白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【車・趣味】早春の東北へ ~2021年、旅の始まり~

  すっかり陽が伸び、街が夜の灯りに染まる時間が少しずつ遅くなりつつあります。

 そろそろ春の陽気に向けて、重ね着を徐々に少なくしていこうと考えている今日この頃。

 と言うよりも、暖房の効いた室内や電車内で汗をかくという醜態を晒すことが多くなった、というのが正直な私です。

 

 

狐

 

 

 はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 新たな代理、(見た目はともかく)狐をモチーフにしたキャラクターをお披露目させていただきました。

 狐、可愛いですよね。細身でありながら尻尾はモッフモフ。見かけたら抱きつきたくなる衝動に駆られます。

 

 

 そんな私の欲はさておき。

 

 先月のこととなりますが、東北への旅行へと行って参りました。

 約3ヶ月ぶりとなる旅。旅行することさえ非難の対象となりつつある時世の中、「見知らぬ地へ行きたい」という思いが燻り続けておりました。

 そのような最中、東北へ、宮城への旅路を提案してくださったブログ友にして盟友「たーぼぅ」さんと共に赴いた冬の険しさ残る旅路。

 また一つ、否、それ以上に多くの思い出を残すものとなりました。

 

 

 今回から複数回に別けながら、残雪と新雪が交じる宮城。

 そして県を跨ぎながら名所を巡った時間を、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 一度諦めた、宮城のとある場所に募る思い

 

 今回の旅行に際し、実は少し前に一人旅行を計画していました。

 それは宮城県にある、とある場所。

 コロナ禍によって車関係のイベントが軒並み中止される中、抑えきれない好奇心と衝動から一人旅も厭わないとホテルの手配まで行いながらも。

 

 私の住む長野からは片道4時間掛かる長旅。仕事の余裕を見ながら調整しながらも、余りの余裕のなさから断念する結果を齎しました。

 

 それから早半年。

 

 年明け早々から、東北への旅行を再計画する運びとなりました。

 一度頓挫した私の計画を知っていた「たーぼぅ」さんは、私の思いを汲み取ってくださりながら。

 同時に行きたい場所がある、ということで意見が一致。晴れて久方振りとなる旅路に臨むこととなりました。

 

 昨年の新潟旅行の時と同じ、倉賀野駅にて合流し、片道約4時間のドライブ、開始です。

 

 

 地震が発生した数日後に訪れた宮城

 

 

 然れど、懸念することが起きました。

 

 福島県沖を震源地とする、最大震度6弱の地震が予定日の数日前に起きたのです。

 東北新幹線の一部区間が運休する程の被害を被った他、常磐道も通行止めとなるにまで、事態は深刻でした。

 

 幸い当日は高速道路も復旧が終わり、道中は滞りなく進路をひたすら北へすすめることができました。

 そして、辿り着いた宿泊地。ビジネスホテルというよりもシティホテルといった趣で、リニューアルしたてでとても綺麗で厳かな印象でした。

 がしかし、建物の壁の一部が剥がれ落ち、屋内の至る所にひび割れが走っていました。

 地震が齎した脅威が、如何に凄まじいものだったか。それを物語らせ、見る者に想像させるには容易い程でした。

 

 しかしながら、ホテルのスタッフの方々は、旅の浮かれ気分で来訪した我々を温かく迎えてくださいました。

 

 こんなこと、言ってはならないのかもしれませんが。

 人間不信をこじらせ、人を信じ頼ることが今でも中々できずにいる私には。

 ホテルの方々の、東北の方々の寛大で温もりに溢れた言葉と声色。

 私にとってどこまでも温かくて、心地好くて。

 それでいて震災にも負けない芯の強さと優しさを兼ね備えている、そんな感情を抱かせるのでした。

 私には、とてもできない。

 そんな人を想う姿を目の当たりにし、私も私なりにできる精一杯の挨拶を返しながら。

 二泊三日お世話になる、ホテルにチェックインするのでした。

 

 

 

 松島を遊覧、の予定が

 

 

 翌朝目覚めた私は、着替えを済ませ一服をしに外に出ました。

 今回の旅の拠点、蔵王白石付近は晴れていました。

 

 この蔵王という地名が、後程私に思わぬ形で降り掛かってくることなど、この時は知る由もありませんでした。

 

 それはともかく、紫煙を吐きながら肌に受ける冷たい風の中に、微かな春の暖かさと草、土の匂い。春の訪れを感じるひと時。

 薄っすら見える蔵王山は、恐らく雪が舞っているのであることを思わせるような、白く霞んでいました。

 

 朝食を終え、この日目指したのは仙台市の少し先、宮島。

 実は宮城県は会社の出張や車のイベントで何度か訪れた地でした。ですが観光を楽しむ余裕はほとんどなく、業務やイベントに時間を取られて宮城の地を満喫するのは、これが初めてのことでした。

 

 いざ、東北を楽しむ旅路のスタートを切ります。

 

 高速道路を用い時間を節約し、降り立った松島。

 ここでは遊覧船に乗り、松島付近を船で一周し写活に挑む。

 

 その予定が、頓挫することとなりました。

 コロナ禍の影響、そして先日の地震の影響、そして観光客の減少。様々な影響からか、遊覧船の運航を休止していることが発覚したのです。

 

 遠目に拝む松島を目の前に、落胆する私たち。

 

 然れど、唯で引き返すつもりはありませんでした。

 遊覧船乗り場から移動し、より松島を始めとする島々を一望できる場所へ移動。

 船旅を楽しめなかったことは残念以外の言葉が見つかりませんでしたが、移動先の駐車場から撮影会を開催します。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210312181233j:plain

 

 まずは相棒Lupusを記念撮影。本来茶に近い色味を帯びた車体が、雲に覆われた天候からか灰色地味た顔色を見せてくれました。

 

f:id:Rayleonard-00:20210312181500j:plain

 

 逆光ではありましたが、中々映える相棒の姿に惚れ惚れする親バカ精神に浸りながら。

 次は松島一帯に向けてカメラを構えます。

 

f:id:Rayleonard-00:20210312181800j:plain

 

 沿岸部は山間に近い丘と海。山国育ちで海を知らない私には、海は何度見ても新鮮です。

 

f:id:Rayleonard-00:20210312181838j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20210312182059j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20210312182144j:plain

 

 どれが、松島なんだ?

 各浮島に名前が付けられた一帯、どの島がどんな名称なのかもわからぬままシャッターを切っていきます。

 

 唯一、目立つ赤塗の橋である福浦橋と、その先にある福浦島に目標を絞って撮影再開。

 

f:id:Rayleonard-00:20210312181917j:plain

 

 見た目や構造は違えど、どこか渡月橋を思わせる、海を跨り伸びる橋。

 空の白、海の青、島の緑。そこに存在感を誇示するような朱。

 自然が齎す色と、人工物の組み合わせ。個人的には現代アートのような無理に創ったものよりも、違和感なく存在するこのような情景の方が好みです。

 

f:id:Rayleonard-00:20210312183632j:plain

 

 暫く風景に耽っていると、橋を渡っていくご夫婦の姿が。

 

f:id:Rayleonard-00:20210312183843j:plain

 

 カメラを向けた瞬間に、悟ったかのように一度こちらを向かれてしまいました。

 悟られた?などと思う私をさておいて、人物を撮ることが苦手かつ好まない私には。

 仲睦まじい男女の姿を主体としながら、手を加えられずに遥か昔から残り続ける自然の情景。

 船に乗れなかったことは悔いるにしても、十分松島を、海に浮かぶ島々を堪能させていただきました。

 

 

 これにて松島の撮影会を終えることとなりました。

 そして再び相棒に乗り、次なる地へと向かい車を走らせるのでした。

 初戦から名残惜しい思いに浸ることとなりましたが、東北の旅は、まだ始まったばかり。まだ見ぬ先に、どんな風景が待っているのか。

 車内で語り合いながら、私たちは次の目的地を目指します。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

【人生・価値観】今生きているこの瞬間が、一番安寧と思う ~過去に戻ってやり直したい、などと微塵も思わない~

 いわゆる燃え尽き症候群、とでも言えばいいのでしょうか。

 昨年9月頃より始まった大きなプロジェクト。先行きも何も見えない莫大な仕事を、先日無事完遂いたしました。

 合間にイベント的に仕事が入る中、何回も「どうしよう」と途方に暮れることが何度もありました。 それでも周りの人たちに支えていただきながら、終わりの日を迎えた時。

 やり切った。

 達成感もありながらも、ホッとする安堵感と共にとてつもない虚無感がやってきたことの方が遥かに大きくありました。

 迎えた週末では何にも手がつかずという状態ばかりで、今日は今日で一日寝床に横になっている内に夜を迎えておりました。

 

 

白兎7

 

 はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 

 巷では、学生の皆さんたちが受験シーズンを迎えて高校や大学受験の前半を終えているようです。ついこの間も、普段は混まない通勤列車が、リュックを背負い疲れ果てた表情を浮かべる若い方々で席が埋まりかけていました。

  すぐに、この子たちは試験を終えて帰るところなんだなと直感しました。

 

 受験、か。

 

 思えば私にも、そんな時代もあったなと思わず感傷に耽ってしまいました。

 私は大の勉強嫌いで、興味がないことは頑なに学ぶことをせずにいました。それは、今も変わらずにいます。

 そんなこんなで禄に勉強せずに臨んだ高校受験は、然るべきと言わんばかりに失敗。進学することもどうでも良いといった態度で荒れに荒れ、渋々滑り止めの私立校に通うことになりました。

 

 そうやって思い返し始めた学生時代。私には思い入れのある時期がないことに気付きました。

 集団行動を強いられ自由を縛られる校則というルール。校舎という閉じられた空間で同世代の人間と過ごさなければならない窮屈感。内向的な性格と物事に対する考え方が独特だったことから、どんどん外界へと出ていき遊びを覚える周囲と置いてけぼりの自分。

 外れに外れ過ぎたばかりに、除け者にされ害悪とされ過ごした中学時代のイジメ。

 思い出せば思い出す程、本当に碌な思い出も楽しかった記憶もない。学生でいることが、何が楽しいのか私にはいつまでもわかりませんでした。

 訝しさ以上に、「なんでそんなに笑っていられるの?」と不信感のような思いを抱いた程です。

 当時から変わり者と言われ、進学してもニコニコしながら学生生活を謳歌するクラスメイトたちから、私は距離を取られて必然でした。

 

 いや、これは言い訳だ。

 距離を取っていたのは、私の方だ。

 

 イジメと受験失敗。大小関係なく挫折を短い間に二度も経験した私は、自分を含めた人間不信に陥っていました。

 周囲に合わせることを選び続けた結果、私は失敗を重ね失意しか残りませんでした。

 ならば、もう周りのことなんてどうでも良い。私のことを侵害するようなことがなければ、関わらない方が楽だし心地良い。

 そう。

 この頃から、人間関係に気楽さを求めていたのだと思います。多分、きっと。

 

 それは専門学校に入ってからも同じで、そういう意味では、苦杯をなめた中学時代の考えや人生に対する姿勢が、着々と受け継がれていたのだと思います。

 同時にこの頃から、ある種の「諦め」という言葉を覚えて実践していました。

 

 人と共に過ごす時間。その時必死になって心を燃やすことで、大人になってお酒を飲むようになった時、その頃のことを思い出として酒のツマミにする時間。

 或いは何年経っても薄れず腐らずに輝き続ける時間を共有できる仲間と自分を繋ぎ止め続ける、接点ともなるのかもしれません。

 

 然れど私には、そんな輝かしいものとは無縁なんだなと悟っていました。

 結果として、小学校から中学、高校に専門学校と、共に苦楽を共にした(?)人間と接する機会は皆無です。連絡先も疾うに消え去り、学生時代を思い返し懐かしむことは私にはありません。

 

 人によっては、それを寂しいと思う方もいるかもしれません。

 

 ですが、私はそんな今が一番安定して、安寧であると信じて止みません。

 逆に何の思い出もない学生時代に戻ってやり直したい、という気持ちは全くありません。

 何故なら、その時々、人間関係の煩わしさや柵で疲れていたから。

 楽しむなんて、私にはとてもできなかった。

 私には、思い出すことも反吐が出るような時代。それが、私の学生時代です。

 

 

 最近では歳を重ねてから大学に入り、卒業したという方も記事になり、祝福の言葉が並ぶこともあるそうです。

 それは、とても素晴らしくて尊いことだと思います。少なくとも、泥沼のような学生時代しか経験できなかった私には。

 卑下しているかと思われるかもしれませんが、これが私の本心です。

 

 それとも、あれなのかな。

 普通に見えてそれが叶わなかった、満喫した人たちへの羨望なのか。或いは、嫉妬か。

 

 いづれにしても、一度過ぎ去った時間が戻ることがありません。

 

 皆さんは、学生時代が懐かしいでしょうか。もう一度、戻りたいと思うことはありますでしょうか。

 

 

 今回も最後までがお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210307195325j:plain

 

【価値観・人生】生き辛さは、或いは平等なのかもしれない ~HSPでも、そうでなくても~

  気が付けば、2月ももう終わりに近付いています。

 この一ヶ月で、新型コロナウイルス以外にも様々な災害に見舞われました。

 大雪、強風、東北地方を始めとしながら、地域を限定しない地震と余震。さらには各地で山林火災も重なり、今年もどうやら異常気象と震災、そしてコロナ禍とかつての「普通の生活」に戻るには程遠い一年になる予感が過ってなりません。

 いよいよ冬から春へと季節が移り行くことを肌身で感じております。

 

 

灰色兎

 

  はい、皆さんこんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 狼ばかりだったキャラクターから、初となる兎の新キャラを立ち上げアフレコしました。耳が存外長く画面に収まらなかったことは、どうかご容赦ください。

 

 

 新型コロナウイルスの蔓延によって、これまでの平常や日常が一変してから、早くも一年が過ぎ去りました。

 それによって普段の生活、生き方や価値観、コロナ禍以前の日本の社会の「当たり前」が大きく変わったと感じた方も多いかと思います。

 

 仕事では、言い方を良くすれば古き良き時代の慣習。悪く言えば進歩のない、良かれと思われ続けてきた悪習。

 プライベートでも同じように、今まで当たり前とされてきた考え方や生き方が、驚く程の変化を齎したことと思います。

 

 

 その中で、「HSPだから生き辛い」と感じていたことが、まるで逆転現象を起こしたかのように「今までの普通ができなくなって生き辛い」という方が増えているという話を耳にしました。

 

 

 これは今までのようなSNSからの情報もありますが、どちらかと言えば直接お話しする方々からの生の声。しかも、どこか悲壮感とも嘆きとも読み取れる言葉が見受けることから始まりました。

 

 それらは一般的にHSPが「生き辛い」と感じること(私はHSS型HSP自認の為、当てはまらないことも含みます)と真逆のことができない、行えないことが辛くて悲しいというものです。

 例えば、「人と顔を合わせてお酒を楽しめない」。これまで週何日も居酒屋に赴いて飲んでいた人が、コロナ禍によって感染の恐れと周りからの批判を考え自粛した結果と言っておりました。

 これには忘年会や送別会といった、「これまで当たり前とされてきた、日本独自の慣習」も含まれているようです。

 

 他には「家にいる時間が増えて、家族との時間が増えて辛い」と零す方も大勢いらっしゃいました。

 話を聞くと、特に休日はやることもないのでパチンコに行ったり一人で出掛けることで時間を潰していたこともできなくなり、結果的に身内の方々と顔を合わせる機会が大きく増えたことで「自分の時間」を作れなくなった。そのことから生き辛さ、もっと言えば肩身が狭い思いを強いられていると感じているとのことでした。

 とある方は、「家にいる猫だけが相手してもらえるだけだよ」と自嘲気味に笑っていました。

 

 そのような話を聞いている内に、私は共感はできずとも「お気持ち、お察しいたします」というような心境になりました。

 

 考え方も、生き方も、価値観も全然違うのに。

 環境が一変するだけで、ここまで人の気持ちを、精神や思いまで変えてしまうことを、図らずとも実感しているのでした。

 

 お酒は部屋飲み、一人でゆっくりまったりと。

 会社主催の、仕事終わりの飲み会なんてクソ喰らえ。

 これまでの私は、そのように考え実践し続けて参りました。

 

 大人数で飲む人たちのことを楽しみにしている様子や考え方なんて、理解したくないと思い続けてきました。

 仮にやりたいなら、そのような集まりや雰囲気が好きな人たちだけでやればそれで済むことだろう。

 対して親しくもない人と付き合うことが、大人数でごちゃごちゃになる状況が苦手で嫌いな人間のことなど考えもしない。

 そんな会社や社会の惰性的で伝統?のようなものを重んじて信じて止まない御仁たちを、正直言って時代錯誤甚だしいと嫌悪すらしていました。

 

 家での時間の、また然り。時々人恋しくなることを自覚し始めているとは言え、一人でいることに苦を感じない私には「そんなに一人の時間は寂しかったり、辛いの?」「外界に刺激を求めなければ、部屋で一人過ごすことも難しいのか?」と疑問を呈してばかりでした。

 

 でも。

 これって、取り巻く情勢や環境が変わっただけで。

 

 その人が持つ考え方や価値観にそぐわなくなることも十分あり得ることなのかもしれない、と思うようになりました。

 よくよく考えてみれば、それはそうだよなと一人勝手に納得するに至っています。

 

 特に、最近巷で流布され始めたHSPを紹介する文章を芽にするようになってから、ことさらそのような思いを抱くようになりました。

 HSPは五感から入ってくる情報に敏感に反応し、更にそこから感情を左右されることは多々あります。これは大袈裟かもしれませんが、当事者である私もそのように感じ、時に苦しむことが多くあります。

 

 でも。

 そうでない人たち、言い方を変えれば人と接することを当たり前のように楽しみ憩いの時間とすることができる方々からすれば。

 そう置き換えると、今日本を、世界を取り巻くコロナ禍は生き辛く苦しい時間を過ごしているのではないのか。そう思うようになりました。

 人と会って何かをすることでストレスを発散する。或いは外界の刺激が多い場でも時間を忘れ、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす。

 それができないことは、HSPを自認する私からは途方も無い息苦しさと、行きどころのない虚無感や苛立ちを募らせてしまう。

 

 行く着く先は、今まで当たり前とされてきた世界で生き抜いてきたHSPを自負する私たちが感じてきたことと同等、或いはそれ以上のストレスを蓄積させてしまう世の中になってしまったと言い換えることも過言ではないということでした。

 

 

 私は、今の。語弊があることは承知で、コロナ禍で齎された生き方は心地良いだけに留まりません。人と距離を取らざるを得ない環境ですら、正直に申すと「それ位距離がないと、息をすることも重労働」とさえ思いながら生きてきました。

 然れど。

 HSP、HSS型HSPという概念を知って、情報を出すようになって以来。私はその概念を盾にして、時には「特別扱いして」と言わんばかりに驕っていたのかもしれないと思うようになりました。

 

 現実は、私が考えるような狭い世界で動いている訳ではない。

 HSPという「体の良い言葉」で武装して、そうでない人たちを「理解できない、人間ではない宇宙人のような存在」とさえ思っていました。

 

 しかし、でも。生まれ持った性質があろうがそうでなかろうが、同じ人間。環境や立場が変われば状況の受け取り方も沸き立つ感情も変わる。

 そんな当たり前のことを、私は忘れてしまう程にまで「HSPを、HSS型HSPを自負する人間がいる」ことを広げようとしていたのではないかと、思えてなりませんでした。

 

 そうじゃないよな、と改めて自分に問いました。

 

 HSPでもそうでなくても、辛い時は辛い。

 生き辛い、息苦しくてどうしようもない時は誰も同じ。

 状況や環境で受け取り感じるストレスや憤りは、喩え 人それぞれであったとしても。

 しんどいものはしんどい、生きること事態にももう疲れた。

 そう感じて意気消沈したり落ち込んだり、最悪追い詰めて生きることそのものを諦めてしまうことは、誰にでも起こり得るという思いを振り切ることは叶いませんでした。

 

 

 逆説的に言えば。少し、辛辣な言葉になるかもしれません。

 そういった意味では、生き辛さというものはある意味平等なのかもしれないという結論に至りました。

 不安定で先行きの見えない現代だからこそ。

 理解や許容はできなくとも。

 少なからず、「自分が想像する以上の思いや考えを持つ人がいる」ことを、改めて認識すること。

 それが、今の日本に必要だと私は考えます。

 

 少なくとも。

 開催が危ぶまれる東京五輪や政治のことを。

 揚げ足を取るように。或いは揶揄する暇があるのであれば。

 

 

 今回も最後までがお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

f:id:Rayleonard-00:20210228010306j:plain

 

【価値観・HSP】情報世界と向き合わない時間 ~負の感情の渦から逃げる必要性~

 終わりが近付きつつある、2月。立春を終え雨水を迎えた世の中は、確実に春へと向かいつつあります。

 

 天気予報を見ても、三寒四温という言葉が相応しい程にまで気温が上下する慌ただしい気候が予想されています。風邪にもインフルエンザにも、新型コロナウイルスにも気を付けていきたいですね。

 

  

白兎7
 
 
 はい皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
  
 少しセリフを変えてアフレコしてみました。次は新規の子にお願いして、新作を出したいと思っています。
 
 
 さて、実に半月ぶりとなるブログを記述しながら。
 自分の気持ちと向き合うことって、実は簡単そうに思えてとても難しくて複雑なことなのだと実感しています。
 時間は、沢山流れました。でもいざブログに、キーボートに向かおうとすると、思いばかりが空回りして言葉が出てこない。
 書いては消して、書いては消して。何も進まないことに、苛立つことも意気消沈することもありました。
 
 然れど、全てが無駄な日々だったという訳でもなかったことと、今は思うことができているような気がしています。
 
 それは、ネット社会。情報の世界から「自ら背を向ける」という時間が増えたことにあります。
 
 昨今、有名無名問わず、スキャンダルや憶測に近い報道が数多く出回っています。
 事実の全てが伝えられているとは思いませんが、あまりにも現実から掛け離れた邪推にも程があるだろうと感じざるを得ない稚拙なものも平気で飛び交っています。
 更に拍車を掛けるかのように、匿名性を優位にSNSやネットニュースのコメント欄には罵詈雑言から批評、単なる個人攻撃とも取れる言葉……はっきり言って「汚らしい言葉」の数々がひしめいているように見えます。
 
 私としては、報道もSNSも「煽り」が過ぎるのかなと思えて仕方がありません。
 それなりの確証や証拠があるのでしょうが、今のネット社会は正直「注目を集める為の手段」に成り下がっているような気がしています。
 如何にもなタイトルを付け、視聴する者の関心を集める。その実は中身のない、事実無根とも呼べるような言葉の羅列。本来公平性があって然るものであるはずの報道でさえ、個人的な感情や推測ばかり。
 それに対してコメント欄には、記事そのものへの批判に始まり、内容に対する意見や感情の塊とも読み取れる言霊の嵐。
 
 私は世間に興味関心が薄い嫌いがある為、情報収集は主にこういったネット世界から齎されるものに頼って久しくあります。
 しかし、ここ数ヶ月は前述の体たらくから「何やってんだこの人たち」と思うようになり。「報道だからって、匿名だからって何言っても許されると思ってるのか」と嫌悪するようになっていました。
 そんなに互いを攻撃して、感情を剥き出して。相手の顔が見えないからといって、そんな不満をぶちまけるような書き込みをして満足するのかな。
 いや、そうか。満足するからするに決まっているか。
 尤も、報道される側が碌でもないことをやらかすことが最たる要因ではありますが。例えば政治とか、自粛期間中のクラブ訪問やら。
 
 元々好奇心からのネット社会徘徊を繰り返す私でしたが、やはりと言いますか、そこに並ぶ言の葉たちに乗る怒りの感情というものはすぐに伝播します。
 怒りや負の感情というものは、見ていて気持ちのいいものとは言い難い。
 
 そこでここ一ヶ月程、ネット社会から、情報が渦巻く世界から身を遠ざけていました。必要な情報も特になく流し読みする程度なら、そもそもニュースも必要ありませんでした。
 SNSも然りです。親しい人とのやり取りだけで十分ということに、今更になって気が付きました。掲示板や呟きができるサービスは、今の私には不要なものだと思えるようになりました。
 
 過多な他人の感情が錯綜する世界から遠ざかる時間は、もしかしたら今の時代には必要なことなのかもしれません。
 それ位、感情は人を揺り動かし、実際に行動させる程の力があると私は考えます。
 殊更、誰か個人を攻撃するようなものは。
 
 用法用量を守って、適切に。
 何事も、程々に、適量に。
 薬の宣伝ではありませんが、何事にも適度という一言が全てなのかもしれません。特に私のような、好奇心はある癖にガラスの心にしてお豆腐メンタルな人間には。
 
 
 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 それでは、また次回まで。
 

f:id:Rayleonard-00:20210223193858j:plain

【生き方・人生】亡き人を想う ~思い出は、心の中で生き続ける~

 朝晩の寒さと日中の暖かさが交互にやってくる日が増えて参りました。三寒四温という言葉がある通り、立春を過ぎてから冬の寒さと春の訪れが入れ替わる忙しくも季節の移り変わりを肌身で感じる時期となって参りました。

 我が家の小さな庭では、今は亡き祖母が好きだった福寿草の花々が凍てつく大地に負けずに芽を出して。日中は黄色の花弁を誇らしげに広げ、力強く咲き誇っています。

 

 人は、時と共に老いながら変化していると実感させながら。木々や花々は季節の移り行くままに、儚くも強く生き続けていることを、小さな小さな福寿草を見ながら思い耽る今日この頃です。 

 

 

挨拶2

 

 

 皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 

 2月15日。6年前となるこの日、祖母は静かに息を引き取りました。

 6月6日。12年前、祖父がこの世を去り仏の世界へと旅立ちました。

 

 今年は祖母の7回忌と祖父の13回忌が偶然にも重なる年でした。

 私は勝手ながら、これは偶然ではなく亡き祖父母が必然としてくれた、運命的な何かを感じぜずにはいられませんでした。

 この記事を綴るこの日、祖父母の法事に行って参りました。

 

 

 目覚めた朝、外は快晴ながらも風が強い陽気。

 母が語るに晴れ女だったという祖母による晴れ渡り、祭り事や賑やかさが好きだった祖父が歓喜の余りに風を荒らしているのかな、と私は思わず頬を緩ませていました。

 祖父母の命日、月命日に赴く墓参りは決まってこのような天候ばかりだったこともあり、「相変わらず、二人とも元気だね」と言葉に出さずとも胸の奥で静かに思うのでした。

 

 法事の準備をする時間となり、礼服を用意し着用しようとしました、が。

 不摂生によるサイズオーバーにより、着込むことが叶いませんでした……。特にスラックスは顕著で、胴回りは元より、腿周りが全く通らなくなっておりました。

 この礼服、購入したのは確か、祖母が亡くなった時。6年の歳月で、私は歳だけでなく横方向へと身体も成長していました。

 痩せないとな、とやりもしない思いを携えながら、泣く泣く普段着兼仕事着である黒のスーツもどきを纏うこととなりました。

 

 

 法事の時間が近付き、身に纏う服を無視するかのような冷たい風が舞う中。私は母と共に、葬儀にて弔いの義を執り行ってくださったお寺へと向かいます。

 駐車場で母の姉である叔母と合流し、3人で境内へと足を踏み入れていくと。

 唯でさえ寒い空気が、山門を潜った途端、凛とした澄み切ったものに変わるのでした。

 鼻から吸う空気。服越しでも引き締められるような厳かさと、肌に直接沁みるかのような冷ややかさ。

 

 気の所為などではないと思いながら。

 

 事務所から入り、法事の準備に取り掛かる住職(私の住む地域では住職のことを「おっしゃん」と呼びます)とお手伝いさんにお願いし、待合部屋にて暫しの間を過ごし。

 ストーブを始めとする暖房器具が炊かれながらも寒さを忘れることは叶わないまま、法事が執り行われました。

 

 冷え切り澄んだ本堂。

 コロナ禍ということもあり、マスク越しでありつつも、しかしながら。

 

 経文を読む住職の声が、木魚を叩く音が、大小の鈴の音が。

 どこまでも澄み切り、凍えるようなお堂の空気を震わせるかのように、経を聞く私の耳に届いてきました。

 

 会社や私生活。自分の理想や自己都合に合わないことに苛立って、嫌悪して。

 好き勝手に苛立ち、幻滅してきた自分が、精神も心もあまりにも矮小だったことを諭されている。そんな気がしてなりませんでした。

 

 思い込みで卑下する訳でもなく、純粋に、感じることしか私にはできませんでした。

 

 同時に。

 何年もの間、忘れかけていた祖父母との思い出を彷彿させる時間であったことも確かでした。

 

 怒ることなく、いつもニコニコ笑いながら傍にいてくれて。最期は誤嚥性肺炎で亡くなった祖父。

 自他共に厳しいながらも、しょうもないことで笑いこけて。十数年に渡るうつ病と認知症に苛まれながら、お別れの時は薬の作用が抜けて綺麗な顔で逝った祖母。

 

 二人が亡くなって、約十年の時が過ぎて。

 

 私は、変われたのかな?

 

 イジメで、会社でゴミのようになった私は、あの時から成長したのかな?

 

 ボロボロで崩壊間際の家族でも、見守ってくれるかな。

 いや、違う。

 どうか違う世界からでも、見守ってください。

 

 住職のお経を唱える声の元、合掌し焼香しつつ、法事は無事終わりを迎えました。

 直後、住職は最近の葬儀や法事についてお話ししてくださいました。

 

 新型コロナウイルスに関係なく、近頃は家族葬が増えたことで法事を執り行わないことが増えていること。

 お寺に法事を依頼する時も「おっしゃん、偉い寒いな」という方が増えたということ。

 それにあやかってか、都会では木造ではなく鉄筋製で冷暖房完備、待合室だろうが本堂だろうが床暖房完備というお寺も増えているということを、住職は嘆くかのように仰っていました。

 

 

 価値観はそれぞれとして、私はおっしゃんのご意見に賛同です。

 確かに住環境は整備され、快適性や居住性をより良くする為に床暖房やオール電化が進んでいることは紛うことなき事実です。

 

 しかしながら、敢えて疑問を投げさせていただきます。

 

 お寺というものは外界から切り離されて、静かで、お香の匂いが漂って。夏の暑さであろうが冬の寒さであろうが、自然が齎すありのままを受け入れる場だと考えております。

 住環境が整い快適になっている現代だからこそ、隔絶された寺社の厳しさや険しさ。それがあってこそ法事の意味があると、個人的に思う次第です。

 

 現に今も、お香の香りが髪や衣服に染み付き。こたつに入れる脚も、法事時の寒さは覚えています。

 

 古い思想、と言われるかもしれません。ですが私は、充実した現状から離れたものから得られるものがあると信じています。

 今回の場合、故人を想う場。それが寺社であっても、そうでなくても。

 

 時代は進化し続けても、私は残るものがあると思っています。

 

 大切だった。大切だと思っていた。

 もしくは亡くなって初めて気付いた、故人の思い出。

 

 日頃のストレスや心を揺さぶられることよりも、余りに小さなものだと思える程、大きくて忘れることなどできないと、私は信じて敬うと共に、この記事を残させていただきます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210211213126j:plain

【ブログ・うつ病】少しずつ戻り始める調子 ~無理をしない勇気~

   124年ぶりとなる、2月2日が節分となった2021年。今年はそれだけでなく、開催されるか危ぶまれる東京五輪・パラリンピック。それ以前に、数種に及ぶ変異種まで現れ未だ人類を追い込み続ける新型コロナウイルスの驚異。

 報道機関を始めとした様々な発信媒体から放たれる情報の渦は、解決策も報じられぬまま。

 ただただ、見たり聞いたりする私たちを不安や疑心を与えるものになりつつあると感じるのは、私だけなのでしょうか。

 

代理3 >

 

  皆さん、こんばんは。徐々に復調中の【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 今回は新たな代理君にセリフを吹き込んでみました。セリフのバリエーションを、もう少し広げたいと思う今宵です。

 

 さておき、現在少しずつではありますが、以前の状態に向かって調子が戻りつつあります。

 原因や背景には思い当たる節があります。が、今回は経過報告とさせていただきます。

 

 詳細は次回にお話しさせていただくとして、ひとまず簡単に現状について。

 まだ自分と向き合いながら、思いを言葉にすることは難しいと自負しています。しかしながら、不調となった元凶を幾つか特定し見直しや抑制することで、幾分か気持ちの整理や抑圧傾向からの抜け出すことができるようになって参りました。

 

 今までも浮き沈みはありましたが、今回は別格とも呼べるものです。

 あたかもそれは、うつ病を発症し症状は出ているにも拘らず。

 「気のせいだ」「疲れているだけだ」と勝手に解釈して無理をして、気付いた時には壊れていた。

 その一歩手前まで陥っている、そんな感覚でした。

 

 逆に言えば、「何故そのような状態になってしまったのか」という要因を掴むことができなかったことも確かでした。

 私が、初めてうつ病を患って。自分の身体も気持ちも動かなくなる恐怖。今までできていた、当たり前のことができないもどかしさと苛立ち。

 そして、虚しさと虚無感。

 一歩間違えればどうなっていたか……想像するだけでも、手が震えてしまいます。

 今こうしてディスプレイに向かいながら、キーボードを叩こうとしている指が慄くかのように。

 

 正直な話を、させてください。

 私、自分に酔っていたのかもしれないな、と省みながら。

 驕っていたのかもな……そう思いながら、情けなさと傲慢さを恥じると共に「イジメを受けたあの時から、何も変わっていないのかも」と思い詰める日々に苛まれていました。

 

 イジメられて、弱い自分は恥ずべきもの、人生の汚点とすら思うようになって。

 それを覆い隠すかのようにして、厭世家と虚無主義を纏ったかの如く人を、世の中を嫌いに嫌って。

 独りで生きることを強いられるのではなく、寧ろ好んで生きている「ように見せかける」生き方をしてきた頃から、何も変わっていない。

 寧ろSNSやブログを通して人と繋がることができた分、甘えるように弱くなったのではないか。

 

 そんな思いに駆られながら、HSS型HSPという体の良い概念を用いて世間を客観視する「ふり」をしていただけなのか。

 それをブログを通して、共感という名目の元、誰かに同意や同情を求めていたのかもしれない。

 

 思い詰めれば詰める程、頭の中はたちまち掻き混ぜられ、他方で鎖で締め付けるように抑圧していく。

 自分が生み出した、矛盾に重なる矛盾。そんなものに、自ら絡め取られ身動きが取れなくなって、悲鳴を上げるまで気付けずに来てしまった。そんな気がしてなりません。

 

 自業自得の歯痒さと苦しさに晒されて、一ヶ月近く経った今、ようやく自分の愚かさに気付けた気がしています。

 自分を追い詰めていたのは、他の誰でもない自分自身であること。

 発端はTwitterやニュースアプリを始めとするSNSであったとしても、好奇心のあまりにのめり込み過ぎ負の感情を拾い過ぎ飽和仕切っていたこと。

 

 そして。

 そのようなものから感じた思いや感情を、「ブログの記事として上げなければ」という、脅迫概念とも使命感とも言える思い。

 原因は一つではないにせよ、小さいものから大きなものまで、包括的に私という矮小な存在を支配していたことに、気が付くことができた気がしています。

 

 私自身、バカだなと思いながら。

 それでも、学ぶことがまた一つ増えた気がしています。

 

 一つは、好奇心任せに外界の情報に手を出さないこと。

 もう一つは、ブログの執筆を使命感や義務感と捉えて行う必要性などないということです。

 

 特に後者は「最低でも4日に1記事」という、根拠のない目標を持ったことが、却って自分を苦しめる結果となりました。

 

 書かなければ、何も伝わらない。

 一方で、義務の如く書くような文章は。

 自分にも人にも、何も生み出さない。

 ありのままを、思ったことを素直に言葉にできなければ、無駄な文字の羅列となる。

 

 そんなものを書くなら、じっくり考え言葉を選んで。

 更新が遅いと詰られることがあっても、しっかり自分の意志を伝えたい。

 それが、私がブログを始めたきっかけじゃないかと、今更ながら思い直させられました。

 

 情報を発信すること「だけ」が全てではない。

 自分が書く文章に、思いがこもっていなければ意味がない。

 ならば無理して無意味な文字を書き連ねるよりも、無理をしないで熟考する勇気の方が大切だと、身勝手ながら思い至りこの記事を書いております。

 時には、叫びたくなるような思いを抱えても。

 頭の中を整理して、「自分の考えが正義」という勘違いに陥らない為にも。

 

 無理をしない。ダメな時は何もしない勇気が、今の私には一番必要なものだと思うに至りました。

 

 同時に、人の意見や考えも安易に否定することも、傲慢に繋がることと悟ることで世の中全てを拒絶しないよう、心掛けていきたいと誓いました。

 負の感情塗れのものを目の当たりにしても、裏には確たる思いがある(逆に注目目的で、敢えて汚い言葉を発している人もいる)ことを、肝に銘じながら。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210204195825j:plain

 

【うつ病】気分は下がる一方で ~上がる気配がないのが辛い~

 ちょうど、抗うつ薬を変えた頃から。多分2週間ほど経ったここ数日、全く以てやる気と言いますか、意欲の欠片も湧いて来ない日々が続いています。

 何と申せば良いのか……ただ朝起きて、仕事をこなして帰宅して、寝るだけの日々。休日もラジオ感覚でお気に入りの動画を流しながら、ただ寝床に横たわる時間が増えています。

 

 久しぶりの感覚です。何もしようとしない、できない、その気力すらなくなりつつ自分への憤りと虚しさを感じるのは。

 

 厄介なのは、原因がこれといったものが思い当たらないところにあります。

 仕事によるストレスなのか。コロナ禍の現実に幻滅しているのか。宿泊を伴うような遠出を、自分では避けて禁じているつもりでも、内心は出掛けられないことに鬱憤を募らせているのか。

 それとも、平穏を望み部屋に籠もることを良しとしリラックスしている反面、刺激に満たされない鬱屈な毎日に参り始めているのか。

 

 正直なところ、どれも当てはまると言えばそうですが、完全に「これが要因」と判断しきれていない。逆にそのじれったい思いが、抑うつ感に繋がっているのかもしれません。挙げ句にそれを払拭しようと努力しようともしない辺り、なるほど自分が如何に気分屋であるかを思い知らされています。

 

 こんな文を書いていて、溜め息しか出ていません。

 つくづく、自分が情けない。

 

 昨年まで……ブログを始めてからは自分の思いを、考えを綴ることで整理できない脳内をリセットさせると同時に。

 私は、私がここまで生きてきた中で感じ続けていたことを文章化することで、同じ悩みを抱える人の参考になればという思いで、筆を置くことなく自分と向き合い続けて参りました。

 

 なのに、どうして。

 こんなにキーボードを叩くことが。思いを言葉にすることが、苦痛にさえ思えるんだ。

 

 

 愚痴は極力ブログでは書かない。そうやって決め込んで臨んだつもりのこのブログ。

 見返してみれば、ここ最近の記事は負の感情に満ちた思いばかりが連なっています。

 おまけに更新期間も、とても褒められたものではない程にまで間隔が空くようになっている始末。

 

 なにやってるんだろ、私。

 このザマで共感なんて綺麗事をほざく自分が醜くて汚らわしく思えてしまう。

 

 ……あ、本当にダメだ。続きが何も思い浮かばない。感情が、苛立ちばかりが先んじて言葉にすらできない。

 

 

 ごめんなさい。

 暫く、こんなどうしようもない時期が続きそうです。

【HSP・価値観】コロナ禍で見えた、様々な生き方 ~価値観も考えも、皆違うものを持っている~

 大寒波が訪れたかと思った矢先、大寒を前に唐突の雨が降り驚いている合間に再び真冬の寒さに逆戻り。

 精神的なストレスだけでなく、身体的にも厳しい季節で「何だか疲れてるな」と目頭を押さえている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスの収束を願い始まった2021年。それが好転するどころか、寧ろ悪化の一途を辿っています。

 

 一概に誰が悪いとは言えない状況。明日はどうなっているのか、最早簡単に想像することさえ難しくなってきています。

 その最たるものとして、二度目となる緊急事態宣言。そして自粛要請にあると個人的に考えています。

 

 昨年の4月、最初の時と比べて様々な意見や批評が飛び交っています。

 お願いばかりで補填や補償をまるで考えていない上層部。散々自粛自粛と言いながら、御当人らは会食やら必要なのかもわからない会議ばかりに勤しんでいます。

 見かねた国民は「どうせ偉い人たちもやってるんだから」と。「生活が掛かっているのだから」と罰則されることを恐れることなく。

 これまでの生活が一変し溜まりに溜まった鬱憤を晴らす為に、本能のままに。

  そしてお偉い方々にはもう頼れないと見限り、各々が生きる為に自ら考え行動し始めています。

 

 SNS等では国の舵取りをする御仁たちへの酷評だけでなく、皮肉さえも溢れかえっています。これは血税を好き勝手に使い放題にしているから擁護のしようがないとして。

 同時に、各々の考えに基づいて動き始めた、或いは動き続けている人々への批判も多く見られるようになりました。

 

 しかしながら、私は一概に一般の人たちを批判するのはどうなのだろう、と思うのが正直なところです。

 

 自らの考えや価値観に周りを当てはめて、外れるようなら間違っている、おかしいと見下して。自分が如何にも正義だと語る様は、果たして正しいのだろうかと思えてなりません。

 

 夜の街に繰り出して飲みに行く若者の言葉が、記事になっていました。そこには「若者だけが自粛しなきゃいけないって言われるのはおかしな話。だから飲みに行く」というものでした。

 

 皆さんはこの声を、思いをどう捉えましたでしょうか。

 

 様々な意見があるかと思います。「我慢して自粛している人が沢山いるのに、そんな行為は身勝手極まりない」と反感を覚える方もいらっしゃるでしょう。

 もしくは「そうだよ、これ以上我慢したら自分が壊れるよね。わかるよ」と共感する方もいらっしゃるかもしれません。

 或いは、「好きにすればいいんじゃない、新型コロナに感染しても自己責任ってわかってやってるんだろうし」と無関心を示す方も。

 

 そう。

 これまでの慣習が私たち「日本人としての当たり前」として刷り込まれ疑問に思いもしなかったことでさえ、今の日本では各々の価値観や思いが様々な言葉となって生まれてきていると、私は思い始めているのです。

 

 最初に上げた例も、その一つなのではと思っています。

 これが個人的な飲み会ではなく、会社絡みのそれなら「出席するのが当たり前」という時代もかつてありました。

 最近では様々なハラスメントに発展する事情もあり鳴りを潜め始めているとは言え、未だに「新入社員は上司や幹部の酒を注いで当然」「アルコールが身体に合わなくても、将来の為に出席した方が良い」「飲みニケーションは楽しみながら、大切に」。

 そんな言葉を耳にした方も多いのではないでしょうか。

 

 ですが(上辺だけの関係の)人付き合いが嫌いな私は常々疑問を抱くと共に適当な理由を付けて断ってきました。

 ただでさえ疲れるし、お金と時間は浪費するし、聞きたくもないお偉いさんの武勇伝を延々と相槌を打ち続けるなんて、正直馬鹿らしくてとても耐えられません。

 故にこれまでは、私自身そういったものに出たがる人や強制するような人の考えなどわからないと忌避し、好き勝手にどうぞと傍観して参りました。

 

 でも、これも私という一人の人間の考えに過ぎないということに気付きました。

 私はお酒を楽しむなら自室で好きなことをしながら、というスタイルです。

 

 一方で人と面向かいながら、生の声や感情をやり取りしながらお酒を飲みたいという人もいるのだろうな、と今更思い至ったのです。

 会社絡みだけでなく、プライベートの飲み会もそう。見知った間柄、顔を見ながら共に楽しむお酒の席は格別という方も、沢山いらっしゃるのだと。

 多分、私のような気分屋で、勝手にHSS型HSPを自負していると語っているような人間よりも、遥かに多いのではないか。

 そうでなくても、人の行動の根幹に根付く物事に対する価値観や考え方は、各々違うのだ、と。

 

 それが現在進行系で収まることを知らないコロナ禍で顕在化したのではないかと、個人的に感じています。

 飲み会一つ取っても、私のように「誘われることもなくなって生きやすくなった」と思う人もいる。他方で「人と一緒に飲みに行けない、ストレスが溜まりに溜まってもう限界だ」と悲鳴を上げている人もいる。

 

 

 これは他の事柄にも十二分に当てはまると思います。

 テレワークし続けることでストレス蓄積、感情コントロールの喪失や家庭事情の悪化を嘆く声も所々響いています。反対に満員電車に乗って出社したくないのにテレワークができないことに憤り苛立ちが募るという話も耳にします。

 

 それだけでなく、旅行も食事も然り。両極端でありながら、双方の不満や苦しさが滲み出て止まらなくなってきています。

 

 

 例を上げればキリがありません。

 それでも、以前の私はこのような記事を上げていました。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 この時の私はHSPを。HSS型HSPが抱く思いや考えだけを前面に出していました。

 「世の中には喩え少数であっても、こんな人間もいるんだ」と。

 

 ですがこれも、結局は私の考えや価値観が先走った思いの塊に過ぎなかったのだな、と振り返っています。

 

 訴えるのは必要なこと、その意志は今も変わりません。

 しかし主張ばかり続けるだけでは、共感どころか知っていただける機会で自分の手で蔑ろにしているのではないかと、思い至りました。

 違うだろ、と私は私に叱責しました。

 私がしたいことは、自分の考えだけ訴えて他を排除することではないだろ。近付き過ぎて同情する訳でも、距離をおいて傍観することを楽しむ訳じゃないだろ。

 

 人は、価値観も考えも違えば、それを伝える言葉や思いも違う。

 どれも正解ではない、でも間違いでもない。

 その人が思ったことが基準になるだけで、それを根拠に批評するのはまた別の問題なんだろう。それを、このブログで綴りたいんだろ、とここ数日悩みながら自らに問い続けていました。

 

 私の考えを、甘ちゃんだの芯がないだの結局他責かだの、様々なご指摘やご意見を抱かれるかもしれません。

 人によっては、「そんな考え方は偽善だ」と論ずる方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 それはそれで仕方がないのかな、と享受します。

 私のことをどれだけ罵っていただいても、それはそれで仕方がないことですし、罵る方の考えを変えることはできません。

 

 唯、一つだけ。

 今現在このような状況に陥った日本において。

 これまで当たり前だと、常識だとマナーだと言われてきたことを、見直し改める時期になってきていることは、事実ではないでしょうか。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210117182921j:plain

 

【生き方・価値観】苛立つ自分、凍り付く感情

 理由は幾つかあるのはわかっている。

 ここ数日、苛立つ日々が続いて募っているのを感じている。元々苛立った時に怒鳴り声を上げたり人や物に当たることは少ない性格だと自負している私だが、それでも鬱屈とした時間ばかりが過ぎ去っていると思えてならない。

 

 人間関係が最たるものだと自負している、つもりではある。

 例外はあるが、元より人と共にいる時間が苦になることとなることが多い私にとって、今の社会は息を吸うのも草臥れると思うことが多々ある。

 

 

 仕事そのものに対しては、それ程苦痛や違和感を抱かずにこなせているのは幸いなことだと改めて思う。専ら機械を相手にする仕事だけあり、生じた業務に対し基本的に一人で打ち込めることが大きい。

 人と違って、機械は素直だ。こちらが操作した通りに動き、不備があれば不具合を起こす。不具合の要因を特定し修正すれば、大概解決することができる。

 興味や関心を仕事に持ち込むのはどうなのか、という意見があるかとは思うが、少なからず私はそういった思いを大切にしている。いつしか自覚した、一度打ち込めることがあれば、喩え仕事であったとしても飽きずに食らい続ける。満足するまで手を離さず、しかし業務遂行という目的を忘れることなく。

 そうでなければ、私のような人間は恐らく、現代を生き残っていくことはできないだろう。多分、きっと。

 

 

 そう、仕事というものは業務内容だけではないからだ。人間関係という、直接業務に関係のない事柄が大きくのしかかってくる。

 職柄上、社内やグループ会社が大半を占めるとは言え、やはり私にとって人との付き合いは精神的にかなりの苦痛となることが多い。

 弊害、と言っては失礼とは思いながらも、実際に嫌悪すら感じている事実は変えられない。

 

 職場という狭い場所を見るだけでもそうだ。仕事量が飽和している社員がいる一方で、窓際族よろしく与えられる仕事が少なすぎて徘徊している輩もいる。それに対して不満でもあるのか、ブツブツ独り言を並べているのだから、はっきり言って気持ちが悪いし「御託はいいから仕事しろ」と言いたくなる。

 

 新入社員にしてもそうだ。最近はあまり強い言葉で叱ったり指導できないご時世になっていることが、却って弊害になっているように思えてしまう。

 しかし、だ。用があって私の元に来たのはわかったが、よりによって言われた言葉が「今、お暇ですか」だった。

 

 言いたいことはわかる。自分が年上で先輩だから、という拘りのようなものも私は持ち合わせていない。

 だが「それはあんまりだろ」と思うと共に、情けないながら、「暇じゃないです」なんて大人げない返事をしてしまった。

 せめて「今よろしいですか」「お時間ありますでしょうか」辺りが妥当だろう。

 と思いたいのは山々だが、残念ながら私の中では「常識」や「マナー」という言葉も態度も死語と化し化石となっていると改めて思うと共に。

 三十路過ぎて間もない私が言うのも難ではあるが、「これが若さか」と諦めに似た感情すら抱いて久しくいる。

 

 枚挙にいとまがないが、これ以外にも多すぎる人間関係という問題で大分ストレスが溜まっているらしい。

 現に今日、上司へ仕事の進め方について相談並びに現況報告をした時でさえ。

 余りにも的はずれな回答や提案の嵐に、苛立ちで昂りかけていた感情がすっかり影を落とした。

 そんな私の口から出た言葉は、凍り付いて動かなくなった感情の代わりに冷めきったものだった。

 余りに稚拙で、自分勝手な。組織の一人としてあるまじきものだった。

 

 「人員増員により説明する時間の方が増えるので、私一人でやります」

 

 諦観か、奢りか。恐らく後者なのだろうが、その時の私は一切の感情なくそう答える以外の選択肢はなくなっていた。

 それにしても、だ。自分勝手にも程があると、綴りながらこれまた勝手に落胆している自分がいる。

 

 

 つくづく、自分が嫌になる。

 もっと自分が理性で動ければ。もっと人を重んじ大切にできれば。もっと、人と歩み寄って。

 都合の良い言葉を使うのなら、苦楽を共にできるような人間だったら。

 

 妄想に似た考えと共に浮かぶ、ありもしない自分の姿。そして苛立つ一方で感情を凍らせる現実。

 

 恐らくこれからも、解決できずに一人悶々とする日々が続くのだろうと溜め息を吐きながら。

 三十路を過ぎておきながら綺麗な理想をいつまでも抱いている自分に辟易して。

 

 

 吐き出しようのない思いを、酒と共に飲み込んでいるのだった。 

 

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210114183643j:plain

 

【HSS・HSP】やはり自分がHSS型HSPだと思う時 ~喩え、自分勝手な奴だと思われても~

 本年最初となる仕事の一週間を終え、部屋でカタカタとキーボードを叩きながら。

 

 燃え尽きたぜ……真っ黒にな……

 

 といった思いと疲労を感じたのは、これが初めてなのかもしれません。

  おまけにどうぞとばかりに、大雪に強風で通勤列車が遅延や運休で通勤も支障だらけと、2021年幕開けから災厄ばかりですっかり萎えている【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 しかしながら、年始から早速、色々と気付かされることが沢山ある一週間とも言えました。

 年末年始休暇を経て、凝り固まった考え方や価値観がほぐれたせいか。

 プライベートでも仕事でも、やはり自分はHSS型HSPなのだと自覚したこと。HSS型HSPとは何なのかを考え直させられることとなりました。

 

 今回は年越しを経ながら、HSS型HSPという自分を客観的に見られたことを。今まで当たり前だと信じ、仕方ないと諦めていたことでさえ、HSS型HSP所以の捉え方や価値観であったことを、綴って参ります。

 

 

 

 

 

 

 四六時中、身内でも近過ぎると精神が参る

 

 学校でも職場でも、休みに入ると嬉しくなると思います。少なくとも私は「世間の柵から解放される」という思いが先立って、ホッと緊張が途切れると同時に。

 「休みは何をしようかな」というワクワク感と、高揚感のような感情を抱きます。

 

 ブログを書きたい。買った本を読みたい。好きな音楽を飽きるまで聞いていたい。

 好奇心が真っ先に向いたものに飛びつこうとする辺り、私は計画的に時間を使うということが物凄く苦手だということを実感しています。

 

 他方で、これらのことは飽く迄「私という人間が一人で行いたいこと」という前提条件が付いていることに気付きました。

 ブログは自分と向き合いながら書きたい。本は雑音がない状況で読みたい。身内のことを気にすることなく、自分の好きな音量で音楽を聞きたい。(爆音で流すつもりはありませんが……)

 

 そう考えると、と思った時でした。

 私にとって身内は掛け替えのない存在であり、表向きには言えない汚らしい罵りや憤りをこちらから発しつつ、同じように溜まった鬱憤を受けることで精神的な「ギブアンドテイク」を行って参りました。

 

 然れど。

 より深く、私が打ち込みたい。自分自身と向かい会いたいという時は、身内であっても「独りになりたい」という思いが一層強くなるのでした。

 そして一度自分がやりたいことに集中し始めると身内そっちのけ で夢中になり、ご飯やお風呂の声がけにも適当に返事をして怒られる程になります。

 

 自分がやりたいことに熱中している時、私の中では生活で当たり前のことでさえどうでもよくなってしまうのです。

 身内からも「気分屋」と言われるのは、多分この辺りにあるのかなと邪推しています。

 

 

 

 職場の人と会う時間。嬉しくて楽しい半面、時間が経つに連れて嫌気が差す自分

 

 

 続いて、社会人として、お金を稼ぐ為に行く会社。ネットニュースではブラック企業についてや人間関係の悩みについて綴られた記事を多く見かけます。

 特にコロナ禍となり今も尚その状態が続いている昨今では、この手のニュースが非常に増えたような印象が強いです。

 

 さて、私はと言いますと。

 社員が自分の両親程の方々が大半を占めるというとんでもない人員構成の事業所で、仕事への考え方から物事に対する価値観が全く異なる人たちばかりです。

 逆に同期となる同世代の人間は数名しかおらず、後輩に当たる20代の社員が十数人です。

 

 私の場合、同世代に対してはトラウマがあるので自分から歩み寄っていくことができません。また末っ子として生まれ育ち、学校の部活でも後輩らしい後輩もいなかったことからどう接すれば良いのかわからない……という悩みの一種とも言えるものを持ち続けています。

 私もそうなのですが、発言も何を伝えたいのかわかりにくいものが多く、つい言葉の裏を探ってしまう私には苦手な存在となっています。

 

 反対に先輩たちベテラン層は、こちらに対して遠慮なく、はっきりと物申してくれます。加えて若手(一応私も若手に部類されるみたいです。都合のいい時だけですが)の第一号だった私に構ってくださる方も多く、良い意味で可愛がっていただいています。

 そんな私も父親像を知らないということも重なって、ベテランの方々との人間関係は比較的良好です。相手が冗談交じりで弄りに来ているのかも声色や顔色を見れば判断でき、社内LANを管理するという特殊な役柄上相談も多く、個人的には楽しく仕事をさせてもらっている、つもりです。

 

 しかしながらここでも、天の邪鬼精神が顔を出し始めることとなります。

 人付き合い自体は嫌いではない癖に、時間が経つにつれて何となく嫌気が差すと言えばいいのでしょうか。とにかく、人といる時間が長くなればなる程気疲れを引き起こしその場から離れたくなります。

 

 今年の場合は年始の挨拶が、その最たるものでした。

 長期休暇後に、元気な顔を見合いながら「今年もよろしくお願いします」と交わし続けていく朝の時間。

 担当内の方と交わし終えた辺りで、私は既に人酔い状態になっていました。本の十数分なのに、首都圏の駅構内を移動する際に不特定多数の人々と行き違って一気に疲弊する、あの状態のような状況に陥っていました。

 

 仕事初めからこれじゃあ……と思いながら。人が好きなのか嫌いなのか、自分でもよくわからない。

 傍から見れば「変わり者」と思われ、言われるのも仕方ないと思う瞬間でした。

 

 ちなみに私は、周りの社員と比べて有給休暇の数が極端に少ないです。

 何故なら、仕事だけでなく人間関係でのやり取りで疲れを感じた瞬間、「うん、休み取ろう」と自己防衛するかのように有給をすぐに取ってしまうからです。

 周りからは「そんなに休み取って何してんだ?」と聞かれることがあります。

 

 でも、違うんです。一人の時間を補う為に休みを取っているんです、私。じゃないと、自分という存在がどこかへ行ってしまいそうで、消えそうになってしまいそうで、怖いんです。

 

 

 

 

 夢中になれる仕事を見つけた時は、周りのことなど関係なくのめり込んでいた

 

 

 先程のことがHSP起因であるとするなら、続くのはHSSの性質が出た場面です。

 

 私の通う会社では 、この時期になると産業廃棄物の処理に向けた準備が始まります。昨年決済を取った産廃物を集め、業者が回収に来る日に一気に捨てられるようにしています。

 今年は社内LANが一気に更改されたこともあり、沢山のパソコン類も廃棄することとなりました。社内LAN管理をしている私に、早速大仕事とも言える仕事が舞い込んで参りました。

 

 今から十数年前程前までは、産業廃棄物としてのパソコンは引き渡し後に破壊されるという認識が根強かったことから、特にデータの消去や破砕をすることもなく業者に引き渡していました。

 しかし最近では個人情報や会社情報の漏洩が大問題になることが、非常に多くなっています。特に会社の機密情報が漏洩するようなことがあれば一気に社会的信用を失うこととなります。

 そこで最近はパソコンに取り付けられているハードディスクドライブやSSDを抜き取り、外部からドリル等を用いて穴を空け読み取りできなくするという、物理的破壊が義務付けられています。

 少し前に流行った、データ完全消去ソフトウェアは、はっきりいって役に立ちません。詳しい人間がその気になれば、簡単に復元できてしまうからです。

 

 そんな訳で、朝から捨てるパソコンを並べてHSSやSSDを引き抜く作業から始まった訳ですが。

 パソコンをバラして、マザーボードが見えて各種配線が露出して。問題のHDDやSSDを探すのですが。

 デスクトップ型とノート型ではバラし方全く異なり、設置位置も取り外し方もメーカーごとや機種ごとに違うことが多くあります。

 四苦八苦して、どうやって取り外すんだと試行錯誤していく内に。

 

 私はすっかり、時間など忘れて集中モードに入り込んでいました。

 この時は、本当に周りのことが視界だけでなく五感から全く入ってこなくなります。目の前のことしか頭になくなり、感情も楽しいのやら嬉しいのやら、とにかく高揚感のようなものに支配されて眼前のこと以外考えられなくなります。

 とにかく、楽しい。パソコンをバラして「このメーカーのパソコンって、中身こうなってるのか」と新しい発見が、能を刺激して止まない。

 

 たかがそんなことに、と振り返ると自分でも思ってしまうことですが、それでも好奇心と刺激を満たしてくれるものに出会うと本当に周りが見えなくなることを、自意識がある中で実感できたのはこれが初めてのことでした。

 

 その直後、産廃物品のリストと突合を行いながらパソコンをバラさなければならなかったことを指摘され、偉く叱られることとなりました。

 それ程にまで、私が自負するHSSの側面は強力なのだと思うのでした。

 

 

 

 自分勝手な奴と思われても、侵されたくない思い

 

 

 年始の仕事を振り返って、改めて自分が自分勝手で自己中な人間なんだなと思い返しています。

 多分きっと、周りの人たちは私のことを「気分屋の変わり者」と認識していると勝手ながら思っています。或いは自分勝手でどうしようもない奴と思う人もいるのだろうなと感じています。

 

 でもこれが、私のHSS型HSPなのだろうなと思います。開き直るつもりはありませんが、言い訳もしませんし取り繕うようなこともいたしません。

 だって、これが本当の自分なのだから。

 

 それをこうして文章化し、自分でも納得できる形となる経験を積めたこと。そして然程違和感なくいられる自分がいることが、何だか清々しい思いを抱いています。

 

 ここ一ヶ月位でしょうか。スマートニュースでも、HSPについて取り上げた記事が目につくようになり始めたのは。

 そこにはHSPに特化した内容が綴られており、成程これがHSPというものなのかと誰もが比較的簡単に、以前よりもHSPというものに触れる機会が増えて来たことを実感しています。

 

 しかしながら、やはりHSS型HSPやHSEについてはまだまだ浅い。

 仮にHSPかも、と自己診断したところで、完璧に当てはまる人の方が少ないはず。

 その自己診断で当てはまらなかった人は、「じゃあ、自分って何なんだ」となるのは目に見えています。

 

 HSPの側面を持つ身として、紹介されることは嬉しいことです。

 然れどHSPを軽く扱っていただきたくないという反抗心もあるのも、また事実です。

 

 HSPに焦点を絞るのではなく、HSPに「+α」が沢山あることが、どんどん広がって欲しいし、願っています。

 

 だから、HSSの側面も併せ持つHSS型HSPの私は。

  ブログを通して、経験を通して。今年もHSS型HSPについて、日常視点で綴り続けたいと思います。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210105185637j:plain

 

【ブログ・生き方】本年もよろしくお願い申し上げます。 ~ブログ開始から、一年経った今年の抱負~

 年も明け、2021年の三ヶ日も疾風の如く過ぎ去りました。

 いつも以上に、寒く。いつも以上に、人気のない街並み。

 

 コロナ禍が終わることなく迎えた今年は、普段以上に「いつも」といいう定義が大きく変わり果ててしまったことを痛感しています。

 

 

 

挨拶2

 

 

 皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 そして、遅ればせながら。

 

 皆様に置かれましては、昨年は本当にお世話になりました。

 本年も変わることなく、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 ここ最近の記事は代理君に挨拶してもらっていますが、これ、正直な感想を皆さんにお伺いしたいことがあります。

 

 普通に文章で綴るか、このように喋らせるか。

 もう少しキャラを作成してアフレコしようと考えてはおりますが、ご意見いただければ幸いです。

 

 

 さて、2020年が今を生きる私たちにとって未曾有にして最悪、災厄の一年となりました。

 正直な所、私は引き続き慎重な行動 -自己防衛本能から来る自らを規制すること、考えなしにの外出はできない- をしなければならない一年になる予感がしております。

 延期された東京五輪・パラリンピックなど夢のまた夢。

 耐え忍ぶと言いますか、我慢を強いられることが多くなると個人的に思っています。

 

 然れど同時に、それももう限界が来ている気がしてなりません。

 自粛に自粛を「要請」ばかりされ、特権階級や上級国民ばかりが好き勝手やっていることが報道されていることが、この国を確実に崩壊に向かわせているようにしか思えなくなって参りました。

 それはそうだと思います。

 とある記事ではお若い方々が飲み会に繰り出していったところを取材され、「お偉いさんが好き放題やっているのに、若者ばかりが自粛を強いられるのはおかしい」というものもありました。

 

 わからなくはありません。

 しかしながら、その行動も結局「他人の行動を言い訳」にしているのでは、と思ったのが、私の正直な感想です。

 そこにあるのは、何かあった時に「他人のせい」にしたいから?

 そうではなく、言いがかりを作りながらも「自分がそうしたいから」飲み会に行った?

 

 非難するつもりはありません。ですがこの記事を見る限り、私は後者なのではないかと真っ先に思いました。

 

 昨年から始めたブログで、私は生き方や育った環境、職業といった違いだけでなく。

 同じ人間という種族であっても、価値観や考え方の違いがあること。

 それを認めるか否か、受け入れるか否か。その度合だけで、人の行動というものは容認されたり非難の的になったりすると思っています。

 

 

 私だったら、そうですね。

 人と面向かって飲むことが好きではないので、まず飲む為に街へ繰り出すことはありません。

  

 とは言え、それも人それぞれの価値観。

 私は大切にしたい、されたいと思う人との繋がりがありさえすれば、当分会うことができない状況でも気にはなりません。

 寧ろ無駄な会食やら宴会が減った分、失礼ながらも個人的には嬉しいことです。

 

 一方で人と会うことで、直接的な交流を経て生きる為のエネルギーを得て、明日への糧にするという方もいらっしゃるかと思います。

 

 こう考えるだけでも、「飲み会」というもの一つとっても大きく異なります。

 

 どちらが良くて、どちらが悪いとも言えない。そんなグレーゾーンばかりのご時世。

 

 私は、本ブログを通してそのような微妙な塩梅な部分を。

 どちらかと言えば、少人数派に入るかもしれない「HSP」や「HSS型HSP」の視点に立ちながら、今年も綴っていければと思います。

 

 最近になり、書籍にてHSS型HSPを纏めている書籍を購入いたしました。

 

 「かくれ繊細さん」という本です。

 まだ序盤の序盤しか読んでおりませんが、これまであまり深堀りされていなかったHSS型HSPやHSEについて書かれています。

 

 次回以降、この書籍だけでなく、他にも入手した情報を元にしながら。

 私が、私なりに考え文章化した思いを、綴っていきたいと思っています。

 

 最後になりますが。

 2021年。この一年が、このブログを訪れてくださった全ての方々に。

 HSPやHSS型HSPで悩む方々に。

 そして、ブログを通し仲良くさせていただいている皆さんにとって。

 

 幸せな、より良い一年になることを、心から祈願させていただきます。

 

 

締め

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 それでは、また次回まで。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20210103182817j:plain

 

【ブログ・価値観】思いを、言葉に ~自分を出すことの怖さを乗り越え、一年が過ぎて~

 今年も、残り僅かですね。

 そう思っていても、どこか不思議な気がしてならない時が時々あります。

 一年も、一時間も、一分も一秒も。

 全部、私たち人間が定めた勝手な規則に過ぎないこと。それなのに、年末年始から始まって四季折々の行事が来る度に、私たちは喜んだり楽しんだり、時には泣いたり悲しむことさえあります。

 

 ただ、人という生き物はそうやって自分が生きている今を。瞬間の連続である人生を歩みながら、変化や恒例となる行いを味わい吟味することで「生きている証」を刻んでいるのかもしれません。

 

 時間の概念が消え去ったら、きっと多分、私たちは生きていけなくなるのだろうな、と思っています。

 年末を迎えることで今年を振り返り、数時間後には来年となる。それだけで、「また新しい一年が始まる」という繰り返しを行いながら、これからも人生というはてなき道を歩いていくのだろうな、などとほろ酔い気分で一人ひっそりと考えている今宵です。

 

挨拶2

 

 皆さん、こんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。

 年末年始ということも鑑みて、和装の代理の子に挨拶をお願いしました。

 ちなみに全体像はこのように仕上げております。

  

f:id:Rayleonard-00:20201231192546j:plain

 

 さて、個人的趣向は程々に。

 

 2020年という一年、皆さんは如何お思いながら終えようとしていらっしゃいますでしょうか。

 

 個人的には、世間に対する皮肉や嫌味、訝しさが物凄く大きくなった一年だったと思います。

 私が正直に思った思いを、代理を通じてお伝えできればと思います。

 

代理

 

  今回代理を務めたのは、シロクマ君です。

 私の友が好きであり推しであることから、急遽搭乗してもらいました。

 

 

 一方で、自分という存在に焦点を当てて振り返ると。

 新鮮、と言っては難ではありますが……それでも、一歩どころか何メートルも跳躍する程にまで、また前進することができた。

 そんな一年となった気がしています。

 

 一番は、ブログというものに出会い自ら思いを紡ぐようになったこと。

 もう一つは、内容が限定的でありながらも交流させていただいた方々に出会えたこと。そしてこれまでは自分の心の内に仕舞い続けてきた思いを、進んで発信するようになったことです。

 

 読書感想文のような文章は苦手としながら。

 自分の思いを、ここまで外部に向けて文章化して発信するとは、ブログを始めるまで思いもしませんでした。

 上手い下手は別として。約一年を通して約150の記事を上げ、思いを言葉にして参りました。

 それだけで私は、文章を書くという喜びと楽しさだけでなく。

 どうすれば伝わるかを。似た表現を如何に工夫するか。

 試行錯誤しながら、私事ながら楽しませていただきました。

 

 

 同時に。

 一方通行の発信を、自分が満足するようにするのではなく。

 周りを、本ブログの読者になってくださった方々を、コメントを拝見していく内に。

 

 SNSの。仮想的な情報発信の源であるブログであったとしても。

 

 実際に面向かって会話するコミュニケーションと、大差はないことを。

 言葉のドッジボールではなく、キャッチボールであることを再認識することができた、気がしています。

 

 

 一方で、ブロガーの皆さんには新参者である私を受け入れいただいたことのみならず。

 コメントやDMでのやり取りだけでなく、Twitterで活躍されていらっしゃる方にも紹介してくださいました。

 

 元々身内と言うに等しい方だけの付き合いしかできなかった私が、SNSという情報の海に進出することができました。

 私のブログではHSPやHSS型HSP。Aセクといったマイナーな内容を取り上げさせていただきながら。

 一年足らずで皆さんと交流を深めることができたことに多大なる感謝を表しながら、御礼申し上げる次第です。

 

 来年は、そうですね。

 より自分が発信していきたい事柄を前面に出しながら、今年躍進できたように思いを言葉にしていきたいと思っています。

 

 未だ収まらることを知らない新型コロナウイルスという災厄。

 2021年は。平成33年、昭和96年という一年は、皆さんにとって幸せな一年であることを願いながら。

 今年お世話になった全ての方々に御礼を申し上げながら、短いながら本記事を締めさせていただきたく思います。

 

 

 

締め
 
 
 今回も最後まで、そして本年最後となる記事を最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
 本年も、大変お世話になりました。来年もまた、よろしくお願い申し上げます。
 
 それでは、また次回まで。
 

f:id:Rayleonard-00:20201231181639j:plain

【HSS・HSP】HSPの4つの特徴について、自己分析 ~DOESを客観視することでわかること~

 今年もいよいよ数日で終わりになりますね。30歳を超えてから、一年が過ぎ去る速度が物凄く早く感じている今宵です。

 本日は照明器具を一気に交換しようと家電売場に行って参りましたが、蛍光管ではなくLED照明の製品が大半を占めていることに驚きを隠せませんでした。

 時の流れも世間の進歩も、知らぬ間に進んでいることを改めて知ることとなりました。

 

 では今回も、代理を通し挨拶申し上げます。

 

 

 

 

あいさつ
 
 
 皆さんこんばんは。【やさぐれ紳士】白兎です。如何お過ごしでしょうか。
 
 アフレコ、楽しいです。自分の声を吹き込んで確認の為に自分の声を聞いていると何とも恥ずかしいやらこそばゆいような感覚を抱きます。
 
 それはともかく、今回の題材に入っていきたいと思います。
 
 本ブログを始めてから、私は様々なジャンルを綴る雑記型のブログを運営して参りました。
 それから間もなく、一年が経とうとしています。
 その中でも、私が一番訴えたかったこと。そして共感したいという名目で、HSPに関する記事を多く書かせていただきました。雑記ブログでありながら、HSPについて自分の体験や思いを綴って参りました。
 しかしながら。
 
 
HSP
 
  調べてみたら思いの外少なかった事実を目の当たりにして少し凹んでいます(汗)
 
  それはともかく。
 ブログを通じて、HSS型HSP、そしてHSEについて言及していらっしゃる、ブログ友の「ウサキさん☆」さんの記事で興味を惹かれるものがありました。
 
 それは、「HSPを構成する4つの概念を、自己分析し強弱を付ける」というものです。
 

hss-hsp.hatenablog.com 
 HSPと一言で括られがちですが、その度合は人それぞれ、千差万別です。 まして私が自負するHSS型HSPやHSEとは、HSPのみに焦点が当てられた特徴だけでは必ずしも当てはまらないものも出て来てしまいます。 
 とは言え、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という故事成語がある通り。 自分のことを、HSPのことを知っているだけでも、闇雲に自分探しをするようなことをせずともより容易に、的確に自分というものを知ることができると考えています。 
 今回はHSPを構成する、4つの特徴を簡単に触れながら、私自身のそれぞれの特性の強弱を分析してみたことと。 自己分析した結果、もしかしたら「自分はHSPなのかも」とお思いの方の、参考になればという思いを乗せながら、綴って参ります。
 

 


 

 

 

 HSPの判断材料となる、「DOES」 

 

 最初に、HSPと判断できる概念であるDOESについて簡単にお話しさせていただきます。

 

 HSPという特徴を簡単に纏めている文献では「繊細」「生き辛い」といった抽象的な表現で紹介されていることが多くあります。

 しかしながら、人間の精神は人知を超えるとも言える程複雑です。

 

 その為、まずはDOESと呼ばれる4つの概念を知り、それに当てはまるかどうかを判断していく必要があります。

 然れどこのDOESというものも、飽く迄自分が当てはまるか否かを見る為の指標の域を出ていないと、私は思っています。

 ですのでまずは気軽に、少しでも当てはまったり「そう感じたことがあるかも」程度で良いと思いますので、あまり深く考えずに直感で答えていただくと良いかと思います。

 

 では実際に、それぞれの特性について考えていきたいと思います。これらについては曖昧な表現が多い中、「ウサキさん☆」さんが具体的な表現を示してくださっているので、勝手ながら使わせていただきます。

 

 最初のDは「処理の深さ」を表すDepth of processingの頭文字を取ったものです。

 具体的には、

 

・納得いくまで考え込んでしまう

・考えすぎて悩んでしまう

・洞察力がある

・いったん理解すると誰よりも理解している

 

 といったものがあります。

 

 

 次のOは「神経の昂り易さ」、Overstimulatedです。刺激を受けやすい、とも約されます。

 

・危険を察知するのが早い

・神経が興奮して疲れてしまう

・常に安心を求める

・基本的にビビリ

 

 このような例が上げられます。

 

 

 続きまして、E。Emotional reactivity and high Empathyの頭文字を取り「感情的反応性・高度な共感性」と表現されますが、難しい言葉ばかりでよくわかりませんよね。

 要は「感情が強く動き・共感する」というものです。

 

・感極まりやすい

・人の気持ちを察やすい

・周りの雰囲気につられやすい

・八方美人と言われる

 

 例としてはこのようなイメージです。

 

 

 最後のSは「些細なことにも心が揺れ動くか」といった意味のSensitivity to Subtle stimuli。単純に繊細かとも言い換えることができるかとおもいます。

 

・繊細なアートや感性を好む

・周囲の変化にいち早く気づく

・ちょっとしたヒントから多くを理解する

・気配り上手

 

 といったものが例となります。

 

 

 これらを見て、全ての例に当てはまることが条件ではありませ。DOESという4つの特徴、そのそれぞれの例に一つでも当てはまることがあるのなら、HSPである可能性があります。

 

 

 私の「DOES」

 

 では、私自身が上記の例に沿って自己分析していきたいと思います。

 当てはまる度合いに応じて高い順から「A・B・C」、そして全く当てはまらない(そう思ったことはない)と思うものには「-」として表現させていただきます。

 

 

 Dについて

・納得いくまで考え込んでしまう:A

・考えすぎて悩んでしまう:B

・洞察力がある:A

・いったん理解すると誰よりも理解している:A

 

 Oについて

 

・危険を察知するのが早い:A

・神経が興奮して疲れてしまう:B

・常に安心を求める:B

・基本的にビビリ:A

 

 Eについて

 

・感極まりやすい:C

・人の気持ちを察やすい:A

・周りの雰囲気につられやすい:A

・八方美人と言われる:-

 

 

 Sについて

 

 

・繊細なアートや感性を好む:B

・周囲の変化にいち早く気づく:A

・ちょっとしたヒントから多くを理解する:A

・気配り上手:C

 

 

 このようにして見ると、私の場合はD>O>S>Eの順番で強い傾向があるようです。

 ここで何を言いたいかと言うと。

 

 一般的に言われるHSPの特徴である、感受性の高さや共感力の強さ。

 それは必ずしも、HSPと自負する、あるいは「そうかも」感じた方であったとしても全てが全て当てはまることはないということです。

 

 などと書き連ねている私は共感を第一に掲げていた割に共感力を示すEが意外と低かったことに。少し驚いています。

 

 

 

 人と違うことを受け入れることが、HSPの始まり

 

 今回は簡単に例を上げさせていただき(うさき☆さん、勝手ながら御礼申し上げます)、HSP の特徴とHSS型HSPを自負する私という人間の自己分析を綴らせていただきました。

 

 各例に対し5分足らずで評価してみましたが、意外な結果が出たと私自身驚くと共に「思っていたのと少し違う」という思いを抱いているのが、正直な感想です。

 

 病気ではなく、気質であるHSPは自分でもわからないものであることを、再認識する切っ掛けとなりました。

 同時に、HSPでもHSS型HSPでもHSEでも、自覚し自負していても本当の思いや考え、傾向が必ずとも一致するとは限らないことを、改めて知ることができました。

 

 逆に言えば。

 世間が提唱することやネットで紹介されていることが、全てではないということ。

 

 そして。

 実際に生きている中で、少しでも「周りとどこか違う」「周囲とズレている自分は、おかしいかも」と思っていらっしゃる方がいるのであれば。

 それは、貴方の個性であり人とは違うものを持っている証です。

 

 確かに生き辛いかもしれません。息苦しいかもしれません。

 

 でも。気休めは嫌いなのではっきり申し上げます。

 「その思いを、感覚に負けて周りに合わせる必要性」などありません。

 

 私は寧ろ、天の邪鬼精神もあり人と違うことを嬉しく思っていますし、「違って何が悪い?」「周りに合わせる必要なんて、このご時世必要ないでしょう?」と思っています。

 

  HSPは、まずは人と違うことを知って、受け入れること。

 それを「世間体」というものを相手に天秤に掛けずに、臆せず自分を主張していくことが大切だと思っています。

 

  日本人は普遍的で飛び出た杭を撃ち抜いてでも平準化しようという傾向があるかと思っていますが。

 

 自分を殺してまで、人に合わせる時代は一昔前に終わっていると私は考えています。

 なら、「人と違う自分」を第一に生きていくことが、より大切なことだと思います。

 

 最初は簡単ではないかもしれません。私も自分がHSP、ましてHSS型HSPであることを受け入れるまで、途方も無い遠回りをしながら、数年掛けてようやく辿り着きました。

 ですがきっと。

 

 貴方が生きる上で覚えた「違和感」。それは必ず、いつの日か誇りにさえ思える日が来ます。

 

 人との違いに苦悩する余りに、世の中に絶望し自害しかけた私のような人間でも。

 こうしてブログを通じて思いを、HSPについて書くことができるようになった程なのですから。

 

 

 最後の締めは和服Verの代理と言葉を以て、締めとさせていただきます。 

 

締め
 
 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 それでは、また次回まで。
 
 

f:id:Rayleonard-00:20201228211737j:plain

【HSP・価値観】飲み会が減って心安らぐ日々 ~気疲れだけの付き合いは、もう沢山~

 クリスマスイブということもあり、帰りの道路は混雑しておりました。

 恐らく、家族や恋人が美味しい料理を食べる為に。交流を深めて、家族愛を、恋仲を深めて。特別な一日にしようとする人々が行き交っているのだろうな、と冷めた目で世間の忙しさを見据えていました。

 

 家族という概念が崩壊し、血の繋がった者同士でさえ食卓を囲むことすらなくなって久しく。食に対しても正直好きなものを食べられればそれで良いと思う私には、格別な料理は却って違和感しか覚えらません。

 更に同期や後輩が次々と結婚していく中で、恋愛や婚約といったものに関心どころか渇望も湧かない私には、12月24日はいつも通りの一日。

 時間と労力を使って奔走するよりも、一人部屋でお気に入りの音楽を聞きながら、お酒を嗜むことを心から楽しんでいる【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 以前初めて動画を埋め込みましたが、今回は別の手法を用いて動画をブログに載せる方法を模索しておりました。手始めに私の代理となるアバターを作成し、声を入れ込んだものを披露させていただきます。

 

あいさつ

 

  題材は、私の好みであるオオカミを擬人化したものです。使い慣れたら日常的な会話も声を吹き込んで載せられればと思います。

 

 

 さて、クリスマスが終われば、休む間もなく年末年始。世間は車の往来も激しくなり、お店は混雑の嵐。

 コロナ禍と言えど、家族や親しい人との暖蘭は、大事にしたいという思いが滲み出ているようにも見えます。

 

 周りに大切な人がいるというだけで、私のような人間からすれば羨む程です。家族愛こそあれど父親はいないも同然と認識し、人を(恋愛的な意味で)好きになることがわからない。

 一昔前の当たり前の幸せが、わからない私には。

 その分、という訳ではありませんが。一人でいることを楽しみ、リラックスしたり創作の時間に十分当てられる、周りを気にすることなくできる特権。

 そんなものを噛み締められるのも、HSS型HSPを自負する私にとって、前向きな考えと行動となっています。

 

 そういった人付き合いと年末年始と言われて、私が真っ先に思い浮かんだもの。

 それは忘年会や御用納めを始めとする、お酒を飲みながら周りの人たちと互いを労い語り合う、ある意味社会人の行事たち。名前はその時々によって変わりはしますが、要は会社関係の飲み会です。

 今年は新型コロナウイルスを罹患する危険性を鑑み、全て中止となりました。

 その事実に、ホッと胸を撫で下ろすのでした。

 

 

 今回は人によってはストレス発散の場となり交流を深める時間となる、飲み会について。

 一部の人は集団での飲み会そのものがストレスとなっていること。そして、そのような時だけ妙に仲良さげに盃を交わすことに、違和感と嫌悪を抱き続けたことを。

 HSP、HSS型HSPを自認する私個人という立場から、綴って参ります。

 

 

 ※注記※

 本記事は批判的な言葉が並ぶことが多くなりますが、飽く迄一個人の意見に過ぎないことを、どうかご了承願いたく思います。

 もし本記事により不快感を覚えた、または「それはおかしいだろう」というご意見をお持ちになった方は、お手数ですが問い合わせフォームよりご意見いただければと思います。

 内容を鑑み、場合によっては本記事を削除いたします。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 飲み会という付き合いが、断ることなど烏滸がましいと思っていた二十代前半

 

 十数年社会人をやって参りましたが、常々嫌気が差しながらも。

 その年で退職してしまう先輩たちとの最後の付き合いという思いの方が先走り、私は自分の感情を上書きして飲み会という名目の付き合いに参加し続けてきました。

 

 その場でお酒を飲み、料理を食べながら話す上司や先輩は、皆揃って上機嫌。不満気に眉を潜めたり、不機嫌さを顕にするような表情を浮かべる人はいませんでした。

 

 そう、表面上は。

 

 ですが遠くから聞こえてくる話を聞いていると、仕事のやり方や会社の考え方に不満を漏らす声。最初こそアルコールの勢いで機嫌良かったはずなのに、いつの間にか怒声やら罵声が飛び交うことも少なくありませんでした。

 当時からお酒を飲むことは好きな私でしたが、そのような空気を目の当たりにしてから疑問が浮かぶようになっていました。

 

 お酒って、楽しく飲むものではないのか、と。

 素面では言えないようなことを言う為の起爆剤のような使い方をするものじゃないよね?と。

 

 とは言え、相手は自分より一回り以上年上のベテランであり年配の方々。とてもそんな思いを吐露できるような雰囲気ではありませんでした。

 時には我慢できず、感情任せに「飲み会の場で仕事の話をするってどうなの?」と口走ったこともありました。そんな時は「若造が」とばかりに頭引っ叩かれました。

 今でこそ「アルコールに踊らされた老害が」と汚らしいながらも然程気にすることはなくなりましたが、20代前半の当時は理不尽さでお酒を楽しむどころの話ではなくなっていました。

 然れど、「これが社会人か」と無理やり言い聞かせて感情を沈めていたことも事実でした。

 

 思えばこの頃から。

 社会の慣習に、飲み会という行事に違和感と不快感を抱き始めてのかもしれません。

 

 

 

 心を病んで、飲み会から離れたことで感じたこと

 

 

 それから暫くし、首都圏勤務となった私は心を壊し、精神を病みました。

 

 会社って、何だっけ。人付き合いって、何だっけ。自分って、ナンダッケ?

 

 抗うつ薬や精神安定剤が欠かせない身体と成り果てても、それでも業務に支障を来してはならないという思いだけを頼りに、病休も取らず魂が抜けた傀儡同然の身体と精神で会社へ務め続けました。

 それだけなら、まだ何とか自分を保つことができました。うつ病と診断されようが、それが露呈するような場面を作らないようにして。追い詰められそうになったら適当な理由を付けて、私が最も苦手とする言い争いの場から去ることが可能だったからです。

 

 とは言いながら、全てそんな行動理念だけで収まらない場面もありました。

 最たる例が、飲み会です。

 当時は今ほど精神に関する病気が浸透していなかったこと。それ以上に若者は飲み会に率先して参加するという、古く悪い慣習が蔓延っている時代でもありました。

 自分のことでさえ手に負えない程精神を壊していた私は、断り一人休むことを第一優先していました。自分はうつ病なんです、などと言えない空気もありましたが、とにかく人と関わりたくない一心でいました。

 

 ところが、参加を断る言葉を伝えた途端。

 

 「何で、出られないの?忘年会なんだから、出席しないなんてあり得ないけど?」

 

 不機嫌そうに眉をひそめる先輩の言葉に、私は思わず「何いってんだこいつ」とばかりに汚物を見るかのように睨みつけていたことを覚えています。

 

 会社の付き合いなのに、自分を犠牲にしてまで参加しろ?対して付き合いもないだけでなく、病気のフォローもしない人たちと酒盃を交わすことは当然のこと?

 

 何言ってんだお前。バブル期の慣習の化石か?

 糞食らえ、時代錯誤のバカ共が。

 

 思わず手が出そうになりましたが、そこは社会の場。手を出した方が負けだということは勿論ながら、そのような根拠も理由もなくただ慣例に前倣えしかできない人の相手をすることが、唐突に馬鹿馬鹿しくなった瞬間でした。

 

 この時は最初に務めた地元で退職する方々の送別会が重なっていました。

 首都圏内での忘年会よりも地元を大切にしたいという、ある意味無茶苦茶でありながら本心を伝えたところ、渋々了解してもらった経緯があります。

 

 参加表の備考欄に、嫌味の如く「地元の大切な人を優先の為欠席」と書かれましたが。

 私からすれば、どうでもいいことでした。

 寧ろ。

 

 その程度の書き込みで付き合いを回避できるのであれば、幾らでも言い訳してやる。

 これ以上、自分を犠牲にしてまで会社に付き合う義理もない。

 

 何より。

 大勢の人が集まる場所が、耳から入る会話の嵐がただでさえ苦手で耐えられないことを、いつの間にか自覚している自分がいました。

 

 図らずとも、このことを堺に自分が人ととはどこかズレていることを。後にHSP、HSS型HSPであることを知る切っ掛けとなったのです。

 

 

 

 大勢も騒がしさも苦手なHSPには、飲み会は苦しいだけの害悪

 

 

 それから間もなく、私は地元に戻ることとなりました。

 相も変わらず、先輩方は飲み会の機会を設け「交流を深める」という名目の慣習を続けていました。

 少人数ならともかく、何十人もいるような宴会はただ気疲れするだけで得るものは何もないことを知った私は、逆の発想を抱くようになっていました。

 

 大勢が参加する飲み会なら、対して面白い話もせずお酌もしない私なんていなくても……構わないよな。

 

 その頃からか私は、図らずとも人から評価されたり評価されることを怖がらなくなっていました。飲み会にも参加しないことを酷評しない人たちがいなくなったことは、私にとって幸いなことではありました。

 

 始めこそアルコール禁忌の薬を飲んでいることを理由に飲み会を断り、その度に罪悪感のようなものを抱いていました。

 

 しかし歳を取ると共に、自分をより深く知ることで。

 自分がHSPであることを最初に知り。人付き合いそのものが苦手と認識し、自分を蔑ろにしてまで付き合う必要はないと考え始めて。

 その後より複雑で理解されない、HSS型HSPであることを自覚してからは、より一層興味のないことにはとことん関心を抱かないことを知って。同時に親しい人たちとの交流は、喩え少人数であっても楽しいと感じ、大切にしたいと思う傾向にある自分がいることに気付くことができました。

 

 お酒の場であろうがなかろうが、私は大人数で騒ぐよりも一対一を好むことを。多くても4人以下でないと「私なんていなくても構わないから、好きに楽しんで」と思うようになりました。

 

 それからは私が大切と思いたい人との付き合いはより大事にしたいと思う一方で、「白兎は飲み会に出ない」と思われる程大人数での飲み会を遠慮なく断るようになりました。

 

 

 

 

 気疲れだけの付き合い、辞めにしませんか

 

 私の考えを、自分勝手や身勝手だと思う方もいらっしゃるかと思います。

 

 開き直るつもりはありません、と最初に申し上げます。

 それならそれで、私は構いません。

 

 今回は飲み会をテーマとしましたが、何事も「好きな人はやれば良い」というのが、私の考えでありスタンスです。

 

 飲み会で憂さ晴らしする。それはとても大事なことだと思っていることは事実です。

 但し。

 それに当てはまらない人間も、少なからずいるという前提を設けて。

 

 私はHSS型HSPを自負した上で、言い方は悪くなりますが「大して親しくない人たち」との懇親を深めたいという気は更々ありません。

 それで嫌われたり煙たがれるのなら、そこまでの縁だったと受け入れて、関係を切る覚悟はあります。

 

 然れど。

 そこまで割り切った考えに至ることができず、悶々とした日々を送っていらっしゃる方も多いと勝手ながら思っています。

 

 難しいかとは思いますが。

 自分を削って、身体や精神を犠牲にするような付き合いを続ける位なら。

 

 そんなもの、辞めませんか。

 私の経験上、その程度の付き合いで交流が深まった試しはありません。寧ろ相手ばかりが楽しむばかりで、自分にとって利益らしい利益は何も得られませんでした。

 利益というといかにもな感じもしますので、言い方を変えさせていただきます。

 

 飲み会だけでに留まらず、その付き合いは互いにWin-Winでしょうか。

 どちらかが何かしらの我慢を強いられてはいませんでしょうか。

 付き合う上で、ご自身に対し何かプラスになることはありますでしょうか。

 

 そうでなければ、気疲れだけで何も生み出さない付き合いは、私は辞めても良いと思います。

 その場では良いとしても。

 後々自分を壊して取り返しが付かなくなる可能性は、否定できません。

 

 かく言う私が、その一人です。人との繋がりを重視し自分を無視し続けたことで、自ら死を選ぶまでに追い込まれた一人です。

 そんなことになる前に。

 相手をヨイショするだけの。詰まらない慣習の残滓として残り続ける飲み会なんて。

 

 もう、辞めにしませんか。

 

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

締め

 

 締めはもう一人のアバター(和装Ver)を使わせていただきました。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201227193419j:plain



【車・趣味】今年最後の大旅行 ~伊豆大島上陸、そして帰路へ~

  関越道で数十時間に及ぶ立ち往生。各地で大雪。そして12月とは思えない冷え込み。

 今シーズンの冬は、これまでのそれとどこか違う何かを感じさせます。

 自宅付近でも氷点下二桁を記録し、会社に行くことはおろか、布団から這い出るのがやっとの思いだった【やさぐれ紳士】白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 ジェットフォイルが奏でる音響を背景音としながら、伊豆大島へと渡った私たち。

 そこは天然の城壁とも呼べる断崖絶壁と、潮の香りが漂う、どこか懐かしささえ感じさせる町並みが広がっているのでした。

 

 今回は初となる伊豆大島に上陸し、短いながらも離島で過ごした時間。日常生活では、山国では味わえない海の町ならではの空気と時の流れを綴りながら。

 今年最後の大旅行を、締めて参ります。

 

 

 

 

 

 切り立つ大地と風が生み出した、海風と共に生きる伊豆大島

 

 ジェットフォイルを降り、伊豆大島の地を踏んだ私たちを待っていたのは、沢山の観光客。そして、切り立った大地と風が生み出した伊豆大島の絶景でした。

 

f:id:Rayleonard-00:20201221201942j:plain

  

f:id:Rayleonard-00:20201221201000j:plain

 

 自然が創り上げた、まさに難攻不落と言っても過言ではない程の断崖絶壁。緑に囲まれ和らいでいるとはいえ、来るものを拒むかのように聳える岩肌。この島に住む方々や自由に飛び回れる海鳥以外は受け付けない、厳かな空気が吹き付ける風と共に伝わってきました。 

 

f:id:Rayleonard-00:20201221201608j:plain

 

  反対側を見渡すと、そこには海が広がるばかり。遠くに本州が見えるとは言え、山に囲まれた地に生まれ育った私には絶海の孤島にすら思えるような情景でした。

 

 遅めのお昼を摂る為に歩き出した私たち。品川ナンバーの車が行き交うこの地が、伊豆の名を持ちながらも東京都の一部であることが、何とも不思議な感覚を齎します。

 微かに雨粒が降り注ぐ町並みは、古き良き時代を表現しているかのようでした。潮風に晒され傷んだコンクリート製の家屋、錆びついたトタンの屋根。その随所に植えられた木々や花々が昔と今を繋いでいるかのようにさえ見え、発展した都市部にはない温もりを伝えてくれました。

 

f:id:Rayleonard-00:20201221201508j:plain

 

 

 時間の制約もあり、徒歩で移動できた距離は僅かでした。それでも、喩え一部であっても伊豆大島の町をこの目で見て、肌で感じることができました。

 

 少し困ったのは、ここは漁業が盛んな町だったこと。魚介類が食べられない私には、名物の魚介をふんだんに使用した料理を出してくれるお店ばかりで、少々難儀しました。

 

 結果、港近くの5F建てビルにして船客待合所の中にある「minatoにぎわいテーブル」で食事を摂ることになりました。

 

 

 

 船の発着場の屋上で、海風と共に伊豆大島の空気に触れながら

 

 

 2019年にオープニングセレモニーが執り行われた船客待合所は、津波の避難所にもなる広いスペースを有したゆったりとした建物です。地上の1階部分は船のチケット売り場兼待合所。2階はお土産売り場で3階がレストラン、4階部分が津波避難スペースにして展望エリアとなっていました。5階は関係者以外立入禁止区域です。

 

f:id:Rayleonard-00:20201221201725j:plain

 

 静岡県の伊豆半島から一時間足らずで東京都に立っているのが、新鮮な雰囲気を齎してくれます。

 

f:id:Rayleonard-00:20201221201812j:plain

 

f:id:Rayleonard-00:20201221201839j:plain

 

  名所も沢山あり、余裕があればレンタカーを借りて、島を一周したいと思いながら、遅めの昼食を頬張ります。この日はご飯が食べたかったので、炒飯を注文しました。

 

 

 旅行に行ったならその地の名物を食べてきたかと、よく聞かれます。(主に会社で)

 毎度のこと私の答えはNoなので、大概「勿体ないな」「上手いもん喰わないなんて、人生損してるぞ」と言われます。

 

 正直、私にとってそれはどうでもいいことです。

 私が旅をするのは、行ったことのない場所の空気や景色に触れることの新鮮さと喜び。再び訪れた際には懐かしさを抱きながら、前回訪れた時との差異を -気温や気候など- を肌身で感じ、目で、音で、匂いで感じる為であることが主です。

 旅の楽しみ方は、人それぞれ。極端な言い方をすれば、自分が満足できる楽しみ方をできればそれで良いのです。

 

 話は逸れましたが、食事を終えた私たちは、帰りの船を待つ時間を使い観光客が立ち入れる最上階の展望エリアへと足を運んでいました。

 

 海鳥たちの鳴き声が木霊するその場所に出て、私たちは写真撮影と会話に華を咲かせました。

 コロナ禍でなければ、恐らく展望エリアも人だかりができていたであろうその場所を、ほぼ独占していました。

 私とたーぼぅさんの会話が、静かに交わされます。

 

 コロナ禍のこと、仕事のこと。互いの健康のことや、趣味のこと。

 そして今年は、これで最後の旅行になること。

 それが、なんとなく漠然としながらも、どこか寂しい気持ちになりつつある私の思いを吐露していました。

 湿っぽいのは苦手な私ではありますが、そんな私に、たーぼぅさんは傾聴してくださいました。

 

 それが、どれだけありがたくて。頼もしくて、嬉しいことだったか。

 

 私には血の繋がった兄がおりますが。

 血は繋がっていないとしても、もう一人の兄として慕いたい。この人に甘えたい。

 もっと、傍にいたい。

 

 そんな軟弱で、甘ったれた思いすら込み上げていました。

 

 それはともかく、思いを言葉にできなかったことを悔いる一方で。

 無理に捻り出す必要もないのかな、などと思う自分がいました。

 

 展望エリアの端にある手すりに肘を付き身体を預けながら、そやって思い感じている自分の気持ちは、何物にも変えられない真実であり事実であることが、わかったのだから。

 

 

 伊豆大島を離れるまでの時間は、あまりにも短くて

 

 カメラのシャッターを切ることに、会話に夢中になっている間にも、早くも帰りの便にして熱海行き最終便の船に乗り込む時間が迫ってきました。

 

 たーぼぅさんの声を聞き、海辺へと目を向けると。

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201221202137j:plain

 

 帰りに搭乗するジェットフォイルが、荒れる波を掻き分けて「翼走」してきました。よく見ると、先端にある翼と呼ばれる部分が立ち上がって海面を飛ぶかのように船体を浮かせています。

 

f:id:Rayleonard-00:20201221202223j:plain

 

 船が行き去った後方の水面が白く波立ち、ジェットフォイルの翼走により「切り裂かれた」とも呼べる跡のようにも見えます。

 港に近付くに連れて。

 

f:id:Rayleonard-00:20201221202247j:plain

 

 翼部分が格納され、通常の船と同じ姿へと様変わりしていました。

 乗船中は見ることができない、ジェットフォイルの変形とも呼べる機構を捉えることができ、「変形は浪漫」と思いながら。海上を時速80キロで進む為に熟考され洗練された技術を前に感嘆の声を出すことしかできませんでした。

 

 伊豆大島を離れる時間がやってきました。滞在時間はたったの数時間でしたが、本州から離れた東京都であるこの地の空気に触れて、また一つ知らぬ場所をこの身を持って踏み込めたことと。

 その帰りの船内で、ジェットフォイルが吼えながらも奏でる音色を背景に、すっかり値落ちしてしまいながらも。

 もう一度、今度は時間に余裕を持ってゆっくり回りたい。そんな決意のようなものを、夢現で思いながら。

 

 

 大旅行の終わりは、青空と共に

 

 眠気眼で起きた私が状況把握した時には、船が熱海港に着岸手前のところでした。

 凝り固まった身体をほぐそうと伸びている内に、ジェットフォイルは無事着岸。今回の船旅の終わりを告げました。

 

 港を後にした私たちは軽い夕食を摂り、談話を重ねました。

 話は、いつまでも尽きませんでした。

 しかしながら、(私は船内で寝ていながらも)双方ともに疲労を隠せなかったことに加えて、翌日のことを考慮し早めに解散することといたしました。

 

 車をメインにする旅としては最長となる、3箇所目のホテルまで送ってくださったたーぼぅさんに感謝の言葉と頭を深く下げながら、私たちは別れました。

 

 来年こそ、コロナ禍が解消され自由に旅を満喫できることを。さらなる旅路を共にできることを、胸の中で静かに願いながら。

 

 

 宿泊地に着いてすぐ、倒れるように寝入った私の意識が現実に帰ったのは、翌朝でした。

 ホテルでの朝食を堪能し、私は8時前に相棒と共に伊豆の地を後にし出立していました。どこか後ろ髪を引かれるような思いに駆られたのは、きっと気の所為ではないと思いながら。

 

 その道中、燃料補給しつつ休息の為に立ち寄ったコンビニから。

 

 

 

f:id:Rayleonard-00:20201221202344j:plain

 

 晴れ渡る富士山の勇姿と青空を拝むことができました。

 

 その後は休憩を挟むことなく、地元長野まで愛車と共に駆け抜けていきました。3連休明けの道は空き、愛車を駆る喜びを噛み締めながら。

 長野に入る頃には、伊豆の地より10℃近く冷えた空気が、私と相棒を待ち受けているのでした。

 

 

 三泊四日の旅。

 まだ20代前半で体力のある頃は、京都を五泊し名所を巡ることもありましたが、今の相棒と共に旅するようになってからは初めてとなる大旅行となりました。

 

 新型コロナウイルスが蔓延し、満足に外出もできずに終わりそうだった2020年。車のオフ会や伊豆大島への渡航という、私としては大旅行と呼べる程の旅を経ることで鬱屈を覆しました。

 

 同時に、数年前は人に会うことさえ嫌っていた私が。

 この記事を綴る今では、寧ろ人に会い話をしたいとさえ思えるようになった自分が不思議に思うと共に。

 車に会えたことで。恩人と思える人に、仲間と思える人たちに出会えたことが、私の生き方そのものを変えてくれたのだとしみじみ感じています。

 

 

 過去にどれだけ深く、抉られるような傷を負っても。

 人は変わることができるということを、この身体と精神で、思い切り感じています。

 

 来年は、マスクなしで。思い切り笑い合える出会いと交流を、切に願いながら。

 今回の旅でお付き合いくださった、たーぼぅさん始め。車仲間に、初めてお会いした方々に、この場を借りて深く御礼申し上げます。

 

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。