【人生・憧憬】憧れ 〜自分や周りから、得られなかったもの〜
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新型肺炎の爆発的感染によって、様々な情報が錯綜しています。
私が通う会社でも、本日より集合型研修や会議の中止が決定されました。
当たり前だった日常が、いとも簡単に瓦解していく。
それが怖い、というよりも。
「当たり前」という言葉で塗り固められたことなど、切っ掛け一つで崩れ去ってしまう脆さ。
誰もが信じて疑わなかったものが容易に壊れてしまうことを目の当たりにして、「そんなものか……」などと悲観するようにブログを綴っている、白兎です。
皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。
唐突ですが、皆さんは憧れるものはありますでしょうか。
スポーツ会や芸能界で活躍する人たち。聞いているだけで時を忘れさせてくれるアーティストたち。絵画で思いを伝えられる画家や絵師たち。
人だけでなく、物にも憧れを抱く方もいらっしゃるかと思います。
とても手が出せない程のスーパーカー、高級な腕時計やバッグといった品々。
もしくは、何億円という想像も付かないほどのお金。
憧れ、という言葉だけでも。
人の数程、その対象は存在しているかと思います。
私にも、少々特殊になりますが、憧れるものはあります。
そうやって考えていく内に。
私は人が憧れるものには、共通点のようなものがあるのではないか、と考え始めて参りました。
今回は、憧れることや憧れるものについて、綴っていきたいと思います。
簡単に手に入らない。だから「憧れる」
憧れるもの。
それは他の動物では持ち得ないとされる、理性や価値観を持つ人間だからこそ持つ考えや思いであると、私は考えています。
では、どういったものに対して人は憧れを抱くのか。
私なりの答えとしては。
憧れを抱く人が持ち得ることができなかった才能やカリスマ性、外見的美形といった、努力だけでは獲得できないものを持つ人に、憧れる。
物の場合は、お金だけでなく自身の環境や立場から見て、どう足掻いても手に入れることはほぼ不可能に近い物に、憧れる。
そういった思いの先にあるものは。
所有欲ではないかと、個人的に思っています。
人の才能や美形であっても、果てしなく高額なものであっても。
手に入れられないことは百も承知であっても、諦めたり目を逸らすことができないもの。
簡単には手に入れることができない。だからこそ、憧れという感情や思いが芽生え、追い求めるのではないでしょうか。
存在しないものに、憧れることもある
現実的な人や物に憧れを抱く一方で。
「この世に存在しないもの」に憧れを抱く。
そういうものもあるではないか、と思い始めています。
例えば、ゲームや漫画、アニメの主人公や登場人物。
無類の強さを誇っていたり、その世界で全てを魅了する美形、容姿を持っていたり。
もしくは弱々しいキャラクター性故、愛でたい、守ってあげたいという感情が迸ったり。
架空の存在に憧れを求めることは、気持ちが悪いことでも忌避されることでもないと、私は思っています。
何故なら。私がその一人だからです。
私は、自分だけでなく、周りに。
特に家族に求めても、得られなかったことが数多くあります。
特段、父親という、子供から見て男性というものがどのような存在で、どんな立場でいるものか。
時には厳格で、時には優しく、世の中を知らない子供を導く存在であると思っていた親というものを。
私は、反面教師という側面以外で。実の父親から学ぶことは、何一つありませんでした。
現実で見て、知って、育って。
私はヒトという種族の男性像、父親的存在を学ぶことができませんでした。
それでも尚、自分という存在に反映することができなかったものを、補完するような形で。
私はケモノという存在に、自分の理想とする男性像を思い描き、憧れすらもつ存在となっています。
動物が直立歩行して、人の言の葉を使いこなす、架空の存在。
単に外見の美しさや、ヒトにはない毛並みや獰猛さに惹かれる。
いわゆる「萌え」としての感情も、確かにあります。
それ以上に。
憧れというものは、自分や周りから得られなかったものを自己補完する形でもなり得ると思うと共に、信じています。
憧れるものが、もし手に入ってしまったら
話を戻します。
現実に存在する、人や物。
或いは現存するはずがない 架空の存在。
これらが、もし仮に手に入ってしまうようなことがあれば、皆さんはどうなるとお考えになるでしょうか。
私の中での「憧れ」の定義は、努力やお金といったものでは簡単には手にすることのできない存在や物であると考えています。
どこかで聞いた話ですが、「夢」と「希望」の違いに似通っているかもしれません。
これは別記事として上げていければと考えていますが、努力や生き方の改善次第では手に入るかもしれないものが「希望」であるとするなら。
どれだけ頑張ろうとも、模倣で誤魔化そとうとしても、容易には手にすることはできないものが「夢」であるとされているそうです。
憧れを抱く物やが、状況によっては簡単に手に入ってしまうであるならば。
それは、本当に憧れるものなのでしょうか。
逆説的に申し上げるとするならば。
憧れるものを追い求めて、尊敬や好意に似た感情を覚えながら。
それを追いかけることが、ヒトの生きる糧になり得るかもしれません。
もしくは自分や周りから得られずに悶々とした思いや感情を、疑念を抱いて始めて。
その答えを、憧れる存在を見つけることによって、少しずつ見出だせるようになれるのかもしれない、と思っています。
憧れ、憧憬。それがあるからこそ、生きていられるのかもしれない
現実を生きること。
会社で働いて、お金を稼いで、相応の生活を送る。
現代に生きる人間として、当たり前のことかもしれません。
ですが私は少なくとも、そういった生活に満足して順応することができない人間です。
手に入れたいと思うものを、いつか手中に収めた時を想像したり。
憧れる架空の存在、それが手に入らないことがわかっているとしても。
私は、仕事はそれなりにこなしながら。
憧れを求め続けていきたいと願いながら、追い求め続けたいとさえ想ってています。
言い換えられるとするならば。
憧れという存在があることで。
下手にそれを妬んだりしない限りは。
生きる為の、時には目標にすらなるのではないか。
私はそう感じるようになりました。
一生手に入れることができなくても、構わない。
でも、いつか手中に収められる日が来ることを切に願う。
相反し、葛藤のようなものにも見える思いも。
惰性ではなく、自分の憧れが指標や目標となって、人生を歩むものになると感じると共に。
喩え過去や現在において得られなかったものを補う存在として。
表向きに出すことはないかもしれませんが。
各々が憧れるものを抱き続けることも、大切なことなのではないでしょうか。
今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。
それでは、また次回まで。