、無駄に過ぎ去る日々を享受しながら、それでいながら燻る感情を嘔吐するかのように吐き出したいのだろう。
そのように自分を客観視している時点で、私は大分おかしいのかもしれません。
上手くいかないことが、生きる上で、ある意味当たり前な今この瞬間でも。
それでもなんとかしようと、足掻くように、藻掻くようにしている自分に、一番苛立っている気もしています。
行き詰まり、息詰まりとも言えるこの世の中で、勝手な思いを押し通そうとして落胆して。湧き上がる激情を制御することもできないまま、結局何もできずに落ち込み精神的に落ち続ける自分が一番許せない。
信じる者は救われる。努力は報われる。明けないトンネルはない。止まない雨はない。
きっと、今の私にはどの言葉も響かないと思っています。十数年前の汚れた現実を前に、諦めてしまったこともありますが。
兎にも角にも、今は抱える思いを吐露することもなく虚無一色な24時間、その連続を繰り返していることに変わりはありません。
夜を迎え、寝床に着くことも。朝日が昇り活動を開始しなければならない。そんな当たり前のことですら、ひたすら「面倒臭い」という思いを忘れることができた日は、ここ最近全く訪れずにいます。
ブログでも、書きたいことは沢山あるのに。
様式だけ作っては、ほったらかす時間がすっかり増えました。
五年前、今の愛車「Lupus」と出会って変わったと思えた自分は。
結局、何も変わっていなかったことを噛み締めています。
何の為に、生きているんだろう、私は。
その答えは、人が教えてくれることではないとわかっていながらも。
心の中では、一度見限った誰かに救いを求めている。
私は、強がっているつもりでも。いつまで経っても、弱いままだ。