【車・趣味】夢は、叶えるもの ~夢を、夢として終わらせない意志~
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書きたいと思うことが溜まっていく一方で。
文字として、文章としてアウトプットするのに、私は時間が掛かるようです。
加えて私は、書き溜めるということを非常に苦手としています。
私の場合、文章として言葉を並べていく中で、一度書いたものであっても「あ、何か違う」「もっと良い言葉がある」と思うばかりに。
文章を書きつつ校正を繰り返すという、とてつもなく面倒な書き方をしています。
もっと的確に、思いを言葉にできれば。
そんなことを願いつつ実現できていない、白兎です。
皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。
過去の記事で「憧れ」というものに触れました。
この時は、憧れ=手に入れることが限りなく困難なものを欲する欲望、と書き連ねました。
私が書いた文章を、見直していく内に。
もう一つの側面もあることに気が付きました。
憧れは、夢と定義することもできるのではないか、ということです。
何故、そう思うに至ったかと言うと。
簡単に手に入ってしまうものは、お金といった対価を払えば手に入れられます。
そういった対価がないからこそ、憧れて、届くことのない夢として認識するのではないか、と思ったからです。
一生叶わないまま、夢で終わってしまうことは沢山あると思います。
ですが、諦め癖がすっかり定着してしまった、他の誰でもない私自身が。
夢を夢のまま終わらせることなく。
叶わないだろうと勝手に決め込んでいた夢を、一度実現できた経験があることを思い出した為です。
今回は、叶う日など来ないと信じて疑わなかった夢というもの。
それを、車のオフ会を通して叶えることができたことについて。
体験談を交えながら、綴っていきたいと思います。
※注記※
本記事は、車のSNSで過去投稿した記事を編集、見直したリマスター版となります。
また本記事は主観的な内容に偏ってしまいますが、何卒ご容赦くだされば幸いです。
※注記終了※
夢は、沢山持っていた
人が夢という希望を抱く瞬間は、数多くあると思います。
物欲だけでなく、才能、地位。
或いは各種伝説と称されるものに、実際に巡り合ったり自分の目で目にする時間が来ること。
それこそ、数えること事態が烏滸がましいと言われるかもしれません。
私は幼少期は、叶えたい夢というものを沢山持っていました。
自分が将来、なりたい職業であったり、なし得たいことを、これでもかと言う程抱えていました。
実際にそういったものを叶えられるかどうかは別として。
数多くの夢や希望に、満ち溢れていました。
しかし、幼少期の夢は、飽く迄夢の域を出ず。
現実は家系的地位や学力、持ち得る金銭がものをいう、かけ離れたものでした。
挙げ句に、人格否定というものを学生時代に受けたことで。
将来というものに、夢というものに恋い焦がれるように生きていた私は。
すっかり、現実に幻滅して、人を疑うようになって。
いつの間にか、かつては沢山の夢を抱えていた自分をも嫌悪するようになっていって。
夢を「幻想」と捉えるようになり、持つだけ無駄なものと勝手に決めつけて。
将来や夢を、全て捨て去るようにして、傀儡のように生きる日々を続けるようになっていました。
もう一度、夢を見始めていた
人生に対し、諦めて妥協して、惰性のまま過ごすことを、最善だと認識して久しく。
青春、という言葉すら体験しないまま社会人となった私は、暫し希望や夢というものを忘却する毎日を送っていました。
夢や希望を持つだけ無意味。そんな詰まらない生き方に怒りが差し込んだ、たった一つの切っ掛けでした。
車という、ただの移動手段とも拘る人は拘るとも言われるものとの出会いでした。
貯めていた貯金を使って、数多く存在する車の中から。
今では「相棒」と呼べる愛車と出会ってから、私は多くのことに対する考え方が変わりました。
MAZDAというメーカーの、アクセラという車を手に入れて。
思いのままチューニングして、走る楽しさや喜びを覚えていく内に。
一度は自分で閉ざしたつもりだった、希望や夢が、再び芽生え始めていました。
そんな中。
MAZDAの車と共に、多くの場所へ出かけるようになって、多くの人たちと出会える程になっただけでなく。
知らぬ間に車を好きになって、カーレースゲームに手を出し始めていく、その中で。
MAZDAを知る者なら、必ず知っている名車の存在を、私は知ることになりました。
その車は、かつて「ル・マン 24時間レース」というモータースポーツ界でも三本指に入るほど有名で過酷なレースの中で。
それまで外車勢が優勝を誇ってきた中で、日本のメーカーとして、そして今や車社会でも希少種と言われるロータリーエンジンを搭載したプロトタイプレーシングカーが、1991年に優勝を飾った名車。
MAZDA 787B
ゲーム内や、動画で数多く上がるその吼えるようなエンジン音は。
時には天使の絶叫とも、サーキットをも轟かせる程、甲高く。
間接的ではありながらも、爆音とは程遠いまでの、美しい音色とさえ、私は思えるものでした。
聴覚から拾う音に対して。
私が抱き続けてきた、生き苦しささえ覚えさせる程鋭く尖っていたり、不安を煽るような爆音ではなく。
この車が奏でるエンジン音は、自分の中で眠る何かを呼び覚ませるような快音であるようで。
それを、いつか自分の耳で、生のまま聞いてみたい。
いつしか夢とさえ思えるようすら、なっていました。
夢を叶えられる日が、突然訪れて
そんな願望を覚えてから、二年後のこと。
ちょうど、今の相棒と呼べる愛車に乗り換えてからのことでした。
宮城県にある、スポーツランドSUGOで。
MAZDA車に乗る人々が集まる祭典として執り行われた、特別なオフ会。
サーキットミーティング in SUGOと称されるそのイベントが開催されることを、車のSNSで知りました。
その内容は、自分が所有する車で、F1を始めとするモータースポーツでもサーキットとして使われる、スポーツランドSUGOを走ることができるという、日常ではとても味わえないことだけでなく。
夢にまで見た、MAZDA 787Bのデモンストレーションランニングが行われるというものでした。
当時の私は、初めて訪れる場所ということだけでなく。
初めてお会いする方々ばかりのオフ会に、参加することを躊躇いを隠せずにはいられませんでした。
しかし、それ以上に。
叶えられないと思っていた夢が、一気に叶うかもしれない。
その思いに刈られるように、私はオフ会に参加しました。
夢見た地を訪れて
サーキット会場でのオフ会は初めてだった私には、何もかもが未知の世界であり、幾ばくの不安と高揚感に包まれていました。
オフ会前日の夜に降った雨で汚れた愛車を洗車し、受付場所へを経て。
そのままスポーツランドSUGOへ入り、既に会場入りされていた皆さんと挨拶を交わしながら、早くもイベントの雰囲気に入り浸りました。
今回はMAZDAファンミーティングということもあり、盛り上がった会場の空気も、会場にいらした人々の数も……全てが圧巻でした。
自分は今、レーシング会場であるスポーツランドSUGOに来たことを、改めて噛みしめました。
誰かに誘われた訳でも、強制された訳でもなく。
他ならぬ、私自身の思いと願いで。
各パーツメーカーの出店や展覧会場を見回りつつ、私の愛車であるアクセラが、実際
にサーキットを走る時間。
パレードランの時間を、待ちました。
その間、初めて見る名車たちに巡り合うことができました。
数々のレースを制覇した、サバンナRX-7。
数十年前という歴史を刻みながらも、未だロータリーエンジンの名を語り継がせている、サバンナRX-3
そうこうしている内に、会場内を、猛るようなエンジン音が響き渡りました。
身体の底から揺さぶられるような、凄まじい轟音。
しかしながら、心地好ささえ覚える快音。
紛れもない、走行前調整する787Bのエンジン音でした。
動画でしか聞いたことのなかったその音は、生きる伝説の名に相応しいものでした。
この時、奇しくも雨がぱらつき始めていました。
唯でさえ希少な、787Bを走らせられるかどうか、微妙な天候となっていました。
それでも、夢として抱いた787Bが疾走する様を。名車が奏でるエンジンの音色を聞きたいという思いは、最後まで捨てられずにいました。
787Bのアイドリング作業が行われる中。
私は車仲間と共に、ある方に出会う瞬間を狙っていました。
デモンストレーションランニングで787Bのドライバーをお勤めになる、その人は。
ミスタール・マンこと、寺田陽次郎さん。
デモンストレーションランニングの直前のお忙しい中、あたかも突撃取材の如く寺田さんへ直行し。
願っても見なかった、サインを頂戴することができました。
さらに、記念撮影まで嫌な顔一つせず応じてくださいました。
世界三大24時間耐久レースを完走し、世界のレースで優勝してきた屈指のドライバーでありながら、快く応じて下さるその器の大きさと寛大さに、心打たれました。
その後はアクセラパレードランニングの準備に入り、愛車の周りで待機していました。
そこに響き渡る、あの快音。
猛々しくも優雅でありながら、吼えるような787Bエンジン音。
MAZDA 787Bの走行が始まっていました。
遥か遠くに見えるコース上を走っているはずなのに。
サーキット場のどこを走っていても、心の底から揺さぶられる程美しく、会場全体をも響かせ轟かせる音色でした。
近くでの撮影は叶いませんでしたが、遠巻きから見えるその勇姿。
いつかは叶えたいと願っていた夢が、一気に叶った瞬間でした。
そして今度は、いよいよ愛車と共にサーキットを走るパレードランニング。
多くの名車たちが駆け抜けたサーキット場を、愛車と共に駆け抜けていく。
20分程の時間ではありましたが、始めは緊張で一杯だったものが、走り抜けて行くにつて、高揚感を覚えていました。
これが、サーキットを走る喜び。愛車と共に走る歓び。そして言葉では言い表しきれない昂ぶる気持ち。
夢としか捉えられなかったことの数々を。
この時に、ほとんど全てを叶えられることができました。
夢を、夢で終わらせない意志
これまで私は、夢なんて持っても叶うはずがないもの。
持つだけ持って裏切られる位なら、持たない方が良いと、そんな風に思っていました。
ですが。
この体験を通して、それは「夢が叶うことを、ただ待っているだけ」なのだと、実感しました。
夢は、叶うのが待つのではなく、自分から叶えにいくもの。
今は、そう思っています。
時には、立ち止まってしまう時もあるだろうけど。
私も、愛車であり相棒であるLupusも。
どこまでも進んで行ける、そう確信した瞬間でした。
ここまで体験を元に綴って参りましたが。
夢に思ったことが、夢として終わってしまうことの方が圧倒的多数であるのは、事実なのだと思います。
それでも。
一見届かないように見える夢であったとしても。
自分の勇気や意志、決意によって。
夢を現実にできることができるのではないかと、私は思うと共に信じています。
何をしても無駄。何をしても変わらない。
そう思い込んできた私ですら、切っ掛け一つで夢を叶えることができました。
それがもし、皆さんが持つ夢というものに照らし合わすことができるのであれば。
夢は叶うことを待つだけでなく。始めから叶わないと諦めるよりも。夢として終わらせるものでもなく。
私のような、かつて希望も夢も捨てた人間でも。意志次第では、叶えられるかもしれないものであると思っています。
夢を、夢として終わらせない。
その大切さを学んだ、私の中で大きな出来事を元に、綴らせていただきました。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。