白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】曇りなき霊峰に想いを馳せて ~限りなく広がる空と、見下ろす街並みが心を洗い流す~

 今シーズンの冬は例年以上に冷え込む、と予想されていました。

 予報通り風が5m以上と強く吹く日も少なくなく、日が暮れ数時間後に帰った自室が10℃を下回ることがざらになってきております。

 一方で晴天率の高い地に住む身とは言え、雪が積もるどころか被った程度で済んでいるのは、今日まででたったの一度きり。それよりも怖い路面凍結は、今の所ありません。

 今年はもしかすれば、寒害や雪害は多くないかもしれない。胸を撫で下ろしながら、他方で地震や他国での噴火といった災害が顕在化している現実があります。

 かつて体験してきた大地震、水害、大雪。

 そういったものが単なる杞憂であることを胸のどこかで思いつつ、雨降る音を背景音にしながら静かな夜を堪能しております。

 

 

白兎5

 

 

 はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 前日研修が夜勤に重なってしまったことで、急遽お休みが増えました。

 研修そのものは言及するまでもない内容でしたが、連休となったことで伊豆の地を訪れ、この記事を書き連ねています。

 

 時系列的には前後するだけでなく、本来なら続く内容になりますが、一旦旅行記を締める意味も込めて富士を巡る旅行記を終えたいと思います。

 前回の翌日、新たに加わった方との交流を経ながら富士を拝み。

 そこから見下ろす街並みのこと、相も変わらず威厳を誇る富士。

 そして、旅を終えてから愛車に関わる衝撃的な事実を知ったことを、綴って参ります。

 

 

 

 

 新たな出会いと共に向かう、伊豆スカイライン

 

 明くる翌日、この日も雲は多めながらも晴天に恵まれました。

 秋らしくも冬らしい、生物の終わりを遂げる匂いを感じながら。

 乾き切った空気が、煙草を吹かす喉に染みて、思わず噎せ返る陽気。

 

 この日はたーぼぅさんと共に、伊豆の地を出、熱海にて初めてお会いする方と共に伊豆スカイラインへと向かうことになっておりました。

 

 その方はケモノの着包みを纏う一方で、熱海の地がこの上なく好きで堪らないと仰る方でした。

 たーぼぅさんは何度かお会いする機会があったようですが、初めてお会いするというプレッシャーの中、その方を迎えることとなりました。

 この出会いが、後に大きな発展を遂げることになるなど、知る由もなく。

 

 しかしながら、当時の私は相変わらず、内向的で警戒心の強さを捨て切ることはできず。

 何度体験しても慣れない緊張を抱えながら。

 会った瞬間にでも仲良く接することができる人を羨ましく、一方で妬ましささえ抱えながら、合流を果たしました。

 

 道中楽しめたか、と言われれば嘘になります。

 然れど向かった先に広がる景観は、私の詰まらない嫉妬心が如何に小さいことであるかを知らしめることとなるのでした。

 

 

 伊豆スカイラインから見下ろす街並み

 

 地理に疎く、未だに見知らぬ地で方向感覚が狂い居場所すらわからなくなってしまう私に、たーぼぅさんと初見の方に案内されるがまま車を走らせていました。

 実は同乗した方は熱海の地がこの上なく好きと仰っていました。

 山と海、島。それが凝縮された熱海の地が大好きで仕方ないそうです。

 何度も熱海の地のみならず、伊豆スカイラインから伊豆の地まで熟知されていらっしゃいました。

 

 運転している最中は警戒と嫉妬で一杯一杯な私でした。

 終始無言のまま、車内には親しんだ会話が響きます。私は、それを聞き流すのに精一杯。

 初対面の相手に対し、敵意に似た無言を貫く自分の姿勢は、本当に無粋ですし大人げないな、と自ら嫌悪することしかできずにいました。

 

 しかし、そんなことは。

 熱海の街並みを背景に駆け上がり、伊豆スカイラインに入り混んだ後のことでした。

 

 とある場所から見開かれた風景と、見下ろす街並みを見た途端に。いつまでも私を掴んで離さない思いや行動指針が、如何に詰まらなく矮小なものであるかを思い知らされることとなりました。

 否、そんなことさえ考えることも忘れ去ってくれる、寛大さとも偉大さとも呼べる景観が、そこには広がっているのでした。

 

 

 辿り着いたそこは、熱海日金山霊園。

 霊園の名の通り、亡くなった方のお墓が並ぶ、神聖な地。

 一方で車で乗り込む反対側からにはロープウェイが走っており、更に敷地内はドッグランもあることから、公式でも「行楽での利用にも最適な場所」と謳っている程です。

 

 

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 内勤族である私にはキツい、両足が悲鳴を上げる上り坂の先には。

 草木の緑と青空、遠方の山々が溶け込み合う、厳かでありながら柔和な空気が流れていました。

 

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 晴れ渡り日差しの厳しさもありましたが、季節に似合う涼しげで静寂な雰囲気に包まれておりました。

 更に歩を進めた私たちは、ロープウェイの最終地点であり展望台になっている場所に行き着きました。

 

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 四方はおろか、八方が開け、方角ごとに見下ろす先には人々が住み行き交う街並みの景観を拝むことができました。

 ここは旧地名が書かれたプレートが埋め込まれており、条件が揃えば各地を見下ろすことも可能のようです。

 

 伊豆・駿河・遠江。現在の静岡県。

 甲斐。山梨県。

 武蔵。東京都、神奈川県、埼玉県の一部分ずつを総称していた地。

 相模。神奈川県。

 安房・上総・下総。千葉県。

 信濃。長野県。

 

 旧地名の数から十国峠と呼ばれています。

 現代においても場所によってどの地名が取り上げられるかで違いはありますが、旧地名が語源になっていることを示していることがわかります。

 

 歴史に疎い私ですが、江戸時代から明治黎明期に渡って語られた各地の古称。個人的には、現代の県名よりも惹かれる不可思議さを持っていると信じて止まない自分がいます。

 

 その実は幼少期の頃。ファミコンの「くにおくん」シリーズの「時代劇だよ!全員集合」というゲームを夢中で遊んでいた時期があったことに起因します。

 小さい頃では理解していなくても、(ここではゲーム内容に準じた表記をいたします)「するが」「こうづけ」「りくちゅう」「えっちゅう」といった日本の旧地名を巡りながら敵を倒していくという内容でした。

 それぞれの地名に沿ったマップ、その地に愛される盆踊りや民謡音楽をアレンジしたBGMは、何十年過ぎた今も耳に残っています。

 

 そんな些細でありしょうもない記憶が、まさかこのような地で彷彿することなど想像することもなかった私は、先程までの緊張を忘れ思わず舞い上がっておりました。

 今回初めてご一緒した方(以下、隊長殿)との会話も自然と弾むこととなりました。

 

 話を少しずつ、然れど確実に広げながら、見下ろす街並みをカメラに収めていきます。

 

 

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 確かこちらが、熱海方面だったはず。

 

 ……方向音痴+地理苦手で泣けてきます。ココドコー?

 

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 HDRを効かせて、もう一枚。少しシャープになり過ぎたかもしれませぬ。

 

 風景を楽しむ暫しの時間の後、場所を移します。

 この日の最終目標である、富士山を収められる場所へと。

 

 

 唯只管、鎮座し日本を見下ろす霊峰

 

 霊園を後にし、車で十数分走らせた場所。

 入り口が少々入り組んではいましたが、広い駐車場と開けた草原が広がる地に、私たちは降り立ちました。

 先程の霊園よりも海側により近く、熱海はおろか伊豆半島さえも垣間見ることも叶いそうな地。

 まずは、海岸に向かって何枚か。

 

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 初秋ということもあり、大地に茂る草木は青々しさと土の匂いを残していました。

 その先に見える海も霞むことなく、蒼穹の空とは違う青を魅せています。

 登った距離で言えば大したことはないのに、標高では700mを超えているそうです。

 普段山間部で暮らす私には、目の当たりにする景色そのものが不思議でならない造形であることを覚えています。

 

 それでは、反対側へとカメラを向けます。

 

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 天辺は流れ雲に覆われているのか、それでも雄大な富士山は微動だするこなく鎮座していました。

 ここから数ヶ月もしない内に、雪を被り白く染まる直前。地元の方や見慣れた方からすれば珍しくないものなのかもしれません。

 

 しかし、私には。

 富士という霊峰は、地元の山と同じ。

 否、一層深い思い入れがあります。

 

 以前も紹介したかもしれませんが、既に数年前のこと。

 車を持つことは地元事情として仕方がなかった、という強制感がある中で、外に出ることを嫌い人と出会うことを格段嫌っていた私という存在そのものを変える出来事があったからです。

 

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 まともに県外に出ることもなかった私が車のオフ会に参加したことを契機に、初めて伊豆のちを訪れた際に撮影した相棒と富士。

 この時もまだ、私は親しくなったと思える……いや、違う。

 親しくなりたいと願った人でさえ、疑って。疑いの奥に裏切られることへの怖さと。

 もう一度裏切られるようなことがあれば、もう世の中とさようならしても良いよな、という独善的な考えが支配する中。

 たーぼぅさんが紹介してくださった伊豆の西の地で、相棒と富士を撮影できた、私の中では奇跡の一枚。

 今でも、この写真を超えるものは私の中では存在しません。

 

 相棒は人間不信だった私を、様々な人との縁を結びつける縁結びのような存在になってもいました。

 言葉では書き切れない程の、裏切り裏切られを繰り返してきた私にとって、許されるのだろうかと思える程の縁を、この子は齎してくれました。

 

 必ずしも楽しくて幸せだけではありませんでしたが、苦くて後味の悪い思い出も含めて。

 

 もう一度、相棒であるこの子と富士を収めたいという思いに刈られて、何枚かシャッターを切りました。

 

 まずは手軽に、相棒を数枚。

 

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 晴れ渡る空にも、曇り空にも、チタニウムフラッシュという地味で渋いと評価される色合いが似合います。

 

 最後に。

 

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 本当は愛車だけを入れたかったのですが、他の来訪者もいらしたので、そこは妥協。

 遠目ながらも、富士の元に停まる相棒を収めることができました。

 

 しかしながら、どうしてでしょうか。

 楽しい旅行が、ストレスを発散する旅だったはずなのに。

 

 人を撮ることは元々嫌う私が、それでも景色を撮って満足しているはずなのに。

 なのに。

 いつもどうして、文章にできない想いを抱えてしまうのだろう。

 

 穢れ切った世の中や社会、会社で積もり積もったものを洗い流して。

 それで満足すれば良いのに。

 

 私は、何でいつまでも、想いを馳せるだけで留まらないんだ。

 虚しさにも似た感情を抱えるんだ。寂しさなんてわからないのに、もどかしさのようなものが胸に詰まるんだ。

 感情なんて、ない方が楽だってわかているのに、どうしてなんだよ。

 

 

 カメラと共に視線を下げ、勝手な思いに浸る私に、友人の声が掛かり我に返っていました。

 声の方向を向いて、最後に一瞥するように霊峰へと振り返りながら。

 

 

 また会った時、私をどう迎えてくださるのかな……?

 

 

 微妙に湿って歪んだ視界で富士を見、その後私たちは旅を終え街へと降りていくのでした。

 

 

 この旅は、ちょうど職場も変わり精神的に不安定な時期でありました。

 たーぼぅさんのお誘いの元、安定を求めて向かった先で、全景と言えずとも邂逅した富士。

 

 今回の旅でも、新たな出会いがあり。

 一ヶ月もしない間に、大きな出会いを齎すこととなりました。

 

 それはまた、別のお話。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】初秋を味わう旅・芒と富士編 ~秋風に吹かれ、靡く景色~

 師走ですね。毎日寒い日が続いておりますね。

 新型コロナに始まり、終息に向かいつつあると思い始めた矢先に新たな変異株の出現。一年の終わりまでまだ一ヶ月あるとは言えど、2021年もコロナに始まりコロナに終わる、そんな予感がしてなりません。

 

 とは言え、秋以降から人流が活発になり始めたということは、パッと見て良い傾向にあると思います。

 

 が。

 

 新幹線、旅行バッグを持った年配者多くありません?

 

 

白兎5

 

 はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 

 世間ではネット上でもブラックフライデーという名目で商業作戦を展開し、消費者にお金を落としてもらうことが、すっかり常套となったようです。

 皆さんも、何かお買い求めされましたでしょうか。

 私は少し借金気味になる程度に買い過ぎました。買い物依存症かも……

 

 

 さて、今回は次回の続きを綴って参ります。

 既に12月に入ってしまいましたが、初秋を味わう旅路。

 芒野と晴れ渡る空の元聳える富士山を拝んだこと。

 新型コロナの蔓延ですっかり忘れ果ててしまいかけていた、自然の美しさに触れた旅路を、書き連ねていければと思います。

 

 

 

 忘れかけていた、旅への想いと熱望

 

 朝を迎え、私は久しく深く眠れた満足感に覚えながら目を覚ましました。

 日を遮るカーテンを開けると、広がるは雲ひとつ無い伊豆の朝が広がります。

 肌寒いことはわかっていながら、私は徐に窓を開け、そして煙草に火を点けました。

 

 煙草の煙と共に、程よく冷えた朝の空気が肺を満たしていく。

 地元では窓を開けて寝れば風邪を引くこと待ったなしという季節に差し掛かっていたこともありましたが、それでも湿気もなく澄み切った空気は見に染みていきます。

 何故か、久し振りという名が付く思い出の数々のようなものが脳裏を掠めていく中、深く吸った息を紫煙と共に吐き出しました。

 二口、三口目立ったでしょうか。

 遠出して、出社にも身内にも縛られない自由な朝。

 当たり前に漂う大気でさえ、どこか、懐かしさを抱く感覚。

 

 人を嫌い恐れる余りに、殻に閉じ籠もっていた私が。

 車と出会い、同じ趣味を通して仲間というものをもう一度知って。旅することが好きに魅了された、この数年間。

 新型コロナが、それまで当たり前だったものを全て壊して壊死させ、良い意味でも悪い意味でも全てが新鮮に思わせるようになった世の中が過ぎ去る中。

 

 たった2年であったコロナ禍は、大きな傷跡と影響を残し、今も尚災禍を振りまきつつあります。

 それでも私は、また帰ってこられた。

 会社での飲み会が中止され、人との交流が強制的に隔絶される世間体。私はそれを歓迎さえしていました。

 

 然れど、一方で。身勝手な理由でも、やりたいことを。

 自分がしたいと思える時間に、また戻ってくることができたことを、心のどこかで喜んでいる自分がいたことは事実以外の何ものでもありませんでした。

 思わず口元を緩めた私は、寒気を帯びる外気に向かって、再び紫煙を吐くのでした。

 

 

 揺れる芒、動かぬ富士

 

 この日はたーぼぅさんと共に、芒と富士を撮りに行こうと車を走らせることになりました。

 夏場はともかく、伊豆や熱海は地理的に雲が発生しやすく全景を撮るには真逆の方面から撮影を試みた方が良いという話を、これまで何度か耳にしておりました。

 言い換えれば、何時間も掛けての移動を伴うことを意味し、更に天候が良好という条件が重ならなければ無駄に終わる可能性すらあるということでした。

 

 ならば、ということで。

 構わず、雲隠れし易い近場から富士を拝めることに賭け、たーぼぅさんの愛車と共に出立しました。

 

 悪天候に見舞われた例とし、過去の記事に載せてあります。宜しければご覧いただければ幸いです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 互いの、日頃から募る疲れから出発をギリギリまで遅く調整し、時間を掛け、伊豆スカイラインを目指し登っていきます。

 天高く登る陽の光が肌に刺さる感覚が、友人の愛車の中で他愛も無い話しで盛り上がることが。

 つい先日であったかのようにも、何年も昔であったかのようにも感じられる不思議な思いに駆られながら、私たちは撮影場所にピッタリという場に到着しました。

 夏至から三ヶ月経とうとしているこの時は、夕暮れまでの時間を自ずと早めていました。標高も軽井沢並に高いことも相俟って、吹き付ける風が体温を否応なく奪っていきます。

 そんな条件だったからでしょうか。

 

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 芒を下に、木々の合間から見える富士は雲を被ることなく、その威厳を漂わせる姿に巡り合うことができました。

 

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 少し引き目にし、もう一枚。富士山は霞んでしまいましたが、日を受け朱に染まる芒を収めることができました。

 花札にもある芒は、秋の代名詞。人を惹き付けるような花を付けることもなければ、色彩は地味な植物です。

 ですが、これから冬へと向かっていくことを象徴するかのように真っ直ぐ立つ芒は、個人的にはとても惹かれます。

 

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 喜劇よりも、悲劇。冬から春へ、春から夏へ向かう緑陽のような勢いはありません。

 元気付けられる印象は希薄で、哀愁を思わせる雰囲気。

 もう数ヶ月もすれば、今年も終わりか。

 

 そう思った時、風が吹きました。 

 

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 風を受け靡く芒の音だけが、静かに辺りを支配していました。

 乾いた音。余りにも無味で、然れど同じく乾燥し切った心に、いつまでも残響が木霊するような感覚は、今でも覚えています。

 人がいない場で、初秋を堪能する時間。

 内心燻ることが多かった精神に、妙に染みるものがありました。

 

 

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 そして好例の愛車撮影。たーぼぅさんの愛車こと「Camino de Esperanza(希望の道、の意)」は夕日を受け、純白のボディが一層輝きを放っていました。

 私の相棒と、ほぼ真逆の色と名を持つこの車。パワートレイン(主動力)からボディ形状も違うのに、車内は違和感なく快適で力強さと靭やかさが光る走行性能を持っています。

 

 この車に、オーナーであり友人たるたーぼぅさんに、私は果たして何度救われたことか。

 その恩返しにもなりませんが、翌日は我が相棒を出すことを約束し、この日は別れることとなりました。

 

 まだ見ぬ富士の絶景地がある。

 その言葉を耳に残し、移動先のホテルの床に着くのでした。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】初秋を味わう・熱海の夜景編 ~新型コロナが蔓延しても、変わらぬものを求めて~

  自室や愛車の窓に、朝露に濡れる日が増えて参りました。見ているだけならば寒さの訪れ、四季の移り変わりを感じる一場面です。

 少し前まで、愛車のフロントガラスにサンシェードを装着することが必須だと思っていた矢先、今では結露を拭う為にワイパーを動かすとガラスが一気に凍り付いてしまいます。

 雪の心配はないとは言え、路面凍結の可能性が否定できなくなったことを鑑みて、一気に所有する三台の車をスタッドレスに換装いたしました。

 

 空気圧も各々にやってもらい、これで一安心。

 

 安心と引き換えに、腰と背中がとにかく痛ぇ。

 

 いつの日か、身体のガタを言い訳にタイヤ交換も億劫になる日もあるかもしれない。

 でも今は、私の生き様そのものを変えてくれた。

 否、もっと単純で純粋な思い。

 車を通して、様々な人と出会ったことで人生が変わったと言っても過言ではない。

 何よりも、純粋に、車がというものが好きになったから。

 余程身体が言うことを聞かなくなってしまわない限り、車に尽くせることは尽くしたい。

 

 愛車は勿論。

 身内の脚になる限りは。

 

 それでも、ァラフィー前の腰は今も引かないながらも、職場と実家を行き来する毎日を過ごしております。

 頑張れ私。

 

白兎5

 

 はい皆さん、こんばんは。

 話は全く変わりますが、銀軸のメカニカルキーボードを買ったはいいものの感度が良すぎて誤字脱字の嵐に飲まれ勝手に泣いている【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 

 タイピングの軽さを最も重視してきた私ではありますが、パンタ式のものがどうしても軽過ぎる。そして贅沢ながらもタッチ音が安っぽいと思うようになって以来、思い切って初となるメカニカルキーボードに手を出してみました。

 感度が良すぎるものの、一昔前の業務用ワークステーションを思い出させるかのような、カチャカチャと喧しい程のタッチ音が部屋中に響きます。

 人によっては五月蝿いと感じるかもしれません。しかしながら個人的に、打ち応えの感覚といかにもメカメカしい音、惹かれるものがあります。

 

 音に敏感ながらも、好意的な音と申し上げれば良いのでしょうか。

 妙な表現にはなりますが、どうやら私は、機械的な音にフェティシズムがあるようです。

 下記のものが、試しに購入し使わいつつ使われている品です。

 

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 さて、前回の記事では旅行記について久しく綴りました。

 実はその約一ヶ月前に、伊豆と熱海を目指し愛車を走らせておりました。

 

 その時は緊急事態宣言真っ只中、新型コロナウイルスのワクチンも一度目の接種を終えた頃のこともあり、公にすることを躊躇い記事にすることはやめようと考えていたものでした。

 

 しかしながら。

 旅に出た事実は事実。

 隠すことはできても、なかったことにはできないこと。非難されようとも、弁明の言葉などはございません。

 

 前置きが長くなりましたが、今回は前記事の前日談となった、初秋を味わった旅路について綴って参ります。

 これまで何気なく見てきた風景や情景などが、また違った視点で、角度で見えたことも、併せながら。

 

 

 

 

 積もりに積もった欲望のままに車を走らせた

 

 一時は新型コロナウイルスワクチンについて、先進国中でも接種効率の悪さを指摘され「後進国も同然」と皮肉られた時期もありました。

 ですがここに来て、地域差はあるももの、それでも現在の日本は二回目接種完了値が大方七割を超えた、とのこと。これは世界中の国々の中でも上位に位置してきている、というのがマスコミ各社からの情報のようです。

 

 相変わらず報道機関は掌返しが巧み、流石マスゴミと揶揄されるだけある。

 

 然れど事実、公表される情報を見る限りでは「少なからず」これまでの日常が取り戻りつつあります。

 

 

 人によっては、一応の指標となる感染者数や重症患者数を見て楽観的になるのが、或いは普通なのかもしれません。

 これまでの状況が、目も当てられない程だったことを踏まえれば。

 現に公共交通機関は日に日に利用者が増え、新幹線も満員御礼に近い状況を目の当たりにしております。

 

 

 私はと言えば、そのような世間の評価は然程気にすることなくここまで過ごして参りました。

 

 出掛けたいと思えば出掛けていましたし、お誘いがあれば便乗してきました。それが善悪で判断されても、気が向けば車を走らせて。

 逆に気が滅入って身動きが取れなくなっていた時は、部屋に籠もって充電する。

 

 飽く迄、私の行動指標と意志に。

 もっと端的に申し上げれば、生きる上での自分の正直な思いに沿って過ごして来ました。

 

 それが、いつの日か少なからない変化を齎していることに気が付いたのは、本当につい最近のことです。私も自分に問うても理解できない、理屈では説明できない衝動が根付いて発芽していたのでした。

 

 十数年、いつも自分の中に閉じ籠もって、自分と向き合うことで安らげればそれで良いと信じて疑わなかったのに。

 独りでも構わない。とにかく、他人に塗れた世界から離れたいと信念の如く抱いていたのに。

 

 外の世界に向かって自ら進んでいくこと。出会いを通して親しい人との時間を、もっと過ごしたい。大切な思い出として残したいし、浸りたい。

 度し難い想いが膨れ上がって、無理やり破裂させることなく従うようになっておりました。

 

 度し難いと言いながら、本当は脳裏に、胸裏に浮かんだ……欲望と表現すれば良いのでしょうか。

 そのようなものを時々抱きながら、他人と会い合わせなければならない嫌気を言い訳にして見て見ぬフリをしてここまで来てしまったことは、恥ずかしながら事実です。

 然れど、本当にここ数年で、私は抑圧に似た感情と正直さを抑え切れなくなくなっておりました。

 

 新型コロナの蔓延という事実を突き付けられ、私の想いはより顕在化し反抗心すら覚えるようになっていきました。

 

 喩え世間体で非難されようが。

 

 身内に被害がでなければ、それで良い。身内に感染者が出た時は、何とかならかろうと全力を尽くす。

 

 それが論理的でない、論理で言葉を並べても説明がいかない、純粋な我儘であっても。

 

 我儘を振り切った欲望を抑え切れぬまま、私は愛車を走らせました。

 

 愛車と共に旅を続けたいと心に刻んだ、伊豆の地を目指して。

 

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 写真は数年前。車に疎く、今も浅い関係を嫌う私のような者を認めてくださったたーぼぅさんの前相棒と共に撮影したものです。 

 

 

 

 一度は夜景に魅了されて、揺らいだ意志

 

 この日は伊豆を拠点にしながら、車で一時間で訪れることができる熱海を満喫しようという趣旨の元行動いたしました。

 一足先にホテルに着き、久方振りの旅路を部屋の中で振り返るかのように堪能する私。

 

 道中の疲れから、ベッドに横になりながら。

 友と会えることに破顔していました。

 

 本当に共感云々を記載するような人間か?と下らない心情の元。

 

 すっかりお世話になりっぱなしの「たーぼぅ」さんが迎えてくださいました。

 お仕事ですっかりお疲れの所を、毎回頼ってばかりの私を拾い上げていただきながら、目指すは熱海の夜景。

 

 記事にすることはしなかったものの、以前載せたもの中に熱海を訪れた際の写真を載せたものがあります。

blog.hatena.ne.jp

 

 上記の記事、最後に載せた写真が熱海市街近くを通る遠ろを収めたものです。

 

 たーぼぅさん指導の元、通り過ぎる車を加味しながら夜の市街地撮影に挑みものにした一枚です。

 

 この写真を撮った当時、生き方だけでなくブログの運営方針にも悩んでいました。

 

 いいのか?

 人と、しかも誘われて計画も禄にしない人間が。

 しれっと旅行記と名付けて綴って。

 満足か?お前は、それでいいのか?

 

 葛藤。己に対する疑念。そして雑念。

 

 この頃から、本気でブログをどうしていこうかを悩んでおりました。

 一方で。

 正直、似たような旅行記を書く位なら、無理して書く必要もないのかな、なんて思って。

 かと言ってこれまで軸としてきた精神的、心理的なものも書き続けたとして。

 

 果たして誰が興味を持ってくれるのか。

 自分よがりの文章なんて、所詮自己満で終わる。

 なら……。

 

 自問自答を通り越して、憶測を超えた自己疑心に囚われていた時期でもありました。

 言い訳がましいことは、素直に謝罪いたします。更新が滞り始めたのは、ちょうどこの頃です。

 

 元々熱しやすく冷めやすい性格も相まって、本当にこの時期から思いを言葉にすることがすっかり億劫になっていました。

 それでいながら、筆置きかけている自分が、自分で許せなく遣る瀬無さまで感じ始める体たらく。

 他のブロガーさんたちが記事を着実に積み重ねているのに、私は、何をしているんだろう。

 

 顕在化していなかったとしても、今思えば相当のフラストレーションを抱えていました。

 

 

 それを変えてくれたのが、たーぼぅさんの何気ない気遣いと計画でした。

 

 

 塞ぎ込んでいた私を迎えた、熱海の夜

 

 迎えた夜は、風もなく穏やかな陽気でした。

 夕飯を軽く摂った私たちは、熱海の街を見下ろせる場所へと向かいました。

 

 過去一度、混雑と誘導員の態度に嫌気が刺し早々に後を去った、熱海城です。

 

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 熱海の夜景を見下ろせる場として、若気有り余る若者たちがいる中、私たちはひたすら夜景撮りに勤しむこととなりました。

 ちなみに上の写真は熱海城と月を写そうと試みて見事に失敗した良い例です。月小さすぎるよ。

 

 さておき、振り返ると。

 

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 建物の灯りと車道を走る車たちが魅せる風景が広がっていました。

 

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 雰囲気を変える為、色を調整してもう一枚。

 

 以前も書いたかと思いますが、本来夜景を撮影するにはカメラを固定しなければ上手く撮ることができません。

 この日は三脚を持ち忘れていたため、手すりの支持柱にカメラを置き、半ば強引な形で夜景に適した設定を施した上で撮影を強行しました。

 

 熱海は、山・海・島が凝縮された土地であると聞いたことがあります。このような地形が集結する場所はそう多くなく、魅了される人も少なくないとのことです。

 

 山国育ちの私には、そのような見方から見れば新鮮以外の何物でもありませんでした。まして、青春真っ盛りなカップルがいたことを差し引いても、カメラのシャッターを切り取り終えた一枚一枚を見ることは快感そのものでした。

 

 どうやら私も、固定概念のようなものにすっかり纏わり付かれ、そこから脱することができなくなっていたことにようやく気付くことができました。

 

 写真でご飯を食べている訳じゃないのだから、せめて、自分が満足できる写真を。

 これ良いな、と思える一枚を撮れれば、儲けものだろ。

 

 全てを新型コロナの蔓延にも、それに惑わされ困惑した世間に押し付けるつもりは毛頭ありません。

 

 しかしながら。

 

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 熱海市街、そして秋の空気漂う夜空に浮かんだ月を見て思いました。

 

 仕事でも何でもない、趣味の域すら出ない。

 なら、どんな写真を撮っても良いじゃないか。

 それが、旅の思い出になるのなら。

 

 ここに来て、やっと義務感のようなものから開放されたような気分に浸り、愉悦できるようになれた気がしています。

 

 世の中の人々がどう見ようが、変わらないものはある。

 私が求めたいものは、人々との批評などではない。

 自分が良いと思った写真を撮ること。それ以前に、その場に赴き気の知れた友と語らいながら過ごすこと。

 

 それが、私が本当に求めるそのものなんだ。

 

 余りにも久しぶり過ぎて、一般論や固定概念に塗り潰されそうになっていた、私自身の考えや思い。

 

 やはり、私は屁理屈や同調論で縛るような考え方には賛同できない、面倒で曲者のようです。

 

 

 然れど、私は満足することができました。

 自分の生き方を、価値観を、趣味趣向を曲げない大切さを思い出すことができたこと。

 そしてこれまで馴染みが薄かった熱海の地を巡り、最後は夜景撮影に至ることができたこと。

 

 世間一般的な考えに、或いは歯向かうような姿勢を見せる生き方も、必ずしも悪ではないと確かめられたのだから。

 

 

 熱海城を後にし、来る次の日に向け、私たちは別れ眠りに就くのでした。

 

 

 続きは、また新たな記事として纏めたいと思います。

 ここに来て交代勤務に就くことが決まり、更新が更に滞るかもしれません。

 しかし私の意志としては、ご閲覧してくださる方がいること。私なりの考えに共感していただける方が一人でもいらっしゃるのであれば、一番の幸いなことと思う次第です。

 

 

 今回も最後までお付き合い、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 P.S MAN WITH A MISSIONのような狼の被り物が欲しい

【旅行・旅路】いつか見た風景 ~見たことのある、落ち着く景色~

 新天地での新たなる始まりから、早一ヶ月が経とうとしております。

 仕事でもプライベートでも取り組む内容をじっくり吟味し自分の中に落とし込みを行うこと。その中から「自分に不要な要素」を排除しつつ日々の時間を送っていきたいというのが、私の基本的な生き方です。

 がしかし、仕事は仕事。妥協という言葉はありますが、それを上回る理不尽さや不自由さを抱えさせるのが仕事というもの。お金という対価を貰っている以上逆らうことはできません、が。

 それでも生きる為のお金を得るものが仕事であり、それに柔順することにはどうしても抵抗があります。

 お金の為に、生きている訳ではない。

 金か命か。皆さんは、その辺りをどうお考えでしょうか。

 

白兎5

 

 はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 

 都心への勤務が続く毎日ではありますが、駅構内や職場での人の奔流には未だに慣れずにいます。

 

 郷に入れば郷に従え。

 

 環境が変わればそれに順応し、慣習やらやり方に従うのが賢い生き方だと言われています。

 私の場合と言えば、自我が強過ぎて「そのやり方って、どうなの?」と率直に思うばかりか。

 これまでの運営方針が変わったばかりに、元々所属していた方々までバタついて転入者に手が回らない状況自体に、甚だしく疑念を抱く日々の連続です。

 

 などと言いつつ、20歳代の若手が「もっとバリバリ仕事したい」とった意見を聞き入れ、最悪辞めるかもと相談されながら、正直そこは個人に委ねられるところが大きいと言わんばかりに曖昧な返答を繰り返しています。

 

 そのような日々に疲れ、転勤早々ながらも今の内なら休みが取れることがわかり、この記事を書いている今は仕事を完全に乖離しております。

 たーぼぅさんの誘いの元、旅行先である宿泊地でお酒を楽しみながら、後日訪れるイベントの開催に心躍らせています。

 

 ここに至るまで、まさにドライブ日和と言って差し支えのない天候と陽気の中、愛車と共に道中を楽しんで参りました。

 

 今回は、久方振りとなる旅行記を綴って参りたい所存です。

 実家から複数の県を跨ぎ、相棒と共に走ってきた景色の数々。

 何度も訪れながらも、さっぱり地理や地図を覚えられない私が、それでも風景や景色として覚えていたものを見て、通り過ぎて。

 ナビ上では「???」となりながらも、いつの日か見た風景、景色を見た瞬間。

 

 あ、懐かしい。前も、その前も。何回も来たっけ。

 

 懐かしさのみならず、温もりや落ち着くような心境を抱いた、まるで子どものような気持ちを今も抱きしめ続けていることに気が付くのでした

 

 

 はじめに、本ブログの方針についてお話しさせてください。

 これまでは精神的・心理学的な内容については積極的に述べており、時折旅行記という名目で旅の軌跡を投稿しておりました。

 

 最初はそれで良いと思っていました。

 好きなことを、好きなように書けば良いと言い聞かせるまでもなく、思ったことや感じたこと。個々人で差が出て表現の仕方もそれぞれ、差があっても別に良いでしょと勢いに任せて投稿しておりました。

 

 私は元々、一つの文章を書き上げるまでに時間が掛かる悪い癖があります。体裁はいいか、似たような表現はないか、友人含む他のブロガーと違う表現を出していきたいといった思いに駆られるようになりました。

 それがいつの日か、被るような内容なら投稿しても変化も何もないよなぁ……と思うようになっておりました。

 

 本音を言うと……代わり映えのない投稿に価値なんてないよな、という独り善がりな思いに沈み込んでから、旅行記は独りの思い出で良いやと思うようになっておりました。

 結果論と言えど、文章を書く頻度が下がったことで文章力・語彙力が下がったことに留まらずに。

 私自身、文章を書くこと=自分と向き合う時間が少なくなったことで、ブログに向き合うことに興味そのものを喪失することとなりました。

 

 思いを言葉にする。

 

 その機会が減り詰まらない現実に向き合う時間が増えてしまたことは、必然と言えば必然のことでした。

 

 意欲の下降も止まらなくなっていた、傀儡同然の中。

 

 とあるイベントへの参加に招待される機会に巡り合うことができました。

 相変わらず私は、能動的に企画するのではなく、飽く迄受動的であることを自覚しながらも。

 然れどそれでも、意思だけは捨てなかったことが功を奏し、季節や陽気の移ろおうを、もう一度深々と見る機会を得るに至りました。

 

 その行き先は。

 これまで何回も訪れたことのある地でありました。

 活動拠点となる、伊豆の地。

 

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 初めて自分の足で、自分の愛車と共に訪れた所。

 何度も訪れている観光地でありますが、私にとっては思い入れが特に強いものです。 

 

 休みを利用して訪れたその地は。

 初めては訪れた時は感情と情緒を揺るがされならがも、時を経て「通過点」「近い、でも関係ない風景」に変わり果てていました。

 

 しかし、でも。

 たーぼぅさんに教えていただいたことで初めて読み方がわかった「函南」の道の駅から見た景色は。

 

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 澄み渡る空気の先に見える、雪を被った富士山でした。

 

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 愛車の屋根をチラ見せしながら、再度富士山を撮影。

 撮影場所は函南という地域に広がる道の駅ですが、この日は雲ひとつ無いドライブ日和にして旅行に最適と呼ぶのに相応しい暖かさと陽気に恵まれました。10月末ながら半袖や短パンと言った薄着の方々も多く見られ、長野の秋仕様の厚着姿の私の方が浮いてしまう程でした。

 

 そこから一息入れた後、目的地のホテルに向かって車を走らせます。

 私は地理に疎いだけでなく、地図が全く読めないという致命傷を抱えています。ナビを使ってもすぐに迷子になるという体たらくを、これまで何度も晒して参りました。

 東西南北、どの方角に進んでいるのかさえわからなくなる、そんな程度に酷い方向音痴です。

 この性質は、様々な方から弄られることとなっています。「まだ道覚えられないの?」と言われるのは日常茶飯事でしたが……その、頭に入らないものは入らない訳で。割と苦悩した時期もありました。

 一昔前に話題となった男脳・女脳というものでしょうか。

 

 道路名や地理的なものは壊滅的な私ではありますが、アプローチの違いはあれど別の方法で補完しています。

 

 簡単に言えば、「風景の一部」として目立つものを覚える、という方法です。

 効率は物凄く悪いですが、例えば「何の施設かはわからないが、道路の上を通るロープウェイ」や、「色褪せた塗装の、パチンコとゴルフ練習場を併設した珍しいお店」といったあまり見かけないものが強烈な印象として残ります。

 それを目印代わりにして、「あっ、前にも見たことある」という記憶の引き出しから情景を引っ張り出して、ナビに案内されながらも「この道なら通ったことがある、大丈夫だ」と自分を安心させながら進むことができるのです。

 

 私は、生物学的には男です。そういった観点から見ると、このような道の覚え方をするのは珍しいとされるそうなのですが、同じような経験をお持ちの方はどの程度いらっしゃるのでしょうか。

 

 さておき、今の愛車と出会ってから訪れ、通った道に懐かしさを馳せながら通り抜けていき。

 この日の休息地である、伊豆高原に無事到着しました。

 

 目の前に広がる大室山、反対側には波が陽光を反射する海が広がる、何度も赴きすっかり見慣れた情景。

 なのに私は、何年も前に訪れた故郷に降り立ったかのような、落ち着きあと安堵の気持ちに溢れていました。

 

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 いつか来た道。いつか見た風景。どこかで、見たことのある景色。

 外部的な情報よりも、主観的な感覚から得る情景、音。私のような人間には、懐かしさを齎してくれるものばかりです。

 

 

 かつてこのような、主観に基づくものは役に立たないと言われた時期もありました。現代社会でも不要と考える方もいらっしゃるのも、また事実です。

 ですが、私にとって、それらは掛け替えのない大切な情報源となるだけでなく。

 記憶と思い出を繋ぎ止めてくれる、なくてはならないものと、今は認識できるようになっています。

 

 このご時世、効率的なものを求め求められる時代となっていると感じています。

 そんな中でも、生まれ持った特性を、感性を。

 誰に何を言われても、私は大切にしていきたいと思います。

 

 少なくとも、同じような経験や感覚を持つ方がいる限り。

 私は、私なりの伝え方で、このブログで書き伝えていきたいと 思っています。

 

 次回は、慣らし運転も兼ねてこの数日で歩んだ旅路を綴って参りたい所存です。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】今年最後の大旅行 ~沢山の車たちに囲まれて、その2~

 いよいよ寒さが本格的になって参りました。愛車が毎朝凍りつくようになって久しいながら、ついに路面にブラックアイスバーンが発生するようになってきております。

 各地で車の事故が相次いでいるということもあり、年末年始の忙しさに惑わされることなく自分の地盤を固めて安全を心がけようと思う【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 今年最後となる大旅行の序章にして最大のイベントとなった、車のオフ会。

 前回に引き続き、今回も綴って参ります。

 

 

 

 

 

 

 久方振りの再会を喜びながら、車について語り合う時間

 

 約一年振りとなる再会を、喜びと同時に「このような世の中になり、すっかりご無沙汰となって」と悔いるような思いを吐露しながら、私は車を通して知り合い仲間となった方を中心に話を続けていきました。

 

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 皆から「師匠」と慕われる方のアクセラです。前回の記事で紹介させていただいたアクセラがモデルチェンジし、「アクセラ」の名を冠せられる最後の型となった車種です。

 こちらは私の相棒と同じディーゼルエンジンを搭載している車種ですが、2200ccという排気量と「ツインシーケンシャルターボ」という大小二つのターボを載せています。

 かつて同車種に同乗させていただいた時の、離陸する航空機を彷彿させる加速力とトルクの強さを堪能した時には、言葉も出ない程の有り余る力強さに感動さえ覚えました。

 そしてこちらの「師匠」は私が初めて車のSNSに登録した際、真っ先にオフ会のお誘いをいただいた方でもあります。当時は人間不信甚だしく禄な人付き合いもできずにいた私は頑なに断ってしまいましたが、今ではお会いする度に即興漫才をするかのように会話をする程、仲良くさせていただいています。

 

 私が、自ら大勢が集まるオフ会に参加するようになって。その一日が嘘のようにあっという間に過ぎ去る時間を共にできる喜びと高揚感を得られるようになったのは、自分で言うのも難ではありますが奇跡と好機に恵まれた結果だと自負しています。

 人との出会いの場を蹴り飛ばして拒否していた数年前の自分を、今は少し恥じらい情けなかったと思いながら。

 そんな私を受け入れてくださった方々には、ありがとうという一言では片付けられない思いが沢山詰まっています。それでも「世の中は敵だらけ」と信じて止まなかった私を救ってくださった皆さんには、今も心の底から感謝しております。

 

 そんな中で師匠がボケた所を、透かさずツッコミを入れ、そこにボケを被せてくる師匠とのやり取りの合間は、堅苦しい思いすら忘れさせてくれる時間です。

 

 

 お次は。

 

 

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 今のMAZDAが一押しする、赤のボディカラーのアクセラセダン。独自にパーツを取り付けながら正統派を崩さない、洗練された弄りが素敵な一台です。

 曇り空とPENTAXのHDRを用いることで、カメラでは色飛びし易い赤も満足のいく映え方を捉えることができました。

 このアクセラを駆る方も、私が初めて参加したオフ会で知り合って以降仲良くさせていただいております。物静かでありながら淡々と話を進める姿は、感情に囚われがちな私には見習いたいとさえ思う方です。

 それでいながら隙きあらばカメラ片手に奔走する姿を見せることもあり、単独行動大好きな私は感化されてイベントそっちのけでご一緒させていただいたこともあります。

 愛車の色と同じ熱い思いを抱きながら、自分の意志を貫き通す姿。お話していて楽しいながら、憧れすら抱くお方です。

 ちなみに本オフ会では師匠相手に私と共にツッコミにツッコんで、私含めて笑い耽っていました。

 

 

 まだまだ続きます。

 

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 今は無きロータリーエンジンを積んだ、RX-8。

 

 十数年前、入社して幾ばくもない私。当時は車のくの字も知らず興味も抱いていなかった中、緊急の設備修理の最中乗せてくださった先輩が駆っていた車のことが、今も忘れられません。

 RX-7。

 90年代を風靡し、かの有名なガンダムの形式番号にさえ影響を与えたと言われる名機。

 仕事場へ向かう途中、車のことやロータリーエンジンについて熱く語ってくれた先輩を前に、何も知らず興味も示さなかった当時の私は「はぁ……」と相槌を打つことしかできませんでした。

 

 時を経て。

 車を好きになり、ある程度ではあれど。

 昔乗せて貰った車と同じロータリーエンジンを動力とする車を愛車とするこちたの方とは、数年前のオフ会でお会いし仲良くさせていただいております。

 響き渡るロータリーエンジン特有の音響は、音に敏感な一方で拠り所にしている私には快音であり、心を、精神を震わせ高ぶらせてくれます。

 

 

 会話を主としながらも盛り上がり、高止まりを知らない勢いのオフ会。

 しかし、天候は反比例するかのように、陽光を遮り会場を深い霧で覆い尽くしていくのでした。

 

 

 

 初めてお会いする方々も、車を趣味にしていることに変わりなく仲良くなって

 

 視界数十メートルという白い世界に包まれ、冷たい風が容赦なく叩きつけるようになって参りました。

 寒さには厚着で対応する、長野生まれにして育った私も、手がかじかみ体温と体力を徐々に。しかし確実に奪われていきました。

 それでも、オフ会の終了まで粘ることを選んでいました。

 

 参加を表明した当初こそ、途中で離脱することを念頭にしておりました。

 然れど一度浸ったオフ会の雰囲気は、易々と帰ることを躊躇う程になっていました。

 

 その中で、これまで顔は拝見しながらもお話ししたことがなかった方も。

 完全に初見ながらもお話しすることで、交流を深められた方もいらっしゃいました。

 

 カメラを握る手すら満足に動かせず、話すことを切っ掛けに仲良くなる第一歩を踏み出せた方が多い中、その愛車を収められなかったことを悔い、申し訳なかったと思いながら。

 

 

 

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 前回の記事で語らせていただいた、マツダスピードアクセラ。オーナーたるご本人は目立つ弄りもせず面白みのない車と仰っていました。

 しかしながら。

 弄るとしても車本来が持つ見た目を残しながら、を矜持とする私としては、外見を大きく崩す弄り方よりも共感できるものがありました。

 

 何よりも。

 

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 オフ会では自己紹介と愛車を示す一枚紙を用意するのが多い中で、ご自身のHNを懇親の一品で表したその姿に盛大に笑いながらも、センスの素晴らしさに圧倒されました。

 

 

 そして、もう一台。

 

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 HDRの度が過ぎてしまい、油絵のようになってしまいましたが……。

 ファミリア、アクセラの名を継ぎ、新たに「MAZDA3」として生まれ変わった、白のMAZDA3。今回のオフ会はアクセラが圧倒的多数を占める中、唯一無二の一台として鎮座しておりました。

 私も試乗を通して、アクセラから進化した技術と車体自体の素晴らしさを実感しながらも。一人のオーナーさんが駆る一台として間近に見るのは、これが初めてのことでした。

 これまで車のSNSで発言こそ拝見しながら、声の一つも掛けられなかった私でした。しかしいざ対面しお話しさせていただきとても気さくながらも芯の通った方でした。

 初対面を極度に恐れ避ける傾向が強い私にも、優しい声を掛けてくださいました。それでいながら「師匠」とのやりとりを眼前で披露され、笑いを堪えることは叶いませんでした。

 

 

 

 来年こそ気兼ねなく車仲間が集まれることを願いながら

 

 

 これまでお会いした方も、初めてお会いした方とも、車という共通の趣味を通しながらも楽しく過ごす時間。

 刹那、と言っては過言になるかもしれません。然れどいつの間にか、閉会の時間となっていました。

 

 2020年。新型コロナウイルスという脅威を前に様々な制約を余儀なくされた一年でした。

 そのような逆境の中、開催してくださった主催者の方を始め、スタッフを務めてくださった方々に感謝の意を表し。

 

 否、それ以上に。

 

 国が、政府が、政府でさえ。まともな対策を打とうともせず根性論と精神論を押し付けて辟易する中。

 

 楽しい時間と場を用意し提供してくださった皆さんに、この場を借りて心から御礼を申し上げます。

 そして。

 

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 世間に疎い私を誘ってくださり、このオフ会を共にし楽しませていただいた盟友へ。

 この上ない謝意と、歳の差はあれど仲良くさせていただいていることに。

 言葉では言い表せない思いを抱きつつ、それでも純粋に「有難う」と申し上げます。

 

 

 もう一人。

 

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 無機質に、「一台」と言いたくない程になった相棒に。

 

 

 2020年を締め括るオフ会を開催してくださった全ての方々に、参加された方々に。

 心より、御礼申し上げます。

 

 

 これにてオフ会は終わることとなりました。

 然れど今年の、これまで愛車と共に過ごしてきた中でも最大の大旅行となる旅は、まだ始まったばかりでした。

 

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】今年最後の大旅行 ~沢山の車たちに囲まれて、その1~

 冬将軍の到来が予報され、いよいよ以て寒さが堪える日々が始まりました。

 日陰になる場所はブラックアイスバーン特有の反射を見せ始め、朝夕の車での移動に一層の注意が必要となって参りました。

 それ以上に、朝の暖かなお布団から出ることが早くも困難になり始めて「あと二時間位はじっとしていたい……」と思うようになっている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 寒さが厳しくなる直前となる、11月の終わり。

 今年最初として最後となる、車のオフ会に参加して参りました。

 コロナ禍で開催さえ危ぶまれ、次々と中止となる中……。

 富士山の麓にある水ヶ塚公園にて開催された、「富士山山嶺」の駐車場で開催されることとなったオフ会。

 

 然れどこのオフ会は、これまでのそれとは参加募集や趣旨が異なる、新しいものとなりました。

 

 今回は今年最後となる大旅行となった、第一日目。富士山の麓で行われた車のオフ会に参加させていただき、新型コロナによってすっかりご無沙汰となってしまった方々に出会えた喜びと嬉しさ。

 それと共に、以前とは違う募集方式によって新たな出会いを果たすことができ、人と接する新たな機会を得られたことを、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 初となる、Twitter主体による車を趣味とする人々の集い

 

 それは、あまりにも唐突のことでした。

 普段より仲良くさせていただいている友から、「Twitterでオフ会を計画しているけど、どうする?」と言われたのは。

 

 Twitter。私のような人間は事ある毎に発言できるような人間ではなく、経験したことを積みに積んで文章にしていく分類の人間でした。

 それとは真逆に位置する、今この瞬間を短い言葉で発信するTwitterは、登録こそしていたもののROM専(投稿を見るだけで、自分から発言をしない人のこと)を貫いていました。

 そんな中、元々車のSNSを通して知り合った方々もTwitterで積極的に活動しているという話を聞きました。

 対して私が大きく変わることができたきっかけとなった車のSNSは、残念ながら改悪を重ねた結果、過疎化が進んでおります。

 言い方は悪くなることは承知の上ですが、変動する情報の流れに付いていこうとしない運営の考えが滲み出てしまった結果と言い換えることもできます。

 

 然れど、失礼ながらも私から言わせていただくのなら。

 内気で外に出ようともしなかった私を変えてくれる切っ掛けとなったSNSが過疎ってしまうことは、残念に思うとともに虚しささえ感じてしまいます。

 

 それは兎も角、これまで半ば蔑ろにしてきたTwitterでオフ会の開催をされていることを知った私は友に依頼し、参加させて欲しい旨を伝えました。

 

  一ヶ月ほど経った頃でしょうか。

 

 その日が、遂に訪れることとなりました。

 今までとは異なる、Twitterを元にした車のオフ会。大きな不安と好奇心を抱えながら、会場に向かうのでした。

 

 

 

 富士山の麓に集まった車たちに囲まれて

 

 

  オフ会を前に、私は開催前日に現地近くまで移動し前泊することにしました。ちょうど休日出勤しなければならない日程と上手く重なったことで、混雑する時間帯を避けて気持ち良くドライブすることができました。

 オフ会前日は、雲ひとつない秋空の元、愛車と共に目的地までまっしぐら。その途中。

 

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 ※ドライブレコーダーから動画から切り取った一枚です※

 

 長野から山梨に入った直後、目の前には堂々と鎮座する富士山の勇姿が広がっていました。

 これまで何度も富士山を拝める場所を走って参りましたが、この日程綺麗で雄々しい姿を見ることはありませんでした。

 更に、富士の魅力を見せ付けられることとなりました。

 

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 ドラレコの配置の都合上余計なものが入り込んでしまっていますが、山頂付近に積もった雪でさえくっきりと見ることができました。

 雄大で日本の象徴の一つとも呼べる富士山。それを間近で、曇りのない空の下で拝めたことで、私の心は躍動し続けました。普段なら雲が掛かった富士を見て「やっぱりでかいな、富士山は」程度の言葉を零すことしかありませんでした。

 しかしこの日は、ハンドルを握りながら、私は出す言葉を失っていました。惚けるように、目の前の山に見入っていました。(運転中そんなことをしたら危ないので、実際はチラチラと視線を移す程度でした)

 

 オフ会当日も、晴れ渡った富士の麓での交流を楽しみにしておりました。

 

 然れど、自然は酷なものです。

 

 その日を迎えた、会場となる水ヶ塚公園駐車場は雲と霧に覆われることとなりました。富士山の山頂はおろか、麓も見えるか怪しい気候となりました。

 

 ですが、企画から当日の運営まで司ってくださった主催者の方、誘導含め会場を纏めてくださった方々のお力の元、オフ会は開催されました。

 ここからは、参加された方々の愛車の写真を列挙して参ります。

 

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 まずは主催してくださった方の愛車です。

 これまで本ブログで度々紹介させていただいている我が相棒とは形も見た目も別物に思う方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、この車もアクセラです。

 

 少しだけ補足させていただくと、MAZDAという車メーカーが大衆車として世に繰り出した「ファミリア」という車がありました。今は亡き私の祖父も、ファミリアに乗っていた時期があったそうです。

 その後継機として発表され、名前を変えて売り出されたものが「アクセラ」です。

 今は更に名前が変わり「MAZDA3」として販売されていますが、未だにアクセラの名を冠せられた車たちは元気に走り続けています。

 その中で、主催者さんが今も愛しているこの車種は(前期や後期といったマイナーチェンジを除いて)二世代前の型です。加えて今では半ば普遍化しつつあるダウンサイジングターボエンジンという考えを覆す、2300cc+ターボというモンスターマシンと呼ぶこともできる「マツダ スピードアクセラ」という代物です。下手なアクセルワークをしようものならホイールスピンを起こすという馬力は、MAZDAを知る者なら伝説とも名車とも言える車です。

 

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 主催者さんの愛車は、それだけで留まりません。何が凄いかと言うと、車の九割近くをラッピングという手法を用いて自分色に染め上げている職人技にあります。

 写真ではシルバーに見えてしまいますが、実際は車体の局面や部位に合わせて精巧に組み合わされたラッピングシートが綺麗に貼られ、元だったボディカラーすらわからなくなる程です。

 プロ顔負けの技術の結晶、その持ち主でいらっしゃる今回のオフ会の主催者さんとは、私が初めて車のオフ会に参加してからの顔なじみとして仲良くさせていただいております。

 

 お次はこちらの方の愛車。

 

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 別会社の車もお持ちながら、同じ型のアクセラを駆る二刀流の方の愛車です。こちらの方も初めてのオフ会で知り合いとなってから、何かとお世話になっております。

 外見はアフターパーツを用いず原型を保っていらっしゃる愛車は、飾り気なくシンプルでありながら美しさを両立するスタイル。主催者と同じ型の車でありながら、両極端に位置する。それでも、双方ともに華麗さを際立たせています。

 

 

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 続きまして……と言って、「ん?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 はい、レクサス「NX300」です。

 こちらの方もかつては同じマツダスピードアクセラを駆り、現在はレクサスも所有していらっしゃいます。初めてお会いしたのは、宮城にあるSUGOサーキットでサーキットランと伝説のレーシングカー「MAZDA 787B」の走行会の機会を作ってくださった頃からのお付き合いです。

 アクセラという車種がメインと謳われつつも、どんな車で来てもウェルカムなオフ会となった今回を象徴する一台でした。

 

 

 まだまだ続きますが、本記事は一旦区切らせていただきます。参加された方々の紹介は、次の記事でも綴って参ります。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】四年の合間に、遠くへ来ていた・後編 〜成長は、留まることを知らない~

 7月の終わりも、雨で終えることになりそうですね。

 観測史上、最も梅雨が長かったのが1998年の 約二ヶ月というものが最長と言われています。

 今年もそれに近い梅雨の長さと、湿気に弱く早くも熱ダレ気味な【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ここ一ヶ月程、仕事とプライベートが立て込んでっブログの更新が遅延気味ではありますが、早速前回の続きを綴って参りたいと思います。

 

 四年の月日で、籠りがちで人間不信を引き摺っていた私が、外の世界へと飛び出したいと思えたこと。

 今この瞬間にも、どこか知らない場所へ。馴染みとなっている場所へと帰る思いを抱えるまでになった、好奇心と回顧心。

 人から見たら大したことではないのかもしれない。

 でも私にとって、掛け替えのない大切な時間。

 思い出話と回顧録という自分語りになってしまいますが、お付き合いくだされば幸いです。

 

 

 

 

 行く先、愛車と共に止まることを知らず突き進んで

 

 

 以来、自発的であったり誘われたりと形は違えど。

 仕事の都合に合わせられるものは、本能が望むままに愛車とカメラを持ち出して出掛けていくこととなりました。

 

 私の行ったことのある最西では、三重県四日市市。暑さとムシムシとした陽気ですっかりグロッキーになりましたが、今まで見たことのない風景を撮影することができました。

 

四日市市の石油コンビナート。別名現実世界の「魔晄炉」

 

 

 

 北端ではスポーツランドSUGOで、サーキットを愛車と共に駆け抜けました。F1も走るサーキット場を、愛車で走ることなど夢にも思いませんでした。

 愛車のハンドル、アクセル、ブレーキ。腰を据えるシートもいつも通りなのに、サーキットラン(サーキットを実際に走る時間)が始まる前から手汗をかき、静かに興奮していたことも、今でも忘れずにいます。

 周回終了時はレースさながらにスタッフの方がゴールフラッグを振ってくれたことを契機とし、気分は最高潮を振り切っていました。

 

 

 味わったことのない高揚感と緊張、好奇心が満たされた時の鼓動の高鳴り。

 一度にみならず、何度も諦めと挫折を経て、すっかり惰性と妥協に慣れていた私でしたが。

 それでも燻るように残っていた望みや希望が叶った瞬間、そんな思いの全てを忘れ去っていました。

 そこにいるだけで、いつも無意味に動き続け考え続ける脳が停止して。

 場の雰囲気に飲まれるように、考えや思いを通すことなく現実を味わえる時間。

 

 もしかしたら、私にとっての幸せというものは。

 単純で夢も何もないけれど、こういったものなのかもしれません。

 

 

サーキットの愛車が並ぶ日など、予想できるだろうか。

 

 この直前、同サーキットで今でも伝説として継がれる名車が駆け抜けました。

 1991年。ル・マン24時間耐久レースにおいて、史上初となる日本メーカーが送り出したレーシングカーが優勝しました。

 それが、MAZDA 787Bです。

 

 

  それまではレースゲームでの疑似音や動画での間接的な形でしか聞くことができなかった、吼え猛るエンジン音。人によっては天使の絶叫と称する、甲高くサーキットに響き渡る快音。

 心が、震えました。それ位高揚し、恍惚ささえ覚えさせ、魅了するものでした。

 

 南端は伊豆半島、今ではすっかり行きつけの場所となっていますが、海と山に囲まれた自然豊かなそこは、愛車も映える絶景の数々が待っていました。

 

雲隠れすることの多い富士山と愛車を撮影できた、今尚思い出深い一枚。

 

 富士山を背景にし。

 

桜と愛車。明暗の対比。

 

 河津桜を背景に。

 

愛車に映り込む桜も、また一興。

 

 相棒にも桜の花を咲かせることができました。

 

 

 別の機会では。

 

 

夕日を受ける愛車。雨の予報にも負けなかった勇姿。

 

 強風により潮を被りながらも、夕日を背にする相棒を収める機会にも恵まれました。この日は雨の予報が出ておりましたが、何とか曇り空……を通り越して清々しいまでの晴れが私たちを迎えてくれました。

 

 

 しかし。

 世の中に流布し、蔓延する新型コロナウイルスを前に外出することも躊躇わせる時代と成り果てかけています。

 

 重なるように変化し始めた会社の勤め方。よく言えば働き方改革ですが、一度慣習化したものを変えていくことは、容易なことではありませんでした。

 体力だけでなく、精神的な余裕は益々削られていった私は。

 愛車と共にする時間は減るばかりとなり、気持ちもすっかり車から離れていきました。

 

 

 時には止まることもあった。それでも、愛車と突き進みたい思いだけは留まらない

 

 

 

 自粛に自粛を重ねた結果、愛車の走行距離は途端に短くなっていきました。ハンドルを握る機会まで減り、車のオーナーとしてはあるまじきメンテンナンスまで億劫さを覚える程でした。

 ディーゼルエンジン特有の劣化具合も相俟って、一時は愛車を手放すことも本気で考える程でした。

 

 今思えば。

 お金や手間といった損得勘定以上に思いを叩き込むように付き合ってきた相棒を、一時の感情で売り払い、新しいクルマ生活を始めることで。追い込まれた精神を回復できるのではないかと、本気で考えていたのだと思います。

 

 

 そんな折りでした。 

 

 友の誘いを受け、再び伊豆の地を訪れることとなりました。

 自粛や感染への過剰な恐怖心から自然に溜まっていた鬱憤と行き場のない気持ち。

 それを払拭する機会に出会いに恵まれ、数カ月ぶりに愛車を全力で運転したい思いに刈られ、思い出の地である伊豆を訪れました。

 

 

 詳細は別記事で上げようと思いますので、ここでは詳細を省略いたします。

 

 しかしながら向かう道中で、出会って四年を目前にして50,000キロを達成いたしました。

 

一年毎の換算で、12,000キロを記録。


 燃費は4年間通しで20.1でしたが、今回でまさかの平均燃費まで上がりました。

 

カタログ値21.6km/l。それを加味しても十分過ぎる燃費の良さ。

 

 

 

 また維持に徹する傍ら、原点回帰とも呼べるパーツの導入を行いました。

 切っ掛けとなったのは、約半年離れていた車のSNS。久方振りにログインした際に、知り合いの皆さんは私を温かく迎えてくださいました。


 そこでは、過去私が装着していたパーツについて言及されていました。
 それは私の運転ミスから破損させてしまったエアロでした。

 補修も考えましたが予算のこともあり泣く泣く廃棄し、私はメーカーの純正品に換装させてから一年と少しが経とうとしていました。

 

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 上の写真の、ボディ下のメッキ調のフロントエアロがそれに当たります。

 これはこれで、アクセラという車を引き締めるだけでなく、メーカーが提供する一品だけあり一体感を齎してくれるパーツです。

 

 然れど。

 多くのオフ会やプチオフで沢山の出会いと初めて訪れる場所を増やしてくれた、以前装着していたエアロ。

 その思い出と、「人とは違う、自分だけのアクセラ」を目指して取り付けたそれを、もう一度導入したいという衝動が再燃し。

 

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 初めて取り付けた時以上の予算を投じながらも、再び装着するに至ることができました。

 

 

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 写真では見え辛くなっていますが、純正のものよりもエラを張るようなデザインが特徴的です。それでいて車本来が持つ美しさやデザインを崩さずに、さり気なく飾ってくれたこのパーツを、忘れ去ることが私にはできませんでした。

 

 先程は、コロナ禍で車から離れていっていたと申し上げました。

 でも、それって。

 

 世の中の情勢に自分を当てはめて、言い訳にしていただけだったのかもしれません。

 

 

 本当はもっと、愛車と見知らぬ地へ共に出掛けたい。

 出会ったことのない人々と出会い、交流を深められる人と出会いたい。

 

 この相棒と出会う以前の私では、とても想像できなかった思いが、今の私の中でしっかり根付き、今尚成長を続けています。

 人と出会うこと。見知らぬ場所へ行くこと。自らハンドルを握る車でどこかへ行くこと。

 全て、臆病で人間不信に陥り自分さえも信じられなくなっていた私には出来るはずがない。叶いなどしない。やったところで失敗するだけ。

 だったら、やって後悔する前にやらずに悶々としていた方が、まだマシだ。

 

 それが何時の間にか、私は愛車という名の相棒に感化されるかのように成長してきた気がしてなりません。

 愛車を弄る度に、どうなったか実際に走って試したい。体感したい。

 その延長の、弄る切っ掛けをくれた人たちと出会って、話し、交流を深めたこと。

 

 人間不信と言いながら。私は、多分。自分が傷付くことを一番に怖がる、ただの臆病者です。恐らく、愛車と出会ってから四年経つ今も、それだけは変わらないことだと思っています。

 

 それでも、四年という月日の中で出会った人たちとの思い出。その時々に感じ、浸った気持ちは。

 誇大妄想や大袈裟な表現を使わなくとも、私を大きく変え。外の世界へ飛び出すことへの躊躇いを掻き消すこととなりました。

 

 何故なら。

 誰かに強制された訳ではない。

 全て、私自身が「そうしたい」と願った思いが、行動として現れたに過ぎないのだから。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

相棒と駆け抜ける瞬間は、誰にも邪魔されない至福の時間。

 

【車・趣味】四年の合間に、遠くへ来ていた・前編 〜愛車の成長と共に~

 当初の梅雨明けは7月20日頃と予想されていましたが、8月頭までずれ込む可能性が、と発表されました。

 今回、Go toに乗るつもりは全くありませんでしたが、盟友の元へと愛車を走らせて参りました。

 宿泊先のホテルでも、「Go toキャンペーンの宿泊証明は、如何いたしますか?」と問われた際には、「あぁ……申請面倒なので、結構です」と苦笑い気味で答えた、【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日誕生日を迎え、また一つ歳を取った私ではありますが。

 四年前の今頃。

 三十路直前の自分へ、自分から誕生日プレゼントと洒落込み購入したのが、今の愛車であり相棒です。

 

 

出会いたての愛車。本格的な弄りも走りも知らなかった、あの時。



 あれから四年が経ち。

 私は愛車と共に、大きく成長できたと言って過言でなく。

 それと共に、出会ったばかりの私と愛車では考える由もなかった、遥か遠い所まで行くことになることとなりました。

 

 

 今回は簡単ではありますが、四年前に出会った愛車と共に様々な場所へ趣き、多くの人と出会うことで。

 自分の世界というものが、どれだけ狭く小さなものだったことかを思い知らされたと同時に。

 そのお陰で、自分なりに大きく成長できたこと、そして視野が広がったことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛車と出会った切っ掛けは、単なる数字という理屈に過ぎなかった

 

 今の愛車「Lupus」はディーゼルエンジンを積んでいます。

 ガソリン車とは燃料の違いだけでなく、低速や高速時の速度の出方、ターボの存在、重量比と何もかもが異なります。

 挙げ出せば切りがありませんが、愛車となる車を選んだ当初の理由は、実に単純なものでした。

 

 大型トラックにも積まれ、走り出しや上り坂にも負けない力を生み出すトルクの強さ。そしてガソリン車、ひいてはハイブリッド車にも迫る燃費の良さでした。

 

 これらは飽く迄メーカーが公表する数値上のデータでしかなく、実際の挙動や乗り心地といったものは別物です。

 

 しかしながら、当初は車のことに疎かった私は数字という理論値を信じることしかできませんでした。

 それまで乗っていた車が初速の遅さと上り坂での力負けで泣かされた経緯があったこともあり、飛びつくように。或いは縋る思いでディーゼル+ターボの車を購入することを半ば即決していました。

 

 試乗も何度も重ねた上で納車された直後こそ、望んでいた能力を発揮してくれました。

 アクセルを踏み込めばシートに押し付けられる力強さは、言わばジェットコースター。もっと強調した言い方をすれば、旅客機の離陸時の加速。

 思い切りアクセルを踏んだ時の高揚感は、この時から始まっていたと言っても過言ではありません。

 

 ですが。

 この時はまだ、車=移動手段という感覚が抜けずにいました。

 ましてやお金の掛かるチューニングやカスタマイズをすることなど、考えるも烏滸がましいとさえ思い込んでいました。

 

 チューニングやカスタマイズは、本当に車が好きな人や、車に命を掛けている人がやるものだ。

 

 言い方は大変悪くなりますが、当時は本気でそう思っていました。

 然れど、形は違えど。

 まさか、私自身がその一人となるとは、夢にも思わずに。

 

 

 車のSNSというオンライン上の付き合いから、実際に人と出会ってから

 

 

 本ブログにおいても、何度も取り上げている内容になりますが、何卒ご容赦ください。

 

 車について詳しい、或いは好きな知人が近くにおりませんでした。

 しかし、いざ念願とも言う愛車を手に入れたことで。

 車に、私という個性を出していきたいという欲望が次第に膨れ上がっていきました。

 

 そこで参考にしていたのが、今でも活動している車のSNSサイトです。

 長い付き合いのある方々の雑談から始まり、パーツのレビューだけでなく、プロ顔負けのDIYに挑戦されている方まで。

 様々な人が交流する場に、知り合い等といったツテもなくまま、唯ならない興味の強さと知識を求める欲望に突き動かされるようにして、私も本格的に活動を行うようになりました。

 

 元々の理由はパーツの良し悪しを勝手ながら吟味させてもらい、導入するか否かを決め。

 別の時には参考になる整備のやり方を、簡単なものなら真似して実践するようなレベルで留まっていました。

 

 と言いつつ、そこは交流を目的とするSNS。

 顔すら見たことない多くの方と(ネットワーク上では)友達関係になりました。しかし、どうしても「オフ会に参加してみませんか?」というお誘いだけは、頑なを通り越して意地でも拒否してきました。

 

 

 一度仲良くなった人が、前触れもなく消えていく怖さ。

 それを、現実で味わった。

 あの怖さは、考え方によっては死ぬことより辛い。

 

 そんな臆病な私を、ネットワーク上だけでは絶対に味わえない世界へ。

 実際にお会いして、お話して、車を一緒に走らせて。分かち合うのではなく、各々が感じた至福のひと時に浸ることができる時間。

 そういったものを、私は幸いにも巡り合うことができました。

 

 それが、今の盟友であり親友である人です。

 

 

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 

 

 短く、と当初申し上げました。

 申し訳ありません、思いが込み上げるほど文字数が大変なことになることが判明しましたので、今回は一度ここで切らせていただきます。

 

 

 不完全ではありますが、今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~始動編~

 在宅勤務組になった、白兎です。

 システムに関する電話が鳴りっぱなしで、通常勤務よりも忙しさを感じている毎日ですを過ごしておりますが、私は元気です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 3月の中頃。伊豆へ赴いた際に、友人「たーぼぅ」さんとご一緒させていただきました。

 しかし直後になって、急遽再度お会いしなければならない事態が発生しました。

 

 お互いの予定を合わせ、伊豆旅行の直後に会えるように調整。

 そして今度は、伊豆から訪れるたーぼぅさんをお迎えすることとなりました。

 たーぼぅさんの記事は、以下でございます。

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 

  今回はアクセラ仲間と行く長野の旅行記について、綴っていきたいと思います。

 本記事は時期ズレしたネタの為、備忘録となりますことを、予めご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 度々訪れてくれた長野へ、初の愛車と共に 

 

 

 私を車の世界に引き入れてくれて。その後も写真を始めとした共通の趣味を持つ仲として、仲良くさせていただいているたーぼぅさん。

 これまでも長野へ遊びにきてくださっていました。

 

 長野とは昔より馴染みのある土地であるようで、下手をすると地元民である私よりも詳しい程です。

 

 前回私が訪れた伊豆と長野は。距離で言えば200キロ強と、数字上では然程近くも遠くもない距離にあります。

 しかしながら一般道や横断道といった道を経由していくこともあり、実際には休憩を減らして5時間。1時間に一回程度の休息を挟むとなると6時間弱は掛かります。

 

 とは言え最近は交通の便も良くなり始めており、長野でも山梨側へ抜ける中部横断自動車道が途中までではありますが開通され。

 伊豆側の交通事情も整理され、大分走る負担が軽減されてきています。

 

 

 さて、予約されたホテルにて合流を果たした私たちは。

 長い旅路でお疲れであるたーぼぅさんの愛車は駐車場に預け、私の相棒と共に長野の旅路を走ることになりました。

 

 

 

 アクセラと向かう場所を選別して

 

 

 お互い食事の量は多くない私たちは。個人的にオススメである蕎麦屋「やまへい」へ趣きました。

 他にも県外の方が多く訪れる蕎麦屋もありましたが、混雑していることが多く、蕎麦そのものも風味が薄い為、今回は除外しました。

 

 昼食を摂りながら、これからの予定について組み立てていきます。

 

 元々計画することが苦手で面倒くさがりな私は場当たり的なことが多く、有名な観光地などの情報も然程ありません。計画するのは京都旅行する時位に留まります。

 拍車をかけるように、私の住む地域は目立った名所もなく、隠れた名所と呼べるような場所もありません。

 一時は桜巡りも考えましたが、3月は蕾のまま春を待つ場所も多く、どうしてもいい場所が出てきませんでした。

 

 その時。記憶の片隅で消えかかっていた、ある場所を思い出しました。

 

 長野県の篠ノ井にある、茶臼山動物園。

 

 幼少期に、母と何度も訪れたと聞かされたその場所は。

 かつて「二本足で立ち上がるレッサーパンダ」として一世を風靡した、風太くん。

 

 レッサーパンダブームの火付け役となった彼と共に、茶臼山動物園もレッサーパンダの聖地と呼称されることもあることを知りました。

 そのパートナーが育ち、今では風太くんの子である風鈴というレッサーパンダが飼育されている情報を仕入れ。

 

 私からすれば、数十年訪れていない動物園へ。

 アクセラを走らせることとなりました。

 

 動物園編は、次回の記事で投稿予定です。

 

 

 

 写真活動にも、新たな仲間が参入

 

 

 動物編へ向かう車内にて。

 私はカメラレンズを新調したことを暴露しました。

 

 以前、東京の夜景撮影でその威力を見せてくれた、300mm望遠レンズ。

 

 

 

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 この時はたーぼぅさんにレンズをお借りしての撮影でしたが。

 18-135といった標準ズームレンズでは寄りきれない所まで、ピンポイントで寄ってくれる様は、私の中で写真の世界を大きく変えるものでした。

 

 そこで購入したのが、「SIGMA 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM」。

 広角から望遠までを一本でカバーすることが出来る、高倍率ズームレンズに部類されるものです。

 最初は望遠レンズを購入することも考えましたが、持っているカメラバッグが本体+レンズと交換レンズしか入らないことに加えて。

 レンズの交換の手間を省く為に、このレンズを選択しました。

 SIGMAの単焦点で撮影した写真のシャープさが好みであった私は、迷うことなくSIGMAを選び。

 今回の撮影でも、その力を遺憾なく発揮してくれました。

 

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 こちらは単焦点レンズで取った愛車。

 ズームレンズは便利な分、ズームに頼って構図創りが疎かになる為、単焦点レンズを使って自分の脚を動かせ、とも言われています。

 確かに仰る通りで、ズームが出来ない分、頭に浮かんだ撮りたい構図を如何に模索するか。それも、カメラの醍醐味であると思います。

 

 しかしながら、逆にこう考えても悪くない気がしています。

 

 ズームレンズであっても、最大望遠にして動き回れば、また別の写真が撮れるのではないか、と。

 

 

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 そこで撮ったものがこちら。最大望遠にした状態で、かなり遠い場所からシャッターを切っています。

 

 ズームレンズ故に画質は劣りますが、これはこれで面白いです。

 被写体の中に遮蔽物になるようなものを収めれば強力なボケを取り入れることも出来るので、写真の幅が広がります。

 

 このレンズは、近寄ることができない動物園の動物たちだけでなく。

 枝に止まった小鳥さえも、逃すことなく撮影することとなります。

 

 

 今回は、ここまでにしたいと思います。

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。


 

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 愛車の向こうの電柱も、綺麗にボケが入っています。

【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~バナナワニ園編~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 5記事に渡って書き連ねて参りました、冬と春の伊豆旅行。

 

 今回は、旅の最後であるバナナワニ園へ趣き。

 私たち人間が新型ウイルスの前に恐怖と不安を募らせる一方で。

 自然のまま、あるがままに生きている動植物たちに癒やされながら、生きる強さを分けて貰えたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 今回は写真が多めとなります。スマホからご閲覧くださる方は、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 準備体操とばかりに、愛車たちを撮影

 

 

 西伊豆の夕焼けを拝み。

 カラオケで歌い耽た翌日。

 

 宿に着いて早々寝入ってしまった私を迎えた、伊豆の空は綺麗に晴れ渡っていました。

 前日に合流時間を決めていた私たちは、早速目的地へ向かうべく準備していきます。

 

 その前に。

 今回の旅で初となる、互いの愛車を、伊豆の空を背景にしながら撮影します。

 

 

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 私の愛車がチタニウムフラッシュという、暗色系のボディカラーに対して。

 たーぼぅさんの愛車は、暖色のホワイトパールマイカです。

 相反する色合い故、カメラで合わせたピント次第では、どちらかの色が飛んでしまう、或いは色合いを失ってしまうことが多いです。

 この写真の場合はチタニウムフラッシュの相棒にピントが合っているため、ホワイトパールの白味や輝きが飛んでしまい、のっぺりとした印象になってしまっています。

 

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 白系の色はどうしても飛んでしまいがちになります。

 ですがこのボディーカラーはただの白ではなく、名前のごとく真珠の光沢や輝きを、陽光を受けて映し出す、魅了され引き込まれる華麗さを持っています。

 その良さを、写真においてもっと出せるように撮れれば……と思うばかりです。

 

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 一方でチタニウムフラッシュは、カタログでは単なる茶色として紹介される為。

 地味、という印象を多く持たれるとのことです。

 しかしながら、天候次第では様々な顔色を見せてくれる、とても面白い色でもあります。

 噂の域を出ませんが、MAZDAが出すボディカラーの中で、一番苦労したのがこのチタニウムフラッシュだとも言われているようです。

 

 

 愛車の撮影にのめり込む私たちを。

 時間だけは、容赦なく過ぎていきます。

 加えて、午後から悪天候になるという情報を得ていたこともあり。

 

 最後の目的地となる、バナナワニ園へと向かい、車を走らせ始めるのでした。

 

 

 

 動植物が生きる、バナナワニ園

 

 

 熱川バナナワニ園は、二日目に宿泊した伊豆高原から車で20分程走れば辿り着ける場所にあります。

 この施設は名前の通り、数多くのワニと熱帯植物を鑑賞できる場所です。

 獰猛故触れ合うようなことはできないながらも、ガラスや柵越しに小型から大型のワニを間近に見ることができます。

 また施設の温度や湿度を一定にすることで、日本では見られない熱帯植物もゆっくり見たり、写真に収めることが可能となっています。

 

 

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 このワニは小型種でありながら、ガラス越しに撮影するとこの迫力です。

 爬虫類特有の、縦に鋭く伸びた瞳孔。

 「あ?なんだお前、すぐに食い殺せるんだぞ?」

 と言わんばかりに睨みつけてくるその瞳。

 

 私は、美しいとも、つぶらさのような可愛げさえ覚えてしまいます。

 何よりも、その獰猛さを眼光だけで伝えてくるその様に。

 生存本能のままに、生きることに対する強さのようなものさえ、感じます。

 

 

 

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 変温動物故、身体が温まっていないのか、眠たげな目をしているこちらは、(恐らくですが)イリエワニです。

 体長4m、体重450kgの巨体を持つイリエワニは爬虫類の中でも最大級の大きさを誇ります。

 そして最大の武器である、牙と顎の力は。

 人間のそれと比べて、20倍以上を示すデータもあります。

 ゴジラにも見える強面ながらも。

 眠気眼でノソノソと動くその姿は、どこか可愛げです。(活動状態の移動速度は30km/hで、原付きと同等の速さで迫ってくるそうです。いやはや、恐ろしい限りです)

 

 

 ワニエリアから移動して、熱帯植物エリアへ。

 

 こちらは植物の生育を維持するため、外気温よりも高い温度設定と湿度が保たれており、冬装備では汗をかく程です。

 

 そこには、ブーゲンビリアや。

 

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 赤い花弁を開くハイビスカス。

 

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  蓮が広がる水面が、私たちを出迎えてくれました。

 

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 他にも、青い実を付ける奇っ怪な植物もありましたが。

 

 ここで飼育されている、可愛い動物に出会う為に、歩を進めていきました。

 

 

 バナナワニ園のアイドル

 

 夜行性である為か、昼間帯は木の上でお休みしていることが多く。

 身体の小ささから、中々見つけられなかったり、見つけられても写真に収めることが難しい動物。

 

 ここバナナワニ園では、レッサーパンダが放し飼いにされています。

 

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 木の枝に隠れるかのように、静かに寝息を立てる子もいれば。

 ゆっくりとした動作で、毛づくろいする子もいました。

 動くだけでなく、カメラを構える射角に入らない子も多く、撮影は困難でした。

 

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 偶然、こちらを向きながらお昼寝する子を見つけ出しました。

 

 うん、可愛いです。尻尾撫でてモフモフしてみたい。

 

 

 と思っていたら。

 別の子が、木の上で起き上がったのを見つけてました。

 レッサーパンダが動き回るところを見ることは初めてだったので、大急ぎで撮影場所を走り回り、シャッターを切ります。

 軽快な身のこなしは、私たち人間のことなど蚊帳の外と言わんばかりに余裕に満ちていました。 

 

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 その子が向かった先は、水飲み場。水分補給に来たようです。

 

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  水皿の水を、舌を出してペロペロと飲んでいく姿が、これまた愛くるしい。

 レッサーパンダからすれば、生きる為に必要なことをしているだけなのに。

 可愛さだけでなく、それとは別の感覚。

 胸を、キュッと締め付けられるような、そんな感覚を抱きました。

 

 生きる為の本能的行動。

 それを理性その他状況に左右されることなく、どこまでも忠実なその姿に。

 華奢な身体から、生きる強さのようなものを、私は感じました。

 

 

 最後は、こちら。

 

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 老年故に放し飼いにされず、個室に居住する子です。

 この子は 2004年生まれとのことなので、今年で16歳。野生での平均寿命が8~10年と言われるレッサーパンダの中では、かなりの高齢です。

 この子も目を半開きにして、現実と夢の境を行き交っている様子でしたが。

 

 こちらがカメラを向けた途端。

 

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 凛々しささえ感じさせる表情を、生きてきた証と言わぬばかりに起きたと思ったら。

 

 

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 「何撮ってんの?」とでも言いたいのでしょうか。

 突然こちらを向いて見据える様は、長寿者ならではの迫力も兼ね備えていました。

  

 

 

 動植物が、あるがままに生きる姿を目にして

 

 多くの情報媒体を通して、人間界では今、大混乱と恐慌に陥っています。

 陰謀論さえ噂される新型コロナウイルスは、人間の生命を脅かすばかりでなく。

 言語を始めとする、様々なコミニュケーションを用いながら意思疎通し、初期は矮小な存在でありながらもその連携力の強さと頭脳の発達によって、徐々に進化し、文明を築き上げていき。

 時には争いや戦争を経て、同じ人間同士で殺し殺されを繰り返しながらも尚。

 この星の頂点に立つ程の地位を得る程にまでになりました。

 

 絶対的地位を手に入れたはずの人間が、各国の入外出の禁止や首都圏の閉鎖、それによる経済的大損失を被るばかりでなく。

 ヒトとヒトとの繋がりを自らの手で断ち切り、孤独に陥り、半ば破滅に向かう道へ歩み始めているようにさえ、私には思えてしまいます。

 

 感染拡大を防ぐための、やむを得ない措置と、わかっていながらも。

 

 伊豆の地で、 動植物たちの、儚いとも健気とも捉えられる姿を目の当たりにした私は。

 

 自粛という、半ば強制を強いられる私たち人間よりも。

 あるがままに生きる動植物たちの姿は、どこまでも率直で、素直で。

 生きる為の力強さを、感じさせられました。

 

 逆に言うならば。

 

 ヒトという種族が生存本能とは別の、個人事に与えられ、育て上げてきた理性や価値観を築いてきた中で。

 同じヒトという種族でありながら、各々が全く異なる意識の元で、共通の敵である新型ウイルスに立ち向かおうとしていることは。

 

 多様性や応用力という面から見れば、様々な打開策を見出だせる可能性があると言えると思います。

 逆に、同種族という側面から見た時には。

 考え方や価値観の違いが、却って判断を鈍らせ、後手後手に回る結果になっているのではないかと、思えてなりません。

 

 五輪開催が延期され、景気は総崩れし、自粛ムードと追い打ちを掛けるかのように。

 これまで抱えてきた不安や恐怖だけでなく、今度は「自粛疲れ」や「自粛ストレス」といったものさえ、私たちを襲い始めています。

 

 最早、誰を批判したり評価したり、といった次元を越えて。

 既に死後と化しかけていた、モラルやマナーというものが、各々の行動に対して叫び始められるようになってきています。

 

 どちらが正しいか否かなど、誰もわからないと思います。

 

 ですが、一つ言えることがあるとするのであれば。

 自然界で暮らす動植物たちは、個々の意志は強くないのかもしれませんが。

 彼ら彼女らからすれば、私たちヒトが危機的状況に判断を鈍らせ、慌てふためく中で。

 それすらも些細なことだろう、とばかりに。

 癒やしや心強さという、「負けてる場合なのかよ」という無言の叱咤と激励を齎していることを、個人的ながらも、私は感じるのでした。

 

 

 

 冬を、伊豆旅行を終えて、春へ

 

 

 冬と春を行き交う伊豆旅行も、終わりを告げ。

 たーぼぅさんと別れを告げ、私は帰路に就きました。

 道中は往路に近い荒れ模様の天候に遭いながらも、無事帰還を果たして。

 今回の旅を、終えるに至りました。

 

 伊豆では葉桜となっていた桜は。地元では、蕾すらなっていない程です。

 ようやく梅が咲き乱れ、日暮れまでの時間も確実に伸びて。

 この記事を綴る今宵は、静かに降る雨音が心地好い静けさを齎してくれています。

 

 世間は今尚、不安と疑心が蔓延り、収まる気配は暫くないのかもしれませんが。

 

 それでも季節は、春へと確実に向かい始めています。

 

 直様どうにかなるような状況ではないことは、百も承知でありながらも。

 いつの日か、かつて平穏で、ありきたりで。

 ヒトとヒト同士が、再び繋がり合える日が来ることを、陰ながら祈るばかりです。

 

 

 

 この度、伊豆旅行を考案、先導してくたたーぼぅさんに対して、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

 そして、本ブログでは分割となる記事を。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 

 それでは、また次回まで。 

 

 

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【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~伊豆半島横断編~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか

 

 今回は、前回の伊豆クレイルの列車紀行を楽しんだ後の、メインイベントの2つ目。

 

 これまで踏み入れたことのなかった、伊豆の西へ。

 今度は愛車に乗り換えて、沈み行く夕日を追いかけるように駆け抜けた。

 伊豆半島横断紀について、綴っていきたいと思います。

 

 

 今回も写真が多めの記事となります。スマホで御覧の方は、読み込みに時間が掛かるかと思いますが、何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 車幅一台半程しかない県道を、愛車と突き進む

 

 

 西伊豆へ向かうに当たり、本当ならば互いの愛車と共に向かいたい気持ちは強くありました。

 しかしながら、道中がそれなりに悪条件が揃っていることと、運転疲労による事故の可能性を危惧した結果。

 友が駆るモーターと排気量でスムーズに加速することができるアクセラハイブリッドではなく、トルクを持って勾配を制することが可能なディーゼルエンジンを載せたアクセラスポーツで。

 私の愛車で出向き、最悪の場合は運転を交代することで同意して。

 まだ見ぬ西伊豆を目指し、伊豆半島横断の旅が始まりました。

 

 西伊豆までの道のりは、時間で言えば約1時間半。余裕を持たせて約2時間。

 出立した時刻は2時を過ぎていました。

 

 順調に行けば、夕暮れ時に間に合う算段でした。

 

 まずは県道12号に入り、それから国道136号へ合流する形で西を目指します。

 

 

 しかし、早速試練とも言える難所が待ち構えていました。

 

 県道12号は急勾配とキツイカーブが続く、まさに峠道と呼んで遜色ない道でした。

 それ以上に驚いたのは、その道幅。

 

 乗用車同士でさえすれ違うことができない、車一台と半分ほどしかない車道を。

 県外車だけでなく、バスやダンプまで行き交うという修羅場と言える険しい道でした。

 

 どうやらこの県道は、ナビでは西伊豆と東伊豆を行き交いするには最短経路と認識されいるそうです。

 地元の方々やダンプといった運び屋さんといった、険しい道に慣れた人ならまだしも。

 ナビを頼りに誤誘導された県外の方々は、半ば迷い込まされる形で県道12号線に入ってきてしまう、と友は言っていました。

 その実、交通渋滞には慣れているであろう都会のナンバーを背負った乗用車と、次々にすれ違いました。

 恐らく、急勾配や急カーブ、そして車一台がやっとの道を進むのは厳しいことであると思います。

 

 前もって、「白兎さん、ちょっと狭くてキツイ道を走ることになりそうですが、行けますよね?」と、たーぼぅさんが念を押すかのように声を掛けてくれました。

 

 それに対して、私は。

 生まれ育った地元の勾配のキツイ道やヘアピンカーブを幾度となく走った経験と。

 車という世界に飛び出して、様々な場所へ行き。

 時には、未経験故に走ることがやっとで道中を楽しむことさえできずに終わったこともありましたが。

 「亀さん(※注記1※)にならなければ、行けます」

 と、頬を緩ませながら答えました。

 

 ※注記1 車高を落とした車がの腹が、線路のような段差につかえて身動きが取れなくなること。極端に車高を落とした車では、線路の段差やコンビニの入り口でも起こり得る※

 

 険道とも書ける12号線を走り抜けて行く中で。

 確かに、勾配やカーブはキツく、対向車に道を譲れるような待避所もない厳しい道路でした。

  ですが。

 私はハンドルを握りながら、「これは面白い道ですね。いやぁ、運転していて楽しい道だ」と笑っていました。

 

 車に興味を持つ以前であれば。

 とっくに車を走らせることさえ投げ捨てて、運転をお願いしていたと思っています。

 

 然れど、その時の私は。

 愛車を傷つける以上に、対向車や前方を走る車とかち合わないように慎重を期しながらも。

 車を走らせる喜び、愉悦に浸る程で。

 友と語り合いながら駆ける程度の余裕は、身に付けられていたのだと、省みています。

 

 

 知らない間に、少しは成長、できたのかな。

 

 

 そんな思いを潜めながら、県道を道なりに行く内に。

 

 片側一車線の余裕ができる道に辿り着いていました。

 

 「ここまで来れば、あとは道なりに行くだけです」

 友の声に、安堵しながら。

 「了解、ありがとうございます。では、行きますか」

 

 道幅という制限が解除されたことで、更に高揚感が増した私は。

 多少軽減されたとは言え、相変わらず勾配のある道を。

 ディーゼルとターボの力を堪能するかのように、思い切りアクセルを踏み込みました。

 

 1500ccという小排気量ながらも、愛車が生み出す加速力は、時として座席に身を食い込ませる程のGを生み出し。

 隣の友も、愉悦とも驚きとも取れる歓喜の声を聞きながら。

 私も、愛車が齎してくれる力強さにニヤリと笑って。

 購入時の車体価格並にチューニング代をつぎ込んだ相棒と共に、西伊豆へ向かう脚を止めることはありません。

 

 そして夕暮れは、確実に迫っています。  

 

 

 

 東から西へ横断した先に待っていた、冬と春

 

 

 峠道を乗り越え、始めて西伊豆に乗り込んだ私たちを迎えたのは。

 冬至から約3ヶ月、日も伸びて。

 太陽は水平線より遥かに高い位置から、地上を照らしていました。

 その日差しの強さと明るさは、冬を越えて春へと向かい始めていることを直感させるものでした。

 

 しかし、その暑さや眩しさに心奪われる時間はありません。

 途中あったコンビニに立ち寄って飲み物の補充と一服を早々に済ませ、目的地へ向かっていきます。

 

 そして、到着したそこは。

 黄金崎。

 夕日と海を一望できる、まさに字の如く黄金郷を思わせる場所でした。

 

 夕暮れが近い時間帯でしたが、駐車場はほぼ満車状態。愛車を、沈む夕日と共に撮影することを最終目標としていた私たちは、少しでも他車が少ない場所に車を停めて。

 各々のカメラを手に取って。

 初めて訪れた黄金郷えへと、足を進めるのでした。

 

 

 

 強風吹き荒れる、黄金崎での写真活動

 

 

 黄金崎は西伊豆の最西端に位置し、夕日を拝めるには絶好の場所でした。

 条件が揃いさえすれば、富士山も撮影することができるという、まさに自然が織りなす幻想郷とも呼べる場所でした。

 

 激しい波と海風によって削られたそこには。

 

 ※以下写真は、PENTAX 18-135mm 標準ズームレンズにて撮影※

 

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 「馬ロック」と呼ばれる、馬の頭から首筋に掛けてを形どったかのような、独特の奇岩が眼前に広がっていました。

 

 今まで見たこともなかった、絶景とも奇異的とも見える光景に圧倒されるのも、束の間。

 

 

 この日は、海からの風がとてつもなく強く、

 カメラを保持する所か、直立していることがやっと言うほどにまで荒れていました。

 

 

 でも、ここまできた以上。

 二度と来ることはできないかもしれない、と覚悟のような決意を胸に。

 冬と春を行き交う、激しいまでの自然を。

 カメラに収めようと奮闘しました。

 

 

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 風に押されてブレる手を抑えるのが、本当にやっとのことでした。

 

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  激しく押し寄せる波が、岩肌に突き刺さり、

 

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 砕かんとばかりに、飲み込んでいく。

 水の力は、そして自然の力は。

 人間という矮小な存在では、とても計り知れない程にまで強くて。

 凶悪で。

 それでも、美しい。

 

 そして、偶然撮れた一枚がこちら。

 

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 余りに強い波は、地上の私たちにまで水飛沫を齎して。

 眼鏡やカメラのレンズを、たちまち潮塗れにしていました。

 その中で、木の合間からシャッターを切った一枚は。

 レンズに付着した潮と、気象条件が重なって。

 偶然という一言では言い表せない程の、西伊豆の海岸を。

 沈み行く太陽を、撮影することができました。

 

 自然は、カメラで撮ろうとした一瞬一瞬で、たちまち姿を変えていきます。

 その瞬間の度に、美しさや羨望を抱かせながらも。

 自らの手で、物に出来た時の喜びと感動は、ひとしおです。

 

 

 夕日を受ける、愛車の勇姿

 

 展望台に立っての風景撮影は、時間を忘れさせる程引き込まれるものでした。

 しかしながら、叩きつけるかのように吹き抜ける風や海風の冷たさは、体温を奪い、体力を奪っていきました。

 

 限界を察した私たちは撤収し、駐車場で待つ相棒の元に向かいました。

 

 黄金崎に夢中になる、数十分の間に。

 相棒も潮風に打たれ、すっかり潮塗れになっておりました。

 

 ここまで、私と友を乗せて。

 全力を出してくれた相棒の勇姿を、カメラに収めていきます。

 

 ※以下、SIGMA 30mm F1.4単焦点レンズにて撮影※

 

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 ヘッドライトが煌めくように見えるかの如く撮影し。

 

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 シャープさを増々にして、油絵のようにしてみたり。

 

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 カメラを地面ギリギリに構えながら、やや見上げる角度に。

 

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 わざと垂直方向からずらしてみたり。

 

 撮影する角度、被写体、収める全体像。

 少しずつ変えるだけで、無限大とも言える相棒の写真を撮ることができました。

 

 今回もナンバー隠し以外の目的で加工することなく、撮影した一枚一枚を一切弄ることなく上げています。

 高価な機材を用いずとも、自分が「これだ!」と思った一枚を取れて。

 それで満足できるのであれば。

  私のような素人からすれば、それで十分幸せなことであると同時に。

 思った構図を取れないことを、機材の性能を盾にして。

 わざわざ高価なものに手を出す必要など、ないと思う瞬間でもありました。

 

 

 さてさて、いよいよ風も駐車場にまで魔の手を伸ばし始め。

 限界を悟った私たちは、急ぎその場を離れるのでした。

 もっと、穏やかな陽気である日に来られるのであれば。

 

 

 また、来てみたいな。

 

 

 後ろ髪を引かれる思いを振りほどくかのように、帰路に向けて、愛車を走らせるのでした。

 

 

 帰路に着く私たちの道中で。

 西伊豆を代表とする、堂ヶ島付近を通りかかりました。

 

 折角なので、沈み行く夕日を背景に。

 

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 写真では穏やかに見える堂ヶ島ですが。

 ここでも、海風は収まることを知らず、地上に立つ我々を薙ぎ払わんとばかりに吹き付け続けていました。

 

 静けさとおおらかさを垣間見えながら。

 季節はまだ、冬と春がせめぎ合うかのような激烈さを、私たち人間に齎していました。

 

 堂ヶ島撮影も、僅か十数分滞在するのが限界でした。

 

 戦術的撤退を余儀なくされた私たちは、来た道と別ルートを辿りながら、帰路に着くのでした。

 

 

  しかし、夜の帳が下りても。

 

 ゆきゆきて、町の灯りは消えぬまま。

 

 伊豆横断旅行は、夜にまで続いていきます。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~廃線間近の、伊豆クレイル~

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 今回は、前置きは省略して。

 

 愛車と行く、冬と春の伊豆旅行記。

 

 今回は、そのメインイベントの一つである。

 伊豆クレイルという、観光列車に乗って。

 日頃、余り列車紀行について、綴っていきたいと思います。

 

 今回は文章少なめ、写真多めの記事となります。

 

 

 

 

 

 大雪の荒れ模様は、一晩経って、春の陽気に

 

 前日の移動で草臥れていたのか。加えて、ブログの下書きを進めていた為か。

 

 起きたのは、8時半過ぎでした。

 部屋のカーテンを開けると、そこには晴れ晴れとした青空が。

 広がってはいませんでした。

 しかし、部屋から見える愛車や駐車場の路面状況を見た限り、明け方まで雨が続いていたことが伺えます。

 

 更に窓を開けて、海風によって運ばれてくる、潮の香りを肺一杯に吸い込んで。

 吐き出す息は、白くもならず。

 暖かい、と感じるにはもう一歩、というところではありましたが。

 思い切り晴れることも、雨が降ってきそうな両極端な気候ではなく。

 

 旅を楽しみ、写真撮影するには絶好の状況でした。

 

 そんな春の陽気に包まれる、伊豆を案内してくれる親友と早速合流し。

 メインイベントの準備の為に、移動を開始します。

 

 伊東駅から神奈川方面へ向かい、目指すは小田原。

 

 そこで、搭乗する列車を暫し待ちます。

 東海道線を始めとする、首都圏でも良く見かける列車たちが行き交う中。

 目的の列車が、ホームへ入ってきました。

 

 その瞬間を待ち望んでいたかのように。

 

 実際に乗り込む人も、列車を撮影しようとする人たちも、一斉にカメラやスマホを構え始めました。

 

 それが。

 

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 写真の横断幕の左側に映る車両、伊豆クレイルです。

 ※私は人だかりとカメラを構えるタイミングを誤り、ピントがボケたり人が写り込んでしまう写真ばかりになってしまった為、ボツの連続に終わりました※

 

 

 観光列車・伊豆クレイル

 

 一応、地元にも小海線というローカル線が走っております。

 通常は学生の方々が利用する列車ですが、この小海線。

 実はJR東日本が列車を走らせ、駅が所在する標高点が上位10位以内のほぼ全てを独占する程の高い標高を走る列車として有名です。

 その筆頭である、高原野菜と眼の前に広がる八ヶ岳を一望できる、野辺山駅には。

 大して大きな駅舎もなく、お土産屋も疎らでありながらも、連日人だかりができるほどだそうです。

 

 

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 地元故関心が薄かったということもありましたが、この路線にも観光を目的とした列車を「HIGH RAIL 1375」という観光列車を走らせています。

 この1375という名称は、列車が通過する最高地点が海抜1375mであることを元に付けられているとのことです。

 

 地元だから、いつでも見に行ける。

 地元だから、旅行計画を立てる必要もなく。

 そういった思いが、却って興味関心を失わせ、これまで敢えて調べたり実際に乗ろうとも思わなかったのだと思います。

 ※この列車は、実際に友と共に乗りました※

 

 

 

 話が逸れましたが、今回搭乗した伊豆クレイルという列車。

 

 2016年に運行を開始。

 「大人に適した列車」という意味を冠され、飲食サービスやグッズ販売を兼ねる観光列車として運行されています。

 

 ※以下写真は、PENTAX純正18-135標準レンズにて撮影※

 

 

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 写真は、伊豆のミカンを惜しみなく使ったジュース。ボッタクるような値段では決してなく、ミカンそのものの甘みとスッキリした飲み味でクドさはなく、旅のお供にもピッタリです。

 

 車両は僅か4両という短い編成で、全てグリーン車扱いです。

 1両目はお弁当と飲み物が予め用意された、純粋に列車に乗りながら食事を楽しむ車両。

 2両目は売店となっており、座席は簡易的なソファーだけが置かれています。ここで飲み物といったお買い物をし、各車両へ持ち帰ってくるようになっています。

 3両目は1両目と同じ趣きながらも、座席が完全個室化されており、親しい人々とより談笑を弾ませ、列車の旅を楽しむことに特化しています。

 最後の4両目は比較的通常のグリーン車と近く、食事サービスはないものの、飲み物は売店で購入することができる為、然程利便性にこと欠くような印象はありません。

 逆に食事に目が行かない分、ゆっくりと流れる伊豆の風景を楽しむことができる分、景色を堪能したり写真撮影したい方には嬉しい設計になっています。

 

 

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 今回私たちが乗ったのは、4両目。

 

 新幹線では荷物置き場になる座席上には、BOSE製スピーカーが各所設置され、緩やかな音楽を流しながら、時間を忘れさせてくれます。

 

 お酒を入れて勢い任せに楽しむような列車ではなく。

 

 純粋に、「大人の為の列車」という言葉がピッタリ。そんな印象を受け取った車両でした。

 

 片側二席という座席設計もあり、約2時間弱の間、私も友と色々なことを語りました。

 

 時間が許されるのなら。

 いつまでも乗っていたい。

 

 そんな感情さえ抱いたこの列車は。

 

 今年の6月を目途に、運行終了が予定されています。

 

 初めて乗ったはずなのに、また、乗ってみたいと思った列車は。

 これが、始めてなのかもしれない、と今でも思っています。

 

 

 

 

 

 のんびりとした時間を味わいながら伊豆を行く

 

 

 

 通常の特急や急行列車であれば、小田原~伊東は1時間弱で到着する距離です。

 

 しかしこの列車は、「観光」というものに拘りを持っているのが特徴でした。

 停車しても、乗車口を開けないまま10数分停まり続けたり。

  各駅を出立する旅に、駅長さん始めとする駅員の方々が見送りするという徹底ぶり。

 

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 写真は、熱海駅を出発した時の見送り場面です。

 

 

 現代の日本は。

 時間に、仕事に追われに追われて。

 休息したり、「時間を忘れて」何かに浸る、ということを忘れてしまって。

 休むどころか、一息入れることさえ少なくなっている

 そのようにさえ、私は感じてしまいます。

 

 

 そんな社会全体に。

「飲まれるな!」と優しく鼓舞してくれるかのように。

 兎に角、ゆっくりとした時を楽しむことを。

 伊豆という、海と山が両立する景色を楽しむことを。

 

 

 言い方を、私なりに強引に言い換えるとするならば。

 普段抱える、仕事や社会からの悩みや葛藤なんて忘れて。

 目の前の景色を、列車に乗ることを、目一杯楽しんで、癒やしを感じてもらいたい。

 

 そんな強い意志のようなものさえ、感じる程でした。

 

 

 車窓から望む景色も、絶景ばかりでした。

 

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 自衛隊のヘリでしょうか?

 

 

 シャッターを切り、トンネルを抜けていくに連れて。

 朝立ち込めていた雲も、すっかり疎らとなって。

 陽光眩しい、晴天に恵まれました。

 

 

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 そして、昨年の丁度今頃だった。

 

 

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 アクセラのオフミーティングが開催された、長浜海浜公園を後にしながら。

 

 

 時間という数字だけ見れば、長いとさえ思った乗車時間もあっという間に過ぎ去り。

 

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 伊東駅に降り立った私たちは、見送る駅長始め駅員さんたちと共に。

 

 

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 喩え、束の間であったとしても。

 24時間という、限られた時間を忘れ去って。

 憩いを齎せてくれた車両を、見送りました。

 

 

 尚現時点では、この車両の予約は早くも満席となり、乗車することも難しくなっているとのことです。

 

 

 いつかは、限られた空間に人が押し込まれるという電車というものを毛嫌いして。

 隣に座る人や、抑えられない感情からか騒いだり、泣き叫ぶ子供に辟易してきた私は。

 出来ることなら、電車というものに乗ることを避けてきました。

 

 

 然れど、電車には電車の。

 車とはまた違った、身体を、精神を休められる場であることを。

 急ぐ心さえなければ、ゆっくりと乗り続けていたいとさえ、思える時間でした。

 

 

 

 電車から降りた私たちは。

 再び愛車に乗り込んで、まだ見ぬ地を目指していくこととなりました。

 

 

 

 ひとまず、今回はここまでといたします。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【車・写真】愛車と行く、冬と春の伊豆旅行 ~冬の険しさ編~

 世界各国の国境並びに入外国規制、前代未聞の株価暴落。

 最近では天災というよりも、人災と揶揄されるようなりはじめたパンデミック。

 

 それに負けるわけにはいかないと咆哮するかのように。

 自粛を呼びかける中でも、イベントや各行事が再開され始めています。

 少しずつながらも、各都道府県や企業が先行するような形で、猛威を振るうウイルスに立ち向かう、力強くも温かくて、失われつつある人々の意識を再結束させようとする動き。

 

 自粛に対して反対の意志を持っている私は、そのような姿勢を強く支持すると共に、私自身も私が思ったことを貫きたいと思っています。

 

 世界を代表する御仁たちのみならず、自国民よりも自身の保身に走るようにしか見えない、明確な意思決定や対策さえ打ち出さない政府よりも、私からすれば余程信用できると共に、自分が成せることを成したいと思う程です。

 

 一度は、私が住む地域で感染者が出たという報道に踊らされるかのように狼狽した私ですが。

 

 いつどうなるかわからない事態にまで陥ってしまった以上、不必要な疑いや不安を持ったり、どうしてこんなことになったのかと、責任を押し付け合うような醜い争いをするよりも。

 

 3月も終盤に入りかけ、桜が綻び始めている今。

 それに伴うイベントに、各地へ赴くことを、自分の意志を以て。

 自粛ムードに抗おうと勝手ながら決意している、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 先日、車に関する記事を上げさせていただきました。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 この記事は、実際に先日旅行へ出向いた際に陥った出来事を抜き出す形で、「運転」に焦点を当てる形で上げており、本記事で上げようとしていた内容の「前段」とも言える内容でした。

 

 

 今回は、盟友たーぼぅさん企画の元。

 気候的には、冬と春を行き来している中。

 既に桜が散ってしまったという前情報を得ながらも、伊豆半島へ趣き。

 愛車であり、相棒である「Lupus」と道中を駆け抜ける喜びを。

 旅することで初めて知ることができたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 尚、今回のタイトルである「愛車と行く、冬と春の伊豆の旅」は、複数回に分けて上げて参ります。

 

 

 

 

 

 

 伊豆への道を阻む、険しい冬の気候

 

 

 これまで、冬らしい気候に見舞われることなく。

 氷点下になったとしても、例年からすれば可愛いと思えるばかりか。

 纏まった降雪さえなかったこの日は。

 

 出発時点から大きな雪が舞い降り、世界を白銀に覆うようにして。

 気温も氷点下スレスレという、悪条件が重なっての旅路の始まりとなりました。

 

 しかし、私はそれに臆することも、出かけることに対して気持ちが萎えることもなく。

 寧ろ、高揚感を抱かのように、相棒と共に地元を出発します。

 

 降雪の濃さからか、視界は半ばホワイトアウトして。

 無灯火の対向車は、数十メートルまで近接しなければ視認できない中。

 

 冬装備を万全とし、車体価格と同等、或いはそれ以上の軍資金を投じてチューニングした愛車と私を止めるものは、ありませんでした。

 

 幸いにも氷点下に落ちなかった気温のお陰もあり、路面凍結を免れて。

 吹き荒れる風に乗った大きな雪の結晶を受けながらも。

 峠道を、ダウンサイジングながらもディーゼルエンジン+VGターボ(可変ジオメトリーターボ。詳細はWebで)と。

 動力に負けぬように強化した足回り。

 高速道路のジャンクションのようなカーブでも、80~90キロをキープしたまま余裕で曲がっていける剛性と粘り。

 

 見た目こそ、ノーマル+αの域を出ない相棒ですが。

 

 

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 私が、私なりに目指した、車の形。

 車本来が持つデザインや意匠を崩すことなく。

 外見は、飽く迄も個人を多少強調する味付け程度に留めて。

 中身は、脱いだら凄いのよ?を目指して。

 

 今シーズンでは珍しいとも言える程の、冬の洗礼を受けるかのように、峠道を駆け抜けて。

 道中、動力やタイヤの摩擦力に負けて横滑りしかかりながらも。

 相棒と私は、ただひたすら駆け抜け続けました。

 

 目の前の雪にも。

 コロナウイルスという、目に見えないものにも。

 負けてなるものかと、吼えるようかのようにエンジンを唸らせて。

 

 

 

 久しく忘れていた、愛車と共に駆け抜ける喜び

 

  峠道を乗り越えも尚、雪は降りしきり。

 行き交う車は少ないながらも、変わることのない気象状況。

 

 高速道路に乗り入れても、標高の高い場所を走っている間は、舞い降りる雪なのか雲なのかさえわからない程、白の世界が続くばかりでした。

 

 しかし。

 伊豆への最短ルートである甲府昭和ICを降りる頃には。

 結晶だった雪が姿を変え、雨となっていました。

 

 雨になったことで束の間の一息を入れられましたが。

 富士山の西を行く、国道139号線は、再び吹雪に見舞われる悪天候に見舞われていました。

 

 天候があまりに不安定だった為、100km程走っては最寄りのコンビニに車を入れて休憩を挟みながら、目的地へとひたすら相棒と共に走り抜けていきます。

 

 そんな状況下で、普段なら壮大な富士山だけでなく、季節の移り変わりを思わせる周りの自然を楽しむことも叶いませんでした。

 

 

 ですが、逆にその状況は。

 忙しさのあまり、久しく忘れていた。

 車を運転する喜びと楽しさを、濃厚なまでに楽しむことができました。

 

 荒れ狂う天候も。世界を蝕むウイルスも。

 アップダウンの激しい道のりも。狭窄ですれ違うのもギリギリな道路も。

 

 相棒と共に走る私には、そのような恐怖も不安も、全部忘れて。

 上り坂を物ともしない、ディーゼルの力強さを以て気持ちよく駆け上がり。

 180°転回するようなヘアピンカーブでも、剛性を高めた相棒には障害にすらならず。

 決して良いとは呼べない気候も、絞られた道路で対向車が来るようなことがあっても。慢心を捨てつつ、経験と身体が覚えている車の操作と車幅を思考を経ずとも乗り越えて。

 

 MAN WITH A MISSIONの曲を響かせる車内で、私の気分は最高潮に達していました。

 その日までに、全ての仕事を片付け、憂いを完全に取り払って。

 休日を愛車と共に過ごすことを満喫する私は、思わず。

 「今日も良い調子だね、Lupus」

 と、同乗者がいたら「何言ってるのこのヒト大丈夫?」と思われるような言葉を、愛車のハンドル越しに掛けていました。

 

 

 その後も前進を続け、新東名高速や有料道路を経て。

 この日の最終目的地に向かう為の、最後の難関である。

 

 亀石峠に、入り込むのでした。

 

 

 

 待っていた、伊豆半島の暖かさ

 

 亀石峠は、最高標高点が451m。

 私の住む地域よりも低いながらも、海と接する伊豆半島の中では高い場所に位置しています。

 道中に箱根ターンパイクや伊豆スカイラインの入り口になる場所もあり、車隙きな者からすれば最高峰に位置する場所です。

 

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 ※写真は、初めて伊豆を訪れた際に、誤って伊豆スカイラインに乗ってしまった際に撮影した富士山です。※

 

 初めて私が伊豆を訪れた際、標高451mと聞いて。

 「大した高低差ではないな」

  と、油断したその場所。

 

 しかし実際は、海抜数メートルしかない場所から、僅か十数キロしかない短い距離で。

 勾配が上り下りの厳しさを、カーブもキツさを、身を持って知って。

 恐怖として覚えてしまったその峠を。

 

 今回は悪天候も重なり、より脅威度は増していたことは確実でした。

 

 それでも。

 いつかは「なんだよ、この道……!」と半泣きで通り越すのがやっとだったその場所を。

 

 超えてみせる。

 今でも、決意にも似たこの時の環状を、言葉で上手く説明することはできずにいます。

 

 強いて言うなら。立ち塞がる峠に対して。

 

 「来いよ。今の私とLupusなら、制覇してみせる」

 

 と、厨二病をこじらせ今尚治らずにいるような感覚を持って、峠道に入り込みました。

 

 亀石峠だけでなく、伊豆は想像以上に山々に囲まれ。

 縦断や横断するには、幾つもの山を越えていかねばなりません。

 それも、標高こそ然程ではないにしても。

 短い距離という条件が重なり、一つの山越えも簡単には済ませてくれません。

 

 それでも。

 私とLupusは、進むことを止めませんでした。

 

 一つ上り坂を越えれば、雪となったかと思えば。

 下り終える時には雨となり。

 目的地に近づけば近づくほど、海風からの風が強くなっていって。

 道は、険しくなっていくなっていくばかりなのに。

 

 私の感情や、相棒が奏でるエンジン音は。

 止まるどころか、激しさばかり増していって。

 

 峠道を、まるで楽しむかのように突き進んでいきました。

 

 一時間弱という短い時間を経て。

 

 最終目的地に、遂に到着しました。

 

 普段見ることも叶わない、海の水面を乱す波。

 激しく打ち付けられる、轟音にも似た、海岸沿いに響く波音。

 出立時点では、氷点下を示していた、車内気温計が、10℃近くを示していて。

 

 そこでようやく、伊豆に降り立ったことを実感することができました。

 

 冬と春を行き交う、不安定で激動すら思わせた旅の始まり。

 宿に到着したと共に、安堵の気持ちと高揚感の残り香を漂わせながら、終わりを迎えました。

 

 車から降りる時、私は再び。

 愛車であり、相棒であるLupusのハンドルをポンポンと叩きながら。

 

 今日も、ありがとう。明日も、またよろしく。

 

 と言い、旅の初日の疲れを癒やすかのように。

 宿にチェックインすると共に夕飯を終え。

 途中で購入したお酒を楽しみ。

 

 次に日以降に、何が待っているのだろうかと、夢見るかのようにしながら。

 早々に床へ付き、眠るのでした。

 

 

 冬と春の伊豆旅行は、まだ続きます。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

  

 

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  ※写真は本記事で綴った旅とは関係ありません※

【車】冬の道路に潜む危険 ~最後は、運転する人間次第~

 3月も半ばを過ぎ、東京では桜の開花されたようです。

 冬らしい冬を感じずに終わってしまうかと思っていましたが、世の中そんなに甘くない現実を目の当たりにして参りました、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 これまでは私が持つ思いや考えを主として綴ってきました、本ブログですが。

 忙しさと余裕の無さから、すっかりお預けとなってしまって久しい、愛車と共に旅に出て参りました。

 

 

 

 その道中。

 今シーズン、鳴りを潜めていた吹雪と大雨に見舞われ、それ故に危うく事故になりかけました。

 

 冬の道には慣れている、という自負が。

 過信でしかなかったことを痛感いたしました。

 

 今回は冬における道路を車で走ること。

 雪国、基氷国に住む私から見た、冬季における車の挙動や扱い方だけでなく。

 これまで幾度も体験してきた、冬の路面において実際に車が滑ったり立ち往生してしまうことで車が動かせなくなる怖さについて、実体験を交えながらお話ししていければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 車における冬装備

 

 

 私の住む地域は、基本的にあまり雪は降りません。

 山々に囲まれている為、それらに阻まれて降雪し終えた冷たい空気が冬と訪れを感じさせる、そんな場所です。

 そして盆地という地形も重なり、夜は星々が煌めく程の快晴になることが多く、寒い時は氷点下二桁台に落ちることもあります。

 

 その結果。

 たった少しの降雪や霜が降りたら最後、永久凍土と化し。

 道路は濡れているだけかのように見える、ブラックアイスバーンや溶けかけのシャーベット状の雪塗れになります。

 

 徒歩や自転車のみならず、車がなければまともに生活さえままならない私の地域は、それらの移動手段に危険性と制約が課されます。

 

 

 ここで、一つ例えを上げさせていただきます。

 冬季に入り始める、10月下旬辺り。

 テレビではスタッドレスタイヤのCMが流れる始め、実際に御覧になった方は多いと思います。 

 その内容は、氷上や積雪路面で車が急ブレーキを踏んでも「ギュッ」と止まることを強調するような演出が大半を占め。

 凍った路面でも安心できる、という性能を売りにしているかのように見えます。

 

 

 しかし、スキーやスノーボードを趣味として。

 スキー場のある雪道や凍った山道を、実際に車で走ったことがある方は、ご承知おきのことかもしれませんが。

 

 走り始めの時のような低速ならまだしも。

 積雪上や氷上でブレーキ(制動とも言います)しても止まることは、ほぼ不可能です。

 

 

 少し専門的な話になりますが、車の直進方向、つまり車を正面から見て縦方向への動きに対してはある程度制御は可能です。

 アクセルを踏むことで進んだり、ブレーキを踏んで止まることができるのは、道路と直接接しているタイヤの摩擦力が十分である為です。

 先述したスタッドレスのCMでの演出状況は、完全に凍結仕切った氷上です。

 いかにも滑りそうな状況に見えますが、その実は。

 完全に氷と化したものは摩擦力から見れば想像以上に低くなく、制御を失って止まらなくなることはありません。

 

 

 滑る時は滑ってしまう、冬の道路

 

 

 仮に雪が降った場合。

 子供の頃、長靴でフワフワな新雪を「ギュッ、ギュッ」と踏みしめて歩いたことがある経験がある方は、雪を靴裏踏んだ時に「抵抗感」をといった感覚を覚えていらっしゃるかもしれません。

 

  車にも、同じことが言えます。

 降りたての雪は、いかにも滑りそうな印象を抱きがちになりますが。

 実はカチコチに凍った氷上以上に、抵抗力。つまり摩擦力があります。

 結果的に、車のタイヤとの摩擦力が確保される為、怖いと思うかもしれませんが、滑ることはまずありません。

 

 

 問題なのは、そういった雪が車によって踏み固まれて、圧雪状態になっている時。

 或いはアイスバーンのように、ひと目では凍っているのか濡れているのかわからないような路上を走るような時です。

 

 圧雪やアイスバーンのといった路面の表面は、人の目では見ることのできない「水の膜」で覆われている状態となっています。

 

 この状態の道路が、冬場において一番危険です。

 

 そのような路面は、雨天時を凌駕して。

 終日氷点下に見舞われ、完全に氷と化した路面が可愛いと思える程、摩擦力が限りなく低くなります。

 摩擦力がなくなった路面を通過する時のタイヤは、想像を遥かに超えて摩擦力を失い、想像以上に滑りやすくなります。

 

 その結果、例年豪雪に見舞われたり、雪は降らずとも氷点下の日が続くことで、同路面凍結してしまう地域でも。

 或いは、普段雪や氷に覆われることのない温暖な地域においても。

 一度滑ったら最後。

 制御を失った車が単独事故、衝突事故、玉突き事故や渋滞が発生に繋がってしまいます。

 

 車の冬装備をしっかり装備していても、どれだけ気を付けていても、冬の路面は危険であることに変わりはありません。

 

 しかし、それ以上に。

 スタッドレスタイヤを履いているから、大丈夫。

 或いは、自分の車が4WD(四輪駆動、four-wheel drive)であるから、滑ったりすることはないだろう。

 

 タイヤや車の性能に、「安心・安全」を預けてしまった、心の隙。

 そのようなものが、事故やトラブルが引き起こす大きな要因であると、個人的に思えてなりません。

 

 スタッドレスタイヤ、4WD・AWDといったものは、専門的かつわかりやすく説明しているサイトが沢山ありますので、本記事では省略させていただきます。

 

 

 

 一度滑り始めた車が行く末路

 

 

 首都圏を始めとする、あまり雪の降らない地帯で、数センチでも降雪した時。

 歩いている時に滑って転んでしまった。

 周りの視線を浴びることの恥ずかしさを味わうと同時に、思い切り打ち付けてしまった膝やお尻の激痛で「もう、嫌だ!」と思ったことは、ありますでしょうか。

 それで済めば良いのですが、万が一、打ち所は悪ければ。

 骨を折ってしまうことも。

 最悪の場合は、死に至ることさえあります。

 

 滑る怖さは、意外と身近な場所に潜んでいます。

 

 

 これを車に置き換えた場合、事態はより深刻になります。

 

 一例として、信号待ち等により、上り坂で停車した状態から発進しようとした場合。

 その状態からアクセルを踏み込んで、エンジンから生まれる運動力を、タイヤの回転力としていく過程において。

 道路と唯一接し、エンジンを始めとした様々な力を伝えるタイヤが、摩擦力を失った瞬間。

 原動力たるエンジンは、アクセルを幾ら踏んで出力しようとしても、タイヤが本来の機能を失って空回り、つまり滑ってしまうことで。

 直進という本来行いたいことさえできなくなり、運転手を混乱に陥らせます。

 

 

 私も先日、旅行先へ赴く坂道において車が滑りました。

 当時の路面は雪が降っており、塩化カルシウムが撒かれた後だったのか、シャーベット化した雪が路面を覆っていました。

 上り坂のカーブを進んでいく最中、突然、車体が横滑りしました。

 過去にも似た経験を味わっていますが、横滑りした瞬間「マズい!」と軽くパニックになりかけてしまいました。

 幸いにも後続車や対向車はおらず、横滑りを起こした際は「ハンドルを滑った方向と逆側に切る」ことを身体が覚えてくれていた為、制御不能に陥ることなく、ヒヤリハットで済みました。

 

 しかし、これが状況次第では愛車を破損させてしまうばかりか。

 他の誰かが運転する車と接触、追突事故になること可能性は十分あります。

 そして、運転する自分だけでなく、相手が怪我を負ったり、最悪死亡することを考えると、とても恐ろしいことです。

 

 

 

 最後は、運転する人間に委ねられる

 

 

 最近の車はめまぐるしく進化し、追突軽減ブレーキやオートライト、横滑り防止機能と、安全装備が充実しています。

 またタイヤも性能が飛躍的に向上し、滑り始めても止まってくれるまでの距離を可能な限り短くし、タイヤそのものの寿命も少しずつ伸び始めています。

 

 

 そのような、車やタイヤの安全装備・性能が充実していることは、運転する人間に安心を齎してくれます。

 

 でも、それに頼り切ったり、過信する形で車を運転することが、私は一番危険なことだと思えてなりません。

 

 性能に頼るが為に、車を運転する為に必要な人間の判断を鈍らせ、感覚を麻痺させ、動作を遅らせることに繋がると思っているからです。

 

 安全装備や性能は、飽く迄補助的なものであって。

 安全を生み出してくれるものではありません。

 幾ら安全装備が充実し、性能の良いタイヤを装備していても。

 滑る時は、滑ります。滑ったら最後、止まることはできません。

 

 

 絶対的な安心や安全というものがあり得ない以上。

 運転する人間が、安全を意識して、運転することが全てであると、私は考えます。

 

 

 最後になりますが。

 車を運転される方に対して、一言だけ申し上げます。

 冬の道路を、特に積雪や路面凍結が予想される場所へ移動、ドライブされる時は。

 スタッドレスタイヤか、カーチェーンを必ず装備なさってください。

 そうしなかったが為に、事故を作る要因とならないように。

 氷国に住む私からの、勝手なお願いでした。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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【車・趣味】夢は、叶えるもの ~夢を、夢として終わらせない意志~

 書きたいと思うことが溜まっていく一方で。

 文字として、文章としてアウトプットするのに、私は時間が掛かるようです。

 加えて私は、書き溜めるということを非常に苦手としています。

  私の場合、文章として言葉を並べていく中で、一度書いたものであっても「あ、何か違う」「もっと良い言葉がある」と思うばかりに。

 文章を書きつつ校正を繰り返すという、とてつもなく面倒な書き方をしています。

 

 もっと的確に、思いを言葉にできれば。

 そんなことを願いつつ実現できていない、白兎です。

 

 

 皆さん、おはようございます。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 過去の記事で「憧れ」というものに触れました。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 この時は、憧れ=手に入れることが限りなく困難なものを欲する欲望、と書き連ねました。

 

 私が書いた文章を、見直していく内に。

 もう一つの側面もあることに気が付きました。

 

 憧れは、夢と定義することもできるのではないか、ということです。

 

 何故、そう思うに至ったかと言うと。

 簡単に手に入ってしまうものは、お金といった対価を払えば手に入れられます。

 そういった対価がないからこそ、憧れて、届くことのない夢として認識するのではないか、と思ったからです。

 

 一生叶わないまま、夢で終わってしまうことは沢山あると思います。

 

 

 ですが、諦め癖がすっかり定着してしまった、他の誰でもない私自身が。

 夢を夢のまま終わらせることなく。

 叶わないだろうと勝手に決め込んでいた夢を、一度実現できた経験があることを思い出した為です。

 

 

 今回は、叶う日など来ないと信じて疑わなかった夢というもの。

 それを、車のオフ会を通して叶えることができたことについて。

 体験談を交えながら、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 ※注記※

 本記事は、車のSNSで過去投稿した記事を編集、見直したリマスター版となります。

 また本記事は主観的な内容に偏ってしまいますが、何卒ご容赦くだされば幸いです。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 夢は、沢山持っていた

 

 

 人が夢という希望を抱く瞬間は、数多くあると思います。

 物欲だけでなく、才能、地位。

 或いは各種伝説と称されるものに、実際に巡り合ったり自分の目で目にする時間が来ること。

 それこそ、数えること事態が烏滸がましいと言われるかもしれません。

 

 私は幼少期は、叶えたい夢というものを沢山持っていました。

 自分が将来、なりたい職業であったり、なし得たいことを、これでもかと言う程抱えていました。

 実際にそういったものを叶えられるかどうかは別として。

 数多くの夢や希望に、満ち溢れていました。

 

 しかし、幼少期の夢は、飽く迄夢の域を出ず。

 現実は家系的地位や学力、持ち得る金銭がものをいう、かけ離れたものでした。

 挙げ句に、人格否定というものを学生時代に受けたことで。

 

 将来というものに、夢というものに恋い焦がれるように生きていた私は。

 すっかり、現実に幻滅して、人を疑うようになって。

 いつの間にか、かつては沢山の夢を抱えていた自分をも嫌悪するようになっていって。

 夢を「幻想」と捉えるようになり、持つだけ無駄なものと勝手に決めつけて。

 将来や夢を、全て捨て去るようにして、傀儡のように生きる日々を続けるようになっていました。

 

 

 

 

 

 もう一度、夢を見始めていた

 

 

 

 人生に対し、諦めて妥協して、惰性のまま過ごすことを、最善だと認識して久しく。

 

 青春、という言葉すら体験しないまま社会人となった私は、暫し希望や夢というものを忘却する毎日を送っていました。

 

 夢や希望を持つだけ無意味。そんな詰まらない生き方に怒りが差し込んだ、たった一つの切っ掛けでした。

 

 車という、ただの移動手段とも拘る人は拘るとも言われるものとの出会いでした。

 

 貯めていた貯金を使って、数多く存在する車の中から。

 今では「相棒」と呼べる愛車と出会ってから、私は多くのことに対する考え方が変わりました。

 

 MAZDAというメーカーの、アクセラという車を手に入れて。

 思いのままチューニングして、走る楽しさや喜びを覚えていく内に。

 

 一度は自分で閉ざしたつもりだった、希望や夢が、再び芽生え始めていました。

 

 そんな中。

 MAZDAの車と共に、多くの場所へ出かけるようになって、多くの人たちと出会える程になっただけでなく。

 知らぬ間に車を好きになって、カーレースゲームに手を出し始めていく、その中で。

 

 MAZDAを知る者なら、必ず知っている名車の存在を、私は知ることになりました。

 

 その車は、かつて「ル・マン 24時間レース」というモータースポーツ界でも三本指に入るほど有名で過酷なレースの中で。

 それまで外車勢が優勝を誇ってきた中で、日本のメーカーとして、そして今や車社会でも希少種と言われるロータリーエンジンを搭載したプロトタイプレーシングカーが、1991年に優勝を飾った名車。

 

 MAZDA 787B

 

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 ゲーム内や、動画で数多く上がるその吼えるようなエンジン音は。

 時には天使の絶叫とも、サーキットをも轟かせる程、甲高く。

 間接的ではありながらも、爆音とは程遠いまでの、美しい音色とさえ、私は思えるものでした。

 

 聴覚から拾う音に対して。

 私が抱き続けてきた、生き苦しささえ覚えさせる程鋭く尖っていたり、不安を煽るような爆音ではなく。

 この車が奏でるエンジン音は、自分の中で眠る何かを呼び覚ませるような快音であるようで。

 それを、いつか自分の耳で、生のまま聞いてみたい。

 

 いつしか夢とさえ思えるようすら、なっていました。

   

 

 夢を叶えられる日が、突然訪れて

 

 

 

 そんな願望を覚えてから、二年後のこと。

 ちょうど、今の相棒と呼べる愛車に乗り換えてからのことでした。

 

 宮城県にある、スポーツランドSUGOで。

 MAZDA車に乗る人々が集まる祭典として執り行われた、特別なオフ会。

 サーキットミーティング in SUGOと称されるそのイベントが開催されることを、車のSNSで知りました。

 

 その内容は、自分が所有する車で、F1を始めとするモータースポーツでもサーキットとして使われる、スポーツランドSUGOを走ることができるという、日常ではとても味わえないことだけでなく。

 

 夢にまで見た、MAZDA 787Bのデモンストレーションランニングが行われるというものでした。

 

 当時の私は、初めて訪れる場所ということだけでなく。

 初めてお会いする方々ばかりのオフ会に、参加することを躊躇いを隠せずにはいられませんでした。

 

 しかし、それ以上に。

 叶えられないと思っていた夢が、一気に叶うかもしれない。

 

 その思いに刈られるように、私はオフ会に参加しました。

 

 

 

 夢見た地を訪れて

 

 

 

 サーキット会場でのオフ会は初めてだった私には、何もかもが未知の世界であり、幾ばくの不安と高揚感に包まれていました。

 


 オフ会前日の夜に降った雨で汚れた愛車を洗車し、受付場所へを経て。

 そのままスポーツランドSUGOへ入り、既に会場入りされていた皆さんと挨拶を交わしながら、早くもイベントの雰囲気に入り浸りました。

 

 今回はMAZDAファンミーティングということもあり、盛り上がった会場の空気も、会場にいらした人々の数も……全てが圧巻でした。

 

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 自分は今、レーシング会場であるスポーツランドSUGOに来たことを、改めて噛みしめました。

 誰かに誘われた訳でも、強制された訳でもなく。

 他ならぬ、私自身の思いと願いで。

 

 各パーツメーカーの出店や展覧会場を見回りつつ、私の愛車であるアクセラが、実際

にサーキットを走る時間。

 パレードランの時間を、待ちました。

 

 その間、初めて見る名車たちに巡り合うことができました。

 

 

 数々のレースを制覇した、サバンナRX-7。

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 数十年前という歴史を刻みながらも、未だロータリーエンジンの名を語り継がせている、サバンナRX-3

 

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 そうこうしている内に、会場内を、猛るようなエンジン音が響き渡りました。

 
 身体の底から揺さぶられるような、凄まじい轟音。

 しかしながら、心地好ささえ覚える快音。

 紛れもない、走行前調整する787Bのエンジン音でした。 


 動画でしか聞いたことのなかったその音は、生きる伝説の名に相応しいものでした。

 

 この時、奇しくも雨がぱらつき始めていました。

 唯でさえ希少な、787Bを走らせられるかどうか、微妙な天候となっていました。

 

 それでも、夢として抱いた787Bが疾走する様を。名車が奏でるエンジンの音色を聞きたいという思いは、最後まで捨てられずにいました。

 

 787Bのアイドリング作業が行われる中。

 私は車仲間と共に、ある方に出会う瞬間を狙っていました。

 デモンストレーションランニングで787Bのドライバーをお勤めになる、その人は。

 

 ミスタール・マンこと、寺田陽次郎さん。

 

 デモンストレーションランニングの直前のお忙しい中、あたかも突撃取材の如く寺田さんへ直行し。

 

 願っても見なかった、サインを頂戴することができました。

 

 

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 さらに、記念撮影まで嫌な顔一つせず応じてくださいました。

 

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 世界三大24時間耐久レースを完走し、世界のレースで優勝してきた屈指のドライバーでありながら、快く応じて下さるその器の大きさと寛大さに、心打たれました。

 

 

 その後はアクセラパレードランニングの準備に入り、愛車の周りで待機していました。


 そこに響き渡る、あの快音。

 

 猛々しくも優雅でありながら、吼えるような787Bエンジン音。

 

 MAZDA 787Bの走行が始まっていました。

 遥か遠くに見えるコース上を走っているはずなのに。

 サーキット場のどこを走っていても、心の底から揺さぶられる程美しく、会場全体をも響かせ轟かせる音色でした。


 近くでの撮影は叶いませんでしたが、遠巻きから見えるその勇姿。

 いつかは叶えたいと願っていた夢が、一気に叶った瞬間でした。

 

 
 そして今度は、いよいよ愛車と共にサーキットを走るパレードランニング。

 

 多くの名車たちが駆け抜けたサーキット場を、愛車と共に駆け抜けていく。

 

 20分程の時間ではありましたが、始めは緊張で一杯だったものが、走り抜けて行くにつて、高揚感を覚えていました。

 これが、サーキットを走る喜び。愛車と共に走る歓び。そして言葉では言い表しきれない昂ぶる気持ち。

 

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 夢としか捉えられなかったことの数々を。

 この時に、ほとんど全てを叶えられることができました。

 

 

 

 

 

 夢を、夢で終わらせない意志

 

 

 

 

 これまで私は、夢なんて持っても叶うはずがないもの。

 持つだけ持って裏切られる位なら、持たない方が良いと、そんな風に思っていました。
 ですが。


 この体験を通して、それは「夢が叶うことを、ただ待っているだけ」なのだと、実感しました。

 

 夢は、叶うのが待つのではなく、自分から叶えにいくもの。

 今は、そう思っています。

 

 時には、立ち止まってしまう時もあるだろうけど。

 私も、愛車であり相棒であるLupusも。

 どこまでも進んで行ける、そう確信した瞬間でした。

 

 

 ここまで体験を元に綴って参りましたが。

 夢に思ったことが、夢として終わってしまうことの方が圧倒的多数であるのは、事実なのだと思います。

 

 それでも。

 一見届かないように見える夢であったとしても。

 自分の勇気や意志、決意によって。

 夢を現実にできることができるのではないかと、私は思うと共に信じています。

 

 何をしても無駄。何をしても変わらない。

 そう思い込んできた私ですら、切っ掛け一つで夢を叶えることができました。

 

 それがもし、皆さんが持つ夢というものに照らし合わすことができるのであれば。

 

 夢は叶うことを待つだけでなく。始めから叶わないと諦めるよりも。夢として終わらせるものでもなく。

 私のような、かつて希望も夢も捨てた人間でも。意志次第では、叶えられるかもしれないものであると思っています。

 

 夢を、夢として終わらせない。

 その大切さを学んだ、私の中で大きな出来事を元に、綴らせていただきました。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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