白兎と雪狼の、果てなき旅路

ドライブやドライブや写真撮影を趣味とし、その他、HSPやAセクシャル、イジメ。精神的・心理的なことについて綴っていきます。

【生き方・価値観】変わり者は褒め言葉・前章 ~周りと違っても、良いじゃない~

  先日のマウス交換を契機として、少しずつPC周辺機器や外部記録媒体を更改し始めています。

 以前使っていた有線のキーボードも打ち応えと小型さから、これまで使っていたものと交換しつつ、無線仕様の新品が到着するのを心待ちにしています。

 ブログを始めとした間接的なコミュニケーションに用いるマン・マシン・インターフェースも、自分に合ったものの方が気持ち良いと感じると共に。効率も上がって一石二鳥と思っている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 突然ではありますが、皆さんにご質問したいことがあります。

 

 

 「貴方って、変わってるね」と言われたら、どう思いますか。

 「変わり者だね」と言われたら、どういった気持ちになりますか。

 

 

 変わっている、という言葉の定義は多岐に渡ります。

 しかし共通することは、「周りと比べて」という前提条件が入ると思っています。

 

 例えば。周囲と比べられて、どこか違う振る舞いや言動があるのか。

 集団行動を良しとしてきた日本の文化の中で、一匹狼の如く独りでいることを好むことなのか。

 周りに馴染まない姿勢を、面白おかしく言っているのか。

 もしくはそれらを全部引っ括めて、「考えや行動を正せ」と遠回し気味に嫌味を言われているのか。

 

 どうしても人は、周りと比べ比べられを繰り返し、生きていると思っています。故にその枠からはみ出るようなことは、基本的にあまり良い印象として捉えられることは少ないと思っています。

 では何故、このような疑問を投げかけたかと言うと。

 

 同年代の人たちと比べられ、優劣を判断される位なら。

 私は常に、自分というものを歪んででも貫き通したかったという思いがあったからです。

 そして、学校という閉鎖空間の中から解放されて、多くの人と出会って参りました。

 その一場面で、面向かって「お互い、変わり者だからね」と言われたことが、妙に嬉しくて。

 自他共に変わり者認定されたことで、「自分らしい生き方」のようなものを、見出すことができたからでした。

 

 

 今回は、周りからの評価に影響しかねない、人と変わっている一面を持つこと。

 変わり者と称され、周りと違っていることを再認識できたこと。

 そしてそれ自体も、私は寧ろ良いことなのではないか思っていることを、私の経験を交えながら綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りと同じでなければならないことに、違和を抱き始めて

 

 

 

 人間という生き物。

 生まれた家系や事情、環境はそれぞれ違っても、同じ種族として生を受けたということだけで。

 周りと仲良くしなさい。喧嘩はいけません。皆が友達です。

 もう少し範囲を狭くすれば、同じクラスになったのは奇跡であって、一期一会であって。同じ「仲間」として、目標に向かって一丸となって行こう。

 

 現在は個性や多様性が重視されるようになってきている為、今の教育の場についてはわかりかねますが。

 私だけでなく。多くの方が小さい頃から、そう教えられて育ってきたのではないでしょうか。

 両親や祖父母、親戚以外の大人から言われた言葉の数々。

 世の中すら、自分の周りのことも、自分のことさえわからない小さな子どもからすれば、信じる信じない以前に。

 言われた通りにするのは、当然と言えば当然のことなのかもしれません。

 疑うということを知らないのだから、疑いを持つこともできなかったのだから。

 

 その「当たり前」に違和を感じ始めたのは、余りにも唐突でした。

 私は元々声が高く、小学校の音楽ではソプラノを担当する程で、声量も大きかったことからクラス全体の合唱を引っ張る程でした。

 音符が読めない為楽器の演奏はからっきしダメでしたが、一度聞いたカセットテープの音を数回で記録し、再生するように声を張り上げる。

 自分で言うのもお恥ずかしい話ではありますが、その時は男子からも女子からも頼られていました。

 

 変化があったのは、5年生の半ば。歳で言えば11歳を過ぎた辺り。市内の小学校が一同士、それぞれ合唱を披露する音楽祭で、私たちはそれまで通り練習を重ねてきた合唱曲を歌い上げました。

 その直後からでした。

 低くも高くもなかった背丈が急に伸び始め、後ろから数えた方が早いまでに身長が伸び。

 何よりも、自分としても誇りとさえ思っていた声も、少しずつ、しかし確実に日を重ねるごとに低くなっていきました。

 それまで余裕で出すことができた高音域も、喉に引っかかる違和感を覚える形で出せなくなっていきました。

 

 平均から見れば普通ではありますが、クラスの中では早い第二次性徴を迎えたのです。

 知らない間に変わっていく自分の身体。変化について行けない、頭と心。

 それでも音楽の時間は、それまでと同じものを求められ続けました。

 出したくても出せない声。自身の変化に理解が追いつかない思い。歌うことが好きだったのに、低くなっていく自分の声を嫌うようになり、自信を失って声量はどんどん小さくなっていき、周りを引っ張ることもすっかりできなくなっていました。

 同時に、段々と音楽の時間が嫌気すら差し始めていきました。

 

 そしてついに、歌声が風前の灯火と化したクラスに向かって、音楽担当の教師が吠えました。

 「白兎さんが声変わりして歌えなくなっているのに、何で全員でカバーしないの!」と。

 

 私は驚きました。教師の怒り声にではありません。

 誰も教えてくれなかった、声変わりという言葉に。私を名指しにして、クラスが怒られていることにでした。

 その時は私に敵意や訝しさを向けられることがなかったことは、幸いだったのかもしれません。

 でも、それ以上に。

 

 その言い方って、音楽から見て私がダメになったと言われたような気がして。

 低学年から言われ続けた、皆同じように仲良く、音楽祭といった目標を成功させようという言葉。

 それらが、急に信じられなくなっていきました。

 

 どこが、皆同じなんだよ。全然違うじゃないか。

 

 たまたま、周りとの違いが表れ始めた当事者が私自身だったことも相俟って。周りとの違い、更に違和感を募らせていくこととなりました。

 

 

 

 

 

 

 周囲とのズレを感じ始めた

 

 

 

 第二次性徴は止まることなく進み。やがて、私自身の精神や心にまで変化を齎し始めました。

 

 ここからは以前、記事として起こしたかもしれませんが、もし内容がダブるようなことがあれば申し訳ありません。

 

 当時クラスではドッジボールに力を入れており、運動が得意であろうが否が、参加することが当然という空気に満ち満ちていました。

 そんな折り、担任から「ドッジボールに参加するか否かを、毎日日記を通して意思表示しろ」という、課題の一種のようなものを出されました。

 それだけでも疑問符だらけの私でしたが、元々運動が苦手で痛いことも嫌いだった私は、参加したくないという意志に満ちていました。

 そう言いながら、クラスの男子たちの大半はやる気満々。少しでも異を示した者には、陰口さえ囁かされ始めていました。

 

 私からすれば、最早異常でした。

 言い方は悪くなりますが、たかが一つの球技に対して。

 

 何で、そんなに熱くなる必要があるんだ。

 

 とは言え私は否定派、周りは肯定派。そんな中で意思表示しろと言われた私は、「好きな人はやれば良いのでは」と書き綴り、提出しました。

 結果は、あんまりな返答でした。

 

 日記帳に書いた私の文面には、大きなバツ印。その直後に続く担任のメッセージは。

 『半端な意見を言うな、馬鹿。ちゃんと意志を示せ』

 

 小学生の私でも、正直ガッカリを通り越して唖然としました。

 

 馬鹿呼ばわりしてまで、周りに合わせろとでも言いたいのか。

 何が意思表示しろだ。どちらが馬鹿だ、馬鹿馬鹿しい。

 

 そういう時に限って、多数決という都合の良いものが活用され、結局全員参加に至りました。

 しかし私は依然として不服のまま、消極的な姿勢を貫きました。

 時にはボールの避け方の稚拙さに、別の時は私の態度に。

 殴られることもありました。当てられるボールの痛みで、泣きそうになることもありました。

 

 それからでしょうか。

 元々周りと違うことに興味を示していた私は、クラスの男子全員がハマっていたカードゲームに一切の興味を持つことなく自分の趣味にひた走って。小学生ではとても理解できないような内容のRPGにどハマリして、次第に浮いた存在として見られるようになり始めていきました。

 

 当時母親や叔母から「精神的に大人びているのでは」なんて言われましたが、もしかしたらその言葉も強ち間違いではなっかったのかもしれません。

 

 何故なら、一番記憶に残っていること。ドッジボールの試合直前。担任はクラスメイトがカードゲームにハマっていることを知っていたからか、カードの攻撃力やら守備力を熱弁して、それに準じた戦術で勝ちに行くぞ、と鼓舞していました。

 同級生たちもそれに乗るように、すっかりその気になって盛り上がっていました。

 

 今思えば、上手い誘導方法だったと思います。

 

 最後までカードゲームにもドッジボールにも興味も関心も抱かなかった、私はひたすら。

 

 何だか、皆楽しそうだな。ガンバレー。

 

 そんな、冷めた感情しか持てなかったことは、今でも覚えています。

 

 

 

 長くなりそうなので、本記事は周囲とのズレ、周りとの違いを意識し始めた切っ掛けで締めたいと思います。

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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【HSS・HSP】後章・刺激と好奇心に生かされて ~追い求めて、追い詰められて~

 5月も、いよいよ終わりに差し掛かってきていますね。

 自粛に明け暮れ、野山の緑の成長さえ禄に見ることも叶うことなく、このまま梅雨に入っていきそうな気がしております。

 気を抜いてはならないとわかっていながらも、そろそろ遠出が恋しくなってきている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前書きはこの辺りとして、早速前記事の続きを綴って行きたいと思います。

 今回は自覚するまでとはいかずとも、徐々に芽生え始めたHSSとHSP。

 深い理解が足りないが為に、それを性格と決めつけて自ら生き辛さに苦しみ続けたこと。そして今、自分なりに解釈して上手く付き合っていこうと決めたことを、綴って参ります。

 

 尚、HSPやHSSについて纏めたページリンクをご用意しましたので、ご興味のある方は併せてご参照くだされば幸いです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 刺激を追い求めることより、追い詰められることが増えていく

 

 

 

 小学校を卒業して、地獄の中学校の時期を経て。歪んだ認知を持ったことで、ひたすら目立たないことを選んだ高校時代。

 そして学生としては黄金期だったと今でも認識している、専門学校時代。

 歳を重ね交流が多くなったことで、人と共にいる時間に苦を覚える時間は少しずつですが、低減されていました。

 とは言え、相変わらず自分から積極的に歩み寄ることはできないまま、周りの人たちの誘いや気遣いがあったからこそ、何とか生き延びることができたと言っても過言ではありません。

 

 と言うのも、以前記事にも綴りましたが。

 この頃から刺激を追い求めることよりも、より敏感になった感覚。特に音や声が齎す刺激に圧倒され、いつの間にか怯えるようになってしまっていたからです。

 成人間際にして、怯えるというのもお恥ずかしい話ですが……。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 音については幼少期から敏感であることに変わりはありませんでした。

 違ったのは、単なる大音響や唐突の爆音で感情を揺さぶられて混乱するだけに留まらなくなったことにあります。

 

 用もないパチンコ屋の前を、何気なく通った時に開かれる自動ドア。直後に漏れて響き渡るパチンコ台の無駄に大きな音響に驚いて、その度に「うるせぇ」と目を細めたり。

 通学で使うだけでなく、当時友人だった人の家へ遊びに行く時に使う鉄道内でも、社内の話し声や子供の耳を切り裂くような金切り声や泣き声に圧倒されるようになりました。

 自分自身の、外界に対する変化。それは変貌とも言える程の変わり様で、「煩ければ無視すれば良い」と思っても、自意識だけではとてもではないが身も心も持たないと直感していました。

 そこで、一人で外出する時はカナル型イヤホンで周りの音を完全にシャットアウトして、好みの音楽を流すことで切り抜けることを覚えました。

 眠る時は耳栓を突っ込んで、自分の心臓の鼓動と吐息だけが聞こえる状態に持っていき、少しでも安堵できるよう心がけるようになりました。

 

 保育園では、自由なままに刺激を追い求めて来たのに。

 歳と共に、刺激に追い詰められる日が増えていくことに、当時は不安と恐怖を覚えていき。

 この記事を綴る今では、送り込まれる刺激を捌き切ることができなかったが為に、ひたすら刺激に精神が壊されないように自分を守ることに必死だったのだな、と思い耽っています。

 

 しかしその実は、自分の変化が、周りを気にし過ぎるような形で性格が変わってきた

と勝手に思い込んで。それ故に痛い目を見た過去を重ねてることで、揺れ動く感情や思いを表に出さぬよう。

 偽りの仮面を被るようにして、あたかも少しのことでは動じず感情の起伏が乏しい、クールでニヒルな性格の持ち主であると自己暗示するようにして本当の自分を覆い隠していました。

 それを、チヤホヤされながらも「これが、本当の自分だ」と信じて止むことなくはなくなり、過去の自分と決別するように一人称を「私」と変えてまで。

 

 一度被った、自分を偽る仮面。それは精神を守る為であり、自分を護る為であった無意識的な行動であったにせよ。

 車の交流サイトやブログを通して、片方は割れかけながらも。今も尚、初めて会う人の前では素の自分を出せなくなるという害が取り除けなくなっています。

 

 時としてその思いが顕在化して、いつまでも偽り続ける自分を責めることもありました。

 そのような時に限って。

 小さい頃は刺激や好奇心を求めるばかりに、周りを蔑ろにしてきたのでは、と自分を問い詰めるようになりました。

 それと共に、意識と関係なく刺激と好奇心を追い求めることもあれば、逆にそれらに振り回されることに疲弊していることに気付くのでした。

 

 

 

 

 

 

 気質を持たない、普通のヒトとして生まれたいと思っても

 

 

 

 

 小さい頃は深く考えたりすることもなく、私は沸き立つ好奇心を素直に受け入れてきました。自分の好奇心と興味に突き動かされて、満たされて満足したら次の刺激を……とい繰り返してきました。

 それが通らなくなったことを切っ掛けにして、今度は自分の思いを抑え込むように、「好奇心だけで動くことや、刺激を求めることは危険だ」と言いつけ、正反対の行動を取ってきました。

 

 刺激を求めて止まないHSS。

 刺激を過剰なまでに拾い、深く取り入れ、感情を動かされながらも共感することさえあるHSP。

 今でこそ、HSSとHSPの両方を抱える身としての自覚や自負はあれど。

 

 

 時代や見る人は変わっても、見渡す人たちは皆、活き活きとして周囲と笑い声を交えながら話し込んでいたことだけは、変わりませんでした。

 好奇心をいつの間にか殺して、刺激に怯えるばかりに息を潜めるようにしていた私には。その人たちそれぞれの過去や思いはわからずとも。

 現実の彼ら彼女らは、屈託のない笑みと感情豊かな声を発していました。

 

 もし。

 気質、などと語る以前に。

 多少の際はあれど、周りが刺激に左右されない、自分の意志と思いを当たり前のように表現して生きることができていたとするなら。

 

 普通のヒトとして生まれ、生きてきたかったと思うことは、何度もありました。

 

 それが叶わなくても、単に好奇心や刺激を求めて突き進んだり。

 その逆で、刺激に敏感で必要以上に取り入れてしまうばかりに萎縮するかのように、息を潜めて生きる。

 

 短絡的な意見になることを、どうかお許しください。

 どちらか片方だけなら。

 時間は掛かっても、別の生きる道や術を見出すことを見出だせたのではないかと、思えてなりません。

 

 

 普通の感覚で、普通の感じ方で、普通の生き方。

 もし、できたのなら……と、叶いもしない願望のようなものを、夢見た日は幾度もありました。

 

 

 

 

 

 

 刺激と好奇心、敏感さと臆病さと共に生きる

 

 

  

 

 

 然れど。変えたいと願っても、変えられない。寧ろ変わらない気質。

 

 真逆とも言える気質の双方を持っている私は、周りとの違和を感じてからそれに戸惑い、自分が「(悪い意味で)普通ではない人間なのでは」と思い、悩んで。

 知りたくてもわからない自分をある程度理解し、受け入れるまで20年以上の時間を費やしました。

 

 穏やかな時間は、あまり多くありませんでした。それよりも茨の道とも言える道を、心の血を流しながら歩いて参りました。

 

 それでも私は、私だけの生きる道を探し出し、今日まで生きてくることができました。

 

 好奇心の赴くままに刺激を追い求める続けることは、悪い意味では執着心や努力足らずと見えかねません。

 敏感さと臆病さは、チャレンジやチャンスにも手を出さない奥手だとか、意気地なしと思われるかもしれません。

 

 ですが、見方を変えるだけでも見えてくる世界は変わってきます。

 実際、私がそうすることで、ここまで来ることができました。

 好奇心の旺盛さは、周りの人が気にしないような些細なことにも興味を抱き、無意識でも刺激として追い求める躍進する力になって。

 敏感さと臆病さは、相対する人の表情や声色を察知して、勝手ながらも深入りしながら。相手を不意に傷つけるような言葉や仕草を見せないようにして、慎重に慎重を重ねて。

 過敏に反応する音と声を、相手にひたすら傾ける。せっかちな性格を抑えて、焦らないようにしながら。

 そうすることで、多くの感情と思いを拾い上げて、押し付けない程度の言葉を深く考えてから発してきました。

 そうすることで、喩え最初はお互いに不安や不満に満ちていたとしても。最後は微笑みと共に掛けられる言葉や感謝を受けて、こちらも朗らかで心地好い気持ちになる。

 

 

 はっきり言って、回りくどくて面倒くさいと思うこともあります。

 それでも、ドッジボールをするように、意見をぶつけ合っていがみ合うような空気になる位なら。

 言葉のキャッチボールで、心を通わせる。常に平穏であり続けたい、私のような人間には、その方が合っている。

 今では、そう思えるようになりました。

 

 

 病気ではない為に、治療のしようも軽減のしようもない、気質。

 もしも同じように、ご自身の気質に悩み、生き辛さを感じていらっしゃる方がいましたら。

 

 刺激を求めるHSSも。刺激に敏感なHSPも。

 時間は掛かるかもしれませんが、必ず理解し、いつか和解するような形で共存できるようになると、私は信じています。

 

 まずは、自分を否定しないこと。それが始まりだと、私は思っています。

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

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  時には眩し過ぎる太陽でさえも。いつか、向かい合えるはず。

【HSS・HSP】前章・刺激と好奇心に生かされて ~追い求めて、追い詰められて~

 週末の天気が荒れるようになって参りました。少しばかり早い梅雨を思わせながらも、日差しと空気は穏やかな一日でした。

 休日をいただいた本日、一ヶ月振りの洗車に行って参りました。コーティングもすっかり剥げ落ち、在宅により動かすことが少なくなりニセアカシアの花粉塗れになった愛車。

 少し前までは苦にも思わなかった洗車からの拭き取り作業でさえ、身体に堪えている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスを契機とした、様々な変化。日常生活に留まることなく、息抜きと新しい世界を求める旅行や旅。人と人との接触を絶たねばならないといった、数多くの不自由さ、今も私たちに残し続けています。

 私は、それによりより自分と向かい合う時間が増えました。結果的に、これまで抱えて離すことができなかった私自身が抱える思い、気質、自負するもの。

 それらが、少しずつ変わり始めていることに気付きました。

 確かめる為に、以前投稿した記事を再度読み返すいい機会ともなりました。

 

 その中でも私という人間を形作り、様々な思いと感情に揺さぶられ続けたHSSとHSPについて、更に踏み込んで自分の中で考え、整理することができました。

  

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

  

 この記事は、私が自負しながら言葉に変えた記事の最たるものであると自覚しています。

 今では更に、他のブロガーさんが書く記事や、ネット上に流れるHSPやHSSの情報を拝見するだけでなく。私自身がブログを書き続けてきたことによる変化だけに留まらず、取り巻く環境や状況、そして心の変化によって。

 HSSとHSPを併せ持つ身として、新たな見解と認識を持つに至りました。

 

 

 

 

 今回はこれまで綴ってきたHSSやHSPについて、新たな考えや思いを抱いたこと。

 刺激を求めるHSSと、繊細と言われるHSPを併せ持ちながらも、私は新しい刺激を好奇心を常に追い求めていることを。

 その熱が冷めた時に押し寄せる虚無感や寂しさのような感情を抱き続けていたことを、改めて綴っていきたいと思います。

 

 ※注記※

 本記事では、HSPやHSSについての説明は省略する形で綴って参ります。

 詳細な内容については本ブログの過去記事、またはより詳しく、わかりやすく纏めていらっしゃる方のサイトもございますので、そちらを参照していただければ幸いです。

 ※注記終了

 

 

 

 

 

 

 

 HSPよりも先に兆候があったHSS

 

 

 

 これまで綴ってきた通りになりますが、HSPを自負する私は、刺激に晒されることを恐れていることに変わりはありません。

 しかし、時には恐れを上回る好奇心や新しい刺激に常に飢え、追い求め続けていることに気付くと共に。

 夢中になれば他に目が行かない程のめり込んでしまいながら、 好奇心が冷める頃には別の刺激を求める、HSSという気質も併せ持っていることに気付いて久しいです。

 

 これだけだと、単に興味を惹かれたことに熱中し、飽きたらそこで終わり。やや雑な言い方になりますが、好奇心旺盛でありながら、熱しやすく冷めやすい。もっと端的に言えば、三日坊主という言葉が相応の「性格」と捉えられがちです。

 

 実際、そのような概念も考え方も浸透しておらず、仮にしていたとしても理解などできなかったであろう頃から。

 本能とも言える思いに突き動かされていたことを、過去を遡ることで気付くに至りました。

 

 血の繋がりを持つ身内以外の同世代の人間と、初めて出会って同じ時間を過ごした、保育園の頃。

 お昼ご飯とお昼寝、催し物の練習といった時間を除き、保育園にいる時間は自由時間の塊でした。遊ぶだけ遊ぶことが全てと言っても過言ではありませんでした。

 小さな屋外には様々な遊具や砂場が用意され、屋内には積み木、ブロックといった玩具だけでなく、絵本を始めとする読み物も揃っていました。

 園児の乱雑な扱いと経年劣化によって、それぞれ破損や汚損がありましたが、そんなことも関係なく遊び耽っていた記憶だけは鮮明に残っています。

 

 今日は、何して遊ぼうかな。

 友達と呼べた周りの園児たちと笑いながら話して、遊びを決めたら時間を忘れていたことは、周囲と然程違いはありませんでした。

 

 それが、思い返していく度に。

 唐突に興味を失ったかのようにその場を離れ、全く別の遊びに入り浸っていることも珍しくありませんでした。

 屋外の遊具で一緒に遊び回っていた男児たちが休憩と給水の為に遊びを一時中断した途端。

 何を言い残したのかは、定かではありませんが。

 私は一人フラフラと砂場で遊ぶ女児たちに混じって、小さな土木工事に夢中になることもあれば。

 屋内に戻ってブロックと向き合って、小さな頭で考えた戦闘機やロボットを創ったりと、次々と興味の先を変えては入り浸ってを繰り返していました。

 

 もう一つ、自分がHSSだと自負する決定的な事柄がありました。

 それは、唯一行動を制限される昼食やお昼寝の時間。

 私は席に座っていることに我慢することが苦手で、逸早くその場から脱しようと食事を牛乳や水で流し込むような食べ方をしていたことを覚えています。

 

 これは、今でも私の食事に影響を与えています。

 熱いものでも冷たいものでも、食べ物を咀嚼しながら水を含んで胃に流し込むことが癖になっています。故に水がないと食べる速度が物凄く遅くなります。

 これまでは、食べるスピードが遅いことを「食べ終わった人を待たせたくない」と認識して、その為に手早く食事を済ませるよう自分に言い聞かせてきました。

 ですが今は、それまでの思いは「他人軸」で考えた思いに過ぎなかったこと。全ては、「自分」が食事の為に席に座り続けなければならないことを、誰よりも嫌っていたに過ぎなかったのです。

 

 三十路を超えた今の私から見た、当時の幼い私は。

 どこまでも自由奔放で、自分が世界の中心で。何より、兎にも角にも、周りに縛られることを嫌っていた、本能や感情に素直だった子どもでした。

 同時に、私は幼少期からHSSの兆候が表れ始めていたことに、驚きすら感じています。

 

 

 

 

 刺激への敏感さに気が付いた、小学生時代

 

 

 

 想像していた以上に、HSSの兆候が見え始めていたことを知りました。

 その時はまだ、探究心や好奇心の赴くまま行動することが許されていたが為に、新しい刺激を追い求め続ける姿勢と思いを貫き通せたと言えると思っています。

 

 では、正反対とも言えるHSP。

 刺激を過剰に受け取り深く処理するあまりに、混乱に陥ったり周囲との「感覚のズレ」を感じ始めたのは、いつだったのか。

 こちらは保育園を卒園して小学校に入学してから数年間、比較的穏健だったこともあり、喩え無意識に過ぎずとも感じることはありませんでした。

 

 契機は、担任が体育会系の男性教諭に変わった高学年の時でした。

 

 小学校の低、中学年までは穏やかな教師であったことも相俟って、誰かが注意されることはあってもクラス全体が怒られるような理不尽なことはありませんでした。

 

 しかし教師が変わった途端、一変しました。

 クラスの誰かが、少しでも背いたり反抗するようなことがあれば、連帯責任だと平気で言い放ち全員を叱責。

 諭す訳でもなく、ただひたすら問題を起こしたことへの不満を当たり散らすように怒号を飛ばしていました。

 いつしかクラスメイトは「あいつ馬鹿だから」と舐めるようになっていました。ですが私はそれだけでも、理不尽さを感じていました。

 それだけに留まらず、集会の為に全員が並んで行動するような時でさえ、一人でも遅れたりすれば。

 必要さを全く感じない、「クラス全員」へのゲンコツ。私はせっかちな性格も相俟って早め早めの行動を取っていましたが、容赦なく振り下ろされる拳。

 その時、私は衝撃で舌を噛んで出血したことと「関係ない人まで巻き込む理由がわからない」という憤りは、今も忘れません。

 体罰と言っても大したことはなかったのでしょうが、今では訴えられてもおかしくありませんが、これも時代なのでしょうか。

 

 慢心するつもりは毛頭ありませんが、私はクラス中に迷惑を掛けるような大事を起こしたことはありません。寧ろ、体罰教師に理不尽な行為を受けないよう、進んで攻撃対象から外れる努力を重ねるようになっていました。

 

 恐らく、その頃だったと思います。

 連帯責任という時代錯も誤甚だしい言葉と共に振るわれる制裁。

 それにより、誰かが怒られる=クラス中が被害を被ることが明白になっていきました。

 そのようなしょうもない負の連鎖に晒されたことで、体罰教師は私の中ではすっかり過大な刺激を齎す存在と認識され。

 飛び交う怒号は騒音として耳を過剰に責め、時折飛ぶ拳や文具を用いた体罰は痛みとなって。

 次第にそのような行き過ぎた刺激は、私の中で眠っていた感情と結び付いていきました。

 

 体罰教師を無駄に怒らせないように、何故か自分がクラス中に気を張るようになって。もし誰かが怒られるようなことがあれば、「自分まで怒られている」ような錯覚に囚われて。

 挙げ句に懲りずに誰かが逆鱗に触れるようなことをしでかして、クラス中が怒られたり手を上げられるようなことがあった時には、「何で私まで」と理不尽さと怒りすら覚えるようになりました。

 

 今、思えば。

 自分が関与していない状況であっても、言葉や体罰という暴力に見舞われたこと。

 それを受けない為に、これ以上ことを荒立てないでくれと願うばかりに。

 クラスメイトという他人の感情に勝手に入り込んで、それがあたかも自分の思いや感情のように思えるようになり果てていました。

 

 全ては、自分が過剰な刺激に晒されない為に。関係のない人間を、巻き込むなと叫びたいが為に。

 それを切っ掛けに、外部からの刺激に対して「何でこんなことになったんだ」と独り深く考えるようになり、誰かの感情に深入りすることで、身勝手な共感のようなものを何となく知っていった。

 

 それが、私の中で眠っていたHSPが表面化する切っ掛けとなったのではないかと、思うようになっています。

 

 

 

 長くなりそうなので、本内容は二記事に分けようと思います。

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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【生き方・価値観】ストレスの過不足 ~内外からの刺激~

 パソコンに触れてから、早くも20年近く経とうとしています。私が初めて触ったOSはWindows98でした。

 当時はCPUやストレージ容量が相応のものしか出回っておりませんでしたが、余計な機能もなかった為却って扱いやすかった記憶があります。

 最近は仕事もプライベートもパソコンがメイン媒体となっている私ではありますが、マウスを動かすという動作も年数を重ねれば身体に負担となって出てくる訳で。ここ数日、聞き手の手首の痛みに悩んでいます。

 

 そこでこの度、トラックボールマウスを導入いたしました。マウスを固定したまま、トラックボールという球体を回すことでカーソルを移動させるものです。

 人差し指用を購入した為、これまでのマウスと使い勝手が大きく異なっております。品が到着した午前中から使い始めていますが、存外使いやすいです。

 完全に適応できるようになるまで時間は掛かりそうですが、パソコンによる作業で手首や前腕に痛みがある方にはオススメできるのでは、と思っている白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 夏の甲子園が戦後初の中止に追い込まれるなど、深刻な打撃を様々な所に残しながらも尚も衰えないコロナウイルスによる影響。

 春の選抜のみならず、甲子園に目指して日々鍛錬していらっしゃったであろう、学生の皆さんの無念さと悔しさ、心中お察しいたします。

 それ以外にも、多くの生活を一変させて耐え凌ぐ日々が未だに続いています。

 

 そんな中スマートニュースで、気になる記事を見つけました。

 

 コロナ禍で一番辛いことは、何ですか。という質問と答えでした。

 その問いに対して、精神的な辛さが7割を超え、次いで金銭面での負担が3割弱、肉体的負荷が数%という結果が出たとのことです。

 そして別の記事では、ストレスや辛いというキーワード検索が増加の一途を辿っている、と書かれていました。

 

 日常生活を送る上でも避けては通れない、ストレス。今回のコロナウイルスによって、潜在していた様々な思いや感情が限界に達し始めているのではないかと、個人的に思っています。

 

 それを見て、ストレスとはどういうものなのだろうか。

 一人考えていく内に、私なりの結論に至りました。

 

 

 今回は現代社会では切っても切れないものであるストレス。大概は悪いものと捉えられているストレスが、過剰であったり不足した時にどうなるのか。

 また言葉ばかりが独り歩きしているストレスは、自分の内面や外界からの刺激なのではないかと思うに至ったことを、私の経験を交えながら綴っていきたいと思います。

 

 

 

 ※注記※

 本記事では精神面に関する内容を含みますが、本ブログ運営者は専門家ではありません。本記事をご閲覧になったことで生じた事象、事柄に対して一切の責任は負いかねますことを、どうかご了承ください。

 飽く迄「そういう考えもあるのか」という認識でご閲覧いただければ幸いです。

 また精神的疲労や精神疾患の兆候がある場合は自己判断なさらず、専門医への相談や診療を行ってくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストレスの定義

 

 

 

 ストレスと聞くと、何となく生きる上での「敵」と認識されることがほとんどな気がしております。

 私もストレスに弱いことを自負している為、有害なものと判断して。嫌なことがあれば深く考えることもせず「ストレス溜まるな」と馬鹿の一つ覚えのように連呼する程です。

 

 では、ストレスというものの本来の定義は、どういったものなのでしょうか。

 

 まずストレスとは、「外部から刺激を受けた際に生じる緊張状態」のことを指すとされています。

 別の記事では、「生活上の精神的重圧そのもの、またはそれを感じた時の感覚」と定義されているようです。

 ここで注目したいのは、ストレスという言葉には二つの種類があることです。

 一つは、精神的な圧力を伴う事柄そのものであること。もう一つが、それを受け取った時の人間の生体反応であることです。

 

 混同すると紛らわしくなる為、本記事では精神的圧力を伴う事象や事柄そのものを「ストレス因子」、受け取る側の反応を「ストレス反応」と呼称させていただきます。

 

 しかしながら、二つに分けられているとは言っても。

 ストレス因子とストレス反応は、とてつもなく密接な関係にあること。そして重圧といってもどこまでが重圧なのか、或いは緊張状態を始めとする反応や感覚、感情は人それぞれ違うことにあまり注目されていないのではないか、と思えてなりません。

 このことがストレスという事象を混同させ、肉体的にも精神的にも悪影響を及ぼす悪しきものと認知されていると考えています。

 

 例えば目上の人から注意されるという、同じストレス因子に遭遇した時。Aさんは「いつもガミガミ煩いな」と流すことができても、Bさんは「自分に至らない点があったのか。でも連絡も報告もちゃんとやったはずなのに、何で怒られているんだろう」と過度な緊張状態に陥ってしまう。

 

 こういった比較事例だけでも、同じストレス因子でも受け取る側にストレス反応よっては雲泥の差が出てしまうのではないのでしょうか。ちなみにこの例の場合、私は大体Bさんのような心境に陥ります。

 

 少々極端な例を出させていただきましたが、実際にこのようなことは起こり得ると私は思っています。

 何故なら。ストレスそのものがどんな形であったとしても。

 強弱はともかくとしても、ストレス因子もストレス反応も、最終的には「内外から来る刺激の波」であるのではないか。

 そう考え始めている為です。

 

 

 

  

 

 ストレス≒刺激の波

 

 

 

 

 ストレスは外部からの刺激を受けた時の生体反応であると述べました。

 これは、人類が誕生し始めて間もない頃に遡る所から始まっていると思っています。

 

 私たち人間は、一人ひとりの力。他の野生動物が持つ、強力な牙や爪、巨大な体躯の前には、遠く及ばない矮小な存在だったかと思います。

 人類は発達し始めた頭脳を用いて武器を作り。生きる為に、食料や衣服や住居の材料とする為に、集団で獲物を狩るべく強敵を前にしてきました。

 自分よりも何倍も大きく、獰猛で強力な獲物。

 それを前にした時、下手をすれば一瞬で死ぬかもしれないという恐怖。しかし、生きる為に戦わなければならないという生存本能。葛藤を乗り越え、犠牲を出したであろう古代の人々は獲物にありつき、時代と共に発展してきたことと思っています。

 

 このようにして太古の時代について考え、憶測するだけでも、ストレスというものを少しでも理解しやすくなると考えています。

 巨大にして獰猛な野生動物。人間一人ではとても敵わない存在そのものを「ストレス因子」とするなら。

 それを前にして人間側が受け取った、様々な思いや感情は「ストレス反応」であるのではないか、と。

 

 このことから考えても、ストレスは刺激の波の連続であると私は確信しました。

 

 命を脅かす脅威という形で、強烈な刺激を齎してくる相手。

 それに晒された側は、自己の内面から滲み出る感情や思いの波に押し流されそうになっても。生き残るために自分を鼓舞し、肉体を緊張状態にすることで戦いに挑める状態にしてきた。

 

 これは、形は変わりながらも現代でも全く同じことが言えると私は思っています。

 ただ一つ、変わったことがあるとするなら。

 

 古代の人々は生きるか死ぬかという、究極的な状況を乗り越えてきたことに対して。

 現代では、一つのストレス因子やストレス反応が、直接生死に関わるようなことがなくなった分。喩え些細であったとしても、ストレスという刺激の波に晒され続けるようになってきていると思わざるを得ません。

 

 

 長引くストレスは、確実に害悪を齎すことは、身を以て知っているつもりです。日常生活を送ることさえままならなくさせ、生きる活力を徐々に、しかし確実に失わせる恐ろしいものです。

 一方で刺激の波であるストレスが少な過ぎてる状態も、決してヒトを良い状態にさせるとは思えません。

 

 何故なら。

 これは私の経験談になりますが、私は会社という人間社会の様々な思惑に、嫌気が差さない日はありませんでした。

 それが、一ヶ月という短い期間ながらも。そういったシガラミから解放された在宅勤務を経て、人間関係に起因するストレスが大きく低減されたことは、紛れもない事実です。

 然れどストレスの低減は、私が想像していた理想とはかけ離れていたことを実感し、別の弊害を、感じ始めている為です。

 

 

 

 

 

 多過ぎても、少な過ぎても良くないストレス

 

 

 

 

 どうしてもストレスと聞くと、精神的な負荷といった側面を彷彿させがちではあります。

 実際は、肉体面でもストレスの影響を受けているのではないかと、在宅勤務を通して考え始めるに至っています。

 会社へ通勤する際、私は最寄りの駅までは車を使って移動し、鉄道に乗り換えて勤務先近くの駅まで電車に揺られています。

 到着した駅からは、距離で言えば片道1.5キロ。時間で言えば二十分足らずではありますが、毎日歩き続けてきました。

  それが新型コロナウイルスの感染拡大防止策の一環として開始された在宅勤務により、私の中で唯一だった運動は一切なくなりました。

 電車の時間に間に合わせる為に早起きしたり、帰りの電車を待つ時間が消えたことで、確かに精神的な負荷はなくなりました。

 しかしながら、座ったまま碌な移動もせずパソコンに向かい続ける日々を経るごとに、身体はすっかり鈍ってしまいました。

 結果として、死活問題として毎晩ほとんど満足に眠れなくなっています。

 

 よくよく考えれば、身体に負荷を掛けることもストレスの一環であることに、今更ながら気が付きました。

 歩いたり会社のフロアを走り回ることはストレス因子の一つで、確かに疲れます。それでも身体はその負担を受け、ストレス反応として負けないように筋力を維持しようとします。

 そんな肉体的なストレスもなくなれば、身体は刺激に対し鈍くなり、睡眠その他に影響が出て然りではないか、と。

 

 また精神的にも、他人が齎す圧力が低減したことで、私はすっかり安らぎに身を置くようになっていました。

 ですが日を追うごとに、何の代わり映えのない日々に鬱屈感を覚え始めていました。

 不快感はない。でも、何か物足りない。そんな感覚。

 ブログの書き溜めができない私にはブログと向かい合い続けることもできず、在宅で仕事をこなす傍ら、悶々とした時間ばかりを浪費しておりました。

 

 

 過剰なストレスと、足りな過ぎるストレス。

 双方を知った今、私はどちらも決して良いものではないことであると、思いを改め始めています。

 

 

 

 

 

 自分の許容量を知り、ストレスと上手く付き合う

 

 

 

  しかしながら、ではありますが。

 ヒトはストレスという刺激の波に、誰もが同じように感じたり、流したり、耐えられたりするものではないと思っています。

 

 特に今回のコロナ禍におけるストレスは、これまでのそれとは比べることなどできない、大きな災禍となって私たちに降り掛かり続けています。

 ここまで綴ってきた、私のストレスというものに対する持論も、恐らく通用しないだろうと痛感しています。

 

 

 でも。喩え状況は大きく異なっているとしても。

 まずは自分がどれ位のストレスを許容できるかを、主観でも良いから判断して。

 仮に破裂寸前にならずとも、「このままだと、何だか危ない気がする」と感じたら、逃げても良いと私は思っています。

 自粛自粛と言われていますが、誰も行かなそうな自分だけの場所を探し出して、赴いて自然に触れても良いと思います。

 

 避けようとも避けられない、ストレス。

 常に外界だけでなく、自身の中で沸き立つ劣等感や自己嫌悪も、ストレスの一つであると私は考えています。

 

 時には行きどころのないストレスに見舞われても。

 ストレスと戦うのではなく、上手く付き合うことを目指すことが、大切なことではないかと、私は思っています。

 

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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Tails Intersecting -Illegal Move-

※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Castling-」「Tails Intersecting -En Passant-」「Tails Intersecting -Check-」「Tails Intersecting -Checkmate-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -Illegal Move-

 

 

 

 

 

「はいお前ら、そこまで!」

  殺気と張り詰めた空気に満たされた教室が、場違いなまでに陽気な声と派手にドアを開ける音によって壊された。

 教室中の視線は、俺から全員外れて。声と音の主に、俺を含めた全員が向くことを強制されるかのようだった。

 腹や手足、顔周りは白い毛に覆われ、それ以外は黒の毛を纏った姿は。オオカミのようでありながらスマートさはなく、運動することに特化した骨太な身体を筋肉が覆うそいつは。

「マラミュート、君?」

 クラスの中でも除け者にされがちなホッキョクオオカミに名前を呼ばれたそいつは、似たような境遇にありながらも。主張だけはトラたち並に強い余りに煙たがられている、アラスカンマラミュートだった。

「アラスカンマラミュート?何で、お前が」

 こいつは授業開始数分前に教室へ駆け込んでくる程、時間に疎い。眠気眼を擦りながら注意されても、話半分しか聞いていない様は、このクラスの獣なら誰もが知っている。

 怠そうにしているか、言い争いになれば鼻づらにシワを寄せて反論するかのどちらかだったのが。

「お前がこの時間にいる訳がないだろ、って言いたいんだろ?まあその通り、遅刻魔だからな俺は」

 今朝はその両方でもなく、教室中を鋭く細めた目で見回す、精悍な顔つきをしていた。

 そして俺の視界に、明らかな違和感を覚えさせるものがあった。

 アラスカンマラミュートの左手にあるもの。

 あれは、ビデオカメラ?

「で、何がそこまでなんだマラミュート?」

「その通り、この現状をお前は見ていたとでも言うのかアラスカンマラミュートよ?」

  対峙を解いたトラとグリズリーが、揃ってアラスカンマラミュートに向かう様が、俺にはおかしく感じてしまった。

 つい先程まで、殺し合い寸前だったのに。こういう時は、意気投合しているように見えて。

 笑い声を出すとまたややこしいことになると黙っていたら、アラスカンマラミュートが口を開いていた。

 クラス中の獣全員に聞こえるように、これまで以上に大きな声量を以て。

「昨日の放課後の決め事。今度クラス出し物、俺が反対したから結局何も決まらないで終わっただろ。あれは、その、悪かった。だからって訳じゃないけど、ちょっと気になってさ。いつもより早く家を出たら、教室がこんな騒ぎになってた」

 ホッキョクオオカミのように、見え透いた嘘でも付けばいいものを。

 アラスカンマラミュートは、どこまでも正直で、真っ直ぐだった。一瞬俺を見たその視線が、それを物語っていた。

「それで?」

 地面を這うような低い声。トラとグリズリーの争いの間に回復したハイイロオオカミが、188センチの体躯を起こし、距離の開いたアラスカンマラミュートを真正面に捉えていた。

 この教室の端から端の距離。幾らハイイロオオカミでも、手は出せないだろう。

「正義の味方でも気取っているのかな、君は。どこから見ていたんだい、アラスカンマラミュート君」

「相変わらずハイイロオオカミは皮肉好きだな。ガゼルが絡まれている辺りから、全部だ」

「じゃあ、何で止めに入ろうともしなかった。君らしくもない。それとも、怖くて入れなかっただなんて言わないだろうね?」

 ハイイロオオカミの問いに、ピューマが重ねるようにして詰問していた。

 血気盛んなピューマは再三戦いに挑もうとしていたが、その都度トラやハイイロオオカミに制止されていた。内心腸が煮えくり返る思いでいるのだろう。

 盛大な溜め息が響き渡った。

「言いたいことが沢山あるんだろ。だったら後でちゃんと全部聞く。殴りたい奴がいれば、思い切り俺を殴ればいい」

 その言葉に、多くの獣。特に肉食獣が反応して唸り声を上げ始める中。

「ったく、すぐそうやって威嚇する。少し黙って話を聞けっての」

 右手で頭を掻くアラスカンマラミュートは、ちゃらけながらも感情を入れない言葉を投げつつも。

 見開かれた眼光は、今まで見せたことが無いほど鋭利で、内心まで見透かそうとしているように見えた。

 草食獣の俺でさえ息を飲む位だ。敵意を向き出す獣たちを黙らせるには、十分だった。

「俺は面倒な言い回しは苦手だし、面倒臭いから直球で言わせてもらうぞ。お前らさ、朝から頭に血が上り過ぎだ」

 アラスカンマラミュートが視線を背けて、独り語り始めた。

 誰かが手を出すか、怒りの咆哮を上げるよりも、真っ先に。

「不服そうな顔してるな。無理ないろうが、まあ聞いてくれ。俺の先祖はオオカミでも、遺伝子改良されて闘争本能をある程度抑えられた代わりに、頭はそれなりに回るように造られた紛い物なんだぞ。それに俺は肉食獣でも、中型だ。お前らの争いに首突っ込んで、止められる訳がないだろ」

 落胆の溜め息、とでも言えば良いのだろうか。

 つい先程まで睨み合い、手を出し、牙を突き立てた肉食獣たちは、アラスカンマラミュートの視線と言葉に納得した、或いは向かうことを放棄したかのようにして、リノリウムの床へ。もしくは安いジプトーンの天井を見上げるようにして、各々が行きどころのない視線を向けていた。

 一匹の肉食獣を除いて。

 ホッキョクオオカミに固められた肩を抑えながら、柴犬が吠えた。

「それで尻尾巻いて隠れていた訳か、肉食獣の風上にも置けないなアラスカンマラミュート」

「昨日のことの当て付けか、柴犬。俺のような混ざり物が気に食わない、ってか?」

「そ、そんなつもりはないけどよ」

 

「ま、俺はそんなことどうでもいいんだ。俺はアラスカンマラミュートで、オオカミじゃない。そのことで散々陰口叩かれて、混ざり物なんて言われたこともあった。だから俺はお前らみたいに種族や血筋に誇りも何もないんだよ。悪いが種族間の争いなんて、俺には正直言ってどうでもいいことなんだよ。それよりも俺は、俺の意志を貫きたい。ただそれだけさ」

 クラスに溶け込むようにしながら、アラスカンマラミュートは自分の意志に反することに対しては吼えて、その度にクラス中の大半を敵に回してきた。成績は中の上でありながら、繰り出される考え方や思いは的外れなこともあったが、大半は十分に納得させられる内容だった。

 しかし周囲からすれば、協調性のない獣と囁かれても仕方がないと思っていた。実際聞いた陰口の中には、「自己中」だとか「思い通りに済まないと癇癪を起こす」といった、批判を通り越した誹謗する声さえあった。

 アラスカンマラミュートにそういった思いを抱いていなかったのは、元々他の獣に興味がない俺と。やり方は穏健でも、同じような扱いをされていたホッキョクオオカミ位だっただろう。

 興味を持たないばかりに、俺は、こいつのことを誤解していたのかもしれない。

 

 見え隠れする感情のまま吐露したアラスカンマラミュートに、それ以上追求する者はいなかなった。

 束の間の静寂。

 そこでようやく、アラスカンマラミュートが溜め息を吐き捨てた。クラス中を相手にした以上、緊張せずにはいられなかったのだろう。

 それと同時に、アラスカンマラミュートは右手で、左手に持った機材を静かに指差していた。

 そう。それは俺が最初に気付いた、ビデオカメラだった。

 

「俺はさっきまでのこと、動画として一部始終撮らせてもらった。悪いが消す気はないからな」

  教室中の机が、一斉にガタツキ始める。争いの映像が教師陣に渡るようなことがあれば、大問題になる。このクラスだけに留まらず、学園全体に影響を及ぼすようなことになれば、相応の処分が下されることは誰もがわかっていたからだ。

 再び緊張状態に入った教室。だが、アラスカンマラミュートは不思議な程、冷静だった。

「だから、騒ぐなお前ら。話は最後まで聞けよ。白オオカミも証拠として音声を録音していたみたいだが、俺はこの映像を出すつもりは全くない。大体こんな映像出して、誰が得するって言うんだ。冷静に考えてみればわかるだろ、そんなことくらい」

「だから、マラミュート君。ガゼル君もそうだけど、何なの白オオカミって」

「勝手に俺をマラミュートって呼んでる、お前と同じだよ。名前が長すぎて呼ぶのが面倒だから、わかりやすい呼び方しただけだ」

「それって、短絡過ぎないかい?」

「一々煩いなお前も。その左目、潰されて開けないんだろ。右腕も動かせないなら、少し黙って聞いてろよ」

 血塗れのホッキョクオオカミを皮肉混じりでいなし、言葉を続けた。

 その声はどこまでも真っ直ぐで澄み切っていた。

「動画撮りながら、思ったんだよ。同じクラスだって、一匹一匹、思うことは違うはずだよな。誰かが言ったことが全部正しくて、従わない奴は間違ってるなんて、そんなのおかしいって思わないか?」

  周りの反応を窺うように、アラスカンマラミュートは教室中に目を配った。その瞳に反論する者も、意見する者もいかなかった。

 寧ろ目を瞑って息を吐く者や、黙ったまま首を縦に振って肯定する獣までいた。

「色んな種族がいて、色んな考えがある。だからこそ、一つの事柄を決めるのも大変だし、反論したり邪魔扱いしたくなるかもしれないのもわかる。でも、それって独裁に近いと思わないか?強い者だけが主張できて、そうじゃないやつは従うしかないなんて。それのどこが、種族を超えた共存なんだ?それで繁栄するだなんて、本気で思ってないだろう、お前らだって」

  そこまで言って、アラスカンマラミュートは息を切らしたように咳払いした。声を荒げることはここまで何度もあったが、今日のように訴えかけるような物言いに慣れていないのだろう。

 その証拠に、右手を掲げて「悪い」と言いながら、自分のリュックに手を突っ込んで、ペットボトル入りの水を飲み始めた。

 喉を鳴らすように流し込んだ水は、簡単にボトルの半分を超えていた。

 乾いた笑い声が聞こえてきた。

 その主は、腕組みをしながら聞き入っていた、トラだった。

「演説したかと思えば、勝手に休憩挟むとはな。その気になれば、カメラを壊す奴もいたとは思わなかったのか?」

「仕方ないだろ、お前らと違ってこういうの苦手なんだよ俺は」

「警戒もしなかったみたいだな。全く、どこまでも適当だなマラミュート」

「喉だってカラカラだったんだ、良いだろ別に!」

 最後は、締まらなかったらしい。途端にそれまで黙り込んでいた肉食獣も、草食獣も。笑ったり、茶々を入れる声が出始めていた。

 先程までの乾き切った、敵意と殺意に満ちていた教室が、ここまで変わるものなのか。

 

 何だか、馬鹿らしくなってきたな。

 

 そう思うと、俺の口からも笑い声が出始めていた。

 

「で、ここからが本番なんだが」

 少しずつ笑みが咲き始めた教室で。

 アラスカンマラミュートが、緩んでいた口元を引き締めていた。

【HSP・トラウマ】タイムスリップ現象 ~蘇る感情~

 閑散とした町並み。

 娯楽施設も使えないのか、近所で響き渡る子どもたちの楽しげな声。

  私が小学生の頃は、公園で日が暮れるまで遊ぶ、そんな空気が当たり前のことでした。

  緊急事態宣言によって、世の中全体が悪い方向に流れてかけている中でも、良い意味でも日本の昔に戻りつつあると感じている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 在宅勤務によって通勤の時間もなくなり、駅から会社までの往復が唯一の運動さえなくなっています。

 歩行時間換算で、片道たった15分。それでも貴重な運動であったことを、身を以て痛感しています。

 お恥ずかしい話ですが、太りました。3キロは優に増えています。

 唯でさえ運動嫌いな私は代替えとなる運動に取り組むことなく、食べる量は変わらないので体重増加は当たり前なことです。

 しかしながら、実際は頭が痛い話です。身体、確実に重くなっています。

 

 一ヶ月の在宅勤務で、身体面だけでなく、精神面でも少し悪い影響が出始めています。

 眠りが、確実に悪くなっています。これまでの就寝時間に合わせて眠剤を飲んで寝床についても、明け方の2時や3時まで眠れない日が続いています。

 そして、妙な夢を見始めて止まらなくなっております。

 内容はバラバラで気に留める程のものではありません。

 しかし気になっているのは目が覚めた時に必ず、夢の中で出てきた登場人物。そして、行きどころのない感情を抱いていることです。

 

 不安か恐怖か、或いは虚無感。それと、無力さ。

 何故寝起き早々、そのような感情を抱いてしまうようになったのか。もしくは、夢によって感情が彷彿させているのか。

 外部に出るか否かは別にしても、感情豊かと言われるHSP。目覚めても尚残り、まるで蘇ってくるかのような感情の残滓。

 

 腑に落ちない、と言うよりも気持ち悪さと好奇心を元にして調べていったところ、興味深いものに辿り着きました。

 

 

 

 タイムスリップ現象という、聞き慣れない用語でありながら。

 今だけでなく、これまで生きてきた私を取り巻いて離れることのないことであることを、知るに至りました。

 

 今回は私の経験を交えながら、タイムスリップ現象というものについてお話ししていきながら。

 似て非なるものであるフラッシュバックとの違いについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 感覚が鋭くなっていくことに気付き、眠れなくなった日々

 

 

 私はある時を境に、睡眠に対して良い印象を持てなくなっています。

 母曰く、乳幼児だった私が眠っている時、急用でどうしても合間を縫って出かけなければならない時があった際、心配しながら帰ってきてもそのままスヤスヤと眠っていたと言う程、夜泣きなどで困らせられることはない子供だったそうです。

 しかし専門学生時代に借りていた学生マンションが鉄道の真横であった為、朝早くから夜遅くまで、電車が往来するけたたましい音を毎日聞くこととなりました。

 それまでは部活をしていたこともあり、疲れで知らぬ間に眠り耽っていました。ですが鉄道が通り過ぎる音は予兆なく突然響き渡る為、唐突の騒音に驚いて不安に刈られるようになりました。

 思い返せば、その頃から音に対して物凄く敏感になっておりました。

 横の部屋から聞こえてくる話し声だけでなく、上の階で焼き肉パーティでもしているのか、楽しげな騒ぎ声も壁伝いに全て耳が拾って。聞きたくもないのに、何故か跡切れ跡切れのそれに聞き入ってしまってばかりでした。

 あたかもそれは、自分から眠りを妨げる要因を作っているようなものでした。

 

 そしてトドメとなったのが、火災報知器による爆音でした。

 ようやく眠れるか否かの、夢うつつの中響き渡った大音量に、私はたちまちパニックに陥って。それが誤検知だとわかっても、いつまた音に晒されるかわからない。

 かつて大の苦手で大嫌いだった爆竹やクラッカーを思い出させたそれは、私に恐怖と不安を植え付けるには十分に過ぎました。

 思えばこの時から、私はHSPという気質を。特に音に対して敏感であったことを自覚し始めていたのかもしれません。

 

 それはともかくとして、以来、眠ることに対して「眠らなければ、明日に響く」と強迫概念を抱くようになり。それによって余計に眠れなくなって、意識が飛んだと思って起きたとしても、1、2時間しか経っていないことがざらになっていき。

 次第に睡眠を取ることへの恐怖感とも、億劫さとも言える感情や思いを抱いくようになりました。

 少しでも緩和できるよう耳栓を導入し、数年前からは睡眠導入剤と中途覚醒防止の為の眠剤を飲み続けています。

 

 その自然でない眠りは。

 不眠症とは別の弊害を、今でも残すこととなりました。

 

 

 

 奇妙な夢から、生々しい感情だけが残って

 

 

 

 睡眠導入剤や眠剤は、寝入りや中途覚醒防止をサポートしてくれます。

 一方で、睡眠の質は低下させると言われています。

 眠りの質の低下は、奇妙で気味の悪い夢を見る形で表面化することとなりました。

 

 これまでも奇っ怪な夢を、幾度となく見てきました。

 それ自体に一貫性はなく、夢の中の私が立っている場所や立場は多種多様。登場する人も見知らぬ顔、或いは顔にモヤが掛かったような人たちばかりで、内容も余りに現実離れし過ぎていた為、目が覚めても「あぁ、夢か」と安堵できるものがほとんどだったことが、唯一の救いでした。

 

 その救済とも呼べた夢が、最近の一ヶ月で変貌し始めています。

 

 相変わらずシチュエーション自体は、その日毎に大体変わることは変わりません。

 問題なのは、夢の中で登場してくる人たち。それはかつて見限り、関係を断ち切ってきた友人と呼べる古人であったり、高校時代に世話になった恩師であったりとする、私が苦手とする人間関係を再現するようなものになっていることにあります。

 

 既に就職しているはずなのに。夢の中の私は、通ってもいない大学のような場所で古き友人に「このままだと退学になるよ」と急かされたり。

 また別の時は、理由はわからないながらも恩師が怒り任せに教室中の私たちを必要以上に怒鳴り上げたり。時には私個人に対して「お前がいるから、このクラスが滅茶苦茶なことになっている。今すぐ勉強に励むか、退学しろ」と鬼の形相で迫ることもありました。

 そして、以前本ブログにも上げさせていただいたような内容に近い夢も見ることもあり。

 

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 疲れを取るはずの睡眠で、必要のない疲ればかりが蓄積して。

 最近では、また眠ることに怖さと不安を覚えるようになっています。

 

 その中でも際立っているのは。

 夢の内容は元より、目覚めても尚抱え続けている感情の強さでした。

 

 夢から覚めても、掌の汗と共に残る焦りにも似た思い。ホラー映画とはまた違う、デジャブのように蘇る怖いという思いと不安さ。

 

 現実と夢を通り越してお、いつまでも残り続けて離れない、感情の渦。

 あまりにも生々しい思いは、眠ることによる安寧を私に齎すことはありません。

 

 然れど「感情だけが生々しく残っている」という状態は、私が抱え始めた問題を少しでも理解し、調べる切っ掛けとなるのでした。

 最初は過去のトラウマの再体験する、フラッシュバックを疑って掛かりましたが、調べていく内に若干異なることに気付きました。

 その上で、非常に酷似したものがあることを突き止め、ようやく「これだ」と思えるものに辿り着きました。

 

 

 

 

 感情だけが蘇る、タイムスリップ現象

 

  ※注記※

 以下の内容はタイムスリップ現象を説明する中で、ADHDを始めとする病名について触れて参ります。

 万が一それにより気分を害された、もしくは傷付いたと感じられた際には、問い合わせフォームよりご意見ください。内容を鑑みて、場合によっては本記事を削除いたします。

 ※注記終了※

 

 

 感情や気持ちが過去と同期してしまう状態や現象。

 それらはタイムスリップ現象と呼ばれています。

 

 その名の通り、時空を超えてタイムスリップしたかのように時間を遡ってしまうことを指します。

 タイムスリップの先に待つもの、それは。

 

 過去の出来事を鮮明に、かつ予期せず思い出し、「その時と同じ気持ちになってしまう」現象と説明されます。

 

 これは子供を含むADHD(発達障害)の方にも見られるものである、とされています。

 

 今回私がタイムスリップ現象というものに関心を持ち、惹かれたことには理由があります。

 確かに私は、イジメを受けた経験がトラウマとして残り続けています。

 しかしながら、イジメられていた時の状況や環境までを完全に思い出し、再現するまでには至らない点にあります。

 現に主犯だけでなく、その取り巻き、私の訴えを聞きながら無視した当時の担任の声など、幸いなことにすんなり忘れかけております。

 

 それでも、忘れられないもの。それは。

 イジメを受けていた時の感情や思いです。

 どうして私がイジメに、という疑念から始まって。

 会う度に吐き捨てられる汚らしい言葉の数々、戸惑いのあまりに黙った末の怒り混じりの詰り。何をしても文句しか返ってこない理不尽さと不平さ。

 学校が恐怖の場と化し、不安と恐れ慄くままに仮病を使ってでも逃げた、自分への憤りと情けなさ。

 そしてクラスメイト全員の前で激しく罵られたことで、我慢に我慢を重ねた怒りの爆発に便乗した、私の思いの全て。

 

 様々な出来事の度に感じて、打ちのめされて。

 それでも脳は忘れまいと勝手に判断したのか、或いはこの逆境を生き延びろとでも言いたかったのか。

 状況はともかく当時の私が感じ取り、思い浮かんだ感情と思いだけは死ぬことなく鮮明に残り続けて。今も、私を支配し続けると共に。自分でも解くことができない呪縛に、もがいています。

 

 そうやって、青春と呼べるような時代を潰してでも繋ぎ止めてきた思いは。

 イジメに叩きのめされることなく、今の私に、自分を見つめ直す機会を残してくれたと信じながら。

 こうして、感情と思いだけが鮮明に残り続ける現状について綴るに至っています。

 

 こうして綴っていると、タイムスリップ現象とフラッシュバックの違いが、益々曖昧になってきます。

 ですが、そこには微妙なニュアンスでありながら、私個人としては決定的な違いがあることを見出すことができました。

 

 

 

 

 

 タイムスリップ現象とフラッシュバック

 

 

 定義としては非常に似通っている、タイムスリップ現象とフラッシュバック。

 両者の違いは何か。

 

 

 似通ってはいますが、両者は一つだけ異なっている点があります。

 この二つを比べたり無理やり分ける必要もないと考えていますが、今回は私なりに両者の違いを一言だけ、申し上げます。

 

 タイムスリップ現象は、記憶に付随する「思いや感情」が色濃く出て、記憶よりも感情や思いに支配されてしまうものと定義するなら。

 

 フラッシュバックはトラウマを始めとした強い精神的ショックが「記憶として鮮明に再現されて」、その鮮明さ故に苦痛や生きることの辛さを感じてしまうもの。

 

 違いは、「主体となるもの」の違いにあると考えています。

 タイムスリップ現象が過去の「感情や思い」に唐突に縛られてしまう一方。

 フラッシュバックは「過去の出来事そのもの」にふとした瞬間囚われてしまう。

 

 タイムスリップ現象を初めて耳にした私が、フラッシュバックと重ね合わせた上で自分なりに見出した答えです。

 

 辛さの強弱だけでなく、似たもの同士として比べるようなものではないと思うと共に。

 

 トラウマ=フラッシュバックと考えていた私の考えを改めることになると共に。

 トラウマを持っていても、人によって、様々な捉え方と考え方があることを、身に沁みて感じることとなる瞬間でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 同じ外傷でも、目に見えない傷は無視される現状

 

 

 

 骨折や外傷のように、他人の目から見て明らかに危ない、或いは異常と思わることはあっても。

 同じ外傷であっても、精神的であったり心理的な傷は、周りから診断されないばかりか、時には無視されることもあります。

 

 その傷や痛みを抱える本人が、ひたすら悩み、苦しみながらも、耐え続けるしかないのか。

 

 私は独り、奥歯を噛み締めて。俯くことしかできずにいます。

 

 でも、ここで勇気を出して。声を大にして申し上げます。

 

 大小など問わず、トラウマを抱える人は沢山いると思います。

 

 私はたまたま、タイムスリップ現象に悩まされている身ではあります。

 しかしながら。タイムスリップもフラッシュバックも、比べることなく。

 癒えぬ傷に、今尚苦しんでいる人がいることを知っていただきたい思いに刈られるばかりに、本記事を綴らせていただきました。

 

 

 

 纏まりのない記事となってしまいましたが、今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

 

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 またまた衝動買いした、木製パズルのオオカミ。

 脆弱な私を前にしても、ひたすら遠吠えする姿は強さの象徴であり。

 身に付けたくてもできない、複雑な思いを抱えさせるその様は。

 どこまでも、孤高で。美しいです。

【Aセク・生き方】身内との時間 ~忘れていた温もり~

 晴れ渡り、行楽日和だったゴールデンウィークも、自粛ウィークとして終わりを告げ。昼間の気温も夏日を超えるような、暖かさを通り越して暑い日が繰り返すようになってきました。

 田園にも水が入り始め、草木も目に見えた速さで成長しています。

 そんな風景を横目に、冷房病でありながら暑さと湿気に弱く少し弱り気味な、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスの感染拡大防止の為、延長された緊急事態宣言。今週末を目処に、段階的に解除されていく模様です。

 予断を許さない状況に変わりはありませんが、これで少しでも日常が戻ってくることを、切に願うばかりです。

 一方で、在宅勤務という形で業務をこなし始めて、早くも一ヶ月が経とうとしています。慣れない環境下での仕事は弊害ややりにくさはありますが、人と距離を置く時間が増えたことは、私にとっては気持ちを安らげることに繋がっています。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 人との距離と共に、もう一つ私には取りたくても取れないものがありました。

 それは、身内との時間でした。

 私の身内は業種も勤務時間もバラバラながら、全員が仕事に従事しています。

 朝飯はおろか、同じ食卓で夕飯を共にすることさえそう多くはありませんでした。

 たまにタイミングが合った時に外出したり、食事を共にする時間が来る度に、嬉しさすら感じた程です。

 

 それが今、在宅勤務という意外な形によって身内と過ごす時間が増えるようになりました。

 

 人と接触することを苦手とするだけでなく。他人への恋愛感情や欲情というものがわからずにいる私には。

 私にとって身内は、より特別な存在です。

 

 今回は身内との時間が増え、互いに顔を合わせ談笑することで、忘れかけていた温もりを肌身で感じていることを。Aセクシャルを自認する私にとって、これまで思っていた以上に大切なものであったことに気付いたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼少期より薄かった、身内の繋がり

 

 

 

 本ブログを綴り始めてから、私は身内話について触れることを避け続けてきました。

 

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 かつて我が家は祖父母と両親、そして4歳年上の兄と私の3世代家族でした。

 祖父母が他界し、両親と兄と一つ屋根の下で暮らす私たちは。

 家族と呼ぶには不相応な関係を数十年続けて来ました。

 

  

  いつも気丈であり続ける母は、昔から変わりません。素面でも酒を煽りながらも、私と面向かう時は常に自分を貫こうとする強さを持っています。

 幼い頃の私は外界の全てが怖いとも感じる余りに。小柄な母の脚に両腕を回し、握り締めて恐怖から逃れるようにしていました。

 

 兄は歳が離れていることもあり、喧嘩することはなく、恥ずかしがり屋で臆病な私を見守ってくれました。イヌに吠えられてすっかり怯えてしまった私を、口笛を吹きながら誘導し助けてくれたこともありました。

 昔はあまり言葉を交わすことは多くありませんでしたが、頼もしい兄であったことに違いはありませんでした。

 

  時を経て。

 

 母は私生活だけでなく仕事上における出来事に対し、私にアドバイスを求められるようにさえなりました。

 

 しがみついて離そうとしなかった、泣きながら見上げる臆病な私の頭を撫でる母。

 いつの間にか、身体だけ大きくなった私は、見下ろす程にまでになりながらも。

 

 俯きながら答えを求める母に対しての私の意見は、時に受け入れられながらも。

 気丈であり曲がったことを嫌うように、粘ってまで意志を貫くことを嫌う私が折れることもありました。争いごとは、やはり私は嫌いです。

 母は母。子は子のまま。

 私としては、半ば母子家庭の環境で育ったような、そんな思いでさえいます。

 

 

 兄は兄で精神を病んだことで現在休職の身にあり、私が出勤する頃はまだ寝ていて、私が眠る時に起きてくることもざらにありました。

 時間が合えばアニメやゲームの話で盛り上がることは多いながらも、頻度としてはそれ程ありませんでした。

 しかし今の兄は粗相した時に注意してくれる、言わば父親代わりの存在です。

 

 そんな私を含めた身内は、性格が異なることは勿論のことながら、一家団欒と呼ぶような時間を取らなかった理由がもう一つあります。

 私だけでなく。母も兄も、自分の時間を必要とし、独りの時間を確保できないと息詰まって相応のストレスを感じてしまいます。

 時には語り合うようなことはあっても、大半は食事を摂った後も短い会話を交わした後、各々の自室へ戻っていくことがほとんどです。それは、祖父母が健在だった頃から然程変わっていません。

 

 

 身内は身内でも、人間関係が歪んでいるも然ることながら。私たちは自らの意志で、身内で過ごす時間を薄くしていたのかもしれないと、今は思っています。

 

 

 

 

  

 意外な形で取り戻しつつある時間

 

 

 

 そんな中、新型コロナウイルスの蔓延に伴い、この数ヶ月だけでも多くのことが変わりました。

 会社に就職して十数年経ち、初めて自宅で業務を執り行うこととなった在宅勤務も、その一つです。

 

 私もそうですが、あまりに唐突の激変に、多くの人が戸惑って。憤りや哀しみを抱きながら、今尚持ち堪える日々が続いていることと思います。

 

 しかしながら私は、通勤時間だけで往復2時間弱程費やしていた時間がなくなり、就業時間以外は大分余裕が生まれました。

 

 その余裕が、これまで満たせなかった身内との繋がりを濃いものへと変えていくこととなりました。

 

 会社規定にある休憩時間に、これまでも昼食を摂るようにしてきました。

 在宅勤務に服している今は、兄と共に食事をするようになっています。

 また終業後はそのまま自由時間になる為、母と兄と談話しながら夕飯を一緒に食べるようになりました。

 更に通常勤務時は通勤や会社における人間関係により疲れ切ることが多かった私は早々に自室に籠もることが多くありましたが、余裕ができた分、身内で会話を弾ませたりジグソーパズルに勤しんだりと、ストレス発散と意思疎通をより濃いものとし。

 改めて、と言っては過言かもしれませんが。

 身内と過ごす時間に、嬉しさのような、楽しさのような。言葉では、上手く表現できそうにありませんが、安らかな時間と共に。

 

 幸せの定義がわからないまま生きてきた私にとって、こういった何気ない時間が幸せの一つなのかもしれないと、思うようになっています。

 

 そして、こんな考えが私の脳裏を過り始めました。

 恋愛感情や性的欲求が向くことがない、Aセクシャルを自負している私は。

 身内に一層強い感情が向きやすいのではないか、と。

 それが今まで身内に対するフラストレーションをより強いものとなり、逆に思い入れも強くなりやすい傾向があるのかもしれないと、思い始めるに至っています。

 

 

 

 

 Aセクシャルは、家族愛や友情は理解できる

 

 

 

 性の多様性については、数年程前から世界だけでなく、日本も、企業も取り組むものとなっています。

 私が自認するAセクシャルというものは、過去記事として掲載しております。ご興味のある方は、ご覧くだされば幸いです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 ここでは簡単にAセクシャルについてお話しします。

 ヒトという存在は、誰かを好きになり、愛し合って子孫を残し繁栄していくものであると私は考えています。

 初恋や恋愛による人との出会いと別れ。それを繰り返し、運命の人と巡り合って互いに愛し合って。結婚して新たな家庭を築き、新しい人生を歩んでいく、と言えば良いのでしょうか。

 

 ここで疑問形で綴ったことに、理由があります。

 

 Aセクシャルは、他人に対して恋愛感情や性的欲求が湧きません。故に、私には恋愛や結婚というものが未だに理解できていません。

 単に運命の人と出会っていないだけだ、と言われたこともありましたが、それはまた違います。本当に、私の場合は単に理解できないだけです。

 学生時代で周りが恋話等で盛り上がっていた中でも、私には所謂「ドキドキ感」のようなものがわからず、一人取り残された感情を抱いていました。

 

 一昔前は、自分が他の人と違うことに戸惑ったり。時にはヒトという存在として、生存本能に欠けているのではないかと、独り悩んだ時期もありました。

 今ではAセクシャルというものを自分なりに理解し、受け入れていることができています。

 

 もう一つ、Aセクシャルというと誤解されることがあります。

 

 極端な言い方になりますが、Aセクシャルは愛情や友情。つまり「情」というものが欠けている、もしくは理解できないのでは、と言われることがあります。

 

 これについては、当事者である私からはっきりと言えることがあります。

 喩えAセクシャルであっても、家族愛や友情はしっかりと理解できます。

 先程述べた身内のことだけでなく。車仲間や友人との交流については、理解し合って共感できる人と出会えた時は、この上ない喜びを感じることができます。

 故に、余程のことがなければ一度共感し合えた人との交流は、今も尚続いています。

 

 そこまでは、他の人と大きな差はないと思っています。

 違うのは、そこから恋仲になったり生涯添い遂げる仲に発展するだけの感情が湧かず、理解することができない。私はそう考えて今に至っています。

 少し長く綴って参りましたが、Aセクシャルは他人に恋愛感情が向かないだけの、一人の人間に過ぎません。

 持論になってしまいますが、そのようにご理解いただければ、この上ない幸いなことです。

 

 

 

 

 独りの時間は大切にしながら

 

 

 

 勤務形態の様変わりから、私はまた忘れていた大切なものを思い出すことができました。

 身内と過ごすことは、他人より多少なりとも本音を言い合えます。

 時々それが元で口喧嘩になったり険悪な空気になることもありますが。

 それよりも、私は母と父親代わりの兄と過ごす時間が増えたことで、これまで以上に温もりと充実した感情を抱けるようになっています。

 

 独りの時間を何よりも大切にする、私を含む身内ではありますが。独り過ごす時と向かい合う時間を、これまで以上に大事にしていきたい。そう思うようになりました。

 

 

 コロナ禍で人との接触を絶たれ、精神的にも身体的にも疲弊されている方も多いと存じます。

 

 皆さんは、大切な人たちとの時間を、どう過ごされていらっしゃいますでしょうか。

 

 このような問いが野暮だと思えるよう、現在を取り巻く惨状が逸早く収束することを、願い続けています。

 当たり前だと思っていた時間が戻ってくることを、切に祈りながら。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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Tails Intersecting -Checkmate-

※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Castling-」「Tails Intersecting -En Passant-」「Tails Intersecting -Check-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -Checkmate-

 

 

 

 

 仁王立ちしながら、グリズリーは二匹のオオカミへ鋭く視線を配っていた。

 噛まれた両腕からは、茶褐色の毛に混ざるかのようにしながら、僅かに流血していた。草食獣の俺では、辛うじてそれが見える位だ。

 オオカミに噛まれて軽傷なのは、グリズリーの剛毛と豪腕だけが理由ではないはずだ。恐らく噛み付かれた瞬間に両腕を握り締めて筋肉を収縮させ、牙の侵入を防いで重傷を回避。同時に収縮した筋肉が牙を抜けなくさせ、二匹のオオカミを一瞬無力化、戸惑わせたのだろう。

 確かこいつは、柔道部に所属していたはずだ。俊敏なオオカミの動きを追えるだけの動体視力と瞬発力、鋭い反応がなければ肉食獣をいなすことなどできなかったはずだ。

 

 呆気に取られながらも分析だけは勝手にしてしまうのは、俺の悪い癖らしい。

 

 グリズリーを挟んで、正反対の咆哮に投げ飛ばされたホッキョクオオカミとハイイロオオカミは、見据える様も逆であるかのようだった。 

「グリズリー君っ。ごめん、君にこんなことをするつもりは」

「邪魔しないでくれるかいグリズリー君。僕の標的は、そこのオオカミなんだよ」

 唐突の乱入者に、声色も目付きもいつも通りになったホッキョクオオカミは、動揺するかのように瞳を震わせている。

 一方のハイイロオオカミは鼻づらにシワを寄せたまま、剥き出す牙の隙間から血が滴り落ちていた。

 ワイシャツの襟元を正しながら、グリズリーは一息吐いた。

「二匹とも、頭を冷やせ。ホッキョクオオカミ、お前は僕でなければ傷つけても構わないと言っているようなものだ」

「それは」

「随分と勝手な言い草だねグリズリー君」

 ドスの利いた声に、答えを探そうと視線を外したホッキョクオオカミの言葉を遮るかのように。

「こんな時に説教して丸く収めようって言うのか。ここまで黙っておきながら、卑怯ってものがあるよ」

 闘争本能の塊と化したハイイロオオカミが、もう一度噛みかかろうと身を低くしていた。

「ハイイロオオカミ、お前の言うオオカミとは、そんな野蛮な生き物なのか?」

「何?」

 ホッキョクオオカミに背を向けながら、グリズリーがハイイロオオカミの低くなった背中に言葉を吐き捨てる。

「その言葉、そっくり返させて貰う。幾ら憎いと思った所で、ホッキョクオオカミは手負いだ。弱った相手でも勝てれば良いとするなら、それこそ卑怯と言うものだろう。お前が熱く語ったオオカミの血とやらとは、誇りもないのか」

「このっ、言わせておけば!なら何で、今まで何をしていた!知っているよ、僕たちがトムソンガゼル君に絡んだ時から、君がずっとこっちを見ていたことを。黙っていれば、何でもことが済むと本気で思っているのか!?」

「そのことは、素直に謝らせてくれ」

  声を荒げるハイイロオオカミだったが。

 視線と声色を一層落としたグリズリーの前に、戦闘態勢を解かざるを得なかったようだ。徐に立ち上がったハイイロオオカミと対峙しながら、まるでクラス中に目をやるかのようにしながら、グリズリーは独白めいた言葉を零し始める。

「この騒動、クラスを纏め切れなかった僕にも落ち度がある。昨日の決め事でも、トラたち強調派。それに反対するアラスカンマラミュートだけでなく、何も言わずにいたホッキョクオオカミ、トムソンガゼルのような穏健派」

 拳を握り、二の腕を隆起させるその様は。誰に対するものではない憤りや後悔のようなものを滲み出させていた。

 「肉食獣と草食獣の違いだけでなく、全員が同じ思考や性格を持っている訳ではない。良いか悪いかは、どうでもいいんだよ。問題なのは色々な考えを持つクラスの意見を、どうやって纏めて、方向性を決めるかだ。それができなかったばかりに、こんな争いが朝から起きている。違うか?」

  熱い語りだ、と一瞬思った。今までの俺だったら、そのまま無視して教科書へ意識を落としていたはずだ。

 でも、どうしてだろう。強力な肉食獣に囲まれて、痛めつけられて。

 なのに、同じ肉食獣に守られた。

 俺も、きっと。いや、間違いない。

 「だから何だと言うんだグリズリー。一匹だけ達観したような物言い、気に食わん」

  戦意を失ったハイイロオオカミを退けて、トラが眉間と鼻づらにシワを寄せながら、グリズリーの一歩手前まで迫った。トラも声を荒げることはこれまでもあったが、ここまで怒気に塗れた鬼の形相は見たことがなかった。

 肉食獣であり強調派でもあるトラは、どんな場面でも影響力のある獣だ。それでいて成績も上位に食い込む程の頭脳と理性を持っていたが、自分を抑え込むのも限界のようだ。

「そうか。やはり、僕が間違っていたか」

 どちらかが腕を振れば確実に胴体に直撃する距離でいながら、グリズリーは溜め息混じりに声を落とした。

 

 

 待てよ、グリズリー。

 何が、間違いだった、だ。

 お前は確かに頭も良いから、どれだけ詰られても、理屈と理論だけじゃなく。さっき言った、獣としての倫理観も交えながらここまで皆を引っ張ってきただろ。

 そんなお前まで。何で、戦おうとしているんだよ。

 

 

 次の瞬間、両腕を構えて重心を落とし、やや猫背気味の姿勢を取っていた。

「だが、まだ良い。他の一匹に敵意を向ける位なら、僕に向かって来い」

「何だその余裕は。そこまで傲慢だったか、グリズリー!」

 堪えかねたトラが、風を切る音と共に握り混んだ右腕を繰り出す!

 飛来する小岩のような拳を、グリズリーが半身を翻しながら右手で受け止める。二匹の手から、破裂したかのような鋭く短い音が響く。

「学級委員会でも、どのクラスも同じ悩みを訴えていた。だから僕も、もっとこのクラスが平和で皆が笑って過ごせることを目指してきたつもりだ。でも、結局答えは見つけられなかった。こんな姿を見て軽蔑するか、トラよ」

 

  受け止めたトラの右腕を左手を跳ね上げていなしたグリズリーが、逆の手で襟元を掴もうと手を伸ばす。だがトラの瞬発力と優れた反応力で生まれる超反応の左手が、茶褐色の腕を握り制止させる。

 爪を立てられ握力が掛かるグリズリーの右手首から、骨が軋む音が生々しく聞こえてくる。

 それでも尚、茶褐色の巨体は表情すら歪ませない。

 寧ろ、微かに笑っているかのようにさえ見えた。

「好きで戦闘に特化した身体に生まれたかった訳じゃないが。これ以上争いを続けるつもりなら、僕が相手になる」

 右手を潰そうとすることに躍起になっていたか、グリズリーが繰り出す左の裏拳を顎に直接受けたトラは呻き声を上げ、腕の拘束を解いて半歩下がった。

「その場しのぎというのは好まないが、今の状況を鎮めるには、こうすることも止むを得ない。いや、僕たち肉食獣には、選択肢の一つにもなるだろう」

 

 

 グリズリー、お前まで。さっきの言葉は、どこへ行ったんだよ。

 肉食獣っていうのは、争うことを厭わないのか。

 少し前よりも、話し合いで収まることの方が多くなってきているのは確かだ。だが最後は理性なんて殴り捨てて、全部戦うことで解決しようとする。

 怯え切って泣いてる奴もいるのに。目の前の標的を打ちのめすまで、気にかけようともしないのか。

 

 

 

「野郎っ、舐めるなクマ科の分際で!クラス委員長を勤めるのも、お前にとってアピールに過ぎなかったんだろう、グリズリー!!」

「お前がどう思おうと勝手だが、ネコ科相手に、負ける気はない。穏便に済ませたかったが、それも限界のようだ。諸君、すまないが目を瞑っていてくれ!」

 

 

 クソ、何が種族を問わない学園だ。何が、肉食獣と草食獣の共存だ!

 表面的には協力し合っているように見せかけて、結局この様だ。

 トラたちは加減しながらも、今朝の俺のように標的を選んで手を出すこともこれまで何度もあり、好き勝手し放題だった。

 時にはグリズリーだけでなく、他の肉食獣が止めたり仲介に入ることもあったが、それはそれで怨恨を残すだけで。手を出さないまでも、勝手に互いを罵って。いがみ合って。

 場合によってはハイイロオオカミが熱弁した、血統の誇りとやらを馬鹿にされた時は、それこそ血を流す喧嘩も勝手にしたいた。

 俺は、草食獣として。一族から嫌悪される存在として。

 そんな奴らのことなんて、どうでも良かったんだ。

 

 

「こんな時でも正義の味方気取りか!その鼻、叩き潰しやる!!」

「互いに無事では済まないだろうが、構わん!来い!」

 痺れを切らしたトラが、右の拳を繰り出し。グリズリーも身体を捻りながら、右腕を振りかざしていた。互いに狙うのは、弱点である鼻だ。二匹の視界に、もう他の獣の声も視線も入っていなかった。

 

 

 ……そうか。

 一層のこと、争いついでに殺されても良かったんだ、俺は。

 だから、余計に苛立っているんだ。こうして、か細い腕が震える程、腕に力が入っているのは。

 いつも剽軽な物言いをして。肉食獣の癖に争い事になりそうになると、勝手にすぐ消え失せて。純白な毛を纏いながら、取る身勝手な行動はその白さと逆を行くようにして。

 周りから汚らしい言葉や声を掛けられようとも、柳のように受け流してきたあいつが。

 草食獣である俺が唯一取れる、逃げることを封じられた所にいきなり勝手にやってきて。

 勝手に俺を守って。

 勝手に、豹変したように敵に向かっていって。

 そうだ。どいつもこいつも、勝手な奴らばかりだ。そんな勝手な連中、今まで無視してきたのに。

 俺は、嫌いなんだ。勝手な奴らが。

 そして何よりも……!

 

 

 けたたましい音が、教室中を駆け巡った。

 それはトラとグリズリーの拳がかち合った音ではない。

 当の二匹だけでなく。その争いに汗さえ流して見ていたハイイロオオカミやピューマ、肩を押さえた柴犬。寄り添うようにしていたコヨーテとクロヒョウ。

 草食獣を守ろうとしていたジャイアントパンダとオオワシ。その隙間から顔や目元だけを見せる草食獣たち。

 そして、自らの血で白い毛を染める、ホッキョクオオカミ。

 クラスにいる全ての獣が、机を思い切り叩いて立ち上がった俺へと、視線を向けていた。

「いい加減にしろ、馬鹿野郎どもっ!」

 

 

 そう、俺が今最も嫌いなのは。

 そいつらを前にして、ここまで何も言えずに、弁明するようにして逃げていた。

 この、俺だ。俺自身が、大嫌いだ!

 

 

 自分への怒りと情けなさだけがこみ上げる俺は。

 周りの獣たちの訝しさや憤り、不穏、戸惑い。その全てを受けても、張り上げる声は止められなかった。

「何をやっているんだ、お前たちは!!」

  俺の声だけが、静まり返った教室に木霊する。

 静寂。

 不思議な感覚だ。

 不図我に返った俺は、クラス中の視線や雰囲気を一瞬で感じ取った。

 短い尻尾が、立ち上がる。恐怖を感じて今すぐ逃げ出せと警鐘を鳴らす、先祖から伝わる反応だ。

 でも、俺は。

 もう、逃げない。

「言ったはずだよな、グリズリー。言い争うような時でも、強調する奴もいれば。それに反対する奴だっている。それ以外にも、事を穏やかに済ませたい奴も、下手に意見すれば食い殺されるかもしれないと思うばかりに何も言えない奴だっているんだ」

 俺の口は止まらない。

 「肉食獣と草食獣だけでなく、全ての獣が同じ思考や性格を持っているはずがない。それが良いのか悪いのかなんて、誰が決めるって言うんだ。誰が作ったかわからない杓子定規で測ったところで、何になるって言うんだ!」

 息を荒げる俺の全身から、汗が止まらない。当然か、大型肉食獣同士が拳を合わせる目の前に立っているんだ。

 無理もない、と思う俺に、トラとグリズリーがほとんど同時に怒号を飛ばしてきた。

「ふん、勉強だけがお友達だと思っていたが、言うようになったなトムソンガゼル」

「下手なことを言うな。トムソンガゼル、お前が標的にされかねないんだぞ」

  妙に重なり合ったのが、少し面白かったのか。

 呼吸が和らいだのか、俺は鼻で笑っていた。

「何がおかしい、草食獣の代弁でもしているつもりか」

「煩い、黙ってろ。頂点に立ったような気でいるお前たちの物言いを聞くくらいなら」

 それを聞いてか。トラとグリズリーは互いに拳を引き。

 頭二つ分大きな体躯で、まるで見下すようにして俺を黙って見据えた。

 俺も、ここで引く訳にはいかない。

「言いたいことも言えないなら、俺は死んだって構わない。だから最後まで言わせてくれ。その後は好きにすれば良い」

 「ダメだ、ガゼル君。そんなこと、言ったら」

「今はお前の方がダメだ白オオカミ。出血が酷くなるから動くな」

「し、白オオカミって」

 ホッキョクオオカミをこの際無視して、俺は今朝の騒動から。

 いや、生まれてからずっと思っていたことを、呟き始めていた。

「確かに勉学だけに励んで、他のことなんて正直どうでも良いと思っていた。今更謝ったところで許してくれはしないだろうし、俺自身、謝るつもりはない。俺は、俺が正しいと思った生き方をしてきただけだからだ。その俺が、気に入らなかったんだろう、お前らは」

「黙りを決め込んでいた割には、良く喋るなトムソンガゼル。それで、お前はどうしたいんだ」

  退屈でもしたのか、指の関節を鳴らすトラを、腕を掲げたグリズリーが無言のまま止めていた。

 それを見たからか。

 俺の中で、全てがどうでも良くなった気がした。

「グリズリーが言った通り、この騒動の発端は、俺だ。こんな馬鹿馬鹿しい争いも、肉食獣のお前らから逃げ回ってきた俺は、もう沢山だ。俺が消えて、全部収まるのなら……!」

 何を思ったのだろうか。俺はワイシャツの袖ボタンを外し、汗に塗れた腕を差し出していた。

「その牙で、爪で、俺を噛め!俺を引き裂け!殺してみせろ!それでお前らの気が済むならな!!」

 その瞬間だったか。俺に突っかかってきたトラたちだけでなく。

 この教室の肉食獣の憎悪と、草食獣の懸念や嫌悪のようなものが、同時に降り掛かってきたのは。

 そうか。俺は、ここで喰われるんだな、きっと。

「やめろっ!!」

 誰が言ったかは、わからない。

 だが、言いたいことは言った。悔いはない。

 

 でも。

 ごめん、母さん。

Tails Intersecting -Check-

※注記※

 本記事はこれまで投稿した「Tails Intersecting」「Tails Intersecting -Stalemate-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Material Advantage-」「Tails Intersecting -Promotion-」「Tails Intersecting -Castling-」「Tails Intersecting -En Passant-」の続編となる、短編小説です。

 登場人物は私の趣向により、ケモノです。

 この注記をご覧になり、違和感や嫌悪感を抱いた方は、申し訳ありませんがお引き返しください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 Tails Intersecting -Check-

 

 

 

 右腕を噛まれ、盛大に血を撒き散らすホッキョクオオカミと。

 その腕に喰らいつくハイイロオオカミ。

 二匹は同じオオカミでありながら、似たような表情を浮かべていた。

 

 追い込まれた側と追い込んだ側。野生であれば致命的な立場なのに。

 ホッキョクオオカミが、罵る言葉を小さく放ったその瞬間。

 

 自分の右腕に噛み付く、ハイイロオオカミの喉元へ。

 牙の拘束を逃れようと全身で藻掻きながら、空いていた右膝を猛り声を上げながらねじ込んでいた!

 

 呼吸を絶たれたハイイロオオカミは堪らずに口を開き、涙を浮かべながら呼吸を確保しようと身を沈める合間に。自由になった体躯を、血の軌跡を描きながら素早く後退したホッキョクオオカミ。

 左目の裂傷と右腕の噛み傷から、白い自分の体毛を染める赤い血が滴り続け、汚していた。

 

 床にだらしなく涎と涙を零し、ハイイロオオカミが激しく咳き込む。

「ぐっ、ぅえっ!!」

「大丈夫かい!?」

 ピューマに背中を擦られる、その真正面。

 対するホッキョクオオカミは右腕から流れる血を舐め、薄ら笑いを浮かべながら。

 自分の血を、ハイイロオオカミの前に向かって吐き捨てていた。

 

 

 

「無様だな、「同族」?まだ足りないだろう、苦しんでいる暇なんかないはずだ。続けたいのなら、付き合うさ。逃げることは、どうせ君が許さないだろう?」

 挑発めいた言葉を述べながらも、身を屈めるホッキョクオオカミは少しふらついていた。

 一気に血を流し過ぎたせいだ。喜々として笑みを浮かべているが、意識は朦朧としているはずだ。

 それを聞いてか。

 床を揺らすほど、握った拳で叩きつけたハイイロオオカミの目は、血走っていた。こちらは、理性を保つのがやっとなのだろう。

「そう、だ。それでいい、ホッキョクオオカミ君っ!」

「やめろハイイロオオカミ!もうこれ以上は、唯の獣同士の争いになるぞ!」

 両肩に手を置き、制止させようとトラが更に両手の力を込めて宥めようとする。流石にマズい、とでも思ったのだろう。

 もう、誰が喧嘩をしかけてきたかなど、どうでも良いのだろう。それ位、今の状況は喧嘩を通り越して。

 唯の、殺し合いだ。

 それでも、いがみ合ってはいるが。

 クラス中が、この争いを止めようとし始めていることに気が付いた。

 傷付いたホッキョクオオカミや柴犬の手当てをすべく、保健委員のシマウマが走り出し。それまで中間的な態度を取り傍観気味だったコヨーテやクロヒョウがトラたちの元に駆け寄って説得を試みている。

 一方で大型草食獣のジャイアントパンダや猛禽類のオオワシが、草食獣に危害が及ばないよう陣形を組んで臨戦態勢に入った。

  こんな時だけ結束して……。

 そう思った俺は、きっと悪なのだろう。

「取り巻きは黙っていてくれるかな。グダグダ言ってる暇があるなら、来いよ」

 だが、どこまでも馬鹿で正直で、毛色のように純白さを貫こうとするように放たれたホッキョクオオカミの声が。

 争いを止めようとし始めている空気を、一気に噛み砕いた。

 

 

 トラたちを振り切るように、ハイイロオオカミが一歩踏み込んで跳躍。同時に、左目と右腕から血を滴らせるホッキョクオオカミも跳んでいた。

 普段は理性で抑えつけている、本能のままに。二匹は顎を大きく開き、鋭く大きな牙を剥き出し。

 互いの喉笛を食い千切らんばかりに、目を見開き先に噛み付こうと互いに咆哮を上げた。

 クラス中に、動揺の声と悲鳴が木霊した、その瞬間だった。

 

「そこまでだ」

 

 二匹のオオカミの間に、褐色の影が飛び込み。そして。

 大型肉食獣であるトラと同じ程度。ハイイロオオカミと比べれば、更に一回り太い両腕が。

 オオカミの牙に、その腕を割り込ませて、噛み付かせていた。

 

「グリズリー!今更何の真似だ!」

「穏便に済まさせる為に、もっと早く止めさせるべきだったな」

 トラの声に、野太い声で返すのは、大型肉食獣でも特に大柄な体付きと膂力を持つグリズリーだった。

 クラスを纏めるクラス委員長を勤め、文武共に成績を残すそいつは、強面でぶっきらぼうながらも対立しがちなクラスの双方に肩入れし、決して争い事に発展しないよう巧みな言葉遣いと理論で皆を先導してきた。

 まさかこいつまで、争いに加担するつもりなのか。

 

 両腕にオオカミを噛ませたグリズリーの表情は、痛みや苦痛の色は見られなかった。

 いや、寧ろ。

 見えない威圧のようなものを纏いながら見下ろす眼力は、牙を抜こうと暴れるオオカミ共を一瞬にして止めていた。

 草食獣であれば、失神する程の迫力だ。

「ホッキョクオオカミ、ハイイロオオカミ。お前らは確かに強い。だがな」

 左腕に噛み付いたホッキョクオオカミは、手負いであることを知った上でか。腕を軽く振り抜いただけで白い体躯は宙を舞い、床に落ちそうになる寸前に、受け身を取り素早く後転しながら距離を取った。

 他方で唸るように「放せ」と睨む、右腕のハイイロオオカミを。グリズリーは両脚で踏ん張りながら上半身を半回転、体重が80キロ近くある身体が簡単に振り回されて。

 その勢いのまま右腕を振り抜き、トラたちが立つ方に向かいハイイロオオカミを思い切り投げ飛ばしていた。

 飛ばされ受け身も取れないまま、トラたちに受け止められて、ハイイロオオカミは地面に激しく沈んだ。衝撃で口内を切ったのか、口元から血が溢れ出す。

 

 二匹のオオカミを、軽々しくいなしたグリズリーの姿は。騒然とする教室を黙らせるには、十分過ぎた。

「これ以上はやめろ二匹とも。停学どころか退学処分になるぞ」

【HSS・HSP】泣くこと・後章 ~弱くも、情けなくも~

 最近暇を見つけてはネットオークションを徘徊しているせいか、部屋がBEASTARSのレゴシ塗れになってきました。

 近頃はBNAというアニメも見終わり、やっぱり自分はオオカミ好きなんだな、と勝手にホッコリしている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前回、前章という形で泣くことについて綴りました。

 自分の感情と触れ合うには、向かい合うことと同じことだと思っています。

 現に、泣いた記憶はあまりなかったと思い込んでいましたが。小さい頃は少しでも驚いたり怖かったり、時には先生に(理由は覚えていませんが)思い切り怒られた時、しょっちゅう泣いてばかりいました。

 泣き虫と言われたことはありませんでした。ですが怪我をして痛みで泣くと言うよりも、恐怖や不安といった感情を揺さぶられて飽和を超えると涙が浮かんでいた、という感じでした。

 

 

 私の幼少期のことは、この位にして。

 

 今回は前回に引き続いて、泣くことについて。その後の私の経験と思いを交えながら、後章として綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闘病を終えた母、またも泣く私

 

 

 

 長きに渡る闘病生活により、母は癌の魔の手から生き延びることができました。

 しかしながら、抗がん剤と放射線により、すっかり弱り切っていました。

 小さい頃から、涙一つ見せずに生き続けてきた母の姿を見て、無事に帰ってきてくれてきたことに安堵しながらも。

 幼少期の強い母の印象から余りにも乖離してしまったことに変わりなく。寝床で、私はまたも情けなく涙に明け暮れる日々が暫く続きました。

 

 

 リハビリを兼ね、母は私と共に様々な場所へ趣き、そして歩きました。

 体力を失ってゆっくりになった歩調。それでも懸命に足を前へ出す様子は。

 せっかちな私は、今までなら「ほら早く」とせかしていたことだったと思います。

 それが私にも影響を及ぼして、私も母の歩調に歩くことで。今まで前を見続けるあまりに、見落としてきた景色の数々を見ることができました。

 

 その後も検査で病院へ趣き続けましたが、幸いなことに悪化する事態には至らずに。

 何とか母は、寛解を迎えることができました。

 

 

 

 

 祖母の死で流した涙が、生きる力に変わって

 

 

 

 母が快復して、数年が経ち。

 その時は、唐突に訪れました。

 

 十数年のうつ病と老化による認知症により介護施設に入っていた祖母の様態が、日に日に悪化し始めました。

 私も度々面会の為に訪れ、会う度に私の名前を呼んでくれて。孫の私がいる時は、いつもよりはにかむようにして、どこか気恥ずかしそうに大人しかった、と母は言います。

 真っ直ぐで曲がったことが大嫌い。気丈な性格だった祖母は、相手が男であろうと闘おうとする勢いがあり。売られた喧嘩は買ってやる、と言う勢いで食って掛かる程だったそうです。

 

 そんな祖母も、時を経る毎に私の顔を見ても名前を忘れてしまっていき。

 最期は息をするのがやっとという程、苦しさに耐えるかのようでした。

 声を掛けても、返事が返ってくるはずもなく。

 手を握りながら、「会いに来たよ」としか言えないまま帰宅し。

 翌日の明け方、祖母は亡くなりました。

 

 これまでちょくちょく泣いていた私でしたが。

 感覚が、感情が麻痺していたのでしょうか。通夜も焼き場でも、涙はありませんでした。

 それ位、人が亡くなるということは大きな衝撃を齎すことを痛感しました。

 

 

 葬儀が終わり、暫く経った頃だったでしょうか。

 朝の連続テレビ小説で、「365日の紙飛行機」が流れていた時のことでした。

 

 私は手先が不器用で、折り紙さえまともに折れません。折り鶴も折り方を見ながらでなければ折れない程です。

 そんな私は、不意に思い出しました。

 

 

 祖母の亡骸が入った棺。花が大好きだった祖母は彩られ、薬が抜けきったその顔は艶めかしい程で。本当に亡くなったのが、信じられない程でした。

 生前は茶目っ気もあったこともあり、「何騒いでるの」なんて言いながら、起き上がってくれそうな、穏やかな表情でした。

 祖母が大切にしていたものが、次々と棺へ入れられる中。

 私は、一つだけ入れられるものがありました。

 

 それは、不器用な手で折って歪な形になった、紙飛行機でした。

 数々ある折り紙の中で、私が唯一作れるもの。

 

 車の免許を持っていなかった祖母に、これで思いっきり色んな場所へ行ってね。

 そんな思いで、棺に紙飛行機を収めたのだと思います。

 

 

 365日の紙飛行機を聴いていく内に、歌詞が旅立った祖母を描いているような感覚になって。紙飛行機に乗って飛んでいる祖母の姿が、何故か鮮明に浮かび上がって。

 生前、ひたすら前だけ見続けて、人生を懸命に駆け抜けた祖母。

 

 その姿と歌が重なった瞬間。

 

 人前ではとても見せられない程、涙が溢れ出して、止まらなくなり。目が腫れ上がるまで、慟哭していました。

 

 当時私は、うつ病に苦しんでいた時期でもありました。

 同じうつ病を、十数年もの年月闘い続けた。祖母の死は、私に。

 

 そんなことで、負けるな。立ち止まるな。

 

 死を以て、そう叱咤されたような気分にさえなって。

 哀しみだけでなく、最期まで気丈さをなくさなかった祖母に、まるで生きる力を貰ったかのように思えて。

 様々な感情が暴走して、泣き通しました。

 いつまでも、泣き疲れて知らぬ間に眠りに入るまで。

 

 

 

 

 貴方が泣く時は、いつですか?

 

 

 泣く場面は、沢山あると思いますが。

 

 皆さんは、どういった時に。何を受け取って、どんな形で、涙になりますでしょうか。

 

 

 ここまで綴り、私は結構遠回りをするような形で泣くことが多いことに気付きました。

 

 同時に泣き方や泣くことそのものにも、様々な形があるのではないかと思っています。

 ドラマや映画、漫画といった作品で、「泣ける作品」と紹介されるものがあるかと思います。

 作品紹介の中で、見ている方が泣いている様子が映し出されることもあります。

 

 私は、そういったものを見て泣くことはまずありません。

 アニメ作品の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、ボロ泣きしましたが。

 

 言い方が難しいのですが……フィクションだとわかっていても、脚本に則った、人間関係のシガラミやいがみ合いの方を先に感じ取ってしまい。それがあたかも、自分のことのように思えてしまい、見ていて疲れてしまいます。

 結果、感動する場面に行き着く前に頓挫。感動とは何だったのか、などと言い始める程です。

 

 言い換えれば、私は映像作品を始めとする「直接的な表現」。登場人物に対する直接的な感情移入ができない、或いは鈍いのかもしれません。

 

 逆に音楽の歌詞といった「間接的な表現」に、自分や周りの環境を投影して、入り浸って。結果的に泣くことは多々あります。

 

 これは私の持論故、様々なご意見があることは承知の上ではありますが。

 映像作品のような直接的表現は、製作者や役者さんが伝えたいことを歪ませることなく伝えようとする。それ故感情移入しやすく、見るものを魅了すると思っています。

 反対に間接的表現は曖昧であるが為、どう取るかは受け取る側に委ねられると言えるのかもしれません。

 

 訴えたいことが定まっていない分、様々な捉え方があって。私はそういったものに惹かれて、泣くことが多いです。

 

 前章に続き、本記事にHSSとHSPをつけさせていただいた理由は、ここにあります。

 

 刺激や情報を取り込み過ぎるだけでなく、その一つ一つを吟味するように深く処理して。簡単に感情を揺さぶられながらも、共感するHSP。

 私の場合、泣くという行為一つ取っても、これだけの処理をしているのではないのだろうかと思っています。

 拍車を掛けて、感情を揺さぶられて疲れるのならやめればいいものを、好奇心が先走るHSSの気質が留まることを知らずに探求を続ける結果。

 不意に思い出したことを見過ごすことができず、深入りして、その度に感情の波に押し流されて。時には過去に囚われる形で、涙に耽ってしまう。

 泣くということに対して、私はそのように考えると共に、現に泣き耽ることもあります。

 

 

 

 泣くことは弱くも、情けなくもない

 

 

  二記事に渡り、泣くことについて綴って参りました。

 私の経験のみならず、HSSやHSPという気質まで持ち込んでの内容となりましたが。

 

 最後に、一つだけ。

 

 私はイジメを受けて以来、これ以上他人に弱さを見せまいと思い込むだけでなく。

 情けなさで、自分まで失望することがないよう、気丈に振る舞うあまりに。

 泣くことを、忘れるかのようにして生きてきました。

 

 その結果は、愛想笑いと嘘で塗り固められた、泣くことを禁じる仮面を被った偽りの自分を演じることとなりました。

 

 そんな嘘偽りで生き抜いてきた私を、いとも簡単に見抜いて。

 素の私を受け入れて来れた人たちは、この世界に沢山いて。それでも仮面を取ることに怖気づく私を、車で知り合った人たち、そして親友と呼べる人たちとの出会いを経て。

 

 今ここに、本当の思いを書き連ねることができるようになった私がいます。

 

 泣くことは、恥じらうことでもなく。

 涙を見せることは、弱いことでも、情けないことでも決してありません。

 

 我慢していた、という自負はありませんが。

 泣きたい時は、思い切り泣いて。息苦しくなったら、自分が泣ける環境にわざと置いて、涙を誘うことも良いと思います。

 

 周りに抑圧されようとも。無意識に泣くことを禁じてきたとしても。

 自分の感情は、自分だけのものです。

 泣きじゃくって周りを困らせることがなければ、思い切り泣いても良いと思っています。

 

 少なくとも。全部他人のせいにしてきて、自分の感情を抑圧してきた。

 私のような、涙さえ流せなくなりかけた生き方でないのであれば。

 

 

 

 今回もご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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 懐かしいと思う光景。

 今でも、貴方の心に残っていますでしょうか。

【HSP・感情】泣くこと・前章 ~弱くも、情けなくも~

  緊急事態宣言の延長が決まり、より一層の警戒強化を一方的ながらも通達されることとなりました。

 益々先行きが見通せなくなってきておりますが、一人ひとりが出来ることを最大限に考え、苦慮しながらも。

 それでもこの絶望を乗り越えようと、奮闘しています。

 私も出来ることとして、外出は買い出しに留めながらも。

 それとは別に、息苦しさで窒息しないよう、降車しないことを条件に愛車を走らせるようにしています。

 自粛という言葉に縛られているだけでは、生きる意義を失いかねない。

 感染症拡大を防ぐことを目的としながらも、傀儡とならないよう自分なりに努めている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 波乱万丈という言葉が相応しいとさえ思える、この数ヶ月。様々な制限だけでなく、意味もなく飛び交い輻輳する情報に辟易し、或いは疲れ果てた方も大勢いらっしゃるかと存じます。

 

 このような時に、皆さんは不意に悲しくなったり、無力さに刈られて。

 涙を流すようなことは、ありますでしょうか。

 

 泣くことは感情の浄化、とさえ言われていますが。

 泣きたくなくても、勝手に涙が出てしまう時もあれば。

 反対に泣きたくても、涙が出てこないということもあるかと思います。

 

 ここで涙もろいだとか、涙腺が緩いだとか。

 感情豊か、情け深い。そんな言葉が出て来るのかもしれません。

 

 そう綴っている私は。

 正気、自分でも泣くことに関しては未だに把握出来ずにいます。

 

 どんなに辛くても、苦しくても。泣いたら弱みを見せることになると勝手に信じ込んだが故に、泣くことを止めた中学生時代。

 なのに、祖父母が他界して。見せかけの「さようなら」を繰り返してきた私が、本当の意味での別れを告げられて。

 そして、その気は無かったのに、車という趣味を通して交流を自分の意志で進めてきて。

 

 これまで我慢してきた訳でもないのに。音楽を流しながらの運転席で、或いはアニメのワンシーンを目の当たりにした時。

 感情が妙に昂ぶって、抑え切れなくなって。

 いい歳こいて、情けない咽び声を上げながら、思い切り泣き耽る時もありました。

 

 

 クドいかもしれませんが、もう一度だけ皆さんに質問を投げかけさせてください。

 

 皆さんは、最近涙することや。

 涙に明け暮れる時が、ありましたでしょうか。

 

 

 今回は、私たちヒトが持つ感情の一つである、悲しみや虚しさ。時には懐かしさや思い出に結びつく、泣くことについて。

 一時は涙を見せることが、弱くて情けないことだと決めつけて、泣きたくても泣くまいと誓いながら。

 それが決して弱いことでも情けないことでもないとわかった瞬間、堰を切ったように。行きどころを失った涙が、滂沱となった経験を交えながら、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 最後に泣いたのはいつだろう

 

 

 

 表題として掲げたものの。

 切っ掛けは別として。自然と涙が流れて止まらなくなったのは、果たしていつなのだろう。

 

 泣いたことを思い返そうとすればする程、怒りや不条理といった、別の感情ばかりが思い浮かんで、邪魔して。

 色々なことが有り過ぎて。自分が、純粋な感情さえ失ってしまったかのような錯覚さえ抱いてしまいます。

 

 なら、周りに植え付けられた感情だけでなく。

 かつて抱いた、強そうに見えて脆過ぎる程の。泣くまいと誓う以前の私は。

 果たして、どうだったのだろう。

 

 その思いと共に遡っていく内に。

 記憶の中で、一番古い思い出が浮かび上がりました。

 

 

 小さい頃の思い出

 

 

 環境や境遇は星の数あれど。

 この世にヒトの子として生を受けた瞬間、私たちは一人の人間として生きていくことを決定付けられます。

 

 幼少期はヒトとして最初に出会う成人たち、所謂両親たちを始めとして。その親である祖父母や姉妹兄弟である叔父や叔母たちに囲まれて、私たちはヒトとしての道を歩き始めます。

 その中で学んだこと、経験したことを糧にして。早ければ幼稚園や保育園といった児童施設に預けられ。

 同世代のヒトとの出会いが生まれて、喩え何となくであったとしても。初めて「自分以外の、同世代の他者」を認識するようになると思います。

 

 

 その頃は同い年の子たちと出会って。

 出会えただけで、互いにニコニコと笑い合いながら。言葉もままならないながらも、知らない間に仲良くなっていました。

 運動力や素早さの違いはあったにしても、遊戯の時間は様々な遊具を用いて遊びに遊んで、時には新しい遊び方を見つけたり。

 砂場では頭の中に広がるものを具現化しようとして。砂場一杯に、それぞれの建物や山を創り上げて。小さな、本当に小さな夢の楽園を形作って。

 室内では所々掛けて掠れ傷だらけのプラスチックブロックを手に取りながら、車や戦闘機を創り上げて、出来上がった時には満面の笑みを零していました。

 

 底なしの体力のままに遊び終えて、昼食を頬張った後は、お昼寝の時間を共にしながらも。

 とにかく友達と遊びたいという思いが先走るばかりに、寝付けずに保育士さんに諭される子もいました。

 

 いざ、お昼寝の時間を終えた後は午前中と同じように駆け回ったり。砂場で遊ぶ子も、ブロックで使って遊ぶ子も、その子が持つ性格が全面に押し出された形でありながら。

 手段は違っても、遊ぶという方向に意志が向かっていました。

 

 私は男でありながら運動力が然程ありませんでした。しかし、体力では到底敵わない男の子たちに誘われるがままに駆け回ることもあれば。

 砂場や女の子、ブロック作り男の子たちが集う中。私は創作意欲が先走って、周りの声が聞こえなく成程夢中になることもありました。

 そういう意味では、私は男女という差を気にすることなく、小さい頃から興味が向かうものに全力を注いでいました。

 

 

 今、まさに。自然と頬が緩んで。目元が自然と細くなって。

 

 何だか、すごく懐かしい。

 

 懐かしい、と思うことはあっても。こうして文章として書くことは久しいです。

 

 懐かしさや感慨に耽って、語り合う仲さえ失った私には、特段そう思うのかも知れません。

 

 

 

 母親の死を、間近に感じた瞬間

 

 

 時を経て。

 社会人の三年目にして、地元の職場に異動し、実家から通うようになって半月が経ったことでしょうか。

 祖父母の介護と仕事の両立に無理が募って。祖父が誤嚥性肺炎で他界して、約半年後の出来事でした、

 

 母が胸のしこりを気にして、夫である父を差し置いて。息子である私が立会人として切除手術に臨みました。

 母の意志を汲み取っての立ち会いとなりましたが、結果は思いも寄らない病に侵されていることを知りました。

 

 

 悪性リンパ腫。その中でも末梢性T細胞リンパ腫と分類されるものでした。

 

 全身を巡るリンパ腫であるが為に完治という概念がなく、更にT細胞リンパ腫というものは悪性リンパ腫の中でも稀であると告げられて。

 

 五年後の生存率は、当時25%程と言われていました。

 

 幸いステージⅠという早期発見が功をなした為、抗癌剤治療と放射線治療を併用することとなりました。

 母自身も、「そんなに心配しなさんな」と茶目っ気を押し出すかのように振る舞っていました。

 

 しかしながら、見舞いに行くのは決まって私でした。

 兄は仕事の都合上見舞い時間には間に合わないことは承知していました。

 

 でも、父は臆病がってか知りませんが、一度も母親の見舞いに行くことはありませんでした。

 

 夫であり父である者が、仕事に耽る振りをしていることは明白で。私には、それが我慢できずにいた私は、日を追うごとに。

 

 何が夫婦だ。妻の容態も見に行こうとも、見舞いに行った様子も聞こうともしないのか。

 

 直接聞けない事情があるのなら、メモ書きでも良かったのに。

 

 それさえしなかった男への、更に口汚い罵りをお許しください。

 

 どんな事情があったか知らないが、妻への心配すら見せない臆病者が。

 

 この時、私の中で父親はいなくなりました。

 いたとしても、戸籍上では父とされながらも、今尚目の前にするこの男は。

 酒の勢いでしかものを言えない、器が小さくてひとすら情けない。

 戸籍の上では父親とされることさえ、恥じらう以上に反吐が出る思いを。今尚抱き続ける結果となっています。

 

 

 話が身内に逸れて、申し訳ありません。

 

 本ブログで、私が「家族」と言わずに身内という言葉に拘る理由が、ここにあります。

 同じ家の下に住むものが、決して家族ではないと確信付けることに切っ掛けになったことは、紛れもない事実です。

 

 

 それはさておいて。

 

 私は就業後に病院へと車を走らせて。母の見舞いを兼ね、様子を見る日々を送っていました。

 そのこと自体に疲れたり不平を抱くことはありませんでした、が。

 

 限られた面会時間の中で、おぼつかない足取りで現れた母は。

 抗癌剤治療の負担でやせ細り、副作用で髪が抜け落ちて。弱々しい足取りで歩を進めることさえやっとでした。

 

 幼い頃から見てきた、喩え空元気であったとしても、気丈に振る舞って弱みを見せることのなかった母の姿は、すっかり影を落として。

 

 生きているだけで、ありがとう。

 

 そんな、らしくもない思いさえ抱かせて。

 

 面会を終えて、コンビニで買った弁当を虚しく食べる私は。

 時には、涙が溢れるばかりに食材に混じって。唯でさえ塩気のある弁当の味を、よりしょっぱくさせて。

 手に持つ割り箸さえ、無駄に力込む手の圧力で軋み上げる程でした。

 

 

 

 一記事では収まりそうになさそうなので、ここまでにさせていただきます。

 ご閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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【HSP・生き方】人と会わない生活 ~人間関係のストレス~

 食料品の調達や、嗜好品を買い求める為に赴くスーパーやコンビニ。

 店員さんと客との間に、飛沫による感染防止用のビニールシートが張られて久しくなりました。

 

 お金を渡す時も、お釣りを受け取る時も、直接的な手渡しは厳禁とされるだけでなく。

 唯でさえ声量の小さい私は、マスク越しでは更に声が小さくなって。以前にも増して、「え?」「もう一度お願いします」と言われることがすっかり増えております。

 

 その度に「すみません」と謝罪しながらも。元々人との会話が苦手で、紆余曲折を経て嫌うようにすらなった私は。

 人との接触を物理的に遮断しなければならないまでに、この国が。世界中が追い込まれていることを痛感している、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 新型コロナウイルスの驚異を前に、常識や普通とされてきたものが崩れ去ろうとしていることを述べました。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 それを機に、私の中で前記事とはまた別のものが変わろうとしています。

 

 感染症を防止する。それが大前提であることは重々承知しております。

 しかし人と接触しないこと、特に会社で施行されている在宅勤務を重ねていく内に。

 人と会わない生活と時間が増えたことは、確かな事実であり。

 個人的には、そこから逃れられないプレッシャーやストレスを感じていたことを、改めて知るのでした。

 

 

 今回は、人と会い、生活や仕事を共にすることによっては喜びや楽しさを齎しながらも。大半はストレスや苛立ち、不安の元になりかねないことを。

 人と会わない生活が続くことにより変化していていることについて、特段後者について感じ続けてきた私の経緯を交えながら、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 人と会うことに緊張しながらも、どこかで興味を求めていた

 

 本ブログを立ち上げてより再三申し上げてきましたが、私は元来人見知りが激しい人間です。

 初対面の方とは会話はおろか、顔を合わせることさえ躊躇ってしまう程です。

 

 学生生活だけでなく。社会人となってからも、趣味の延長で車のオフ会であっても。

 周りが積極的に声を掛け合って、会話に華を咲かせたり盛り上がる中で。

 

 それが出来る人たちが眩しいと思える程羨ましく思いながら。

 どうして、自分は壁の花になってばかりいるんだろう。

 

 そんな自己嫌悪に似た思いを、抱き続けてきました。

 私が運良く交流関係を持てるようになるのも、大概は受動的で後手後手。それ故に、周りの関係がどんどん強固になっていく中で、取り残されていくような思いに刈られることも多くありました。

 

 しかしながら。

 目の前の人たちは、どんな口調と声色で接しているのか。どんな話題で盛り上がっているのか。

 そんなものを、直接目を合わせることが苦手な私は遠目で、まるで観察するかのように見ていました。

 

 人によっては卑怯者のような動きをしながら、そうやってでしか人を見られなかった私は。自分が臆病者でありながら、好奇心だけは旺盛な面倒な性格なんだろうと納得させてきました。

 

 今では、自他の境界線が人よりも薄く、微妙な視線や声といった刺激でさえ拾ってしまい自分を簡単に失いかねない一方で、好奇心と興味は時としてそれを凌駕するHSSとHSPという気質があることを知って。

 それらが私の人との関係性を結びつけることを難しくさせ、時には遠回しにさせてきていたのだと、何となく理解するに至っています。

 

 

 

 様々な契機に、出会いが苦手から嫌いに変わっていって

 

 

 

 これは今だから言えることではありますが。

 現在の私は、幼少期の頃よりも人に対する警戒心がより強くなるだけでなく。

 最悪、仲良くなれなくても良いや、と投げやりにも近い感情が根付いています。

 

 顕著になったのは、私の場合はやはりイジメです。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 

 それまでは、兄が比較的友人の数が多かったということもあり。

 友達が少なかった私は、それを次第に羨ましがるようになって、先述した性格を強引に無視するかのようにして。

 友達の数を一人でも増やそうと、躍起になっていたことさえありました。

 

 それでも、持ち得た性格や人との接し方は変えられるはずもなく。一度仲良くなりかけた人でも、私よりもずっと素直で面白みのある人たちが現れる度に、少しずつ離れていって。

 

 やっぱり、私には人と仲良くなるなんて、無理なんだろうな。

 

 そうやって勝手に諦めかけていた矢先の出来事でした。

 

 

 根源の主犯に煽動される形で私を拒絶した、それまで「友達」だった人たち。

 人が離れてく不安。無視される恐怖。それでも世間体は、同じクラスメイトとして扱われる理不尽さ。

 

rayleonard-00.hatenablog.com

 

 それらを前にして、私は友情や関係を続けることにシガミツクようなことはしませんでした。

 「友達100人できるかな」という概念に、学校というものに入学して10年足らずで疑問と憤りを覚えると共に。

 寧ろ人間関係を続ける上で、痛みや怖さを抱く位なら。

 

 私には、そんなもの要らない。

 

 そうして、人と向き合うこと自体を避けるかのようにして。私は自ら、人との関わり合いを避けて来ました。

 

 そんな私の態度に、向き合わずに逃げるな、と言う方もいらっしゃるかもしれません。

 

 しかし、イジメだけでなく、何かしらの形で人間関係をこじらせた経験を持っている人には。

 少なくとも、イジメという形で人間関係に対する意識を歪ませた私は、はっきり言えることがあります。

 

 そのような激励とも叱咤とも取れる言葉は、届きません。下手をすれば逃げることが罪だ、という意識を植え付けかねあい、危険な言葉です。

 

 そんな思いと共に、私は人との出会いが苦手から嫌いと化していくのでした。

 

 

 

 

 会社でもストレスだらけだった人間関係

 

 

 

 学校という閉鎖的空間から、ようやく抜け出した先に待っていた、社会人生活。

 入社当初は、私が嫌っていた人間関係よりも、仕事を遂行することが優先される。

 そんな身勝手な思いと共に始まった会社生活でも。

 

 結局、人間関係は切っても切れないものであることを思い知りました。

 

 然れど幸いなことに、同世代との絡みに苦手意識を持っていた私には。歳が大きく離れた先輩たちとのやり取りは、比較的円滑に進めることができました。

 

 でも、相性が合わない人はどうしても出てくる訳で。

 全てが全て行くはずなどなく、業務の内容よりも、人間関係でストレスを大きく溜める場面に沢山遭遇して参りました。

 

 その煩わしさにも、人間の能力である「慣れ」を以て適応してきた最中。

 思いもよらぬ形で、人と接触する機会を物理的に絶たれる日が、唐突に訪れました。

 

 新型コロナウイルス。今尚様々な利害や思惑が錯綜する余りに何ら進展のない、私権ばかりが奪われる緊急事態に。

 否、異常事態に見舞われる今日も続くこととなりました。

 

 

 

 人と会わない生活に直面して

 

 

 唐突の緊急事態宣言や、会社からの在宅勤務や通勤経路の変更、勤務時間変更を求められる等。

 

 皆さんも前準備もままならない状況からの要請に対し、戸惑ったり様々な困難に出くわしたことと存じます。

 

 私も4月中頃から在宅勤務に向けた機材や環境準備を、自分だけでなく職場中の社員に対しても行い、何とか数日で環境を整えることができ在宅勤務に入っています。

 

 基本的には有事がなければ出社せず、社員からの在宅勤務やネットワーク機材の問い合わせに対応する、ヘルプデスクのような仕事を自宅でこなしています。

 

 最初こそ電話音声でしかやり取りができないことに不便さを感じていたものの。

 日が経ち、平時ではあり得ない勤務形態に適応していく内に。

 

 喩え自社の上司や社員であったとしても、人と会わない生活に、心地好ささえ感じています。

 

 それだけ、人と共に生きることに生き辛さやストレスを感じてきた自分が、不器用さや人間嫌いさを払拭できずにここまで来てしまったことに気が付くと同時に。

 仕事だけでなく、学生の授業形態でさえ、従来のやり方を踏襲し続けるだけでなく。

 考え方ややり方次第では、様々な可能性があるのではと、思えてなりません。

 

 

 

 

 人間関係のストレスから解放されつつある今

 

 

 

 こんなことを言うのは、不謹慎なのかもしれませんが。

 私は、若い頃に人間関係で挫折して良かったとすら思っています。

 仮に今、人間関係に起因する問題を抱えていたら。

 会社生活を続けられたかどうかも怪しく、下手をすれば退職という道も選んでいたかもしれません。

 

 

 逆にネットニュースでは自粛や在宅のストレスが積もりに積もって。

 限界が来たことで、DVや非行に走るケースが増え始めていると報道されています。

 

 そうでなくても、人と会えないこと自体にストレスを募らせて。

 部屋飲みとSNSを組み合わせたオンライン飲み会というものも流行していると聞きます。

 

 そう考えると、未曾有の事態を前にしても。良くも悪くも、人それぞれの思いや個性が出てくるのは自然なことなのではないか、と思えてなりません。

 その一つ一つに賛同や否定があるとは、私は思いません。ここまで来てしまった以上、他の誰かの行動を批評すること自体、烏滸がましいとさえ思っています。

 

 

 皆さんは。

 会いたくても人に会えないこの異常事態を、どう捉えていらっしゃるか。

 そして、その思いをどのような形で吐き出していらっしゃいますでしょうか。

 

 

 そんな中で、私のような変わり者もいます。

 元々インドア派である私には、例えば出社しなければならないことは時としてプレッシャーとなることもあります。人と出会いやり取りするだけでも、無駄に顔色を窺って勝手に疲れ果てて帰ってくる日もありました。

 そんな人間には、この現状は無意味なストレスを排除してくれる時間とさえ感じています。

 

 

 最近ではよく、「おうち時間、どうしていますか?」という文言を見かけるようになりました。

 私の場合、ではありますが。

 身内が全員独りの時間を大切にしたいということもあり、家の中でも特段居心地の悪さは感じてはおりません。

 逆に通勤時間に費やされていた時間を、ブログを書くことで自分自身と向き合う時間が増えたこと。

 そして私が好む、文章を書くという時間に割けることが、一番のストレス発散となっています。

 

 願わくは。

 収束した暁には、これまでの慣習に囚われ続けることがないように。

 多種多様、個性という概念を重視しようとしている社会が、本当の意味でそれを実現できる世の中が来ることを、密かに願う私です。

 

 無論、一番は。

 新型コロナウイルスが元となった災厄が、一日でも早くなくなることを。

 これまでの日常生活を、少しでも早く取り戻せる日が来ることを願っています。

 

 

 

  今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

 

 

 

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 暇を持て余して衝動買いした、3Dパズルのオオカミ。

 些細なことですぐ動揺し、ストレスを感じてしまう私と違って。

 遠吠えする彼ら彼女らの、強さと孤高さ。

 今でも、私の憧れです。

【PC・OA機器】在宅勤務にて活躍中々 ~生きることは、想定外だらけ~

 緊急事態宣言の有効期限が、今月6日までとされれきましたが。

 未だ先行きの見えないまま、少なからず1ヶ月程延長すると報道されています。

 

 当社でも在宅勤務に向けての動きが、先月中旬辺りから急激に動き始めています。

 

 政界も会社も、極力人との接触を避けるようにと、在宅勤務を積極的に導入するように呼びかけています。

 

 確かに、現状ではそれが唯一にして有効な手段であると、私も思っています。

 然れど実行しろと簡単に言ってのける様には、どこか反骨心のような思いを抱かずにはいられません。

 

 現実は、そうしたくてもできない業種や職種の方も沢山いらっしゃることと思います。

 そして、仮にそれが可能だったとしても。

 通常勤務から在宅勤務へ移行するには、高いハードルを幾つも超えなければ。

 実現には程遠いことを、知らないからが故に言えるのだろうな、と思う白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前置きが愚痴塗れになってしまい、恐縮ではありますが。

 

 今回は、いつもと違う趣向を変えて。

 実際に在宅勤務に際し、購入した当初の目的や目論みを逸しながら。

 それでも活躍している品々について、私なりの使用感や感想を元にしながら、綴っていきたいと思います。

 

 

 ※注記※

 本記事の意見や批評は、飽く迄個人的主観に基づくことから、各製品の販売店へのURL、並びに購入先へのURLを貼ることはいたしません。

 お手数おかけすることになりますが、気になった製品についてはキーワード検索を以てお調べくださいますよう、お願い申し上げます。

 また本記事をご閲覧した上で実際に製品をお求めになり、不具合やトラブルに遭われたとしても、本ブログ運営者は一切の責任を負いかねます。何卒、ご了承ください。

 ※注記終了※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェイス・トゥ・フェイスを基本としてきた弊害

 

 

 

 フェイス・トゥ・フェイス。

 

 同じ意味でも、多岐にわたる言葉の使い方や言い回し、好み。

 更に微妙な声のイントネーションや抑揚によって、私たち日本人は口頭によるコミュニケーションを大切にするかのように、相手との意思疎通をしてきたと思っています。

 逆に言えば英語圏を始めとした言語よりも、発する一言に対する重みが違う分。

 微妙でありながら、絶妙な言葉。日本人はそれに加えて、相手の表情や仕草を窺うことができる、面向かってのコミュニケーションを優先してきたように思えてなりません。

 

 それは却って、相手の顔が見えないやり取りは、多くの弊害とやり辛さを感じざるを得ない状況を生み出しています。

 

 しかしながら、そんな思いを持つよりも先に。

 逆境という言葉を凌駕して。新型コロナウイルスに対抗して打ち勝って、いつもの日常を取り戻す為には。

 この修羅場を乗り切らなければならないと、誰もが思っているはずです。

 

 

 

 そんな中でも、今でも最前線でご活躍されている、医療従事者の方。在宅勤務など不可能な、介護従事者の方へ。

 通信事業に勤める者として、個人的にはありながらも、敬意を表しながら。

 

 

 遅ればせながらも、実際に在宅勤務の先鋒を任された私が。本来は別用途として使おうとしていた機器を。

 単なる雑記と捉えていただいてもでも、構いません。寧ろ参考にしてくださる機会があれば、幸いと思いながら、ご紹介いたします。

 

 

  PC

 

 

 今やなくてはならない存在と化しながら、スマートフォンにその座を譲りつつある中で。

 ビジネスでは頼もしいパートナーである、PC。

 

 私はカスタマイズしたデスクトップPCをメインとしてきました。

 しかし、例えば出張や車のオフ会前夜のホテルでは、デスクトップPCは当然のことながら持ち運びには不向きです。

 そのような時は専ら、WifiにもBluetoothにも対応できるスマートフォンに頼る形で情報を仕入れ、或いは発信してきました。

 

 然れどブログを運営するようになってから、その考え方や運用方法も不便さを感じるようになっていました。

 

 特にはてなブログはスマートフォン用のアプリが用意されていますが、下書きはともかくとして。細かな編集は、PCでなければ不可能と思い知り。

 メインPCとは別のサブPCとして、持ち運びに困らないノートPCを探し求めました。

 

 数多く出回るパソコンの中で、私が出会ったのは。

 

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 「NEC VersaPro VB」です。

 

 NECのノートパソコンと言えばLaVieが有名所になりますが。

 VersaProは、元々法人向けに設計されたパソコンです。

 

 企業向けでありながら、一年程の型落ち品であるが故に民間にも破格の価格を以て払い出された一品であり、国内メーカー製でありながら5万円で購入いたしました。

 

 CPUはCore-i3の第7世代、RAMはオンボード固定の4GBで拡張不能。メインストレージは128GBのSSD。

 数値的な性能から見れば、少し心許ない性能ではあります。

 

 ですが裏面にはMicroSDのスロットルを有しており、データ類はSDカードに一任することでOSが乗ったSSDの負担を軽減することは十分可能です。

 更にWifiに関しても現段階では最高レベルのIEEE 80211ACを許容し、Bluetoothも接続できます。有線LANポートは有していないものの、別売りのUSB-LAN変換コネクタを使えば有線通信も可能です。

 

 実際に、在宅勤務に際し使用した感覚は。

 起動はHDDでは不可能な、20秒足らずで全機能を起動できる高速さを誇ります。

 CPUやRAM、グラフィックボードは並以下なので動画編集はまず不可能、場合によっては画像編集も厳しいかもしれません。

 しかしながら、ブログを上げること程度のことは容易にこなし、You Tubeを始めとする動画視聴なら必要十分な性能です。

 何より企業向けPCということで、セキュリティ対策が最初から万全というのは嬉しい限り。(有害だらけの怪しいサイトを見ない限りは)有料のウイルス対策ソフトを必要とせず、Windows10標準搭載のWindows Defenderで十分です。

 

 写真や動画編集、ネットゲームを主とするヘビーユーザには如何せん頼りない性能のPCですが。

 在宅ワークのみならず、動画視聴レベルの使用であれば十分事足りる一品です。

 

 私は「e-トレンド」というサイトを通して購入しましたが、オーバースペックでないPCやサブPCを求める方には十分オススメできるかと思います。

 

 

 

 

 OA機器

 

 

 お次はOA機器。

 その中でも私が購入して正解と思った一品があります。

 

 Bluetoothスピーカーの「Ewa A106 Bluetoothスピーカー」です。

 

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 掌サイズで軽量、小型。これだけだと、どうしても音響効果という本来求めたい性能が犠牲になりかねません。

 が、2000円という価格ながら低音から高音までカバーし、下手なサウンドシステムをも凌駕する実力を誇ります。

 最低音量が割と大きめという弱点はあるにはありますが、それよりもお風呂でも使用可能な防水規格を持ち、場所を選ばずに音楽を楽しむことが可能です。

 

 後継機としてA107という製品が既に出回っており、こちらは二台揃えればステレオといて機能するとされていますが、個人的にはこの一台で十分と判断しています。

 

 これも元々は出張時にスマートフォンの音楽を流しながらブログ編集に勤しむ為に購入したものではありますが。

 在宅時でも、プライベートで自室にいる時でも価格を凌駕した音響を提供してくれる良品です。

 

 

 番外編

 

 

 最後に番外編として、在宅ワークで一番活躍している代物があります。

 一昔前は、ドコモで言えば廉価版のMOVAと高性能なFOMAと別れてい販売され、今では旧世代の通信機器とされている、ガラケーです。

 

 これは会社からの貸与品ではありますが、電話とメールに特化している分動作遅延はなく、小型で電池持ちも良好。

 そして画面を開く度に開閉しなければならない本体の動作は。今のスマートフォンでは考えられないことですが、学生時代から世話になっていた時のことを思い出す一品となっています。

 

 私が在宅時に、社内システムやPCについての問い合わせの架け橋となっているのが、このガラケーです。

 最初はWindowsフォンに移行して、その後Android、iPhoneとスマートフォンを変えていった私ですが。

 

 電話とメール、最低限の連絡手段に特化したガラケーも。スマートフォンを推し進めている現代でも十分な通信機器であると痛感するのでした。

 

 

 

 想定外だらけでも、生きる為に使えるのなら

 

 

 在宅勤務にあたり、PCやOA機器についてご紹介させていただきました。

 これらは全て、本来なら別の用途で使おうとしていたものでした。それが幸か不幸か、準備時間も対して設けられない中で活躍する品々となりました。

 

 唐突に出された、緊急事態宣言。それに応えようとする企業。

 思惑はどうあれ、実際に動かなければならないのは、私のような下々の者です。

 今回は代替品と言う訳ではありませんが、辛うじて対応することができたとは言え。

 

 このような事態が、またいつ来るかなど想定はできません。

 喩え本来の目的としてではなかったにせよ。想定外だらけの現代では、どんなものでも動員しなければならない時が来るのかもしれません。

 

 時代遅れとも、型落ち品とも。性能劣悪と言われようとも。

 有事の際は、そんな悠長なことは言っていられないことを。

 そして用途を限定すれば、役に立たないものなどない。

 在宅勤務を先行した身として、そう思うのでした。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

  

 

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【HSS・HSP】ソーシャルディスタンスと在宅勤務 ~覆る常識~

 5月に入り、いきなり暑くなりました。夏日を超えた場所も、100箇所を超えたとの情報もあります。

 

 雲もなく晴れ渡った、どこまでも続く青空。

 コロナ禍でなければ、これ以上ない程のドライブ日和なのに。

 早急には難しくても、少しでも早くこの異常事態が収まることを願っている、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 娯楽目的の外出は自粛継続される中、食料品や日用品といった生活必需品。これらを購入する為に、どうしても外出しなければなりません。

 そこで、ウイルス感染防止の観点から、それまで聞き慣れなかった言葉が出てきています。

 

 ソーシャルディスタンス。日本語では「社会的距離」の意味を持つ言葉。

 

 コンビニやスーパーでもその一環として、レジに並ぶ際の距離を確保する為に、停止線のような線が張られるようになりました。

 会社でも同じように、普段よりも席の間隔を空ける目的に座席の移動して人との距離を物理的に取る施策が推し進められています。

 

 そして、会社では更に在宅勤務を要請し。通勤途中や社内での接触を完全に断ち切りながら事業運営、社会的貢献に努めようとしています。

 

 これは、コロナ禍に至る以前では常識とされてきたことが。

 覆ろうとしていると思えてなりません。

 

 何故なら、常識という縛りが。

 HSPである私には、違和感だらけだったからです。

 

 

 今回は、未曾有の災禍を齎し尚蔓延る新型コロナウイルスにより、感染しないことを最大の目的として広まり始めているソーシャルディスタンスや在宅勤務が。

 これまで日本の常識と化してきた生活や仕事のやり方を、大きく覆そうとしていることについて。

 常識というシガラミがHSPを自負する私には苦痛や違和感を覚えていた経験を交えながら、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 違和感塗れだった、生活での常識

 

 今や常識やマナーと呼ばれるものは、死後と化しているように思います。

 多様化や個性を優先しようとする時代の風潮から、それまで「普通」と呼ばれる概念が崩れて。普通というものがどんなものであるのか曖昧になってしまい、良くも悪くも受け取る個人に委ねられているように思えるからです。

 常識やマナーとされてきたものも、この「普通」という言葉がまかり通っていたからこそ、声を大にして掲げることができていたのだと思っています。

 

 しかしながら、表向きには消えかかっている中でも。

 常識という、ヒトとして生きる上での「当たり前」とされる考え方や行動は、私たちの頭や心から離れることなく残り続けています。

 

 買い物をする、という例一つでも、沢山の常識が隠れています。

 買いたい商品をカゴに入れて、会計を済ませる為には必ずレジを通ります。レジの数には限界がある為、必ず並ぶという行動が発生します。

 

 ここで、物凄く不快感を覚えてきました。

 

 店内が余程狭ければ仕方がないとしても。大半のスーパーは敷地的にも余裕があるにも拘らず。

 

 どうして、そんなにベッタベタに張り付くように並ぶんだい?

 

 一歩でも出したら確実に当たるような距離でも、人によっては更に踏み込むようにしてくっついて並ぼうとする方もいます。

 私は人との距離が近すぎると不快感が比例して増していくので、自分では人二人分程度の距離を空けるようにしています。

 にも拘らず、後ろから気配を感じるどころか。買い物カゴが膝裏や脹脛に当たるまで近接する方もいます。

 別に誰から「もっとお詰めください」と言われた訳でもないのに。

 近接状態を嫌って前に出ても。にじり寄るかのように、まだ詰めてくる。

 

 視界だけでなく、体温や匂い、音にも敏感な私には。

 近過ぎる距離は、苦痛で不快でしかありません。

 

 また、そういった時でも拘らず。

 大声で喋る小父様小母様。待ち切れなくなったのか、時には金切り声のような声を出す子ども。

 

 いい加減にしろ、と吼えたくなる程でした。

 

 最悪、不快感の限界を超えた時には。

 全部嫌になったかのように、その場から離脱して。商品を全部棚に戻して帰るという、端から見ればこちらが異常行動と見られるようなこともしたこともありました。

 

 それ位、物理的に近寄られることは。私には耐え難いものでした。

 

 

 

 

 会社の常識も、違和感しかなかった

 

 

 会社でも形は違えど、通例や風習といったものが残り香を放ちながら、常識というものを残しているかのように思い続けていました。

 

 無断欠勤や就業開始に遅刻することは、特別なことがなければこの際、論外といたします。

 それでも尚、社内での行動に「誰も何とも思わないのか?」と疑問符を持つことは沢山ありました。

 

 まず、日本の就業規則は、基本的に就業時間内は仕事に向き合い続けることを半ば強制されています。

 担当している業務や雇用形態が違うのは明白なのに。

 

 何故、同じ時間を一緒にしなければならないのだろう。

 

 例えば会議といった、決められた時間に用意されたものに参加するような時なら仕方がないとして。

 

 会議という名目で、結論の出ない無駄な時間を会議というのも、私としては無意味と思いますが。

 

 忙しい時間やある程度余裕ができる時間は。社員一人ひとりで、違っていると思っています。

 なのにどうして、同じ時間に仕事を始めて。同じ時間に昼休憩を取って。終わるか終わらないかの瀬戸際の仕事を抱えている社員でも、そうでない社員でも、同じ時間に帰るように促されなければならないのか。

 私には、今も納得できずにいます。

 

 東京勤務時の私は、自分がギッチギチに仕事を埋められて余裕を失っていた傍らで。

 本社の出世コースの社員や、社員の上に立つお偉い方々は、雑談に耽ってました。

 キーボードをひたすら叩き続ける私は。行きどころのない怒りのような感情をぶつけるかのようでした。

 

 そんな思いをしてまで会社に縛られる理由が、私にはどうやっても理解できませんでしたし、理解したいとも思わなくなりました。

 

 規則、と言われればそれまでになってしまいますが。

 現実問題として、日本は先進国の中でも時間あたりの生産性が何十年も最下位という結果が出ていることも、また事実です。

 

 それはともかくとして。

 

 常識という言葉を掲げて。それを逸した者は、排他される存在と見做される。

 古き良き時代、と呼ばれる頃から慣習化されたそういった思想が、未だに深く根付いているのではないか。

 

 被害者振るつもりはないにせよ。

 生きることに違和感や不快感を抱いてき続けた私のような人間が。イジメられたり、他者の助けもなく勝手に精神を病んだのは、ある意味常識を前にすれば必然だったのかもしれない、と思い始めています。

 

 

 

 ソーシャルディスタンスや在宅勤務で、得られる安心感

 

 

  そんな中で、唐突に国単位でなく。世界で、人種を超えた人間という生き物が窮地に追むようにして出現した、新型コロナウイルスは。

 亡くなられた方だけでなく、罹患し闘病されている方々には無礼であると承知の上でも、申し上げたいことがあります。

 

 少なくとも、これまでの生活習慣に影響を及ぼしたことは、事実であると思っています。

 

 

 誰に言われることもなく、会計を終えるまで列を作り。その距離を詰めることで、割り込みを抑制してきた行為。

 これは日本という国が。専ら日本人が「列を成していたら、最後に並ぶ」という無意識的な概念が浸透しているからこそ、成立していると言われています。

 諸外国ではそういった考えは薄いようで、割り込むようなことがあっても誰かに注意されない限りは無意識の内に列を無視してしまう、という報告もあるそうです。

 

 それを秩序、と呼ぶ人もいるかと思います。

 

 ですが秩序と一括にされる行為に対して、不快さや違和を持つ人もいます。それ故に苦痛や生き辛さを抱え続けてきた人もいます。

 

 そこで登場した、ソーシャルディスタンスという考え方は。

 私のような人との距離感を上手く掴めずに感覚と感情だけが暴走する人間には、新型コロナウイルス感染防止という大名目だけでなく、大きな安心感を齎すものとなっています。

 

 私が自負するHSPを始め、人の感情や思いを感じ取り、それがあたかも自分のものであるかのようにさえ思えて。

 自分が本来持つ考えや意志を、いとも簡単に侵食されてしまう人間からすれば。

 人との物理的距離を離そうとする考えや思惑は、個人的には物凄く有り難いものです。

 

 また在宅勤務というものも、フェイス・トゥ・フェイスを基本にしてきたこれまでの仕事のあり方という観点から見れば。物理的な接触を絶ちながら仕事を続けることを証明しつつあります。

 

 相手とのやり取りが口頭を始めとした面向かいではなく、電話やメールといった手段に限られてしまうことは、業務をこなす上では確かに弊害になります。

 

 社内システムを管理し在宅勤務にも一番手として駆り出された私に、問い合わせの電話が鳴り止むことはほとんどなく、通常勤務とは異なる疲れを感じているのも確かです。

 

 

 

 今に違和感を持つ人。今までに違和感を持っていた人

 

 

 

 然れど私は、こう思います。

 

 喩え寄り添う形でなくても。相手の顔色や仕草は見えなくても。

 こなせる業務は、確実に存在する。

 

 仕事に従事する方々の出社率を削減。その為に在宅勤務を推し進めようとする。

 理解はできますが、目的と手段を履き違えているように思えてなりません。

 

 

 これは私の勝手な思いになりますが。

 可能な限り、といった曖昧な表現ではなく。在宅勤務で賄える業種や業務を担う人々にはより積極的な働きかけを続けながら。

 それができない方々には、できないだけの理由があることを十分に理解した上で。激励という精神論で終わらせるのではなく、或いは別の方法で支援していく施策を模索する。

 

 そういった決断や指針を示すことが、今国のトップに立つ方々が最優先して実施することではないかと思います。

 

 

 根性論や精神論だけで働く時代は、疾に終わりを告げています。

 

 

 これまで常識という、見えない形で人々を縛り付けるようにしながら。

 それでも、今現在のような特別な違和感を持つようなことは、かつてなかったのではないかと思っています。

 

 ですが今は、それに対して不平不満を言えるような状況ではないはずです。

 

 今の状況に違和感を覚えて、困惑し疲弊している方もいらっしゃると思います。

 一方で。

 常識として凝り固まっていた、今までの生き方や仕事のやり方を強制されて自分というものを失い、除け者扱いされながらも生きてきた人もいることも、紛れもない事実です。

 偏見になるかもしれませんが。少なくとも私のような人間は、常日頃からそのような思いを抱えながらここまで生きてきました。

 

 新型コロナウイルスの蔓延により、皮肉ながらも生まれつつ新しい生き方。

 それが定着し、常識とされてきたものが覆ってほしいと個人的に願いながらも。

 

 

 まずは、この惨事が一刻も早く収まることを、切に願うばかりです。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

 

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【車・趣味】時期外れのアクセラ旅路 ~カラオケと湖畔編~

 最近、アルドノア・ゼロという作品にハマっています。

 ネタバレになる為詳細は記載できませんが、超絶的で異次元の強さを持つ敵に対し、味方は現代の時代遅れの兵器類しかない絶望的な中。戦術と戦略を用い、超越した頭脳戦で敵を打ち破っていくロボット作品です。

 泥臭くも格好良い、ミリタリー好きな私には垂涎もので。AP弾やHE弾と言った言葉が大好物な、白兎です。

 

 

 皆さん、こんばんは。如何お過ごしでしょうか。

 

 

 前回は動物園、そしてアンティークな喫茶店で有意義で優雅な時間を過ごすことができました。

 

 その後は夜のお楽しみとなっているカラオケに趣き、喉を鳴らして初日を終えて。

 次の日は、雪の予報が出されるという、伊豆を訪れた時と似たような状況になっておりました。

 

 

 今回は、お馴染みとなったカラオケで日頃のストレスを声と共に吐き出し、初日を終えて。

 明くる日は、時間と天候との戦いの中で。

 長野と山梨の県境付近にある、湖畔を巡りながら。

 少し肌寒い、自然と触れ合いながら写真撮影に耽り、この旅路の終わりを迎えたことについて、綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の締め、カラオケ

 

 

 優雅とも言える時間を満喫した後は。

 我々の中では、恒例行事とも言えるカラオケに趣きました。

 

 二人で大人数用の大部屋に通された私たちは、フッと一息吐いてから。

 各々が得意分野とする曲を選び、マイクに向かって声を張り上げます。

 

 

 カラオケに関する記事では、最早謳い文句と言える程ではありますが。

 私とターボぅさんは、声質が正反対の特質を持っています。

 

 

 私は低音を響かせるだけの声量がなく、最近では少しずつやり方を覚え始めたとは言え、ビブラートを効かせることが苦手です。

 その為低音域を主体とする曲や、同じ音域を長時間出し続けるパートがある曲は専ら不得意です。

 また英語が全くできない私は洋楽も不得手で、楽曲に沿って英語の発音を求められる曲は頭が付いていけず、最後はお手上げ状態と成り果てます。

 

 逆に高音域は短時間であれば一気に張り上げることができ、自分の喉が出せる限界ギリギリの高音を出せた時は高揚感さえ覚えます。

 また抑揚の激しい曲もある程度なら対応も可能です。

 そんな私が好んで歌うアーティストはDEENやFIELD OF VIEW、WANDS、TOKIO。その他アニメソングだけでなく、最近ではJanne Da Arcにも挑戦しています。

 

 Janne Da Arcは音域が独特で、同じ高音域でも他のアーティストとは違う声の出し方を求められます。

 がなるようにすれば出ないことはありませんが、それだと喉を早く枯らしてしまいます。

 それ故今まで「絶対無理」と脅迫概念を抱えるようにして、歌うことを拒否してきました。

 

 しかしながら、過去記事でも触れたかもしれませんが。

 新たな愛車を迎える上で、それまでの戦友をと別れることになった友に。私は、Janne Da Arcの「振り向けば……」という曲を、写真を織り交ぜながら動画として仕上げて送った経緯があります。

 その時は泣くに泣いたという思いを添えながら、感謝の言葉を頂戴しました。

 

 ならば。喩え、最初は声が裏返ったり、声が出なくて挫折するようなことがあったとしても。

 友の前で、私の声を通して歌い上げたい。

 かつてイジメに遭った時でも、歌詞の素晴らしさから聞き耽った、Janne Da Arcの曲を。

 今はまだ、試行錯誤の真っ最中ではあります。

 然れど、いつの日か。自信を持って歌い切れることができるようになるように、鍛錬を続けています。

 

 

 一方で、たーぼぅさんは低音とビブラート。そして声量の凄さと英語歌詞の流暢さは相変わらずでした。

 経験と曲を選び抜く鋭さは、今でも歴然としていました。

 私の母親の世代を遥かに超えて、バリエーション豊かな選曲は、時として互いの笑いを誘いながらも。

 どこまでも響き渡る声は、楽曲そのものさえ知らないものでさえ。私を圧倒して、時として魅了すら感じる程です。

 

 尚、動画の挿入方法が未だに理解しきれていない為、本ブログでは記事にいたしませんことを、何卒ご了承ください。

 

 たーぼぅさんのブログで、音声入り動画を上げていらっしゃいますので、ご興味のある方は是非ご覧になってください。(私としては、かなり恥ずかしいですが……)

 

 

tabouaxela.hatenablog.com

 

 

 歌い終えた私たちは溜まったストレスを吐き出し終えて。互いにニヤリと笑いながら、カラオケ店を後にし。たーぼぅさんをホテルまでお送りして、初日を終えるのでした。

 

 

 

 穏やかな朝、立ち込める雲の湖畔

 

 

 時期外れのアクセラ旅路、二日目の朝。

 明け方に雨が降ったようで、春に向かっていく季節にしては寒々しく。昨日までの晴天が打って変わって、薄暗い雲に覆われていました。

 

 雨は上がっていましたが、いつ振り始めてもおかしくない状況の中、私たちは合流を果たし。

 午後から天気が悪くなるという情報を得ていたことから、この日は出来る限りたーぼぅさんの帰路に近い所を目指す意見で一致しました。

 

 ビーナスラインや麦草峠は、冬の規制は未だ解かれる前。それでいて、伊豆から長野まで来てくださった順路上にある場所。

 

 一つ、心当たりがありました。

 

 海のない長野では、昔から湖が海と称されてきました。小海や海ノ口という地名が、今でも名残として残っています。

 

 その湖の一つでありながら、かつては白樺湖や諏訪湖といった観光や名所と同じように栄えていながら。

 今では訪れる人も少なくなりながらも、冬のワカサギ釣りとして人気のある、松原湖。

 

 私も最後に行ったのは10年近く前ではありましたが。

 人がいない分、自然を楽しむのには最適な場所でした。

 

 私とたーぼぅさんの駆る、二機のアクセラ。中部横断自動車道を駆け抜け。山道を駆け上っていき、辿り着いたそこは。

 

 

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 風一つない、小鳥たちの鳴き声だけが木霊していました。

 愛機であるPENTAXのHDRを使い、穏やかな水面を一枚。

 狙わずとも、綺麗なリフレクションの撮影に成功しました。

 

 本来なら、家族連れが使うであろうアヒルさんボートやカヌーは。レンタル場の岸に固定されておりました。

 それらがなかったから撮れた一枚、と思いながらも。寂れていることを証明するという、皮肉な結果ともなりました。

 

 

 

 

  朽ちた木々

 

 

 

 

 松原湖はゆっくり歩きながら、写真撮影を挟んでも1時間程で一周できる程の大きさです。

 昼食までの時間と、帰路に要する時間。そこに悪天候が重ならないように、算数さえできない私の頭で計算しながら。

 湖畔に沿いながら、歩を進め。目に付いたものにカメラを向けて、各々がシャッターを切ります。

 

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 力尽きて地に伏せた木に、苔が覆う様や。

 

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 根本から折れて、粉々になって。カラカラに干上がってしまったこの木。

 生前はどのような幹を持ちながら、どんな葉を、或いは実を実らせていたのか。

 

 朽ち果ててしまった、一つの木の末路。確かに、その通りなのかもしれません。

 ですが、カメラを向けた私には。

 植物に感情があるかなど、わからないのに。

 

 何故か、無念さのような、寂しさのような哀愁を感じさせて。胸を締め付けられるような感覚さえ覚えました。

 植物にも、勝手な感情移入する自分に戸惑いながら。

 

 その目で見たことを、あるがままに感じてみろ。

 

 多分、錯覚だろうし思い込みの範疇を超えないと思っていますが。

 何故か、誰かからそう言われたような気がして、今も耳から離れずにいます。

 

 まるで、目の前のことに一々慌てふためいて。その度に落ち込んだり、憤ったりしてきた私に。

 枯れ果て、朽ち果てた木々が訴えているかのように思えてなりませんでした。

 

 

 

 

 朝露に濡れる植物たち

 

 

 

 哀しさに似た感情を抱きながらも、歩を進めていった私たちを待っていたのは。

 明け方振った雨が、偶然とも呼べる風景を創り出している様が広がっていました。

 

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 芽生え始めた草に付いた雨粒や。

 

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 朽ちた木に群生した苔。そこから生えた小さな芽にしがみつくようにした朝露。

 

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 葉を纏う日を待つ枝に付いた、雫。

 

 冬と春を跨ごうと生きる木々に、小さな雫が葉の代わりとなるかのように滴りながら彩ろうとしていました。

 それはまるで、自然同士が協力し合っているかのようにさえ見えるのでした。

 

 

 自然は、些細なように見せつつも、さぞ当たり前のように共存し合う姿を前にして。

 同じヒトという種族でさえ、協力することは難しいと思いながらも。

 願わくは、いつの日かこの木々や雨粒が簡単に成し遂げているようにして。

 私たちも、利害という矮小な考えを捨てて。互いを支え合う日が来ることを、密かに願うのでした。

 

 

 別れ際の、愛車たちを称えて

 

 

 

 松原湖での撮影を終え、時間は容赦なく過ぎ去って。

 別れまでの時間を、着々と刻んでいました。

 それでも天候は、辛うじて曇りを維持してくれていました。

 

 まだ、終わらない

 

 確信した私は、松原湖から更に登った場所。

 お風呂屋にして休憩所、そして野菜の直販所となっている、八峰の湯に向かい、先導を開始しました。

 

 その道中。

 

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 この場所は、晴れていれば山々に挟まれた渓谷地帯が奥まで続いてる様を見渡すことができ。例年の3月下旬であれば雪も溶け、青々とした山々を拝むことができる、個人的には絶景地点です。

 

 しかし、今年はいつもと違ってか。

 季節に似合わない雲と霧、そして山に被った雪。

 

 たまたま天候が悪いのか、それとも。

 今年は何かが違う、という確証のない思いか。

 

 この道は個人的にもよく通るだけあり、妙な憶測と不穏ささえ感じる程でした。

 

 

 そんな思いを振り切って、辿り着いた八峰の湯。

 

 互いの愛車を停めた広めの駐車場にて、愛車たちを称えるかのようにして。

 

 時期外れのアクセラ旅路の、最後となる撮影を行いました。

 

 初日では終始、18-300mmの高倍率ズームの威力を見せ付けられながらも。

 ここでは30mm単焦点レンズに換装して。

 

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 白と灰色、互いの愛車を写真に収めていきます。

 

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 伊豆旅行の時より、赤が増えたたーぼぅさんの愛車。

 

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 白のボディ故、赤がワンポイントとなって映えます。

 

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 他方、我が愛車であるLupusは。

 

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 ボディカラーが暗色の為、シルバー調のメッキの方が映えます。

 

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 セダンとハッチバック。年次改良前後や、色の違いはあれど。

 

 同じ、アクセラです。

 

 撮影会と昼食を終えて。

 来る悪天候を前に、此度は解散となりました。

 

 家へ帰る途中で、耐えに耐え忍んでいたかのようにして。

 雨が、ポツリと降り始めました。

 

 

 二日に渡る、時期外れのアクセラ旅路は、幕を閉じました。

 

 

 今回もまた、初めてだらけではありましたが、その分、大きな収穫と経験を得ることができました。

 この度長野まで御足労いただいた、たーぼぅさんに。この場をお借りして御礼申し上げると共に。

 またいつの日か。お会いし各々の愛車と共にどこかを走り抜けられる日が来ることを願いながら、私は帰路に就くのでした。

 

 

 

 今回も御閲覧くださり、ありがとうございました。

 それでは、また次回まで。

 

 

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 松原湖でのワンシーン。枝に止まった小鳥を撮ろうとした瞬間、逃げられました。

 これはこれで、絵になる、かな?